37.織尾
国道三号線。
牟那方市を離れて三十分、都市化されていた周囲の風景は、津久井町と東塩田町を経て長閑な田園風景に変わっていった。道端に突っ込みひしゃげた事故車両の間を縫うようにして、トラックは順調に進んでいる。
車内に抜け殻のような服だけを残し、至る所で擱座する無人の車両。相変わらず不気味な光景だが、ここ暫くの間で望月たちも随分慣れてきた。お気に入りの曲をインポートしたカーナビで、流行りの音楽を流しながら鼻歌交じりに進む。
「My heart is singing as I left the old place... 」
小牧のお気に入りは洋楽だった。若い女性が歌う、陽気な曲調のポップ・ミュージック。窓の外を流れていく冬の景色を眺めながら、小牧は明るく歌詞を口ずさんでいる。
「うまいね、小牧ちゃん」
「お姉ちゃんが洋楽好きで。わたし、英語は得意科目なんですよ!」
えっへん、と得意気に胸を張る小牧だったが、すぐに虚しさに襲われた表情になって肩を落とした。
「でも、今は英語なんてできても意味無いですよね……」
残念ながらこちらの世界には望月たちしかおらず、日常生活で英語を必要とする場面は皆無と言ってもいい。
「……専門書を読むときとかは役に立つ……かもな」
望月もそうは言ってみたものの、普通の中学生の英語力では専門書は判読できないだろうし、そもそもそういうのは小牧よりも先に刀根がやるだろうな、と思い当たって肩をすくめた。
しばらく諸行無常感に囚われ遠い目になる小牧であったが、望月も何とも言えない表情で沈黙を守っているのを見て、どうにか空気を変えようと思ったらしい。
「望月さんは、得意科目とかってあります?」
今度は逆に、望月に話を振ってきた。
「俺? 地理かな」
「えーっ! 意外!」
「えっ、そっか?」
えらく驚いた様子の小牧に、運転しながら心外そうに唇を尖らせる望月。数学はそれほど好きではないし、現代文も古文も退屈だ。化学は鬱陶しい、物理は面倒、しかし地理だけは望月の性に合っていた。
「地図帳とか資料集とか見て、色々憶えたりするのって楽しくない?」
「そうですか? わたし、小学校のとき都道府県憶えるのもイヤでした……」
「俺はなんかもう、気がついたら憶えてたよ」
ちなみに県庁所在地も当時からすらすらと言えた。川の名前や特産品をチェックするのも楽しい。最近密かにハマっていたのは近所の災害マップを眺めることだ。
例えば望月たちが通過中の葦屋町は、漁業と農業を主な産業とする海沿いの田舎町だ。町の大部分を川のないなだらなか平野が占めており、水害が発生しづらい。が、台風の際は高潮で浸水することもあるため、沿岸部では特に注意が必要だ。国道三号線の通っている内陸地は水はけが良いので、いくら雨が降ろうが嵐が来ようが冠水の心配はない。
この町の最大の特徴は、何と言っても航空自衛隊の基地を有していることだろう。葦屋町近郊で運動会や祭りが開催されるときは、『たまたま』訓練で上空を通りすがる戦闘機が、ちょっとしたアクロバット飛行などを披露してくれたものだった。基本的には練習機と哨戒機、ヘリが数機しかないような小さな基地だが、武装もそれなりに置いてあるはず――だった。二週間前、望月たちがそれらを回収しに訪れたときには、既に何者かの手によって一切合切が持ち去られていたが。
銃火器だけでなく、迷彩服から鉄帽に至るまでほぼ全ての装備がなくなっていたのは、少なくとも十数人がかりで複数の車両を用意しない限り不可能な所業だ。望月たち『牟那方市国』以外にも、統率の取れたグループが存在するのか――その目的はまだ不明だが、真っ先に銃器を回収していたという点に、何か不吉なものを感じる。
異界の『敵』という存在がある今、人間同士で争っている場合ではない。しかし敵や門について知っているのは器士とその関係者のみだ。器士の一団が更なる火力増強のため銃を回収したのなら良いのだが、それ以外の場合だとやはり不安が残る。
今回、刀根が望月たちに織尾周辺の偵察を依頼したのは、そういう事情も踏まえてのことなのだろう。牟那方市国に『隣人』は存在するのか。存在したとして、協力関係を築ける相手なのか。仮に手を取り合えない場合、如何様にするべきなのか――。
そんなことを考えながら、車を走らせることさらに十分。
葦屋町を通り抜けた望月たちは、県内でも指折りの大規模な河川――音賀川の橋を渡り、水守町へと出た。
「もうすぐだな」
目的地の織尾は、水守町に隣接する北九州市乙幡西区だ。周囲から田畑は消え、古びた住宅や商店に埋め尽くされた灰色の街並みが続く。水守町に入ってからちょくちょく人影を目にするようになったが、皆、何かに怯えるように、望月たちのトラックを見かけてもすぐに隠れてしまう。
「なんか、変な感じだ」
「みんなすぐいなくなっちゃいますね」
