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6 俺は絶対に後悔しない!

 二十メートル四方、高さ五メートルの薄暗い石でつくられた部屋の中央に、水色のガラスの体に青いガラスのキトンを身に着け、羽根が刃物でできた銀色の翼が背中で輝く悪魔キルコが立っていた。


 獣と人間が混じったような半人半獣の姿の悪魔六十体が、キルコを二重の輪になって囲んで立ち、キルコに向けて空気の揺らめきを伴う霊力を送っていた。

 キルコはその霊力を全身に受けて、苦し気な表情を浮かべ、身動きできずにいた。


 キルコを囲む悪魔の輪の外側では、身長が人間ほどある大きなフクロウの姿の悪魔が部屋の奥に立ち、愕然としてキルコを見つめていた。

「人間界で生まれたこのキルコって悪魔は、砕けたガラスのように、触れるもの全てを傷つけようとして危険だホーッ!

 悪魔の秩序を受け入れるつもりなど全くなく、目に入る存在は何でも壊そうとするホーッ!

 帝国軍二個小隊の悪魔六十体が霊力を合わせて、やっと動きや自爆行為を止めることができるなんて……。新人悪魔の教育官になって千二百年、こんな強力な悪魔は見たことがないホーッ!」


 フクロウの姿の悪魔が、キルコに呼びかけた。

「悪魔キルコよ! 汝がいくら抵抗しても、偉大なる皇帝ザギャリーザ様が支配されるこの悪魔の帝国の前では、汝の力など無きに等しいのだホーッ!

 汝も悪魔の秩序を受け入れ、帝国に服従するのだホーッ!」


 キルコは、六十体の悪魔が放出する霊力に全身を強烈に圧迫され、苦しみ悶えていた。ガラスの体と服に、細かいヒビが生じ始めた。

 キルコは、瑠璃切子と同じ顔でフクロウの姿の悪魔を睨みつけた。

「こ……、殺す! お……、お前も、ここにいる奴らも、鏡太朗も、全員殺すうううううううううううううううっ!」

 キルコの絶叫とともに、周囲に強烈な霊力が爆風のように放たれ、取り囲んでいた六十体の悪魔とフクロウの姿の悪魔を部屋の壁に激しく叩きつけた。


「抵抗はやめるホーッ! な、何だホーッ?」

 壁からずり落ちたフクロウの姿の悪魔は、キルコを睨んで絶叫した直後、異変に気づいて愕然とした。


 キルコの翼の合計七十二枚の銀色の羽根が、曲線を描いて部屋中の壁まで長く伸びており、壁に叩きつけられていた六十体の悪魔たちの体は、一様にバラバラに斬られていた。

 フクロウの姿の悪魔は、ハッとして自分の体に目を向けると、胴体が水平に六回斬られて分割されていた。

「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!」

 部屋の中に、六十一体の悪魔の悲鳴が響いた。


 体がバラバラになった六十一体の悪魔たちは、体の残骸を黒い液体状に変化させて、体を復元させるために、自分の体を構成する黒い液体状のものを空中で合体させ始めた。

 キルコは羽根を縮めて翼の形状に戻すと、周囲を見渡した。

 キルコを囲むように六十一個の黒い液体が宙に浮き、元の体の形状に復元しつつあった。

 キルコは緊張した表情で、間もなく復元が完了するであろう周りの悪魔たちを警戒した。


「ぎゃはははっ! やっぱお前は面白いな!」

 突如として、開いた鉄の扉の向こう側から冷たい響きの女の声が聞こえ、キルコは鋭い目を向けた。


「ここまでの案内ご苦労だったな」

 冷たい声の女はそう言うと、廊下から部屋の中に中世の騎士が使っていた形状の盾を放り投げた。

 盾の中央には、邪悪そうな顔を恐怖と苦痛に歪ませた悪魔の顔があり、廊下を睨んで怒声を上げた。

「シャ、シャリマーヤー、こんなことをしてただで済むと思うな!」

 その盾の裏側にある持ち手には、それを握る左手と前腕がついており、甲冑を装着しているその前腕は、肘の下の部分を鋭利な刃物で切断されていた。


「ぎゃああああああああああああああああああああっ!」

 弧を描く七十二本の銀色の光跡が走り、顔のついた盾は床に落下する前に、キルコが長く伸ばした七十二枚の羽根によってバラバラに切断された。


「おい、お前。アタイと一緒に来い。一緒に来るなら、お前の望みを叶えてやるぜ。お前の望みは何だ?」

 冷たい声の持ち主は、部屋の中に一歩踏み出した。その額には十字架の形の火傷があり、瞳は紫色の薔薇の花の形をしていた。



 地上が深い闇に覆われ、見る者を圧倒するほどの無数の星が散りばめられた夜空の下に、暗闇の中に広がる熱帯植物の森と、海と見紛うほどの広大な川が広がっていた。土で覆われた川岸では、焚き火の揺らめく明かりが灯り、緩やかに流れる川面がその明かりを映し出していた。焚き火の横には、さっきまで火にかけられていた鍋が置かれ、その中を満たす薬草と茶色い液体が、湯気と一緒に薬草独特の香りを周囲に漂わせていた。


