9.器械
=福岡県北部=津久井町=新興住宅街=
シュ――……と石油ストーブの上でヤカンが湯気を吐いている。
「『人間の存在』を除く全てが、ほぼ完璧に再現された世界――」
守谷家のリビングにて、佐京悠介はズズ、とお茶をすすった。
「それが、僕たちの今居る場所だ」
ことん、と。
湯呑みをテーブルに置き、対面の幼馴染の様子を注意深く見守る。
「……どういうこと?」
テーブルを挟んで反対側に座る、幼馴染こと守谷真由美――マユは、マグカップを手に困惑の表情だ。普段はポニーテールにまとめられている髪は、寝起きということもあり肩の辺りまで下ろしてある。
家族の消失から、一夜明けて。
電気水道が止まった状態でどうにか朝食を済ませた二人は、今後の方針について話し合っていた。そこで佐京が、おもむろに自分の『知識』について打ち明け始めたのだ。
「――僕たちは昨日、周囲の人間が突然消えた、と思っていた。でも実際はちょっと違う。人間のいない『地球』そっくりな世界に、僕たちが転移してきたんだよ」
つまり、と佐京は言葉を続ける。
「このテーブルも、マユちゃんの着てるパジャマも、僕の眼鏡も。この家も、庭の木々も、空気中の微生物も何もかも――地球のそれをそっくりそのまま再現した、複製品なのさ」
「……、……」
マユは口を開きかけて、結局何も言えずに黙ってしまう。
正直なところ、佐京の言うことは――あまりにも突飛すぎた。
普段、友人たちから「騙されやすい」と評されるマユであってさえ、流石に俄かには信じがたい。しかし今のマユには、佐京の言を頭ごなしに否定することもできないのだった。困り顔のまま、窓の外を見やる。
隣家の庭の、金木犀。
その上部の枝葉が直線状に、綺麗サッパリ消失していた。まるで腕の悪い巨人の庭師が、大きな鋏でちょきんっと切り取ってしまったかのように。
(ブリューナク、だったっけ?)
マユはテーブルの上、佐京の手元に置かれた懐中電灯に視線を移す。
そう、あの不気味な剪定は佐京の仕業だった。先ほど佐京が自身の正当性を証明するために、神器【ブリューナク】からレーザーを放ってみせたのだ。ただの懐中電灯にしか見えないブリューナクから青白い光線が迸り、枝葉が呆気なく切断されてしまったのには、流石のマユもびっくりした。
その後、メラメラと燃え始める金木犀を尻目に、光線を伸ばしたり縮めたり、光の色を変えたりと、ブリューナクの能力を様々な形で見せられた。故にマユは、少なくとも異能をもたらす『器械』というモノの存在については、認めざるを得なくなったのだ。
――だからといって佐京の言うことが全て正しいとも限らないのだが。
「う、う~ん……?」
マユは頭を抱える。『人間のいない地球そっくりの世界に、自分たちが転移してきた』――突飛だが、そう考えると色々と辻褄が合うのも事実だ。しかし同時に、ぽこぽこと際限なく疑問が湧き上がってくる。
「……なんで、わたしたちだけなの?」
その中でも一際大きな疑問が、これだ。
何故、よりにもよって、自分たちだけなのか。
「……頭の中の知識によると、」
くい、と眼鏡の位置を直して佐京。
「この世界に転移してきたのは、一部地域の十三歳以上、十九歳未満の少年少女、らしい」
「!! じゃあわたしたち以外にも、他に人がいるの?」
喜色を浮かべるマユに、佐京は深々と頷いた。
「いる。少なくとも中高生はいることになるね。……みんな混乱してるだろうな」
ちなみに佐京の妹、奈々は十一歳で、両親はともに四十代だ。三人とも『条件』には合致しないので、地球に残ったままなのだろう。
今頃『向こう』では、佐京を始めとした少年少女が一斉に失踪したせいで、大騒ぎになっているに違いない。慌てふためく家族の姿を思い描いて、佐京は皮肉るような暗い笑みを浮かべた。
「それで……この場合の『一部地域』は四箇所あって、大体半径四十キロメートルくらいの範囲らしい。その一つが福岡県周辺なのは確かだけど……他の三つの地域が何処なのかは、わからない」
「その、『一部地域』ってのは、誰が決めたの?」
「……それは、」
核心を突くマユの問いに、佐京は言葉に詰まる。
「……わからないんだ」
眼鏡を外し、両手で顔を覆った。
「僕の頭の中には『知識』がある。この世界のこととか『器械』のこととか。ただ色々と教えてくれる割に、WHOとHOWの部分がさっぱり抜け落ちてるんだよ」
