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修羅の国戦記  作者: 甘木智彬
【AggressiveWorld-黎明の器士-】
8/38

8.鬼切


 三十匹を超えようかというゴブリンの群れが、怒涛の如く襲いかかる。


 望月はちらりと背後を振り返った。賽銭箱の向こう、小さな社の奥に引っ込んだ小牧が青褪めた顔でこちらを見ている。


(ちゃんと隠れたな)


 心配は要らない、という意志を込めて頷いてみせ、三方向から迫るゴブリンたちに視線を戻す。


 望月は右手に太刀、左手に鞘を握った二刀流のような構えだ。太刀の『知識』が告げる戦闘術は両手持ちの一刀流だったが、乱戦においてこの鞘は十二分に武器として機能する。


「ギイイィィッ!!」


 前方、先頭の一匹が錆付いた長剣を振るい、斬りかかってくる――


 寸前、望月は一歩前へと踏み込んだ。


 不意に間合いを詰められ「ゲッ!」と目を見開くゴブリン。望月は横薙ぎに太刀を振り上げ、慌てて掲げられた防御の長剣ごとゴブリンの胴を断ち切った。


 まるで熱したナイフでバターを切るかのようだった。長剣と骨を両断するコンッという小気味の良い手応えがあったのみ。何が起こったのかわからない、という顔のまま胴体がずり落ちていくゴブリン、血飛沫と臓物が境内に撒き散らされる。


 しかし、その血の一滴が石畳に染みを作るよりも早く。


 望月は動いた。


 身体を翻し、息がかかるほどの至近距離まで迫っていたゴブリンたちをまとめて撫で斬りにする。


 血風が吹き荒れる。


 押し崩された積み木のように、ばらばらと肉片が散っていく。


 陽光を浴びてきらきらと輝く血漿に、形容しがたい高揚を得た。


 恍惚のひと時。


 刃の煌めきが心を洗う。無駄なものが削ぎ落とされていく。


 ――しかし、永遠のようにも感じられた一瞬はやがて緩やかに動き出し、その色を取り戻す。


 加速する世界、収束した現実。望月は再び修羅の庭へと叩き落とされた。


 右手側へ跳ぶ。背後に回り込もうとしていたゴブリンの一団に迫る。


 ぎょろり、ぐるりと蠢く金色の炯眼(けいがん)。一、二、三、四――と瞬く間にゴブリンの頭数を数え上げ、最適な斬撃を脳裏に思い描く。


 棍棒を持っていたゴブリンの首を刎ね飛ばし、返す刀でその隣の一匹を袈裟懸けに切り裂く。横から突っ込んできた一匹は左手の鞘で(したた)かに打ち据える。パキャッと乾いた音、陥没する頭蓋。力なくよろめく身体を押しのけ、その背後にいた一匹に突き込む刃、串刺しにした。鳩尾(みぞおち)に刀身が根元まで食い込み、望月の跳ね上げた腕の動きにより上半身が真っ二つに裂かれる。


 噴水のように噴き出る血潮。


 返り血で真っ赤に染まった望月は――「ははっ」と笑った。


 手の中で太刀が震えている。腕から背筋に、背筋から全身に伝播し波打つ歓喜の波動。どくんどくんと脈を打つ心臓、四肢の末端まで荒々しい衝動が満ちていく。凶暴な熱に侵されていく。


 ――斬れ。もっと斬れ。


 口の端が吊り上がる。

 胸の内、木霊する声に衝き動かされるように地を蹴った。


 右へ、左へ、踊るような足取りで斬り込んでいく。翻弄されるゴブリン、望月の駆け抜けたあとに首が刎ね飛ばされ宙を舞う。刃を振るうたび更なる(たかぶ)りが訪れ、両眼の輝きが強まっていく。


「――ははははっ!」


 際限なく湧き上がる高揚感に、哄笑が口を衝いて出た。先ほどまで、望月と小牧を追い立てていた怪物が、これほどまでに脆弱だったとは――実に小気味が良い、その動きの遅いこと遅いこと。もはや木偶(でく)のようにしか感じられないゴブリンを思うがままに斬り捨てる。


