5 星空に響き渡る鏡太朗の絶叫
一本樹高等学校の屋上では、屋上を囲む手摺の上にリリィが立ち、座り込んで俯く鏡太朗をにこやかな顔で見つめていた。
「鏡太朗、どーしたの〜? 教室からここまで走っただけで、そんなに疲れちゃったの?」
「いや……、走る前から、人生が終わるかと思うくらい疲れ切ってた……」
精根尽き果てた鏡太朗は、力なく答えた。
「鏡ちゃん!」
「鏡太朗!」
校内から屋上に続くドアを開け放ち、鏡太朗を追っていたさくらと來華が姿を現した。
「さくら……。ライちゃん……」
鏡太朗は憔悴しきった顔を三十メートル先のさくらと來華に向け、さくらと來華は鏡太朗の許へ駆け寄った。
來華は鏡太朗の手前で立ち止まると、目に見えないリリィがいる方向に、警戒した表情を向けた。
「誰じゃ、そこにいるのは?」
「え? ライちゃん? 誰もいないけど……?」
さくらは不思議そうな顔で、來華の視線の先の何もない手摺上方を見つめた。
「さくら。目には見えんし、魔力や呪いの力は感じないんじゃが、そこには確かに誰かの気配があるんじゃ!」
その時、リリィがさくらと來華に姿を現し、さくらは驚愕してリリィの姿を見つめた。
「だ、誰なの、あなたは?」
リリィはさくらの問いには答えず、不敵な笑いを來華に向けた。
「そっちのあんた。なかなか勘が鋭いわね〜。あたしの存在に気づくなんて、たいしたものだわ〜」
「お前、鏡太朗に何をするつもりじゃ? 危害を加えるつもりなら、今すぐわしがぶっ倒すんじゃあああああっ!」
息巻く來華に向かって、リリィの笑顔の中の目が冷たい光を放った。
「あら〜? このあたしに喧嘩を売るつもり〜? いつでも買ってあげるわよ〜」
「二人とも、やめて!」
鏡太朗は、慌てて來華とリリィの間に立った。
「ライちゃん。さくら。この女の子は、この前話したクロリリィちゃんだよ! 大ムカデの餌になるところだった人たちと幽霊たちを助けてくれて、俺のことも助けてくれたんだよ! 俺の恩人で、大切な友達なんだ!」
「この人がクロリリィさん? 鏡ちゃんを助けてくれて、おねーちゃんが魔物ハンター時代にバディだったというクロリリィさん?」
さくらが驚いてリリィの顔をじっと見つめた。
「そうよ〜。あたしは悪魔の子クロリリィなんだから〜」
リリィの左右の肘からコウモリの翼のような形の小さな翼が生え、首の後ろの髪の生え際からは先端がハート形の黒いしっぽが生えて、リリィは悪魔クロリリィの姿に変貌して不敵な笑みを浮かべた。
「あたしは、もみじの妹のさくらだよ。よろしくねっ、クロリリィさんっ!」
さくらは満面の笑みをクロリリィに向け、來華はホッとした顔を見せた。
「そうか、お前がクロリリィなんじゃな」
「……」
さくらと來華の反応を見て、クロリリィの笑顔が固まった。
「もおおおおおおーっ! 何なのあんたたちはあああああーっ? 何で悪魔に出会ったことを普通に受け入れているのよ! 『えええええええっ! あ、あ、あ、悪魔ですってえええええっ? 信じられないいいいいいいっ! おーまいがああああああっ!』とかって、全力で驚きなさいよー!」
「驚くも何も、今まで見てきた危険な魔物の方が、見た目のインパクトが強烈だったんじゃ。クロリリィは見た目が普通過ぎて、悪魔って肩書くらいじゃあ全然驚かないんじゃ」
來華が悪気なくそう言った瞬間、クロリリィは激高した。
「な、何ですってえええええええっ? 究極に超絶可愛い過ぎるこのあたしの見た目が普通ですってええええええええっ! あんた、よっぽどあたしと喧嘩がしたいらしいわねええええええっ!」
來華はきょとんとした顔で、クロリリィに言葉を返した。
「別にそんなつもりはないんじゃが、本当のことを言って気を悪くしたのなら、謝るんじゃ」
「ほ、ほ、本当のことですってえええええええっ!」
來華の何気ない一言が、クロリリィの怒りをさらに燃え立たせた。
「お、落ち着いて、クロリリィちゃん!」
鏡太朗が慌ててクロリリィをなだめた。
「そ、そうだ! お、俺、クロリリィちゃんの車にまた乗りたいなーっ! い、今すぐ一緒に行こうよ!」
鏡太朗がその場を収めるためにそう言うと、それを聞いたクロリリィは落ち着きを取り戻した。
「きょ、鏡太朗がど〜してもあたしとドライブしたいってゆーのなら〜、こいつのことは目をつぶって、今すぐ出発してもいいわよ〜」
クロリリィが頬を赤らめながらそう言った瞬間、その表情を見たさくらが怒気の孕んだピリピリした声で言った。