はぁ、と溜息をついてマユの顔を見る。眼鏡を外したせいでほとんどボヤけて何も見えないが、このくらいでちょうどいいと思った。とてもじゃないが、マユの瞳を直視できる気がしない――
「……思うんだけどさ。こんなことができるのって……絶対人間じゃないよね」
地球にそっくりな世界を創り上げ、そこに特定の人間を移動させた上で、更には異能をもたらす『器械』などという特殊な道具まで用意する。
――不可能だ。人の身に、そんなことは。
孤島に一般人を拉致して殺し合いをさせたり、密室に監禁して脱出ゲームを強制するのとは、次元が違いすぎる。
『神隠し』――そんな単語を、佐京は連想した。連想せざるを得なかった。
そもそも佐京の持つ器械、神器【ブリューナク】が名前からしてもうアレだ。神の存在をビンビンに示唆している。
神か、あるいは悪魔か――遥か上位の存在の介入を、疑わずにはいられない。
佐京は特に信心深い方ではないが、それでも。
「…………」
マユは俯いたまま何も答えなかったが、おそらく考えていることは同じだろう、と佐京は確信する。やがてマユも自分なりの結論に至ったらしく、「やっぱり、これって――」と真っ直ぐに佐京を見据えた。
「――宇宙人のしわざ、なのかな」
佐京はズルッと椅子から滑り落ちそうになった。
「えっ、どうしたのゆーちゃん」
「い、いや。そういう発想もあるか……なるほど」
宇宙人か……と呟きながら、眼鏡をかけ直す。マユはあくまで大真面目な顔をしていた。
(まあ、荒唐無稽さでいえば神も宇宙人も似たようなものだしな……)
『こんなこと』を実行できるレベルの科学力を持つ宇宙人なら、それはもう『神』と呼んでもいいんじゃないかな、などと思いつつ。
「まあ神か悪魔か宇宙人かは知らないけど、不幸なことに僕らは目をつけられて、こんな状況を設定されてしまったわけだ」
「う~ん。……なんで、こんなことしたんだろうね」
「さっぱりだね、見当もつかない。……ただいくつかわかることはあるから、取り敢えずそっちをはっきりさせていこうか」
佐京は顎を撫でながら、脳内の知識を参照する。
「まず、元の世界――『地球』に帰る方法だけど」
「帰れるのっ?」
ばん、と勢いよく椅子から立ち上がってマユ。そういう反応をするだろうな、と予想していた佐京は大して驚くこともなく頷いた。
「帰れる。ただし条件があって、それを達成しないといけない」
「どんな条件?!」
机に身を乗り出して、ふんすふんすと鼻息も荒くマユが尋ねる。餌を待機してるときのマユの飼い犬ってこんな感じだよなぁ、などと失礼なことを考えながら、
「まず、この世界には『門』と呼ばれる……なんだろうね。空間の裂け目的なものが多数あるらしいんだけど」
「『門』?」
「うん。この世界でもなく、地球でもない、別の世界に繋がる出入口らしい。それを全て破壊すると、地球に繋がる新たな『門』が現れる……とかなんとか」
「じゃあ、とにかくそれを壊したらいいんだね!」
「そう。そしてその鍵となるのが、」
とん、とテーブルの真ん中にブリューナクを置く。
「――『器械』だ。『門』は物理的には破壊できない。なんというか、渦を巻く炎……みたいな見かけをしてるらしいんだけど、爆弾を放り込もうが銃で撃とうがビクともしないんだそうだ。ただ、器械だけは門に干渉できる。知識によれば、門を『削る』ことができるらしい」
「ふむふむ……」
「ちなみに、器械も物理的には破壊できない。器械を壊すには別の器械か、それに類する方法が必要……らしい。『それに類する方法』ってのが何を示すのかはわからないけど。あと器械にも『位階』があって、位階が高いものほど門を効率よく破壊できるとかなんとか」
「いかい?」
「そう、位階。ランクのことだよ」
「ああ、そっちね!」
うむうむ、と納得して頷くマユ。まるでいくつか候補があったかのような言い方だが、これは最初からわかってないパターンだな、と佐京は見抜いた。
なお、器械で器械を破壊する際も、位階による優劣が存在するらしいが――話がややこしくなりそうなので割愛することにした。
「ゆーちゃんのは、どうなの? その位階」
「ブリューナクは位階Ⅲだね。七段階に分かれてて位階Ⅶが一番強力みたい。……正直、位階という点ではそれほど強力なものじゃない」
「そっかー。じゃあ、あんまりこーりつ的に門を壊せないんだね……」
「うん……」
