34.月夜
はぁっと吐いた息が、白くなって、夜の闇に紛れていく。
星空の下、ベンチに並んで腰掛ける二人。
「…………」
ウリエルが去ってから、何を話したものかと、揃って黙り込んだきりだ。
「……け、けっこう寒いですね」
先に口を開いたのは、小牧だった。照れたような顔で望月を横から見てくる。
「そうだね」
ところが、望月が横を向いて視線を合わせようとすると、思わずといった様子でぷいと顔を背けてしまう。
もちろん、嫌われているわけではないのだろうが。
「…………」
先ほどとは、少し趣を変えた沈黙。
「……えっ、えっと!」
しばらくして、意を決したように小牧が望月に向き直った。
「あの、も、もうちょっと、詰めてもいいですか!」
小牧は望月との間の、十数センチの空間をびしりと指で示す。
「寒いので!」
寒いのが理由、と主張する小牧。必死感の漂う言葉に望月は思わず頬を緩めた。
「もちろん、いいよ」
寒いのならそろそろ家に戻った方がいい、などと無粋なことは言わない。
右側から小牧がくっついてきた。ぴと、とズボンの生地越しに二人の足が触れ、小牧は恐る恐るといった様子で望月の肩に寄りかかる。
少女の息遣いと、ぬくもり。
とくんとくんとくん、と随分速いペースの鼓動も感じられた。
「……暖かいな」
「……はい」
くっついたまま、こくこくと頷く小牧。近すぎてどんな顔をしているのかは見えない。ふと悪戯心のようなものが芽生えた望月は、右腕を回して小牧の肩を抱き寄せる。
「こうしたら、もっと暖かいかな?」
「は、はいぃ」
流石にこれは予想外だったか、声を上擦らせる小牧。ふふ、と望月は思わず笑みをこぼしてしまった。乙女の純情を弄ぶような真似はするべきではない――と思いつつも、初々しい反応につい和んでしまう。
それからまた、二人して沈黙した。腕の中で小牧はガチガチに緊張していたが、やがて慣れてきたのか、徐々に肩の力が抜けていく。
空を、見上げる。
本当に月と星が綺麗な夜だった。思えば転移のあと、これほどじっくりと夜空を眺めたことはない。いつも力仕事なり戦闘なりで疲れ果てて、暗くなったら泥のように眠る毎日が続いていた。
「……綺麗だな」
無意識のうちに、ぽつりと呟いていた。
「そうですね……」
ほぅ、と腕の中で小牧が白い息を吐く。もぞもぞと身じろぎした少女は、不意に望月の腰に腕を回してくる。ぎゅっと、二人の密着度が上がった。小牧の髪が頬をくすぐる。身を切るような冷たい夜風に交ざって、微かに、花のような良い香りがした。
「空って……こっちでも、変わらないんですね」
小牧が天を指差す。
「あそこ。オリオン座ですよ」
「……オリオン座ってどんなのだっけ」
生まれてこの方、望月は星座には無頓着だ。夜空に目を凝らしてみるが、知らないものを見つけられるはずもなく。
「えっ、アレですよ、あの台形みたいなヤツ」
右手で空に図形をなぞり、伝えようとする小牧。「う、うん……?」と小牧の指先を目で追うが、いまいち要領を得ない望月。小牧も両手を使えばもっとわかりやすく伝えられるのだろうが、腰に回した左腕は意地でも外したくないらしく、どうにか片手で説明しようとする。
「ほら、あそこですよ。凄く綺麗な明るい星があるじゃないですか」
「ああ、あるね」
望月の顔の横に手を添えて、小牧が指し示す明るい黄色の星。
「あれが……なんだっけ。たしか、ベテルギウスって星です。その下に、三つ横にぽんぽんぽんって並ぶ星が……」
「ああー、あれか!」
「わかりました?」
「うん。わかった」
小学校の頃に授業でやった「ふゆのせいざ」をおぼろげに思い出す。
「すっかり忘れてた。星座も丸ごと一緒なんだな、こっちでも」
「そうですね。……でも、そうしてみると、星って何光年も離れてるんですよね。宇宙も全部、丸ごと『再現』されてるのかな……」
「……だとしたら、スケールが大きい話だよ」
