4 転属
光雄は仕事を誇りに思っていた。
会社の新規事業であった住宅販売のアウトソーシングの受託業務。その会社にとって、誰も経験した事のない事業の責任者に抜擢されて、持ち前の器用さを発揮して、派手ではないものの、利益には貢献しているとの自負があった。
そんな中、社長から本社に出頭せよとの指示があった。
「中林さん、拠点長として頑張ってるよね。」
「ありがとうございます。」
「利益も出ているし、その手腕を本社に来て発揮してみない?」
「いきなりですか?本社という事は、保険の部署ですか?」
「まあそういう事。私もあなたを側に置いておきたいし。」
何の前振りだろうか。
先般酒の席で、この社長は関連会社の社長をしていた旦那さんと離婚をしたとの話を直接本人から聞いていた。
「お願い。悪いようにはしないから…」
上目遣いで社長は懇願している様子だった。
しかし智花一筋、悪く言えば鈍感極まりない光雄には、ただの業務連絡でしかなかった。
「業務命令とあらば…」
その時あの電流が走った。
これはターニングポイントか?
よく考えて結論を出せ。そう何かが叫んでいる様な気がした。
「…少々考えさせて下さい。明日迄に結論を出します。」
「判りました。あなたは頭がいいから、的確な判断をしてくれると期待しています。」
社長はそういうとふぅと大きく息をつき、光雄に対して深く礼をした。
不安要素は多々ある。
まず、保険セクションには拠点長として、慇懃無礼な「奴」がいる。社長の元旦那の会社から転籍して来た阿部だ。
光雄は阿部を大の苦手としていた。
次に、全く畑違いの保険業務が務まるのか?
資格は上級のものがあるが、日々常々その業界は魑魅魍魎の巣窟だという事を聞いていた。
更にあの社長の上目遣い。
何か良からぬ事を考えているに違いない。
そして、何よりも右肩と右脚の電流。以前智花は人生のターニングポイントの時に走ると指摘してくれた。
一人じゃ判断出来ない。
光雄は智花に相談する事にした。
既に女の子の父親になり、智花のお腹の中には2人目の命が宿っている。
そう考えると背負っていくモノが違ってくる。
更に妊娠、出産を経た智花は退職しており、専業主婦。収入は光雄一人で賄っていた。
「なあ智花、今日本社に行って来たんだけど…」
帰宅後光雄は部屋着に着替えながら、智花に社長からの提案を包み隠さず話した。
智花もここで「はいそうですか」と承諾するのは簡単である。
しかし、いつも自分を引っ張っていってくれる愛する夫が相当切羽詰まって相談してきたのだ。
まずは、無難な話から聞いてみようと思った。
「給料はどうなるの?」
主婦としては、当然聞かなければならない事である。
「前例がないから何とも言えないけど、保険の単価なんてたかが知れてるし、今より落ちるかもしれない。それに……、ね。」
バツの悪そうに光雄は答えた。
何を口ごもっているの?何か隠していないの?いつもの光雄ではない。こんなに頼りなさそうな光雄は初めて見たかもしれない。抑えようと思った感情が爆発した様に、智花はストレートに聞く。
「社長の事、どう思っているの?好きなの?今回の異動って愛人契約?おかしいよ。その社長、自分の側に置きたいなんて。モノじゃないんだから!」
智花は自分でもその発言に驚いた。私は何を言ってるのだろうと。ただの人事異動に何を嫉妬しているのだろう?
会社にいる時間は家庭にいる時間よりも遥かに長い。
何をしているかなんて、私に判る訳なんかない。そう思うのと、今回の件は、何か胸騒ぎがする。
「ねえ、はっきりしてよ!」
智花の悲痛な訴えに、隠し事の出来ない光雄は、優しい目をして素直に答える。
「智花の心配はわかるよ。だけど会社員だから、命令には背けない。大丈夫。僕には智花と翼、そしてお腹の赤ん坊を護る。そして裏切らない。
心配しないで。」
「……命令には逆らえないのよね。なら、社長に聞いてみてから返事をして。これは業務命令なのかって!」
智花は必死に感情を抑えながら、光雄に懇願する。
光雄はそんな智花は見た事がなかった。
その瞬間、あの電流が再び走った。
「っ!」
良く考えなくては。きっと何かの前触れだ。
しかし、命令であるのであれば、仕方のない事でもある。
翌日、社長室に出向いた光雄は言葉を選びながら質問した。
「社長、質問しても宜しいでしょうか。」
「何でしょう?」
「今回の異動は何かの理由がございますか?」
「理由も何も、あなたにとってのステップアップの為よ。」
この会社では管理職も含めて、職種の変更の前例はなかった。
社長は続ける。
「住販セクションは、あなたのおかげで順風満帆の状態となったわ。後続も育っているし、マルチタスクをお願い出来るのは、貴方だけなの。将来的に役員をするならば、うちの会社の全業務を把握するのは必要な事じゃなくて?」
あなたのしゃべり方はセイラさんか?
光雄はそう思いつつも、核心を質問する。
「おっしゃる事は判りました。失礼ながら次の質問を致します。今回の異動は『業務命令』でしょうか。選択権は私にございますか?」
一瞬社長は眉間にシワを寄せたが、こう答えた。
「この異動は私の将来的なビジョンの一環なの。会社を大きくする為に必要な事と考えている、結論は最初の質問はYES、後の質問はNOよ。」
「承知致しました。」
「詳しい事は阿部から連絡させます。ご存じでしょ?阿部を」
「存じ上げております。失礼致します。」
社長室を後にした光雄は、本社から営業所に電車で戻る最中、頭を巡らせていた。
この会社に入社してから時間が経つのが速すぎる。
いや、智花と付き合い始めてからが、まるで走馬灯の様に過ぎたような気がする。
いや、まてよ?はっきりとした記憶があるのはターニングポイントの時だけか?
でも、その間の記憶もしっかりある。
この違和感は、前にも感じた事があるぞ。
一体どうなっているんだろうか?
小春日和の日差しを窓から受け、光雄はウトウトと眠りについていた。