「ふ、ふ、二人でドライブ? そ、そ、それなら、あたしも一緒に行くわ」
クロリリィはニヤリと笑いながら、さくらに答えた。
「あら〜、残念ね〜。あたしの車は二人乗りで、鏡太朗しか乗れないわ〜」
さくらは怒りをこらえながら、努めて冷静に言った。
「そ、それなら、きょ、鏡ちゃんじゃなくて、あ、あたしがクロリリィさんとドライブに行くわ。お、お、おねーちゃんの昔の話も聞きたいし……」
クロリリィは勝ち誇った表情で、さくらに言った。
「あら〜。それは無理ね〜。あたしはね〜、鏡太朗に病気をうつされたのよ〜。鏡太朗には、あたしの病気が治るまでずっと看病する責任があるのよ〜」
さくらはクロリリィの言葉を聞いた瞬間、ひどく狼狽した。
「びょ、びょ、びょーきって……、ま、まさか、鏡ちゃん……?」
鏡太朗は、クロリリィとさくらの会話が理解不能であるのと同時に、見る見る悪化していくその場の雰囲気を肌で感じて激しく動揺した。
「お、お、俺は……、べ、別に……」
クロリリィは両腕で自分の胸を抱きしめながら、うっとりとした表情で言った。
「あの日、鏡太朗があたしを力強く抱きしめたあの温もりが、まだここに残ってるわ〜」
さくらはクロリリィの言葉を聞いて、パニック状態に陥った。
「きょ、きょ、きょ、鏡ちゃん? ま、ま、ま、まさか、こ、こ、この人に……」
さくらは、信じられないものを見る目で鏡太朗を見つめ、鏡太朗は言葉が出ずに、怯えるような表情でかぶりを振っていた。やがて、さくらは怒りが燃え盛る目で鏡太朗を睨みつけると、火山が噴火したかのような怒声を上げた。
「この人に何をしたのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ?」
鏡太朗はさくらの剣幕に気圧され、意識が遠くなっていった。
「さくら、落ち着くんじゃ!」
來華が鏡太朗をかばうようにその前に立ち、荒くれ者のような凶暴な表情のさくらの両肩に手を置いて、さくらをなだめた。
「じゃあ、お二人さん、バイビー!」
クロリリィが満面の笑みを浮かべながら鏡太朗の右肩に左掌を乗せると、クロリリィと鏡太朗の姿がさくらと來華の目の前から一瞬で消えた。
「あの人と鏡ちゃん、ぜーったいに許さないんだからああああああああああっ!」
さくらの殺気に満ちた怒鳴り声が、秋の高い空に響き渡り、校舎を揺るがした。
「どーしたの鏡太朗?」
強張った表情で冷や汗を流す鏡太朗に向かって、人間の姿に戻ったリリィが不思議そうに尋ねた。
「い、いや、今背筋に冷たいものが走って……」
「さ〜、鏡太朗、ドライブに行くわよ〜。これを」
「え?」
鏡太朗はリリィに手渡されたヘルメットを茫然として見つめ、何かに気づくと、周囲を見回した。
「ク、クロリリィちゃん……。この道路って一体……? 随分ハードそうなワインディングロードだけど……」
鏡太朗が見つめる先では、星空の下に芝生や森が広がっており、曲がりくねった舗装道路がその中を縫って伸びていた。
「し、しかも、いつの間に夜に? ここってどこなの?」
リリィは、目の前に停車している愛車のケーターハムスーパーセブンJPEの運転席に飛び乗って、足から潜り込むようにそこに収まった。リリィは続けて助手席に置いていたヘルメットをかぶると、屈託のない笑顔を鏡太朗に向けた。
「ここは日本から遠く離れた国のサーキットよ〜。世界で一番過酷と言われているコースなんだから〜。確か〜『何とか地獄』って呼ばれてけど、何地獄だったかしら〜? この前、鏡太朗がこの車に乗って楽しそうだったから〜、鏡太朗のために、お金の力を使って特別にここを一晩中貸し切ったのよ〜。さあ、朝までドライブを楽しみましょう」
鏡太朗は、真っ青な顔で立ち尽くしていた。その真っ青な顔は、見る見る血の気がさらに引き、真っ白になっていった。
『さっきは、さくらに殺されるかもって思ったけど、こっちが俺の死に場所だったのかも……。あれ? ってゆーか、さくらは何であんなに怒ってたんだろう?』
排気音の激しい咆哮と、カーレース用の溝がないスリックタイヤが道路を擦る音が響き、クロリリィと鏡太朗を乗せたケーターハムスーパーセブンは猛烈な勢いで出発した。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!」
世界一過酷なサーキットに、鏡太朗の恐怖の絶叫が一晩中響き渡った。