擱座した車両を避けながら、ゆっくりと車を進める望月。小牧は頭からかぶったゾリャーのヴェールの裾を、ぎゅっと不安そうに握りしめている。虹色の光沢を放ち、衝撃を遮断する魔法の布。強力な防御の器械だが、薄くなめらかな肌触りのそれは、この状況ではむしろ頼りなげに感じられた。
水守町を通過する。雲行きも怪しくなってきた。朝はあれほど晴れ渡っていた空が、今は灰色の雲で覆われている。『転移』のせいで天気予報がなくなったのは痛手だったな、と車内から空を見上げて望月は嘆息した。
街の様子も、何やら『荒れ模様』だ。時折スーパーやコンビニの横も通りすがるが、窓ガラスはことごとく叩き割られ、商品の多くは持ち出されている。このような事態で商店から物資を集めるのは普通のことかも知れないが、それにしても何処かその仕事が『雑』であるように思われた。
有り体に言えば、集め方が汚い。理路整然と必要な物をかき集めたというよりも、ただただハシャいで、目に留まった欲しい物を思うがままに持ち去っていった――という印象。
その証拠に、望月が車を止めて中の様子を見てみれば、なくなっていたのは一部のインスタント食品や菓子類、酒や煙草など嗜好品の類に偏っていた。米や味噌、醤油、その他調味料や保存食の類はほとんど手付かずで残されている。それどころか、本来は貴重な物資であるはずのトイレットペーパーが無茶苦茶に破かれていたり、雑誌が散乱していたり、飲料物の類が床に撒き散らされていることすらあった。まるで不良学生の悪戯だ。
「ロクなもんじゃねえな」
「もったいないです」
もはや廃墟と化した大手スーパーから、高級米の袋を回収してトラックに積み込みつつ肩をすくめる二人。本来ここで取ってくる必要のないものだが、定価ニキロ5千円の高級コシヒカリを見かけてついつい手に取ってしまったのだ。いつまた同じものを口にできるかわからないので、食べられるうちに食べておく必要がある。
そしてこのスーパーは、小牧にとって通い慣れた場所でもあった。
「……ここです」
スーパーから五分、住宅街の一角のこじんまりとした一軒家の前で、トラックは停まる。
バン、バンと車のドアを閉める音。玄関の前に立った二人は、しばし無言でその家を見上げた。
可愛らしい赤い屋根の二階建て。築十年といったところだろうか。庭はないが、ベランダのプランターにハーブやら何やらが植えられているのが見える。
「良いお家だね」
「……はい」
望月の素直な感想に、小牧は言葉少なに頷いた。残念ながら、小牧は列車事故の日に、愛用のポシェットごと家の鍵を紛失している。しかし、今の二人には、玄関の施錠などさしたる問題ではなかった。念力を駆使して壁伝いに二階のベランダへ上がり、窓の鍵を外から開け、靴を脱いで上がり込む。
白い壁紙の部屋。壁にはピンで兎の写真のついたカレンダーが下げられ、何枚か西洋人の若い女性歌手のポスターが貼られていた。窓際の学習机、棚に飾られた大小様々なぬいぐるみ。部屋の端には、淡いピンク色の布団がかかった小ぶりなベッド。他人の家の匂いが、ふわりと望月を包み込む。しかしそれほど違和感のないものだった。何故かと少し考えて、それが小牧がいつも漂わせている香りであることに気付く。
「……お邪魔します」
「どうぞ。……散らかってますけど」
かぁっ、と小牧の顔が赤くなった。上がり込んでから、初めてそこが自分の部屋だと気付いた、とばかりに。
「これで散らかってるなら、俺の部屋なんてゴミの山だよ」
望月からすれば、小牧の部屋は綺麗に整理整頓されていた。確かに多少の生活感はあるが、服が脱ぎ散らかされているわけでも、床に小物が散乱しているわけでもない。突然訪問してこのレベルなのは、驚異的な片付き具合といっても過言ではないだろう。
しかし、そうは言っても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいようだ。
「も、望月さんは、ちょっとゆっくりしててください!」
小牧に背中を押されて、望月はあえなく部屋から追い出された。ゆっくり、と言われても家の構造もわからず、特にすることもなく、ただ廊下で立ち尽くすほかないわけだが、小牧はそこまで気が回らなかったようだ。
ガタガタ、ゴソゴソと荷物をどかしたり片付けたりする音が聞こえて、二十分ほど待っただろうか、パンパンに膨らんだリュックを手に、小牧は部屋から出てきた。本人はハッキリとは言わなかったが、とりあえず望月に見られたくない系統の物品は整理したらしい。
その後、リビングに降りて、抜け殻のように残された男物と女物の服を見て小牧が泣きそうになったり、落ち着くために茶菓子を食べながら小牧持参のレプリカみずちでお茶を入れて一服したり。
トラックの荷台に積んできた旅行用の鞄に、小牧の夏物の服や細々とした雑貨を詰め込み、小牧の両親の持ち物の中でも特に思い入れのある品をまとめて梱包していく。小牧の家に着いたのは昼前だったが、作業があらかた終わる頃には午後三時を回ろうとしていた。
