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女神、詰みかけた配布ミスを"運命"と言い張る  作者: 一ノ瀬


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第13話「温泉」

護衛依頼を終えた翌日。宿の部屋で荷物を整理していると、ギルベルトからの追加報酬に、思わぬものが含まれていることに気づいた。


「これは……温泉宿の割引券?」


「温泉!」


エルザが目を輝かせた。ルナリアも、口には出さないものの明らかに関心を示している。


行かない理由もなく、俺たちはローデン市に戻る前に温泉宿に一泊することにした。ローデン市からは少し離れているが、隣町からなら馬車で半刻ほどの距離だという。


宿に着くなり、エルザとルナリアは真っ先に女湯へと駆けていった。「一番風呂は譲らないから」というエルザの宣言に、ルナリアも苦笑しながら付き合っていた。俺は男湯で、旅の疲れをゆっくりと湯に沈める。


「にしても、まさか異世界で温泉に入る日が来るとはな」


独り言を漏らしながら、湯気の向こうを眺めた。前世では、こんな悠長な時間を持った記憶がほとんどない。仕事に追われ、休日すら次の仕事に備える準備期間でしかなかった。


「アレン、そっちの調子はどう」


塀の向こうから、聞き覚えのある声が飛んできた。エルザの声だった。


「悪くない。ぬるめで長く入れる」


「こっちも最高。あ、待ってルナリア、そんなに端っこ行かないでよ」


「エルザがうるさいからよ」


女湯側の賑やかなやり取りが、薄い塀越しに丸聞こえだった。なんとも気まずい距離感だったが、二人とも気にしていないらしい。湯の音とはしゃぐ声が、のんびりと夜の空気に溶けていった。


しばらく湯に浸かっていると、脱衣所の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「ちょっと、タオル忘れたんだけど!」


エルザの声だった。俺は反射的に湯船の中で身を固めた。


「お前、まさかこっちに来るんじゃないだろうな」


「違うわよ、脱衣所の話!早とちりしないでよ」


「そう聞こえる言い方するな」


「うるさいわね、緊張してたのよそっちこそ」


軽口の応酬の末、結局エルザは自分の脱衣所からタオルを回収して事なきを得た。俺は胸を撫で下ろし、再び湯に体を沈めた。だが、しばらく経ってから、今度は宿の従業員が慌てた様子で声をかけてきた。


「お客様、申し訳ございません。男湯と女湯の仕切り塀に、経年劣化で小さな隙間ができておりまして」


「……は?」


血の気が引いた。慌てて確認すると、確かに塀の下の方に、拳大の隙間がある。だが幸い、湯気が立ち込めていて、視界はほとんど利かなかった。


「アレン、今の話聞こえた?」


塀の向こうから、ルナリアの声がした。心なしか、いつもより低い。


「聞こえた。だが誓って何も見てない」


「見てなくても、聞いただけで十分気まずいんだけど」


「それはお互い様だろう」


「まあ、それはそうね」


意外にも、あっさりと矛を収めたルナリアに、俺は拍子抜けした。だが直後、彼女の声が、少しだけ弾んで聞こえた。


「でも、覚えておいて。今度何かおかしな気配を感じたら、問答無用で浄化魔法ぶつけるから」


「魔法で何をする気だ」


「さあ、何かしらね」


その口調には、明らかな悪戯っぽさが滲んでいた。からかわれているのだと気づき、俺は思わず湯船の中で天を仰いだ。


夕食までの間、俺は宿の縁側でぼんやりと庭を眺めていた。手入れの行き届いた庭には見たことのない花が咲いている。前世で花の名前を気にしたことなど一度もなかったが、この世界に来てからそういう小さなものに目が向くようになった気がした。


「アレン、こっちにいたのね」


浴衣姿のルナリアが縁側にやってきた。長い髪を下ろした姿は普段の戦闘装束とはまるで印象が違う。


「湯上がりか」


「ええ。……何、じろじろ見て」


「いや、そういう格好、初めて見たなと思って」


「変な格好してる?」


「いや、似合ってる」


素直に口をついて出た言葉に、ルナリア自身が一番驚いたような顔をした。頬がほんのり赤らんでいるのは湯上がりのせいだけではないだろう。


「あ、ありがとう。……あなたも、その、悪くないわよ」


「そりゃどうも」


気まずい沈黙が二人の間に流れた。だが、それは決して嫌な沈黙ではなかった。


「エルザは?」


「まだ髪を乾かしてる。あの子は髪が長いから時間かかるのよ」


「待つか」


「そうね」


二人並んで縁側に腰掛け、しばらく庭を眺めた。虫の音だけが静かに響いていた。


「なあ、ルナリア」


「何?」


「こういう時間、悪くないなと思ってる自分がいる」


「悪くないどころか、いいと思うけど」


「そうだな」


前世では得られなかった、こんな穏やかな時間。異世界に来て詰み目という力を得て、危うさに悩まされながらも、こうして誰かと並んで座る時間の価値を、俺は初めて知った気がした。


夕暮れの空が、少しずつ星の色を帯び始めている。この一瞬が、いつまでも続けばいいと、柄にもなく思った。


夕食の席、三人揃って浴衣姿で座ると、エルザが開口一番に言った。


「さっきの話、笑えるんだけど」


「笑うな。俺は生きた心地がしなかった」


「いいじゃない、何も見えなかったんでしょ」


「見えなかったが、心臓には悪かった」


ルナリアが、静かに湯呑みを傾けながら口を挟んだ。


「そういえば、フィオナ様もたまにはこういう息抜きされてるのかしら」


不意に出た名前に、俺は箸を止めた。ヴァレンフォード家でのガレスの言葉が、頭をよぎる。


「どうかしたの?」


「いや……フィオナのことも、そろそろ、ちゃんと調べておいた方がいいかもしれないと思ってな」


「ガレスが言ってたこと、気にしてるのね」


「ああ。あの女神、どこまで俺たちに隠してるのか、たまに不安になる」


エルザが、興味深そうに身を乗り出した。


「女神様が何か隠してるって、どういうこと?」


「まだ、はっきりとは分からない。だが、いつか、直接問い詰める日が来る気がしてる」


夕暮れの温泉宿に、湯気と共に静かな決意が満ちていった。


「問い詰めるって、どうやって?」


エルザの問いに、俺は少し考えて答えた。


「呼びかければ、多分向こうにも聞こえてる気がする。あいつ、たまに声だけこっちに聞こえてくるから」


「便利なのか不便なのかわからないわね、それ」


ルナリアが呆れたように言った。だが、その表情はどこか真剣だった。


「もし本当に何か隠してるなら、私たちにも知る権利があると思う。これは、あなた一人だけの問題じゃないんだから」


「ルナリア」


「私だって、この力の騒動に巻き込まれた当事者の一人なんだから」


その言葉に、俺は改めて、この旅が自分一人のものではないことを実感した。エルザも大きく頷いている。


「私も当然混ぜてよね。この天才魔導士様も、女神様の秘密には興味津々なんだから」


三人でこの謎を追う。それが、いつの間にか、俺たちの新しい目標になりつつあった。前世で一人きりだった長い日々からは、想像もできないほど賑やかで騒がしい未来が、すぐ目の前に広がっているような気がしてならなかった。

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