第百話 忍び寄る雷鳴
バチッ
乾いた破裂音が、夜気を裂いた。
その一団が駆け抜けるその後には雷が帯電していた。
踏みしめた地面の上に青白い火花が散り、馬蹄の軌跡に沿って電光が尾を引く。
風を裂く速度そのものが異常だった。
常人の目では捉え切れないほどの進軍。
まるで雷雲の一部が大地へ降り、そのまま平原を疾走しているかのような圧だった。
リュカ率いる雷閃師団がセレスティアのいる、ベルファルドへ向けとんでもない速度で進行していた。
先頭を走るリュカの外套は激風に大きくはためき、その身に纏う雷光が輪郭を鋭く照らし出している。
彼の背後には、それぞれ異様な気配を放つ猛者たちが並んでいた。
誰も口数は多くない。
だが、その沈黙の奥には、獲物へと迫る猛獣のような殺気が渦巻いている。
「ようやくこの時が来た。首を洗って待っていろ、銀の戦乙女」
リュカはそういうと、より一層進行速度を上げた。
その声は低く、静かだった。
けれど、その静けさの底に沈んでいる執念は重い。
彼にとってこの進軍はただの軍事行動ではない。
目的はひとつ。
銀の戦乙女――オリビアとの再会、そして決着。
それ以外の全ては、そのための道でしかなかった。
雷が弾ける。
空気が焦げる。
師団全体の速度がさらに一段階引き上がり、並の騎兵では到底追随不可能な領域へ踏み込んでいく。
風景が流れるのではなく、千切れて後ろへ飛んでいくような錯覚さえあった。
「だんちょー、見えてきたのです」
ガーネが小さな手で少し先を指差している。
その声だけは、この異様な進軍の中でもどこか無邪気だった。
だが、指先が示す先にあるものを見据えるその瞳には、年相応では済まされない戦意が宿っている。
小柄な身体に秘められた気配は、決して弱くない。
むしろ、彼女もまたこの軍勢の一角を担う異端のひとりだった。
遠く、地平の向こうに都市の輪郭が見え始めていた。
交易都市ベルファルド。
多くの人と物が集まり、行き交い、賑わいを生み出す街。
だが今、その街へ向かっているのは商隊ではない。雷鳴を纏った戦だ。
「うむ、獣王の血がたぎって来おるわ」
レオは太いその腕から成る大きな手の鋭い爪を舌舐めずりする。
獣じみた笑みを浮かべたその横顔は、人ではなく猛獣のそれに近かった。
全身から滲む圧力は重く、騎乗しているだけで周囲の空気が軋んでいるように見える。
抑え込んでいるだけで、本来なら今すぐにでも戦場へ飛び込み、肉と血の匂いを浴びたいのだろう。
その本能が、彼の声に滲んでいた。
「ウがあぁぁアアア!!!」
ザルグは今にも乗って来た馬を殺してしまいそうなほど、昂っている。
喉の奥から絞り出されるような咆哮。
理性という枠の外で暴れる獰猛さが、そのまま声になっていた。
馬もまた怯えているはずなのに、なお振り落とされずについて来ているのは、それだけこの軍勢が常軌を逸しているからだ。
ザルグの視線はすでに前だけを見ていた。
獲物を見つけた獣の目だった。
「あそこにどこの誰が居ようと関係ない。俺はお前と戦いに来たんだ」
リュカは一度空を仰ぐ。
夜空には薄く雲が流れ、その向こうで月がわずかに光を滲ませていた。
静かな空だった。だが、その静けさは長く続かない。
これから地上で鳴り響く雷鳴が、それを引き裂く。
オリビア。
その名を口にせずとも、彼の胸中はその存在で満たされていた。
憎しみか、執着か、それともそれ以上の何かか。
本人にさえ明確に言葉へできないほど濃い感情が、今の彼を突き動かしている。
そしてーー
「いくぞ」
その一言とともに、雷閃師団はさらに速度を上げた。
先頭を走るリュカの周囲で雷が弾け、後続の兵たちもまたその勢いに乗る。
夜の平原に長く走る電光の群れ。
それは軍勢というより、巨大な雷獣がそのまま都市へ襲い掛かっていくような光景だった。
**
一方ベルファルドでは、外交の話はある程度、まとまり一旦各々の宿へついていた。
先ほどまで続いていた緊張感のあるやり取りがようやくひと区切りを迎え、街の空気には表向きだけでも平穏が戻っていた。
宿の廊下には灯りがともり、行き交う者の足音も落ち着いている。
明日に備えて身体を休める者、ひとまず安堵し椅子へ腰を下ろす者、それぞれがわずかな静けさを噛み締めていた。
だが、その静けさはあまりにも短かった。
ドンドンドンドンドンドン!!
