36.療養
お待たせしましたー
コンコンコン、と玄関の扉を叩く。
年季の入った木製の扉だ。鍵はかかっていないので入ろうと思えばいつでも入れるが、望月は応対を待った。
「はぁい」
奥から声が聞こえてしばし、出てきたのは目を閉じた小柄な少女――常盤だった。マユと同様に、小牧の同居人のひとり。彼女が扉を開いた瞬間、全身を羽箒でひと撫でされたかのような、不思議な感覚が望月を襲う。
「望月さんですね。小牧ちゃんのお見舞いですか?」
望月が一言も発していないにもかかわらず、盲目の少女は目の前の人物を当ててみせた。おそらく神器【ブラダマンテ】の権能――彼女は身近の器械を感知でき、かつ自らの手で複製した器械を識別できる。複製器械は、彼女にとっての他者の『顔』のようなものだった。
「ああ、ちょっと話したいこともあってな。小牧ちゃん、まだ寝てる?」
「さっき目を覚ましましたよ。だいぶん良くなったみたいです」
「そいつは良かった」
「今頃、部屋でお着替えしてるんじゃないでしょうか。居間で待っててください、呼んできますから」
「どうも。全然急がなくていいよ」
「ふふ。望月さんが来たって聞いたら、小牧ちゃんは急いじゃうかもですね」
含み笑いをする常盤に連れられて、家に上がり込む。
こちらの家に越してきてから二週間、慣れてきたということもあるのだろうが、廊下を行く常盤の足取りはしっかりとしたものだった。杖も持たず、壁に手もつかず、まるで見えているかのようにすいすいと歩いていく。全く危なげのない動きに望月は感心した。
「凄いな。ソロモンを使いこなしてるとは聞いてたけど」
「お陰様で、家の中ではほとんど不自由することもなくなりました」
きらりと、その指に銀色の指輪を輝かせて、常盤はにこやかに笑う。
望月をリビングに案内して、常盤は二階に上がり小牧を呼びに行った。トタトタトタ、とどこか慌てたような足音が上から響いてくる。
「すぐ来るそうですよ。そういえば、そろそろご飯の時間でしょうか」
望月がソファで寛いでいると、口の端に笑みを浮かべたまま戻ってくる常盤。少しだけ、からかうような気配を感じたが、望月は努めて触れないことにした。
「ああ。守谷たちが作ってる」
「今のわたしなら、お手伝いできるかも……って思ってたんですけどね。お料理は難しいです」
はふぅ、と残念そうに嘆息する常盤。基本的にマユたちはレプリカスルトの火を料理に多用しているので、目が見えないまま手伝うのは流石に危険すぎるだろう。
「でも、お茶くらいなら一人でも淹れられます。望月さんもいかがですか?」
リビングの隅の戸棚がパタンと開き、湯呑みが飛び出して空中に浮かび上がる。そろそろ夕飯だしお構いなく、と断ろうとして、望月は湯呑みが三つあることに気づいた。どちらかと言うと、起き抜けの小牧のためなのだろう。
「俺も、頂いていいかな」
「はい、すぐ淹れますね」
湯呑みが滑るように空中を移動し、ソファの前のローテーブルにとん、とん、とん、と着地する。常盤は戸棚から茶葉の入った缶を取り出し、蓋を開けて匂いを確かめていた。戸棚からさらに飛び出す急須、まるで砂時計を逆再生するかのように缶の茶葉が急須に入っていく。お茶請けの羊羹をそばに浮遊させながら、複製器械【みずち】を手にした常盤がニコニコと望月の対面に座った。
「まるで魔法だな」
「ええ、本当に」
しみじみと頷きながら、急須に熱湯を注ぐ常盤。彼女が持つみずちは、百度の熱湯と零度の冷水を出せる『最新型』のレプリカだ。
この複製器械の画期的な点は、出せる液体を水のみとし、なおかつ水温を百度と零度に限定している点にある。任意の温度で水を出せる通常のレプリカに比べ、水温に制限をかけた分、性能が向上しているのだ。具体的には、温度に制限のないレプリカが一日につき二十リットル弱生産できるのに対し、制限ありのレプリカはどんなに相性の悪い器士でも日に二十五リットルの生産を可能とする。それでいて熱湯や冷水でなく、例えば程よい温さのお湯が欲しいときなどは、熱湯と冷水を同時に湧出させることで温度を調節できるのだ。実質的に、水温に制限のないレプリカと同等の性能を誇る。
茶を淹れたり身体を拭き清めたり、単に飲料水にしたりと使い勝手が良いので、現状では各家に最低一人はこのレプリカみずちの使い手がいる。この家は、小牧と常盤の二人がこのレプリカの器士を担当しているはずだ。