マユがあからさまにガッカリしているので、何となく気落ちしてしまう佐京。
「ま、まあそれは兎も角。門を破壊するには、器械……それもなるべく高位のものを集めなきゃいけないってわけさ」
「ふぅん……器械って、どうやったら見つけられるの?」
「さあ……手当たり次第に、色んなものに触ってみるしかないんじゃないかなぁ。見分けるポイントとしては、元々なかった装飾が新たに追加されてるもの……とかだね。僕の場合、初見じゃ気付かなかったけど」
【ブリューナク】には、蔦が絡み合ったような銀色の優美な装飾が施されている。しかし元々これはただのマグライトで、地球にいた頃の本体は黒一色だった。
「一応、パッと見で『あっこれは器械だ!』ってわかるようなものもあるらしい。器械としてイレギュラーに存在するものと、元からあった道具が器械化したものの二種類があるみたいだね、知識によれば」
「へぇ~」
マユは、興味深げな視線をテーブルの上のブリューナクに注いでいる。
「器械、かぁ……」
不意に、マユが手を伸ばしてブリューナクに触れようとしたので、佐京は血相を変えて「ダメだ!」とその手を払い除けた。突然、拒絶されたマユがびっくりしたような顔をしている。
「ごっごめんゆーちゃん、怒らないで……」
「あっいや! 怒ってるわけじゃないよ!」
しゅん、と小さくなるマユに、慌てて佐京。ブリューナクをマユから遠ざけながら、苦虫を噛み潰したような表情で、
「……多分、だけど、僕以外がこれに触れたら悪いことが起きると思う。ハッキリ言って危険だ」
「えっ!」
佐京の言葉に、マユはまた違った方向性でびっくりしたようだ。
「そうなの?」
「うん。……その、基本的に、器械は最初に直接触った人が、使い手――『器士』として登録されるんだけどね、」
手の中の懐中電灯に手を落とす。
『器械:神器【ブリューナク】』
『器士:佐京悠介』
『位階Ⅲ』
『拒否反応:高熱』
『・敵を穿ち貫く光の槍』
『・威力と射程は使い手の意志と電池に依存する』
『・電力の供給が途切れた場合は効果を発揮しない』
「――他人が器械に触れると、どうやら『拒否反応』ってのが出るみたいなんだ。登録された人以外が使えないようにする、セキュリティ的な?」
「へぇー便利だね!」
「う、うん。それでブリューナクの場合は拒否反応が『高熱』なんだよ……」
「……うわっ。じゃあ、触っちゃったら、火傷とかしちゃうのかな」
触ろうとしていた右手をにぎにぎとさせながら、ぶるりと震えるマユ。佐京は、更に渋い顔をして唸った。
「火傷、で済めばいいけどね……」
そう言いながら、意味深に見やるのは窓の外の金木犀だ。
ブリューナクがあっさりと焼き切ってしまった枝葉――
「…………」
マユも想像がついたらしく、少々顔色を悪くしている。
「……逆に考えれば、殴るだけで生物相手には結構な武器になるのか」
「生き物には、全部出るの? その拒否反応って」
「……そうらしいね。ということは【ブリューナク】の表面は常に無菌状態なのかな? あれ、でも常に細菌が熱消毒されてる割には持ってても熱くないし煙も出ないし……どうなんだろうね?」
「……さあ?」
逆に佐京から訊かれて、首を傾げるマユ。
「……ともあれ、そんなわけで他人の器械には触れない方がいいよ。何が起こるかわからないから」
「誰かの落とし物の器械とか、うっかり拾っちゃったら大変だね!」
「ああ……確かに、そういうケースもあるなぁ。というか持ち主に悪意があれば、何でもできるわけか。うーむ」
「触らなきゃ大丈夫なの?」
「そうだね、素手で触らなければ。多分布で包めばそれで大丈夫だと思う」
布一枚、あるいは紙でも何でもいいので、直接触れさえしなければ『拒否反応』は発生しない。セキュリティという観点からは、それもどうなのだ、とは思わないでもないが。
(でも、盗まれても心配はなさそうだな)
手の平でブリューナクを転がしながら、佐京はふと思う。
実はブリューナクと自分の間に、糸が一本繋がっているような感覚があるのだ。何処かに落としても、あるいは見知らぬ誰かに持ち去られても、位置を特定できるだろうという確信があった。
「……布で包んだら、わたしでも使えるのかな」
そのとき、ふと思いついたように、マユが唇に人差し指を当てる。
「……ふむ。試してみようか」
なかなか興味深い思い付きだった。早速ブリューナクを布でぐるぐる巻きにして、マユが使えるかどうか実験する。