「ギイィッ!」

「ギシャァ!」


 槍を持った二匹のゴブリンが、タイミングを合わせて突っ込んできた。ぴったりと息の合った左右からの刺突。ほう、と息を吐いた望月は敢えてぎりぎりで身を引き、太刀の腹と鞘で槍の柄を払った。


 バランスを崩して前方につんのめるゴブリン、すかさず右手の太刀を一閃。二匹の首が仲良く揃って飛んだ。力なく崩れ落ちる死体を蹴り飛ばし、さあ次はどいつだと視線を巡らす。


「ギギッ……」

「ギィィ……」


 既に当初の半分ほどまで数を減らしてしまったゴブリンたちは、金色の瞳で睥睨(へいげい)する望月にすっかり萎縮してしまった。じりじりと後ずさるように距離を取ろうとしていたが、一匹が背を向けて遁走したのを皮切りに我先にと逃げ始める。


「あぁ? 今更逃げてんじゃねえぞ!」


 眉をひそめた望月は、一匹も逃がさないとばかりにその後を追おうとしたが、


「も、望月さん! 望月さーん!!」


 泣きそうな少女の声が聞こえて、足を止める。


 見れば、境内の向こう側に、社に取り付こうとする数匹のゴブリンと、半泣きで槍を突き出し威嚇する小牧の姿が。


「……小牧ちゃん!」


 心が、一気に冷めた。


 そして自分の目的が、ゴブリンの殲滅などではなかったことを思い出す。


「おいッッ! テメェらの相手は俺だッ!」


 腹の底から振り絞った叫びに、境内の空気がびりびりと震える。社に接近しつつあったゴブリンたちが、ぎょっとして振り返った。


 太刀を口に咥えた望月は、足元の槍を拾い上げる。


 投擲。


 ビュボッ、と空気を穿った槍は、小牧に最も近い個体に着弾。顔面を石榴(ざくろ)のように弾けさせ、残った頭蓋を刺し貫き社の柱に縫い止めた。残りのゴブリンが怖気づいて後退する間に、望月は走る。


 人間業とは思えぬ、疾風が如き俊足。


「――死ねッ!」


 瞬く間に境内を駆け抜け、勢いもそのままに太刀を振り下ろす。頭頂部から股下まで両断されるゴブリン、それでも太刀は止まることなく足元の石畳までをも切り裂いた。驚くべきことに、石と硬く踏みしめられた土を斬ってもほとんど手応えが感じられない。まるで冗談のような凄まじい切れ味だが、それを気にする余裕もなく望月は刃を振り抜いた。


「シッ!」


 鋭い呼気とともに、残りの一匹目がけて刃を繰り出す。既に戦闘を放棄して逃げ始めていたゴブリンの背中を、銀閃が滑らかになぞっていく。ゴブリンはそのままペタペタと走って逃げたが、思い出したように半身がずり落ち、どしゃりと臓物をぶちまけた。


 倒れ伏す死体を尻目に、望月は視線を走らせる。


 他に敵はいないか――。近くにはもういない、と直感的に思った。しかし念には念を入れて、油断なく神経を張り詰める。


 さざなみのような風の音。それに混じって、微かにギャアギャアという耳障りな声と、騒がしい足音が聴こえる――徐々に遠ざかっていく。


 やがて、静寂。


 戦いは、終わったのだ。


「は、ぁ……」


 それを意識した途端、引き潮のように全身の力が抜けていくのを感じた。

 先ほどまでの高揚感が嘘だったかのように身体が重い、どっと波のような疲れがやってくる。


「つッ……」


 不意に、右足がずきりと痛んだ。失意の表情で、望月は自身の膝に目を落とす。


(治ったわけじゃ、なかったのか……)


 舞い上がるような高揚感のせいで、単に痛みが麻痺していただけなのだと悟る。


「……も、望月さん、大丈夫なんですか……?」


 へなへなとその場に尻餅をついてしまった小牧が、震える声で尋ねてきた。その手には、まだ固く槍を握り締めている。


『大丈夫』というのは返り血に塗れた望月のことか、あるいは現状のことか。望月は深く考えを巡らせず、「ああ」と答えた。


「とりあえず、俺は怪我してない。ゴブリン……いや、あの化け物たちも、もう近くにはいないよ」

「……ほん、と、ですか?」

「ああ、本当だ。保証する」


 気休めではない、事実だ。周囲に敵影はない――ゴブリンは全てあの『光の柱』の方へと逃げ帰ってしまった。望月が自信を持って深々と頷くと、小牧はようやく安心したようだった。