急須に蓋をして、テーブルにレプリカみずちを置く常盤。レプリカは手の平サイズの小さな壺の形をしている。生産量は依り代の大きさに左右されないので、一度に大量に生産する必要がない限りは、みずちは小さければ小さいほど使い勝手が良い。
テーブルについたままお茶の缶を戸棚に念力で戻し、常盤は満足気に笑ってソファにもたれかかった。
「不思議な感覚です。手の届かないところに、何があるのかわかるなんて」
「ああ、本当に超能力者って感じだ……常盤は先天的に見えないんだっけ」
「はい。生まれてから、光を感じたことはありません」
「そっか。いずれにせよ、この使いこなしっぷりは凄いな」
自身の指輪を撫でながら、望月。まさしく脱帽といった心境だ。望月たちの場合、念力で干渉できるのは目視できるものに限られている。例えば箱の中に隠されたボールなどは、存在がわかっていても動かすことはできない。しかしそれに対して常盤は、何も視えないまま物体に干渉している。
「あとで、俺たちにもコツを教えてくれないか?」
念力で物体の位置を把握し、干渉する技。ソロモンの有効範囲がそもそも三~五メートルなので使い道は限られるが、例えば白兵戦で背後の死角を潰すのに役立つかも知れない。
「コツ、ですか? 構いませんが、正直コツらしいコツもないですよ?」
「それでもアドバイスが貰えると助かる。皆で試してみたけどイマイチ感覚が掴めなかったんだ、本家の青木も含めて」
「わかりました、わたしでよければ」
「ありがとう」
そんな話をしているうちに、小牧が二階から降りてきた。とっとっとっ、と軽い足音が階段から聞こえてくる。
「望月さん!」
「小牧ちゃん、もう起き上がって大丈夫なの?」
「はい、良くなりました! まだちょっとだけ、だるいですけど」
リビングの扉を開けて、跳ねるような足取りで小牧が入ってきた。髪を後ろでまとめて、フリースのジャケットをしっかりと着込み、何とも暖かそうな格好をしている。
「……顔ちょっと赤いけど、熱はもう下がった?」
「えっ!」
望月に指摘され、慌ててぺたぺたと頬や額を触る小牧。
「常盤さん、わたしまだ熱あります?」
「んー、そうねえ」
常盤が立ち上がって、小牧の額に手を当てる。
「……熱、あるかもしれないわね」
「えーっ、もう治ったと思ったのに……」
「うふふ。冗談よ、風邪はもう治ってると思うわ」
『風邪は』ね、と意味深に笑いながら、常盤は望月の方を向いた。「?」と首を傾げる小牧をよそに、望月は「そろそろいいかな」と湯呑みにお茶を注いで素知らぬ顔をした。
三人でお茶を頂きながら、羊羹をつまむ。小牧は粥だけを食べて寝込んでいたので、お腹が空いていたらしく随分と美味しそうに食べていた。
「そういや、さっき刀根さんに相談してきたよ」
「! どうでした?」
「いいってさ。むしろ織尾周辺の様子を見てきて欲しいって頼まれた」
「わぁ! よかったです~!」
羊羹を頬張ったまま、パァッと顔を輝かせる小牧。事情を把握していない常盤にも、今度織尾へ小牧の私物を回収しに向かう旨を伝える。
「まあ、それは良かったですね!」
常盤は、自分のことのように喜んでいた。二週間同居していただけに、小牧が寂しがっていたのはよく知っているのだろう。
「何を持って帰るかにもよるけど、またトラックとか準備しないとな」
「お出かけでまた風邪を引かないように気をつけるのよ、小牧ちゃん。まったく、夜に一人で天体観測なんてするから」
「えっ、えっと、それは……月がキレイだったんで、つい……」
顔を赤くして、しどろもどろで答える小牧。望月の方を必死でチラ見して、(何も言わないでください!)と目で訴えかけてくる。
流石の望月も心得たもので、(わかってるよ)と口だけを動かし、苦笑交じりに頷いた。
その後しばらく、小牧が家から持って帰りたいものや織尾で他に寄りたい場所、今日の夕飯のメニューについてなど、他愛のない雑談を繰り広げる。
夕日が沈みきる前になると、家の庭にウリエルが転移してきた。コンコン、と窓を叩いて言うには、夕飯の支度が終わったとのこと。ウリエルは最低限のプライバシーの尊重ということで、よほどの緊急事態でない限り家の中にまでは踏み込んでこない。小牧もしっかり食事を摂れる程度に回復していたので、皆で揃って公民館に行くこととなった。