が、結論からいえばほとんど駄目だった。
まず、そもそもON/OFFの切り替えができない。布越しにいくらマユが押しても、スイッチが物理的に動かないのだ。
逆に、あらかじめ佐京がスイッチを入れた状態で渡せば、それをそのまま使えることがわかった。光りっ放しの懐中電灯、あるいは光剣としては活用可能、というわけだ。
そしてこれが最も大きな発見なのだが、一メートルほどの距離であれば、佐京が直接触れなくても遠隔的に威力と射程を調整できることが判明した。ON/OFFの操作だけは本体のスイッチに依存しているようだ。
「わぁ~……これ、すごーい!」
タオルでぐるぐる巻きにしたブリューナクを握るマユが、レンズから伸びる五十センチ強の光線に「ほ~っ」と感心したような声を出す。
「今は威力ゼロにしてるから、触っても問題ないはずだよ」
光線に触れてみせながら、佐京。暗に振り回してもOK、と言っているのだ。
マユがはしゃぎながら――それでもブリューナク本体には触れないよう細心の注意を払いながら――光の刃を振り回すのを見て、佐京は思わず頬を綻ばせる。
ふと、高威力の光の刃に自分で触れたらダメージはあるのだろうか、という疑問が湧いて出たが、万が一のことを考えると実験する気にはなれなかった。
(普通に考えたら、ダメージ食らうよな)
輝度を高めると佐京自身も眩しく感じるので、熱線にすれば熱くなると考えるのが妥当だ。よほどのことでもない限り、レンズには触れないことだな、と結論を出した。
「ヴゥン……ヴオォォンッ」
と、突然マユがブリューナクを振り回しながら、口で効果音を出し始めた。その姿はかの有名な宇宙戦争映画で光剣を操る宇宙騎士に見えなくもない。ピンクのパジャマにフリースの上着、というアレな格好ではあったが。
「デーデーデー デッデデー デッデデー♪」
暗黒面に落ちた宇宙騎士のテーマ曲を口ずさんだ佐京は、ダッフルコートを羽織りフードをかぶった上で「コー……ホー……」とガスマスクっぽい音を出す。
「ヴオンヴオン」
「ヴヴヴゥン」
「バシュィン!」
「ジュバババッ」
童心に返ったように――というより、ある種の現実逃避ではあったが、リビングで二人してキャッキャとはしゃぐ。テーブルの下に寝転んでいたゴールデンレトリバー――ラッキーがちらりと片目を開けて見たが、呆れたように欠伸をしてごろりと寝返りを打った。
「いやー。なんか懐かしかったね、スタ○ウォ○ズごっこ」
椅子に座り直しながらマユ。ごっこ遊びは、マユがうっかり手を滑らせてブリューナク本体に触りかけてしまったので、やっぱり危ないし電池も勿体無い、ということでお開きとなった。
「マユちゃんが手を滑らせたのは、見てるこっちがヒヤッとしたけどね」
「てへへ。軍手とかしたらよかったかもね」
「あーたしかに。そっちの方が安全だったかもしれない」
「でもいいな、ブリューナク。わたしも器械、探さなきゃ」
使命感すら漂わせて、ふんすっと両手で握り拳を作るマユ。お預け状態となったブリューナクを心底羨ましそうに見ている。
実はマユは、昔からこの手のガジェットが大好きで、幼い頃はおままごとセットの中に玩具の光る光線銃や音の鳴る電子剣を詰め込んでいたものだった。
「そうだね……」
相槌を打つ佐京は、少しだけ迷う。
もしもマユがブリューナクを欲するならば――一つだけ、方法はある。
それを伝えるべきか否か。だが考えるまでもなかった。『今後』のことを考えるなら、マユには知らせておいた方がいい。
「ブリューナクが欲しいなら、手がないこともないよ」
「えっほんと!? どんなのどんなの!?」
身を乗り出してマユ。尻尾があればぶんぶんと振っていそうな食いつきだ。普段通りの幼馴染の姿に、佐京は穏やかな顔で、
「……器械は、最初に触った人を器士として登録する。そしてそれは、その器士が死ぬまで有効だ。使い手が死亡したとき登録はリセットされて、別の誰かが器士になれるのさ」
その、穏やかならざる言葉に――マユは一転、表情を険しくする。
「……どういう、こと?」
「端的に言えば、僕を殺せばブリューナクを奪い取れるということ」
「っそこまでして、欲しくないよゆーちゃん……!」
怒ったように声を荒げるマユに、佐京は首を振った。
「ごめんごめん。マユちゃんがそんなことしないのはわかってるよ。でも器士が死んだら、登録がリセットされる――ってことは憶えておいて欲しい。この世界じゃ何が起こるかわからないから」
