第二話 殴り込み
第二王子であるアルフレッドの開催する夜会は、王宮内の東の宴会場で行われていた。
参加者は皆、先ほど目の前で見た、アルフレッドによる公爵令嬢への婚約破棄について話していた。
「公爵家はどうなるのでしょうな?」
「あれだけ言われて、何も言えない令嬢だ。未来は明るくないでしょうな」
その時だった。
一人の衛兵が大慌てで会場に入ってきた。
「敵襲です!」
「なんだと?」
ざわめく聴衆。
衛兵が大急ぎで、正面の扉を閉めさせる。
「敵は何名だ?」
「それが……一人です!」
「何?」
その瞬間、扉が吹っ飛んだ。
「娘に何したああああああああああああああ!?」
ざわめきが消えた。
どすん。地面に扉が落ちた音が響く。
「娘を泣かせた、クソ野郎はどこだ?」
扉のあった場所には、一人の男が立っていた。
白い手袋、勲章、マント。
礼服をバッチリと着こなした一人の公爵がそこにはいた。
「こ、近衛よ! 捕らえよ! 多少傷つけてもかまわん!」
アルフレッドが震える声で命じる。
「クズ野郎は、そこにいたのか」
ニヤリと笑うレオナール。
もちろん目は笑っていない。
一歩、そしてまた一歩ゆっくりとアルフレッドの方に進む。
その瞳はアルフレッドの方から離れない。
「王族に対する暴言及び、王宮への侵入の罪で捕らえさせてもらう!」
近づく公爵に対して、近衛騎士たちが剣を構える。
「暴言? クソ野郎にクソと言っているだけだが?」
「なっ! 無礼な! 見過ごせんぞ」
一人が我慢できずに剣を振りかぶり、前に踏み込む。
その瞬間、レオナールの姿が消える。
「え?」
次の瞬間、拳がその近衛騎士の腹部に叩き込まれる。
ぐしゃり。甲冑がひしゃげる。
そのまま、その騎士は吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
「お、怯えるな! 相手は一人だ! 向かえ!」
上級騎士が命じたことで、近衛騎士たちがレオナールに向かって剣を構えて突撃する。
「遅い」
一人、また一人。
公爵の姿が消えるたびに、近衛騎士が一人ずつ壁に叩きつけられる。
それを夜会の参加者たちは、呆然としながら見ていた。
「こ、公爵閣下! 何をしているのかわかっているのか!」
「うるさい、どけ」
上級騎士も次の瞬間、吹っ飛ばされる。
レオナールは、アルフレッドまでもうすぐそこの距離まで来ていた。
「もう近衛騎士は誰もいないぞ? どうするのだ?」
アルフレッドは足がブルブル震えるのを必死で抑えながら、余裕のあるフリをしようとする。
「公爵、ず、ずいぶん大げさですね。たかが婚約が一つ終わっただけで、どうしたのですか?」
たかが?たかがと言ったか、この小僧?
レオナールはにっこりと笑った。
あ、ミスった。
アルフレッドは自分が地雷を踏んだことを悟った。
「あ、あ、あいつが悪いんです。聞いてください!」
「黙れ娘は絶対に悪くない。何があろうとお前が悪い。たとえ今この場に隕石が降ってきたとしてもお前のせいだ」
「そんな理不尽な!」
レオナールがアルフレッドを全力でぶん殴ろうと構え、振り抜こうとした時だった。
「止まるのだ! レオナール! 待て! 頼む! 待って!」
レオナールが拳を途中で止める。
その拳を見つめるアルフレッドの股間が濡れていき、足元に水たまりができる。
「やだ……」
「汚いわ」
レオナールがその様子を見て振り向くと、そこには肩で息をするフリードリヒ・ユーラヴァレオン王の姿があった。
「ち、父上、なぜここに!」
「お前のせいだ、馬鹿者!」
フリードリヒは壁のオブジェになっている近衛騎士たちを見た。
うん、生きてはいるな。
「よかった。大事にはなっていなくて」
「いや、大事ですよ」
追いついた宰相が突っ込むが、フリードリヒは無視する。
「レオナール。事情を聴取して厳正な処分を下すと約束しよう。だからその拳を納めてもらえないか?」
「わかりました陛下。一発殴ったら、納めます」
「わかっていないじゃないか!」
思わず額を抱えるフリードリヒ。
フリードリヒは一瞬考え込んだが、すぐに諦めた。
「すまない、アルフレッド。一発だけだ、我慢してくれ。レオナール、死なないようにしてくれよ。死んだらいくらお前でも重い罰を下さねばならぬ」
「承知しました、陛下」
「ひっ」
レオナールがニヤリと笑う。
そして拳を振り上げ、撃ち抜こうとした瞬間。
「お父様! やめて!」
レオナールの拳が、アルフレッドの顔から指一本のところで止ま……らなかった。
宙を舞うアルフレッド。
どすん。その体が、床に落ちた。
「お、おい! 殺していないだろうな?」
「大丈夫だ。手加減した。死んでいない。……多分」
その言葉通り、ピクピクとアルフレッドの指が動いている。
公爵はそれを確認すると鼻を鳴らし、振り返った。
そこには非難げに父を見つめる娘エリナリーゼがいた。
エリナリーゼは大きくため息をついた。
まあしょうがないか。エリナリーゼは切り替えることにする。
エリナリーゼがフリードリヒに向かって、深く頭を下げた。