「望月さん」
小牧が部屋にコートを取りに行っている間、望月が余ったお茶を飲んでいると、常盤が囁きかけてきた。
「ん?」
「次は、ちゃんと温かい格好をさせてあげてくださいね」
「えっ」
きょとんとする望月に、常盤は忍び笑いを漏らして、
「好きな人といると、時間なんてあっという間に過ぎちゃうんですから……次からは、望月さんがちゃんと気をつけてあげるんですよ?」
望月はむせた。
しっかりとバレていた。
「……知ってたんだ?」
「声が、聞こえましたので。わたしもあの夜はあまり寝られなかったんです」
くすくすくす、と心底可笑しそうに笑う常盤。しかしそのとき、ハッと気づいたような顔になって、
「あ、ご安心ください。内容まではよく聞こえませんでしたから」
「…………」
絶対嘘だ、と望月は確信した。元々、常盤は耳がいいのだろう。会話の中身まで丸ごと聞き取られているに決まっている――
「いや……うん、わかった。気をつけるよ、次からは」
盛大に赤面しても、常盤にはバレずに済むのがせめてもの救いだった。
†††
小牧に複製器械【ソロモン】が贈られたのは、夕食の席でのことだ。
やはり、『超能力が使えるようになる指輪』を相当楽しみにしていたと見えて、小牧は強烈な『知識』の洗礼を受けながらも大喜びしていた。身近でソロモンを使いこなす常盤を見続けていただけに、ここ最近は特に憧れが強くなっていたのだろう。
食器を浮かべてみたり箸を操ってご飯を食べてみたり、床に『腕』をついて空中に浮かび上がってみたりと、ソロモンを手に入れてはしゃぎまくる小牧を、望月たちは微笑ましげに見守った。
が、ソロモンの念力は、多大な体力を消耗する。夕食の席では控えめにしていたが、小牧は家に帰って人の目がなくなると、つい力を使いすぎたらしい。翌日風邪がぶり返して、またしばらく寝込む羽目になった。
その間に志鎌と剛田は剣の鋳造に成功し、望月たちは浴場を完成させ、常盤から念力を応用した空間把握のやり方を習った。
志鎌たちが成し遂げた剣の鋳造は、望月たちにとって大きな躍進だ。これで武器の形をした近接器械も存分に複製できるようになり、刀根が考案していた蒸気機関や発電装置の部品もある程度自由に製造が可能となった。
ただし、鋳造の精度はまだまだ発展途上であり、加えて鞘のような中空の構造の物体をそのまま形作ることもできない。例えば剣の鞘などは、鉄を複数の板状に鋳造しそれを変形・溶接して作成しなければならないのだ。スルトのように剣と鞘が一セット必須となる器械は、複製に時間と労力が要求された。
浴場に関しては、女子組の喜びように、望月たちの疲れも吹き飛ぶようだった。が、一番風呂は漏れなく女子たちがかっさらっていき、男子組はボイラーの制御と水汲みに精を出す羽目になった。マユ曰く、小牧は風邪が完治していなかったせいで浴場完成の初日に入れず、随分と悔しがっていたらしい。
望月たちがボイラーの前で手持ち無沙汰にしていると、佐京が「覗きに行こう」と提案し皆で盛り上がったが、即座にウリエルが転移してきたので、何となく萎えてやめた。
浴場を完成させてからの数日間は、拠点整備の作業は一旦休止して、ソロモンの集中的な訓練に充てることとなった。もちろん、常盤が編み出した空間把握の技がメインだ。
常盤の『コツ』とは、自身の周囲にまんべんなく力場を張り巡らせて、その中に物体が入り込んだ際の念力の反動の偏移を音と同じようなノリで感じ取る、という説明されても感覚がイマイチわからないものであった。
常盤が実演してみせても誰も会得できず、これは厳しいかと思われたところで、ダメ元でテレパシーを利用し常盤の感覚を直接伝えるという力技を試したところ、これが思いの外うまくいった。結果的に望月と多賀を始めとした数人がコツを掴むことに成功。その後も練習を重ねたことで、常盤ほどの精度ではないがソロモンの領域内の物体を感知できるようになった。
今後も鍛え続けていけば、超人的な反射神経が要求されるものの、背後からの飛翔体を空中で掴み止める、といったような芸当も可能となるかも知れない。空間把握以外にも、ワイヤーを用いたイメージ力のトレーニングや、単純に限界までテレキネシスを行使しての『筋トレ』など、やりたいこと、やっておきたいことは山積していた。