姿勢を正して、佐京は言葉を続ける。
「さっきも言ったけど、全ての門を破壊することが地球に帰還する唯一の条件だ。だけどその門は、この世界でも地球でもない、別の世界に繋がってる。そしてどうやら、その世界の住人が門を通って『こちら』にやってくるらしいんだよ」
腕組みをした佐京は、困ったような顔でマユを見やった。
「――『知識』は、それを『敵』と定義している」
小鬼、大鬼、豚鬼、樹鬼――植えつけられた知識から怪物の名を挙げていく。
「『敵』というからには、人間に害のある存在なんだろう。知識にある限りでは凶悪な姿をしてるっぽいしね。……外見で判断するのもなんだけどさ」
故に、門を破壊する際に彼らと遭遇すれば、戦闘になる可能性が高いのではないか、と佐京は考える。
「敵を穿ち貫く光の槍――と、それが神器【ブリューナク】の説明文さ。器械は門を破壊するためのツールというよりむしろ、戦いを想定した武器のように思える。……正直、ブリューナクさえあれば、どんな化け物でも倒せる気がするんだけど、逆に不安にもなるんだよね」
ブリューナクは強力な武器だ。それは間違いない。軽い気持ちで放ったレーザーでも、生木を焼き切って燃やす威力がある。最高出力を出せば、分厚い鉄板でも楽々溶解させられるだろう。
――しかし裏を返せば、こんな強力な武器でもないと、対抗しきれない『敵』が出てくるのではないか。
さらに神器【ブリューナク】は、あくまで位階Ⅲの器械だ。ならば、より高位の器械、例えば位階Ⅶの器械はどれほどの力を持つのだろうか。仮にそれが凄まじく強力だったとして、それなくしては立ち向かえないような敵が現れるのだろうか。
「加えて、僕が恐れるのは、人間同士で器械の奪い合いが起きることだね」
「…………」
マユは、下唇を噛んで何も答えなかった。『殺さなければ奪い取れない』が『殺せば奪い取れる』に変わってしまうかも知れない。あるいは、その条件を知らずとも、奪い取ろうと試みる者は現れるかも知れない。
拒否反応の存在は、略奪者に対して一定のストッパーとして機能するだろうが、完全な対策とは言いがたい。逆に『殺してしまえばいい』という空気を加速させかねないからだ。
「……正直、ある程度信頼できる仲間ができるまで、『死ねば器士の登録がリセットされる』って事実は、伏せようと思うんだ。一度登録されたら変更はできない――って方向で、極力誤魔化したい」
「……わたしも、そうした方がいいと思う」
「いっそ、高位の器械がもっともっと強力で、ブリューナクがそれの陰に埋もれてしまえば、目立たずに済んでいいんだけどね……人類の歴史は奪い合いの歴史だ、なんて言うけど、今は互いに争ってる場合じゃないし、せめて皆が賢いことを祈るばかりさ」
「うん……」
佐京がお手上げのポーズを取ると、マユは浮かない顔で頷いて窓を見やった。
しばし、二人の間に沈黙が降りる。自分の中で折り合いをつけようとしているのか、頬杖をついてぼんやりと庭を眺めるマユ。しかしふと、思いついたように、テーブルの下に潜り込んだ。
「んしょっ、と」
ずるり、と引きずり上げたのは、足元で寝ていたラッキーだ。突然抱きかかえられ、テーブルの上に顔を出したマユの愛犬は、「?」と首を傾げながら佐京を見つめてきた。
「ねえ、ゆーちゃん」
「なんだい」
「さっき、……この世界のものは、全部地球のコピーだ、って言ったよね」
「……うん。言ったね」
「じゃあ、この子は?」
マユの瞳が、不安げに揺れる。
「ラッキーも……コピーなの?」
マユの視線を真っ向から受け止めて、やはりそうきたか、と佐京は瞑目した。
「知識が本当なら、そうなる」
端的な佐京の答えに、マユは目を伏せた。
悲しげな、恐れるような、哀れむような、疑うような。様々な感情がない混ぜになった複雑な表情。飼い主の異変を感じ取ったのか、振り向いたラッキーが鼻を鳴らしながら、ぺろぺろとマユの頬を舐める。
――信じたくない。
それが、マユの率直な気持ちだった。このつぶらな瞳も、ふさふさの毛並みも、マユを気遣う動作も、全てマユの知る『ラッキー』そのものだった。
それが、丸ごと複製に過ぎない、というのか。
姿形だけならまだしも――精神まで丸ごと再現されているというのは、あまりに常軌を逸している。不気味だった。冒涜的ですらあった。そしてそんなことが起こりうる、と認めるのをマユは本能的に拒否していた。