「陛下。父が大変なご無礼を。申し訳ございません」
場がざわつく。
「……全ては何があったか、事情を聞いてからだ。エリナリーゼ嬢。まずは婚約破棄の件、何があったか聞かせてもらえるか」
エリナリーゼはその言葉を聞いた途端、表情をこわばらせた。
そして、ゆっくり自分に対して確認するように、ぽつりぽつりと呟く。
「……殿下から突然婚約を破棄されました。理由は私が殿下の仲良くしている令嬢をいじめており、王族に相応しくないからだと」
「そんな理由、嘘八百だ!」
エリナリーゼは、腕を振り回して大声を出す父のことを睨みつけた。
しまった。
レオナールは慌てて口を押さえる。
エリナリーゼはそんな父の様子を見て、もう一度父のことを睨みつけると、フリードリヒの方を向きなおした。
「……私はそれを受け入れます。全ては私の至らなさから起きたことです。婚約破棄される原因は私にあります」
アルフレッドがいつの間にか起き上がっていた。
薄ら笑いをする。
「ふん、余計なことを言わず、最初からそれだけ言えば良いのだ」
「小僧!」
「ひっ」
「お父様」
娘に睨まれ、身を縮こまらせるレオナール。
しかしアルフレッドのことを睨みつけることは忘れない。
アルフレッドの震えが一段と酷くなる。
「ただし」
エリナリーゼは震える声で続けた。
「一つだけ殿下にお聞きしたいことがございます」
震える足で身構えるアルフレッド。
「私は殿下のことを知っています。殿下の好きな食べ物、好きな教科、好ましい友達。逆に殿下は、私のことを一つでもご存知でしたか」
視線がアルフレッドに集まる。
「……もちろんだ」
「では、具体的にお答えください」
「……」
アルフレッドは口をパクパクしてなんとか言葉を搾り出そうとするが、何も出てこない。
「そうですか」
その様子を見たエリナリーゼは悲しげに微笑んだ。
「ですが、殿下。そこまで私に関心がなかったのに、なぜ私が殿下の友人を虐めたことは、確信なさったのでしょうか?」
「そ、それは、ミリアが言っていたんだ!」
アルフレッドの口調に勢いが戻る。
「ミリアが泣いて訴えてきたんだ! お前が嫌がらせをしていると!」
会場は静かだった。
「ミリアは嘘をつくような子じゃない! あいつは純粋で——」
「おい」
フリードリヒ王の声だった。
その声は、低く、静かで、冷たかった。
「一つ聞く。エリナリーゼ嬢が虐めたという客観的な証拠はあるのか」
「ミリアが——」
「ミリアとやらの言葉以外で、客観的なもので聞いている」
アルフレッドは口を開いた。すぐに閉じると、また開いた。
言葉は何も出てこなかった。
「目撃者は」
「ミリアが……」
「黙れ。それ以外の名前を言え。他に誰か一人でも、裏を取ったのか。それとも、客観的な証拠でもあるのか」
アルフレッドは下を向いて黙ってしまった。
フリードリヒは静かに息を吐いた。
「泣いている女の言葉だけで、公爵家の令嬢を公衆の面前で断罪したのか」
「それは……だって、ミリアは泣いていたんだ! 嘘をつく理由が……」
「嘘をつく理由がないことは、真実の証拠にはならん」
アルフレッドの顔から血の気が引いていく。
フリードリヒがその様子を見て、静かに宣言する。
「この件は、後日正式に査問とする。ヴァレンシュタイン嬢、それで大丈夫か?」
「よくないぞ、エリナリーゼ!」
「はい、陛下。よろしくお願いします」
またエリナリーゼに睨まれ、慌てて手で口を押さえるレオナール公爵。
その姿は、とても気まずそうだ。
やれやれ、やっと一段落したか。
フリードリヒがため息をついた時だった。
「大変です! 武装した公爵家の軍が迫っております!」
一人の衛兵が走って夜会の会場に入ってきた。
「お嬢様を傷つけた無礼者はどこだ!」
その言葉のすぐ後に、使用人の集団が雪崩れ込んできた。
レイピアを持った執事。鉄扇を持ったメイド。
みんな、目が血走っている。
「ひっ」
アルフレッドが思わず後ろに後ずさる。
そんなアルフレッドと使用人たちの間に、エリナリーゼが一歩進み出た。
「話し合いは無事、終わりました。私なら大丈夫よ。みんな、帰りなさい」
「「「承知しました。お嬢様!」」」
そう言って、使用人たちはくるりと振り返ると、元来た廊下を戻っていった。
それを見て、フリードリヒ王がやれやれと言った顔で告げる。
「武装してやってきたことだが、今回は特別に不問とする」
その顔には疲れたという文字が書いてあった。
「……陛下、我が家のものがご迷惑をおかけしました」
「……次はないぞ」
「はい。大変ご迷惑をおかけしました」
そう言ってエリナリーゼは頭を下げる。
「では、お父様。今日のところは帰りましょう」
「……お前がそういうなら帰ろう」
レオナールは扉の方に歩いていったが、ぴたりと立ち止まる。
「やっぱりムカつくから、最後に一発だけ殴ってもいいかな?」
「お父様! 嫌いになりますよ」
こそっと呟いたレオナールの顔に絶望が張り付いた。
固まった父を引っ張るように、エリナリーゼは父の手を取り言った。
「さあ、帰りますよ」