勢いよく、オリビア達が泊まる部屋のドアが叩かれる。
木製の扉が壊れそうなほど激しく揺れる。
明らかにただ事ではない叩き方だった。
室内の空気が一瞬で変わる。
「失礼します!急報です!ベルファルドより少し先に帝国軍と思われる軍がこちらへ向かって進軍しております!!」
飛び込んできた伝令の兵は息を切らし、顔を強張らせていた。
言葉を整える余裕すらない。
それでもなお、最優先で伝えなければならないと身体が叫んでいるようだった。
「うそ?!なんで帝国が進軍なんてしてくるの?」
ラウニィーは驚きの色を隠せない。
外交の流れから見ても、今ここで帝国軍が動く理由は薄い。
少なくとも、正面からぶつかってくるような状況ではない。
だからこそ、その報せは異様だった。
予想外という言葉では足りないほどに。
オリビアは静か立ち上がる。
椅子が小さく音を立てる。
その動作には焦りがない。
だが、静かな分だけ、逆に空気が引き締まった。
彼女の表情はわずかに固い。
予感めいたものが胸の底で形を持ち始めていた。
「至急、レオンの元へ行きましょう」
その声音は落ち着いている。
だが、急ぐべきだという意思は明確だった。
オリビアとラウニィーはサンド、エルドゥ、セレナ、ガレン、エヴァ、エルビス、アリアを集め、レオンの元へと向かった。
廊下を急ぎ足で進みながら、それぞれがすでに戦闘を想定していた。
サンドは無言のまま険しい表情を作り、エルドゥは舌打ちを噛み殺し、セレナは周囲の気配に意識を尖らせている。
ガレンの目には警戒が宿り、エヴァとエルビスもまたただならぬ気配を察していた。
アリアの表情にも、先ほどまでの外交の空気はもう残っていない。
オリビア達が向かったレオンがいる館付近では、兵が慌ただしくしていた。
普段は整然としている館前の広場に、今は緊張が走っている。
兵が走る。
伝令が飛ぶ。
誰かの怒鳴り声が遠くで聞こえる。
松明の火が揺れ、その赤い光が兵たちの顔に不安と焦燥を浮かび上がらせていた。
「こらぁ、どういうこった」
エルドゥはその状況を理解出来ない。
困惑と苛立ちが入り混じった声だった。
敵襲。
それ自体は分かる。
だが、なぜ今なのか、なぜ帝国軍なのか、その理屈が見えない。
「見た感じ、レオン殿も想定外といったところだろうか」
エヴァが忙しくしている兵の表情から予測する。
彼女の視線は鋭かった。
兵の動きに統率はある。
だが、どこかで想定の外へ踏み出したような慌ただしさがある。
「いけばわかるわ」
オリビアは少し表情が固くなる。
その目はすでに館の奥を見据えていた。
帝国軍と思われる軍勢。
突然の進軍。
なにが起きているのかわからない。
だが、まずは事実を掴まなければならない。
そして、その歩みを進めるのだった。
夜はまだ静かなままだった。
だが、その静けさの向こうから、確かに雷鳴は忍び寄っていた。