「よかった、です。……ほんとに、あ、あはは」


 乾いた笑いを漏らす小牧、かたかたかた、と今更のようにその肩が震えている。

 ひとまず槍を傍に置こうとした小牧は、自身の両手が真っ白になるまで握り締められており、強張ったまま槍を手放せなくなっていることに気付いた。


「あ、れ? 力、入れすぎて、指が……動かなくなっちゃった。変なの。ふふっ、見てください望月さん、これ。本当に変なの。ふふ、ふふふっ、あはは……」


 望月に、槍を握ったままの手を示して、小牧は心底可笑しそうに笑う。見開いたようなその瞳から、はらりと一筋の涙がこぼれた。それを皮切りに、はらはらと涙が流れていく。小牧は槍に縋りつくようにして、そのまま笑いながら泣き始める。


「…………」


 望月も、自分が太刀を握りっぱなしであることに気付く。幸い、手が強張って動かない、ということはなかった。ビッと刃の血糊を振り払い、近くの樹の幹に脂を擦りつけて落としてから、納刀。


 ぱちんっ、と刀身が鞘に納まる瞬間。


 すっ、と何かが帰ってくるような。


 元の自分に返る、という感覚があった。


「……小牧ちゃん」


 静かに涙を流す少女に、望月は歩み寄る。


「ぅぅ……ぁ、ぅ……」


 引き攣った笑みを顔に貼り付けたまま――おそらく、表情を変えることすら億劫なのだ――小牧は小さく声を上げて泣いていた。彼女が縋り付く槍に、望月はそっと手を伸ばす。


 強張って動かなくなってしまった小牧の指を、丁寧に槍から引き剥がしていく。小牧は黙って、されるがままにしていた。


 あれだけゴブリンを好き勝手斬った割に、望月の手は汚れていない。返り血を浴びたのは主に上半身で、やろうと思えばそれも回避できたはずだ。


 先ほどの自分は、むしろ喜んで血を浴びていた節がある。今となっては、正気の沙汰とは思えない。頬や髪、ジャケットにべっとりと付着した血液が、純粋に不快だった。尤も自業自得といえばその通りなのだが――極度の躁状態というべきだろうか。試したことはないが、きっとヤバい薬をキメたらあんな風になるのだろう。


 そして、今の望月を襲う、胸にぽっかりと穴が開いてしまったような虚脱感は、おそらくその反動に似ている。もう一度、あの素晴らしい高揚感を味わいたい、と思ってしまう心も。


 何故こんなことに――などとは考えるまでもない。


 この刀のせいだ。


 小牧の指を引き剥がしながら、望月は無言のまま、社の壁に立てかけた太刀に視線を落とす。何だこれは、と改めて自問するまでもなく。


 頭の中の『知識』がすらすらと答える。


『器械:神刀【鬼切丸(おにきりまる)】』

『器士:望月望』

『位階Ⅵ』

『拒否反応:恐怖』

『・鬼と切り結び高揚を得る』

『・身体を強化する』

『・霊感を研ぎ澄ます』


「…………」


 一瞬、小牧を介抱する手を止めて、思わず憮然としてしまう望月。


 先ほどから、妙に現実味が感じられない理由はこれ(・・)だ。

 自分の頭の中に、違和感バリバリな知識が何の違和感もなく収まっている。その違和感が酷い。


 例えるなら、自室のベッドでのんびり寛いでいるといつの間にか部屋の中にもう一人の自分がいて、それに驚く気が何故か全く起きない、といった感じだ。これは何かがおかしい、驚くべきだ、と理性が断じても、そこに感情が伴わない。