「流石に、ちょっとお腹空いてきたな」
「お菓子しか食べてないですもんね」
最後の段ボールをトラックの荷台に積み込み、望月と小牧はリビングでもう一度一服していた。フローリングの床、四人用のテーブル、人数分の椅子――本当に何の変哲もない普通の家のリビングだ。ちょこんと椅子に腰掛け、マグカップを両手で包み込むように持つ小牧は、俯き加減にぼんやりと緑茶をすすっている。
緑茶は、小牧の家の急須と茶葉を使って淹れたものだ。望月も同じものを頂いている。そろそろ牟那方に戻らねばならない、しかしまだ名残惜しい。そんな空気。
「……お茶って、」
ぽつりと、小牧が呟いた。
「酒寄さんがみずちで直接、淹れてくれるじゃないですか」
「……うん」
『液体ならなんでも出せる』という神器【みずち】の使い手たる酒寄は、オーダーすればどんな飲み物でも出してくれる。コーヒーから紅茶から、ジュース、水、多種多様なアルコールに至るまで。
「酒寄さんのお茶って、とっても美味しいですよね。酒寄さんってお嬢様だから、高級なお茶を飲んでたみたいですし」
「そうだな。酒寄のお茶は、なんていうか、味の深みが凄いよな」
「はい。頂くたびに、すごいなーって思ってたんですけど」
ずず、と手の中のマグカップのお茶をすすり、小牧はくすんと鼻を鳴らした。
「やっぱり、お家のお茶っていいですね。そんなに高級品じゃないですけど。慣れてるっていうか……」
「……うん」
気持ちは痛いほどよく分かる。小牧も普段、この茶葉をこの急須で淹れて、このマグカップで飲んでいたのだろう。ちなみに、飲み終わったらマグも急須もお茶っ葉も、牟那方に持って帰る予定だ。
「……よし!」
グイッ、と残りのお茶を飲み干して、小牧は明るい笑みを浮かべた。
「片付けも終わりましたし、そろそろ戻りましょう!」
「もういいのか?」
「……あんまり居ても仕方がないですし。それに『ここ』って……やっぱりわたしの『お家』じゃないな、って」
儚い笑みを浮かべて、小牧は窓の外を眺めた。
「……そう、思ったんです」
遠い目だった。リビングの窓から見えるのは、何の変哲もない住宅街の道路と、道端の街路樹だけ。
「そっか……」
自身も、残りのお茶を飲み干し、望月は頷いた。少し苦い味がした。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「はい」
望月たちはテーブルを離れ、小牧は台所で急須とマグカップを洗い始めた。こういうちょっとした洗い物にも、みずちのレプリカは役に立つ。
「じゃあ、俺は車の用意しとくから!」
「は~い! すぐ行きます!」
小牧にそう言い残し、玄関へと向かう望月だったが――
「――ん」
外から、何やら声が聞こえる。家の前、トラックの方。
慌てて望月が玄関から出ると、どこから湧いて出たのか、トラックに数人の青年と少年が群がっていた。望月も人のことは言えないが、髪を染めてチャラい格好をした中高生の集団のようだ。トラックの周囲にはスクーターや自転車が数台。彼らは荷台の段ボールを好き勝手に弄くり回し、小牧の私物を乱暴に取り出してゲラゲラと笑っていた。
「おい! お前ら――」
なにやってんだ、と叫ぼうとして、望月は言葉を失う。
そのグループのうち年長の二、三人が、腰に拳銃のホルスターを下げ、更にはテレビや映画でしか見たことのないような自動小銃を肩紐で吊り下げていたからだ。
「あぁ? コレお前の!? 下着泥棒かよ!」
突然、玄関から登場して硬直する望月に、青年たちが爆笑した。望月はただ単に、彼らの武装に意表を突かれて呆然としていたのだが、どうやらその顔がツボに入ったらしい。青年たちがその手に握る小牧の下着と思しき布切れを見て、望月はハッと我に返った。
「俺のじゃねえ、知り合いのだ。っつか、なに勝手に人の荷物触ってんだよ!」
少々声を荒げる望月だったが、青年たちは気にする風もなかった。むしろその中のひとり、前歯の欠けた茶髪の青年が、望月の腰の鞘に目を留める。
「おっ! それ日本刀じゃん! かっけ~!」
前歯の欠けた青年は、ニヘラといやらしい笑みを浮かべて、自身の腰のホルスターから躊躇いもなく拳銃を抜き取った。
「おい、テメェ、それ寄越せや。今なら命は勘弁してやるぜ」
そして、これ見よがしにそれを突きつける。
おぉ~い、と周囲の少年たちが囃し立てるような声を上げた。どちらかというと銃を突きつけられた望月の挙動を楽しみにするような様子だった。
真っ黒な銃口。望月の顔から表情が抜け落ちる。
『それ』を人間に対し突きつけるという行為が、何を意味するのか。
本当に、この青年はその意味を解しているのか。
「……あァ?」
ぴしりと、望月の額に青筋が立った。
次回、望月怒るの巻