器械の複製、その振り分け、新たなソロモンの使い方の模索、そうしたことに没頭しているうちに、数日があっという間に過ぎていく――
そしてある昼下がり。
「……よし。準備はいいかな」
公民館の前、この日のために用意した中型トラックの鍵を、指でくるくると回しながら望月は尋ねる。幌付きのトラックの荷台には、いつぞやのようにバイクが載せられロープで固定されている。万が一道が塞がれていてトラックが通れなくなっていたとき、最低限の機動力を確保するための『足』だ。
「はい、大丈夫です!」
すっかり快復した小牧は、装いも新たに元気よく頷く。右腰には拳銃、左腰には身体強化目的の複製魔剣【ナズ】、その手にはソロモンの指輪がきらりと光る。フリースのジャケットや生地のしっかりとしたジーパンという暖かく動きやすい格好で、更にその上から虹色の光沢を帯びたフード付きのマントを羽織っている。神器【ゾリャー】のレプリカだ。
ゾリャーの複製条件は、シンプルに『布』。おおよそ服飾品であれば何でもその条件を満たすのだが、器械の権能を十全に複製するためには生地を一種に限定した一枚の布であることが望ましいようだ。
小牧が羽織るマントは、元々は化学繊維混じりの丈夫だが色気もない黒のマントだった。が、器械化した瞬間に元の色の上に虹色の光沢が現れ、手触りもシルクのようなしっとりとしたものに変わっていた。光の当て方で様々に変わっていく鮮やかな色合は、一種の蝶の羽を連想させる。
位階0の複製器械としての性能は、良くも悪くも未知数だ。少なくとも、望月のバットのフルスイングをハリセンで叩かれた程度の衝撃に軽減してしまう力はあるらしい。ただし物理的な攻撃で破壊されるようになってしまったので、刺突や斬撃には弱いはずだ。直接的な防御にはあまり向いていないことから、本来ならば全身タイツのような下着が最大限の防御力を発揮できるのだろうが、そのようなタイツを調達できないという実情、見た目的な問題、そして所詮は試験運用だから、という理由で結局はマントの形に落ち着いた。
小牧は、腰のホルスターが物騒な雰囲気を醸し出しているものの、吊り下げた剣と虹色に輝くマントのお陰で、凛々しくも可愛らしい魔法剣士といった装いだ。実際、レプリカナズで身体能力が底上げされていることもあるが、ソロモンも大分慣れてきてアクロバティックな動きも可能としてきたので、『魔法剣士』という呼び名は当たらずといえども遠からずだった。
ちなみに、望月の格好はこれまでとそれほど変わらない。右腰にはホルスター、左腰には鬼切丸、あとはいつも通りの防寒性重視の作業服。ベルトに数メートル分のワイヤーが何本か丸めてぶら下げられていることと、肘や膝に、余った金属板で作ったプロテクターが装着されていること、そして鬼切丸の柄に器械ではない金属製の輪が取り付けられていることが、ささやかな違いだろうか。
「じゃあ、我々も出ようか」
望月たちと同時に、刀根と多賀も出発の準備をしている。二人はこれから響々丘高校に向かい、学生寮に住む生徒の中から、信用のおける何人かを引き抜いてくる予定だ。志鎌との意見の対立はあったが、結局は人数を拡充する方向で舵を切ることになったのだ。
「望月くん、小牧くん、くれぐれも無茶はしないでくれ。頼んだよ」
「刀根さんと多賀も気をつけてな」
「安全運転で行くさ」
軽口を叩いて車に乗り込み、しばらく暮らした拠点を出る。
国道に出るまでは望月のトラックと刀根が運転する乗用車で一緒に走ったが、それぞれ西と東に別れた。刀根たちは西へ、望月たちは東――織尾の街を目指して。
「久しぶりですね、こうやって一緒に車に乗るのって」
窓の外の風景を眺めながら、小牧はどこか高揚した様子だった。転移以降初めて家に帰れることと、狭い車内に二人きりであることと。
「そうだな……あのとき以来か」
感慨深げに望月も頷く。思えば電車事故から始まり、こうして小牧と一緒にトラックで移動したことが、今の自分を形作っている。
――早く、小牧ちゃんを家に帰してあげたい。
ふと、そんな、切なさにも似た想い。
望月はアクセルを踏み込み、車をさらに加速させた。
織尾の街に突っ込む