 いい加減、『非現実的な何か』に驚くのに、疲れてしまったということもあるのかも知れないが。


 いずれにせよ、望月が先ほどの戦闘でハイになってしまったのは、間違いなくこの太刀――【鬼切丸】の異能の一つ、『・鬼と切り結び高揚を得る』が原因だ。


『知識』によれば、これは『小鬼(ゴブリン)』『大鬼(オーガ)』『豚鬼(オーク)』『樹鬼(トロール)』などの“鬼種”の敵に対して発動するもの、らしい。


 鬼種とは何ぞや、そもそも『敵』とは何ぞや、と自問してみても、それに対する詳細な説明はない。単純に『知らない』のだ。頭の中に植えつけられた知識は酷く中途半端な、あるいは偏りのあるものらしかった。


『・身体を強化する』は、おそらくそのままだろう。望月がゴブリン相手に大立ち回りを演じられたのも、触れたことすらない真剣を自在に振り回せたのも、これのお陰だ。


 最後の、『・霊感を研ぎ澄ます』というのは、よくわからない。幽霊や、この世ならざるものでも見えるようになるのか。



 物思いに浸っているうちに、小牧の指を槍から外し終える。



「……これで、大丈夫かな」


 錆付いた槍が床に転がって、からん、と乾いた音を立てた。


「……っ、ぅ……ぁぅ……」


 小牧は、自由になった両手で顔を覆い、静かに泣き濡れている。無理もない、と望月は思う。昨日から泣いてばかりの小牧だが、今のこの状況に関しては、流石に同情を禁じ得なかった。


 得体の知れない怪物に追われ、生命の危機に晒され、目の前でスプラッター劇場が繰り広げられた挙句、頼れる相手は血塗れの男しかいない。


(……何だか申し訳ないな)


 すまん……と声には出さないが、心の中で謝る。そもそもこのような事態に陥ってしまったのは、望月がノコノコとこんな場所までやってきてしまったからだ。


 ――あの、『光の柱』を目指して。


 望月は首を巡らせ、神社の林の向こう、ゆったりと回転する赤い光の柱を睨む。


「……ぅっ、ひくっ。望月、さん」


 少しは落ち着いたのか、しゃくりあげながら小牧。


「……うん?」


 小牧の対面、望月は石畳の上で胡坐をかく。賽銭箱に背を預け、【鬼切丸】を抱きかかえるようにして。お世辞にも座り心地は良いとは言えず、全身の疲れがより一層増した気がした。


「……もう、ワケがわかんないです……!」


 歯を食い縛るようにして、小牧は言う。


「何、なんですかっ? さっきの『アレ』も、望月さんの、その刀も……!」


 アレ、というのはゴブリンのことだろうか。


 望月はすぐには答えず、ただ空を見上げた。青い、澄み渡った冬の空。


 どう答えたものかなぁ、と迷う。頭の中の『知識』は小牧の求める答えを持っている。だが、その情報に望月自身も混乱していることもあり、何をどう説明すればいいのかわからなかった。


 何より、小牧に全てを明かしてもいいものか。


 ――度重なる異変と恐怖で心労が募っている少女に、更なる負担を強いることになるのではないか?


 そんな懸念はあったが、他でもない望月自身が、話したいと思ってしまった。


 誰かに打ち明けたい、と思ってしまったのだ。



 一人で抱え込むには、あまりにも突飛で、そして理不尽すぎた。



 改めて、境内を見渡す。今更ながら酷い光景だ。飛び散る臓物、ごろごろ転がるゴブリンの死体、至る所にこびり付き石畳を赤く染める血飛沫――望月は、無感動にそれらを眺めた。赤錆にも似た臭いが鼻をつく。


 本当に静かだ。心が凪いでしまったかのように。何も感じない。


 ただ、ぼんやりと、神社がすっかり血で穢れてしまったな、とは思ったが、全く罪悪感は湧かなかった。



『ここ』に。


 この場所に。


 神が御座(おわ)すとは到底思えなかったから――



「……俺たちは、周りの人がみんな消え去ったと思ってた」


 望月はぽつりと呟いた。


「……でも、それは間違ってたんだ」

「……? それって――」


 どういうことですか、と尋ねようとして、小牧は押し黙った。



 生気に欠ける、心底疲れきった望月の瞳を見て。



「消えたのは大人じゃなくて、俺たちだ」



 真っ直ぐに、小牧を見据える。



「――ここは地球じゃない」



 乾いた風が、血塗れの境内を吹き抜けた。


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