4 銀色の薔薇と黒いフロックコート
住宅街の道路では、狂気の笑みを浮かべる百目鬼が渾身の力を込めて振り下ろすツルハシの先端が、悪魔の両腕と触手に捕らえられて身動きできないもみじの頭頂部に迫っていた。
ドゴッ!
百目鬼が突然空中を半回転し、ツルハシの柄を両手で掴んだまま、後頭部を地面に叩きつけられて意識を失った。
意識を失った百目鬼の両目が白目の状態で大きく見開くと、瞳がない目でもみじを見つめ、その口から女性の声で驚愕の声を上げた。
「な、何だと? お、お前……」
百目鬼の白目が見つめる先では、もみじは両手首と首を二本の腕と触手で捕らえられていたが、そのすぐ手前には、体から抜け出したもみじの魂が嬉しそうに笑って立っていた。
「やったぜえええええっ! 成功したぜえええええええっ!」
「成功だと?」
瞳がない百目鬼が訝しげに女性の声でもみじに言うと、もみじは達成感に浸りながら上機嫌で答えた。
「あー、そうだ。あたしはつい最近臨死体験をして、さらに術を遣って魂が体から抜け出す体験もしてな、体から魂を抜け出させるコツを掴んだのさ。だから、今は術を遣わなくても、体から魂を抜け出させることができたんだ!
しかも、魂は物質に触れられねぇが、霊力を使って心で決めさえすりゃあ、物質に働きかけることができるはずだって思い、今やってみたら、それに成功したのさ。
今はな、霊力と思考を集中させた魂の両手でツルハシを受けて、ツルハシを振り下ろす力を使ってそいつの体を投げ飛ばしたのさ。
あたしが習った神伝霊術には、こんな術はねぇはずだ。あたしは自分の霊力をコントロールすることで、神伝霊術とは別の新境地を切り開いたんだぜ! どうだ、すげーだろ?」
「神伝霊術だと? そういえば、大昔にそんな術を遣う人間どもと闘ったこともあったな。全員、心を壊して廃人にしてやったがな」
嘲笑うような表情の百目鬼は、女性の声でそう言うと、胸から伸びた触手でもみじの首を掴んだまま立ち上がった。
「それがどうしたあああああああああっ!」
もみじの魂は右前腕を衝撃波で包みながら、もみじの体を拘束する触手と二本の腕に振り下ろし、触手と二本の腕は衝撃波で切断された。
もみじの体は拘束から解放された途端、その場に崩れそうになったが、その中にもみじの魂が吸い込まれるように消えると、覚醒して喋り出した。
「あたしの闘い方は、神伝霊術だけには頼らねぇ! 霊力をコントロールして、今みてぇに衝撃波でおめぇたちの体をぶった斬ることもできるんだぜ!」
もみじは不敵な笑みをぎこちなく浮かべてそう言ったが、その表情には、虚勢を張っていることが窺えるほどの不安が滲み出ていた。
切断された触手の先は、黒い液体のような状態に変化すると、触手まで飛んで行き、同じく黒い液体のようになった触手と合体して、百目鬼の胸の中に消えていった。
切断された二本の腕も、触手と同様に黒い液体の状態になって地面から伸びる腕と合体し、地面の中に吸い込まれていった。
百目鬼の頭の上から黒い液体のようなものが染み出し、膨らんでいくと、それは女性の頭部の上半分に変化した。
目から上の部分が露出したその頭部は、銀色の髪が後頭部でまとめられ、剥き出しになった額の中央には十字架の形の火傷があり、睫毛が長くて大きな目の中の瞳は紫色の薔薇の花の形をしていた。
頭の上の左側と右側には薔薇の花の形の角が一つずつ生えていたが、花弁の一枚一枚が鋭い刃物でできており、銀色の鈍い輝きを放っていた。
瞳がない百目鬼の口から、冷たい響きの女の声が発せられた。
「アタイの名前は、シャリマーヤー。お前をおもちゃにして遊ぶのは、百目鬼の人生を破滅させるよりも楽しそうだ。また近いうちに遊びに来るよ。お前の心と命のどっちが先にぶっ壊れるのか、楽しみにしてるぜ」
シャリマーヤーと名乗った女悪魔の頭部は、黒い液体のような状態になって百目鬼の頭の中に消えていき、百目鬼の体はその場に崩れた。
地面に倒れた百目鬼ともみじの間の地面から、黒い液体のようなものが高さ二メートルまで噴出した。
「もう一体の悪魔か?」
もみじは後退りしながら、緊張と不安が入り混じった表情で、異様な形に膨らんでいく黒い液体のようなものを注視した。
「な、何だよ! おめぇは?」
もみじは、黒い液体のような状態から実体化した悪魔を見た瞬間、その異様な姿に愕然として叫び声を上げた。
その悪魔は黒のフロックコートにホワイトシャツ、蝶ネクタイ、灰色と黒のストライプのズボンを身に着け、右手で銅色のステッキを掴んでおり、十九世紀のイギリスで見られたような服装をしていた。
しかし、その首の先には頭部がなく、切断されたような首の断面からは、灰色の煙が立ち上っていた。
悪魔が握るステッキは、悪魔の肩の少し上までの長さがあり、その先端には人間の男性のような悪魔の頭部が生えていた。その頭部は、毛髪と眉毛がなく、ぎょろりとした両目の瞳は小さく、大きな鷲鼻と不敵な笑みを浮かべる口の横には深いほうれい線があり、頭部には幾何学的なデザインの模様が入れ墨のように刻まれていた。
先が尖った左右の耳の後方には、長さ一メートルのコウモリのような翼がそれぞれ二枚ずつ生えていた。
ズボンの裾からは、剥き出しになった大きな両足が見えていたが、その足は手と同じ形状をしており、指先の爪は鋭く尖っていた。
「私の名前はグリッパーですよ。お見知りおきを」
グリッパーと名乗った悪魔はそう言うと、もみじの目の前から姿を消し、もみじは慌てて周囲を見渡した。
「消えやがった! 悪魔は気配を探りにくい! どこに行った? ……はっ!」
もみじが何かに気づいて真上に顔を向けると、悪魔グリッパーの大きな掌のような右足の裏がもみじの顔の三十センチ上にあった。
グリッパーは右手でステッキを掴み、その先の頭部に生えた二対の翼を羽ばたかせて、もみじの上方で滞空していた。
グリッパーは右足でもみじの顔面を掴み、右脚を振り上げると、もみじを三十メートル先の電柱目がけて投げつけた。
もみじは空中で体勢を整え、着地するように両足で電柱の側面に接触すると、電柱を蹴って大きく跳び、地面に着地した。
もみじがすぐにグリッパーに目を向けると、グリッパーは再び黒い液体のような状態に変化していた。
「また遊びに来ますよ。もう一度言いますが、私の名前はグリッパーです。覚えておいてくださいね」
そう言い残すと、黒い液体のような姿になったグリッパーは、道路で倒れて気絶している百目鬼まで飛んで行き、その体の中に消えていった。
「何てことだ……」
もみじは呆然として、道路の上に横たわる百目鬼を見つめた。
『あの二体の悪魔は、あいつの心の中を通って集合的無意識に行ったのか?
あたしは、今までに悪魔と闘ったことが一度もねぇ……。あの二体の悪魔に狙われちまった。ダメージを与えることも、殺すこともできねぇ悪魔相手に、どうやって闘えばいい?』
夜の闇が世界を呑み込むように、もみじの心は圧倒的な不安と緊張に支配されていった。