だが。
実際に周囲の人間は消え去ってしまい、今のこの状況の説明をできるのは、佐京だけだ。そしてマユは、佐京が人をからかうことはあっても、土壇場で酷く騙すような真似はしないと知っている。
昨夜の佐京は、パンツをかぶって登場するなど普段より少々おかしく感じられたが、今の彼は理知的で非常に落ち着いており、精神に異常をきたしているようには見えない。少なくとも、狂言を吐いているようには見えないのだ。
そして極めつけが、『器械』の存在だ。あの異常性は、突飛すぎる佐京の説明にも一定の説得力を与えている。何らかのトリックがあるのではないか、という疑いは、すぐに打ち消した。いくらマユより偏差値の高い佐京でも、懐中電灯をレーザー銃に改造することはできない。
(だってゆーちゃん、文系だもん)
マユはよく知っている。佐京にそんなスキルはない。
それに、周囲の人間が消滅してしまった、と考えるよりも、佐京の説を採用した方が、マユにとってもダメージが少なかった。
家族はみんな無事で、地球にいる。死んでしまったわけでも消えてしまったわけでもなく、心配しながらマユの帰りを待っている。
そう、考えられるのなら――救いはあった。
腕の中の『ラッキー』をぎゅっと抱き締めて。
マユは、佐京を信じることに決めた。
「……きみは、ラッキーじゃないんだね」
顔を上げたマユは、吹っ切れたような、幾分か穏やかな顔で問う。「クゥン?」と首を傾げた犬は、少し間を開けて、オンッ、と答えるように吠えた。
「そっか。じゃあきみは、今日から『ラッキー2号』だ!」
儚く笑ったマユはくしゃくしゃと金色の毛並みを撫で付け、その両前足を掴み、人形のようにふりふりと振って見せる。
「『ボクはラッキー2号、略してラッキーです。よろしくね、ゆーちゃん!』」
腹話術のような謎の声真似でマユ。両前足を振らされるラッキーは、相変わらず何もわかっていないような顔だったが、楽しそうに舌を出してマユと佐京を交互に見ている。単純に、飼い主が元気を取り戻して嬉しいのだろう。
マユの内心を察して、佐京は一瞬、なんとも居た堪れないような顔をした。だがすぐにそれを引っ込めて、穏やかに笑う。
「……よろしくね、ラッキー」
「うん。きみもラッキーだよ。……それでいいの」
再び、金色の毛並みに顔をうずめたマユは、ぐすっ、と小さく鼻をすすった。
ラッキーに頭をぐりぐりと押し当てるマユを見て、佐京は苦しげに顔を歪める。実は、もう一つ、マユに伝えていない懸念があった。しかしそれを口に出すのは――あまりに酷に思えた。
(ラッキーがコピー、というのはまだいい)
世界を創造できるような存在なら、犬一匹を性格まで含めて丸ごと再現するなど朝飯前のことだろう。
が。
佐京は、ぎり、と歯を食い縛った。
(――それならば、僕らも複製品じゃないと、誰が言い切れる?)
器械の知識が本当であるという確証などない。ひょっとすれば地球にはいつもと変わらぬ日々を過ごす自分がいて、今ここにいる『佐京悠介』という人格は、オリジナルを基にしたコピーに過ぎないのかも知れない――
それは――あまりに恐ろしい。
「ん、どうしたの、ゆーちゃん」
「……いや。なんでもないよ」
顔を上げたマユに、佐京は首を振ってみせる。
(考えて、答えが出るようなことじゃない)
どの道、信じるほかないのだ。マユも、佐京も。
佐京は、こみ上げてくる苦いものを、全て飲み下した。
「……さて、というわけで、僕の知ってることは粗方話したよ。あとは、具体的にどんな方針で行動していくか、だね」
「う~ん……」
マユは腕組みをして目を閉じ、難しい顔で唸り声を上げる。マユの腕から解放されたラッキーがストーブの近くに寝転がって、ゆるゆると尻尾を振りながら眠りこけ始めた。
「…………」
ぬるくなった湯呑みのお茶を飲みながら、佐京は静かにマユを見守る。
シュ――……とヤカンから噴き出す湯気、コチコチ、コチコチと置時計の音。
「……何か思いついた?」
十分な時間を置いて佐京が尋ねると、かっと目を見開いたマユは、
「なんにも思いつかない!」
「やはりな……」
想定通り、と頷く佐京。そうは言うものの、正直、ちょっとだけ期待していた。マユは奇抜な考えや、佐京が見落とすような発想をもたらすことがある。極稀に。
「ぶー。でもゆーちゃん、今のおねーちゃんは傷心中なのですよー。そんなに色々考え付かないよー」