 川岸の土の上には、気を失った鏡太朗が横たえられ、その隣には鏡太朗に体を向けて胡座をかく年老いた女性がいた。

 女性は南米の民族衣装を身に着けており、服から露出した前腕と顔には、黄色、赤、白の染料でサイケデリックアートのような模様が描かれ、口には喫煙用のパイプを咥えていた。パイプ先端の穴には火がついた薬草が詰められ、その女性は、薬草から出る煙をタバコのようにパイプを通して吸っていた。

 その女性の姿は、明らかにシャーマンのものだった。   


 鏡太朗から少し離れた場所には、心配そうに鏡太朗を見つめて立つリリィの姿があった。

『鏡太朗ったら、あたしの愛車に乗るのが大好きで、ずっと叫び続けて大はしゃぎだったのに、ドライブの途中で気絶しちゃうなんて、やっぱり病気に違いないわ。きっと鏡太朗を蝕んでいるその病気が、あたしにもうつったのね。でも、心配しないで。このシャーマンは、体と心を同時に浄化して、どんな病気も治しちゃう凄腕の持ち主なんだから』


 シャーマンは、パイプから吸った大量の薬草の煙を鏡太朗の顔に吹きかけた。

「ごほっ! ごほっ!」

 顔に煙をかけられた鏡太朗は、咳き込んで目を覚ました。

「……ここは?」

 鏡太朗は上半身を起こすと、周囲を見渡し、自分が今いる場所を把握しようとした。そこは、星の瞬きと焚き火、川面の反射以外に明かりが見当たらない深い暗闇が空間を埋め尽くしていた。

 鏡太朗は右に顔を向けた瞬間、隣で座っているシャーマンの存在に気づき、焚き火の揺らめきで浮かび上がったペイントを施した顔を見て、心臓が止まるかと思うくらい驚愕した。

「わっ! な、何? これは何? ここはどこ?」


 シャーマンは、ひょうたんをくり抜いて作られた茶器を鏡太朗に差し出した。茶器の中には、薬草を煎じた茶色い液体が入っており、強烈な苦さを想像させる独特の香りが立ち上っていた。

「え? これ何? これを飲むの?」

「そうよ。それを飲むの。それを飲むと、体と心を浄化できるのよ」

 焚き火に照らされたリリィが鏡太朗の目の前まで歩いて来ると、シャーマンの隣に立った。


「ク、クロリリィちゃん?」

 リリィは、驚きの表情を浮かべる鏡太朗に向かって微笑んだ。

「鏡太朗、あなたは病気なのよ。その薬草を煎じた薬は凄〜く苦いけど、我慢して飲んで。きっと病気はよくなるわ」

「え? え? 俺って何かの病気なの? 全然自覚がないけど……。でも、これを飲めばよくなるんだね? わかった。クロリリィちゃんがそう言うのなら、信じて飲むよ」


 鏡太朗は、手にした煎じ薬を険しい顔でしばらく見つめていた。

『それにしても、めっちゃ苦そうな匂い……。飲むのが怖いな』

 シャーマンが左右の手でマラカスに似た木製の伝統楽器を持ち、それを振って音を奏で始めると、聞いたことがない言語で歌を歌い始めた。祝詞に独特な節回しをつけたようなその歌声は、何かの儀式が執り行われていることを連想させるものだった。

 鏡太朗は、心配そうな顔で自分を見つめるリリィに一瞬目を向けると、覚悟を決めて器の中の煎じ薬を一息に飲み干した。

 鏡太朗は空になった器を横に置いた直後、両目を丸くして、右手で口を抑えた。

『な、何だ、この強烈過ぎる苦さは! ううっ! 凄い吐き気が!』

 鏡太朗は慌てて立ち上がった。


「え? え?」

 鏡太朗の視界に映るすべてのものが突然歪み始めた。耳から聞こえるシャーマンの歌声と楽器の音さえも歪んでいるようだった。

「な、何これ?」

 鏡太朗の目に映る光景は、周囲の全ての物が鮮やかな色彩で光り輝き始め、やがて形が歪んでいくと、鏡太朗の周囲の空間がサイケデリックアートのような様々な光で描かれた模様に変わっていった。


『きょ、きょ、きょ、鏡ちゃん? ま、ま、ま、まさか、こ、こ、この人に……』

 目の前に、呆然とした顔で自分を見つめる制服姿のさくらの幻影が現れた。

「さ、さくら? 何でこんなところに?」

 いつの間にか、周囲は午前中の学校の屋上に変わっており、さくらの幻影は激高して鏡太朗に叫んだ。

『この人に何をしたのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ?」

「さ、さくら? な、な、何でそんなに怒ってるの? お、俺、何か怒らすようなことした?」


 鏡太朗とさくらの幻影がいる場所が、一本樹高等学校の一年一組の教室の中に変わった。二人は、呪いのロッカーの前に立っていた。

 さくらの幻影が涙を流し始めた。

『あたしね……、よく思うの。おとーさんとおかーさんは、このお札のせいで帰って来られないんじゃないかって。このお札さえ剥がしてしまえば、おとーさんとおかーさんが帰ってくるんじゃないかって……。でも、そんなことできる訳がないよね……』

 さくらの幻影は俯いて嗚咽を漏らし、その目の辺りから、キラキラ輝く大粒の涙が一粒、また一粒と零れ落ちていった。

「え? これって、俺が呪いのロッカーのお札を剥がした時の出来事だ……」

 鏡太朗が愕然とした時、離れた場所から女の子の悲鳴が聞こえた。


 鏡太朗が慌てて悲鳴の方に顔を向けると、視線の先は薄暗い洞窟の中になっており、十歳の幽霊の少女と十八歳の幽霊の少女に向かって、全長百メートルの大ムカデがもの凄い勢いで迫っていた。

「芽衣里(めいり)ちゃん! 彩奏(あやか)さん!」

 鏡太朗は二人の幽霊の少女に向かって駆け出そうとしたが、その背中にさくらが悲痛な声で叫んだ。

『鏡ちゃん、行かないで!』

 鏡太朗が振り向くと、さくらが涙を流しながら鏡太朗に悲しい顔を向け、体を震わせていた。

『鏡ちゃん……。今行ったら、あたしたち二度と会えなくなるんだよ。おとーさんも、おかーさんも、あたしのせいでいなくなった……。あたし、もう誰も失いたくないよ……。あたしを一人にしないで。ずっとあたしのそばにいて……。あたしは、ずっとずっと鏡ちゃんと一緒にいたい……』


 鏡太朗は俯いて、瞼を強く閉じた。


 拳を力いっぱい握り締めた。


 何かに耐えているかのように、体が小刻みに震え出した。


 やがて、鏡太朗は俯いたまま、背後のさくらに向かって消え入りそうな声で言った。

「さくら……、ごめん……。さよなら……」

 鏡太朗は俯いたまま、さくらの方を振り返ることもなく、芽衣里(めいり)と彩奏(あやか)に向かって全力で疾走した。


『鏡ちゃん! ずっと、あたしのそばにいてえええええっ! お願いいいいっ!』

 さくらの悲痛な叫びが鏡太朗の心を抉るように突き刺さったが、鏡太朗は顔を上げて大ムカデが間近に迫っている芽衣里(めいり)と彩奏(あやか)を見つめた。

「俺はずっとさくらのことが好きだった。さくらにはいつも笑顔でいて欲しくて、その笑顔がいつも自分に向けられていたら、どんなに幸せだろうって思っていた。

 でも、色んな危険な敵と出会って、そいつらの圧倒的な強さに打ちのめされて、全ての人を守り抜きたいって心から願うようになった」


 鏡太朗が前を見つめる目に涙が溢れ、流れ出して頬を伝った。

「今の俺は、長い間ずっと夢見ていたさくらとの幸せよりも、全ての人を守ることができる力が欲しい! 目の前にいる人たちを助けることができるのなら、たとえ二度とさくらと会えなったとしても、俺は絶対に後悔しない!」


 暗い川原を疾走する鏡太朗の目に映る世界は、再び大きく歪み始め、色とりどりの光で輝き始めた。


 ドサッ!

 鏡太朗は大きく目を見開いたまま気を失い、前のめりに川原に倒れた。


「鏡太朗!」

 リリィは一瞬にして鏡太朗のそばに移動すると、鏡太朗の体を仰向けにして隣に座り込み、鏡太朗の頬を右手で撫でた。

「鏡太朗、あのシャーマンが飲ませた薬草はね、目覚めたまま現実とは違う感覚になる『変性意識状態』に誘導する力があるのよ。人間の心や体、人生の問題を解決するための心身を浄化する儀式に使うものなの。

 心の中のネガティブな感情が、人間の心身の病気や人生の行き詰まりを招いているから、そのネガティブな感情を解放して浄化する強力なカタルシス効果が期待できるの。鏡太朗が抱えている問題を解決する助けになればいいんだけど……」


 リリィは、鏡太朗の頬を撫でる手を急に止めた。

『な、何なの? この胸の高鳴りは何? 鏡太朗を見つめているだけで、頬に触れるだけで、ドキドキが止まらない。顔が熱い……。あたしの病気って、どんどん進行しているのかしら? もしかしたら、ずっと治らないのかも……』

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