ぐてー、とテーブルの上に突っ伏して膨れっ面のマユ。言っていることは尤もだし気持ちも痛いほどわかるのだが、軽口が叩けるようになっただけ余裕が出てきたというものだろう。十中八九、考えるのが面倒臭いので最大限協力するフリをしながら佐京に丸投げしようとしているのだ。
「いや、僕も似たような状態だからね? 念のため言うと」
ふぅ、と小さな溜息ひとつ。頭の後ろで腕を組んで、佐京は天井を見上げる。
とはいえ、現時点で状況と目的はハッキリしている。
「まあ、とりあえず仲間を探して、皆で門を探して全部壊す……これがシンプルな目標だよね。そしてそのためには、拠点を決めて、移動手段を確保して、食料やら水やらも安定供給できるようにして、……うーん?」
――これ、やること多すぎじゃないですかね。
思わず閉口する。
そもそも大人が全部消え去り、インフラもライフラインも全て麻痺し、思春期の少年少女しかいない世界で生き抜いていかねばならない時点で、十二分に難しい。それに加えて、得体の知れない『敵』の存在まである。ちょっとした世紀末だ。
その点、ブリューナクは頼もしい武器――あるいは金属の加工とかにも使えるかも知れない道具――だが、裏を返せばそれ以上でも以下でもない。どんなに優れた武力を有していようとも、腹が減っては戦はできぬと言う。
食料――当座はスーパーなどに残された保存食を食いつなげばどうにかなるが、年単位で考えると自給自足の手立てを確立しないと厳しいだろう。農業に関しては佐京は全くの門外漢だが、ここ津久井町は田舎町だ。農家を継ぐ予定、あるいは農業経験のある友人は何人かいるので、彼らと力を合わせれば何とかなる気はする。畜産は厳しそうだが。
(ただ、ここでも敵の存在がネックになるな)
知識にある限り、敵は真っ当な生物だ。つまり生きるために食料を必要とするはず。こちらの世界に渡ってきた彼らは、間違いなく食べ物を探して街を彷徨うだろう。つまり、食料の奪い合いが起きる。
さらに農業をしていくならば、田畑を防衛することも考えなければならない。土地の確保も勿論だが、防衛を為すためには人手が必要で、さらに敵に対抗するためには武器が必要で、それを確保するためには――
「あ、駄目だこれ」
佐京は、思考を打ち切った。
「マユちゃん、結論に至ったよ」
「なになに?」
いつの間にかテーブルを離れ、ストーブの前の床に寝転がりラッキーと戯れていたマユが首を巡らせる。
「うん。とりあえず一人じゃ何もできない。だから仲間を――信頼できる人を集めよう。具体的に何をするにしても、話はそれからだ」
「ふむふむ。……じゃあ、学校のお友達を探すかんじ?」
身を起こして、ぺたりと床に女の子座りをしてマユ。
「そう……だね。信頼が置ける、という点では、そうだろうなぁ」
顎に手を当てて、佐京は級友の顔を思い浮かべる。特に仲の良い数人は、人格的には完璧と言いがたいが、少なくとも良識のある気の置けない仲間たちだ。奴らとなら上手くやっていけるだろう。
ただ、一つ問題を挙げるとすれば――
「……。大部分がヒョロガリだな」
遠い目をする佐京。しかしそれは仕方ない。何といっても佐京の友人なのだからそんなもんだ。第一、佐京自身も中肉中背で、それほど鍛えているわけでもないので、人のことは言えない。受験期で運動の時間がほとんどなかった、という言い訳もできるが。
「次田はモヤシ……金川は吹けば飛ぶ……完塚は背高いけど僕より走るの遅い……小石原は運動神経抜群だけど腰痛持ちだしなぁ……」
指折り数えながら、悲しくなってくる。なんとも、燦々たるメンバーだ。
しかし範囲を『普通に仲が良い友人』に広げれば、屈強な者もいるし、小学校・中学校時代の友人にも頼りになりそうなアテがある。
「あ、そういえば望月くんもいたな……」
昨夜、電話をかけた友人を思い出す。望月は佐京と同い年なので、トチ狂って海外旅行でもしていなければ、こちらの世界に来ているはずだ。
望月は父親の関係で、同年代の少年としては異様に建築関係に強い。様々な重機を自在に乗りこなせるのは、佐京の広く浅い交友関係の中でも彼だけだ。
「ん、望月くんって、あの望月くん?」
佐京の呟きを拾って、マユ。
「あ、そうそう。マユちゃんは、しばらく会ってないよね」
「そうだねー中学以来、かな? 望月くんってあの後どうしたの?」
「『あの後』って事故のこと?」
「うん」
「結局、膝はあんまり良くならなかったみたいだよ。今は陸上やめてグレてる」
「あ~……そうなんだ」
大変だね……、と呟いたマユは、ラッキーの鼻先で指を回して遊んでいる。
「……でも、なんで急に望月くんのこと?」
「昨日の夜、マユちゃんを起こす前に一回電話してたんだよ。留守電だったけど」
「へえ~、やっぱり、びっくりしてて電話に出られなかったのかな」
「ふむ。その可能性もなきにしも非ず……」
望月が電話に出なかったお陰で、マユと合流できたということもあるのだが。
いずれにせよ、望月の重機運転技術は非常に有用だ。どうにかしてコンタクトを取りたいところ。
「あ、それとマユちゃん、一つ相談、っていうか提案があるんだけどさ」
「なぁに? おねーさんに言ってみなさい」
ふふん、と何故か得意げなマユ。ちなみに佐京とマユは同い年だが誕生日は佐京の方が一ヶ月ほど早い。
ぽりぽりと頬をかいた佐京は、目を泳がせながら、
「その……アレだよ。やっぱりこういう状況だしさ。色々と危ないこともあるし」
「うん」
「だから……極力、一緒に行動しないかい。お互いの安全のためにさ」
「……うん?」
「お互いの安全のためっていうか、その、ブリューナクあるし。一緒にいた方がいいと思うんだよね? もし敵に遭遇しても僕が対処できるから。だから、その……どうだろう」
なぜ自分はどもっているのか、などと思いながら佐京が視線を戻すと。
マユがニッタァ~と笑みを浮かべていた。
「ふっふふ。わかったよ、ゆーちゃん寂しがりだもんね~!」
「なっ。別に、そういう問題じゃないよ。合理的に考えてだね……」
「はーいわかったわかった。も~素直じゃないんだからゆーちゃんはぁ」
佐京の背後に回り込み、うりうりとちょっかいを出してくるマユ。ふわり、と良い香りがする。腕組みをして沈黙を守る佐京は、目は伏せていたが若干頬が赤くなっていた。
「んじゃあ、ゆーちゃんはお父さんたちの部屋使っていいよ!」
「ありがたき幸せ」
「なんか、昔のお泊り会みたいだね」
「……そうだね。懐かしいなぁ」
佐京は昔を思い出して目を細める。何だか、本当にあの頃が懐かしい。
懐かしくて、遠い。
ともあれ、佐京が守谷家に転がり込むのは、現実的にメリットがあった。孤独にならずに済む、身の安全のため、ということもあるが、最大の利点は何と言ってもプロパンガスと石油ストーブだろう。
佐京家はオール電化&床暖房にしていたため、停電になるとキッチンも暖房も使えないのだ。それに対して守谷家は古き良きプロパンガスと石油ストーブを使い続けているので、灯油とガスボンベが切れない限り熱源が生きている。
「……よし、じゃあ準備はいい?」
「おっけー!」
ほいっ、と手を上げて答えるマユ。その姿は寝巻きから着替えて、外用にコートやセーターなどを着込みモコモコとしている。足元にはリードをつけられて「お散歩?」と嬉しそうなラッキー。佐京は昨日と同様、セーターとフリースの上着にダッフルコートを羽織ったままだ。ブリューナクはいつでも使えるように、コートの袖の下、リストバンドで腕に括り付けてある。
仲間を集める、という当座の方針を定めた二人は、とりあえず外に繰り出すことにしたのだ。第一目標は仲間探し、第二目標は物資の収集。特に保存食や灯油、カセットコンロのガスボンベなどは多め多めに確保しておきたいところ。
「よし、じゃレッツゴー」
「ごー!」
がちゃ、と玄関の扉を開けて外に出る。
と、ほぼ同時。
道の向こうからエンジン音。
二台の乗用車が、真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。
「えっ」
「えっ」
早すぎる第三者の登場に、思わず固まる佐京とマユ。二人が呆然としている間に、車は二台とも守谷家の目の前に停まる。緑色のセダンと、銀色の軽自動車。
オンッ、オンッと吠えるラッキー。
ウィィィィンとセダンのパワーウィンドウが下がり、運転手がひょっこりと顔を出した。髪をオールバックに撫で付け、古風な片眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の青年。
「――やあ、こんにちは。きみは、器士かな?」
青年は、真っ直ぐに佐京を見やって、穏やかな笑みとともに、こう言った。
佐京は、ただ呆気に取られるほかなかった。