元の世界と同じものが全て再現されているのだとすれば、太陽系も銀河系も全て同一の形となっているのだろうか。
規模があまりに大きすぎて――等身大の自分と違いすぎて、ピンとこない。
「こっちに来てから、色々ありましたね」
「だなぁ」
しみじみとした小牧の呟きに、相槌を打つ望月。
「電車の事故で大変だったり……ゴブリンに追われたり……ドラゴンと戦ったり」
「……よく生き延びたよな、俺たち」
特に器械なしの状態でゴブリンの群れと遭遇し、結果的に生還できたのは、奇跡のようなものだ。納方市の惨状を聞くと切にそう思う。
「……電車で、望月さんに抱えられたとき、わたし望月さんのこと引っかいちゃいました」
「あれ、そうだったっけ?」
確かに、電車では小牧を肩に担いで走って逃げたが、必死すぎて引っかかれたのに気付かなかった。事故の際に色々と体をぶつけたせいで、引っかき傷どころではない怪我が量産されてしまったこともあるが。
「あれは散々な目に遭ったよな……ホント生き残れて良かった」
「あのときは怖かったです。……でも、」
「…………でも?」
望月が問い返しても、小牧はなかなか答えなかった。くっついたまま、もじもじとした身じろぎが伝わってくる。
「でも……事故のお陰で、望月さんと会えたんで……それは、良かったです……」
望月の肩に頭を乗せて、小牧は消え入りそうな小さな声で、恥ずかしそうにそう言った。
「……そ、そっか」
望月は左手で顎を撫でた。口元を隠すように。
(なかなか言ってくれる……)
今のは――正直、ちょっとキた。
「……俺も、小牧ちゃんと会えてよかったよ」
望月も素直な想いを口に出す。
小牧のそれとは、まだ少しだけ方向性が違うかも知れないが。
「……本当ですか?」
張り合うような空気を察したからか、じとっと目を細めて小牧が問う。
「本当だよ」
「……ホントですかぁ~?」
「ホントだって」
「本当にぃ~?」
「だから本当だよ、本当!」
真面目くさって見つめあい、どちらからともなく笑った。
あははは、と肩を揺らして。
白い息がふわふわと消えていく。
「……みんなとの暮らしは、どう? もう慣れた?」
背後の、小牧がマユ・常盤の二人とともに暮らす民家を見やりながら、望月。
「はい、だいぶん慣れてきました。不便なコトもありますけど……あと、常盤さんがソロモン使うようになったじゃないですか」
「ああ、一昨日からだっけ」
先日、とうとう常盤本人が複製器械【ソロモン】の器士となったのだ。目が見えない彼女だからこそ、テレキネシスが使えるようになれば、慣れない環境で転んだり怪我をしたりする可能性が減るだろう、という思惑があった。
「常盤さん、テレキネシスの応用で、身の回りのことがわかるようになってきたらしいですよ」
「えっ、マジで」
「はい。なんか、ドーム? みたいなので周りを覆って、レーダーとかスキャナーみたいに、近くにあるものを触ってみてるらしいです。今はもう家の中ならわたしたちが手伝わなくても、自由に動き回れるんですよ」
「へー、それは凄いな」
望月は感嘆の声を上げた。戦闘にも応用できそうな使い方だ。
ソロモンは非常に自由度の高い器械なので、望月たちも手探りでその使い道を模索しているところだ。今度、常盤にコツを聞いてみようと望月は決めた。
「わたしも楽しみです、ソロモン
」
高揚感を抑えられない様子で小牧。鉄器鋳造用のみずちや日本刀を使ったスルトの複製が優先されたため、小牧はまだソロモンの器士となれていないのだ。
「長いことお預けになっちゃったからな……多分、明日くらいにはできるよ」
「楽しみです!」
ふふふ、と小牧は笑い声をこぼす。
何せ、超能力が使えるようになる指輪だ。自分も器士になるときは心底ワクワクしたものだった――それを長いこと待たせてしまったのだから、申し訳ないなぁと望月は思う。
「小牧ちゃんは、どんな風に使いたい?」
「そーですねー……お料理のときとか、便利かな。あとみんなみたいに高いところに登ってみたいです、屋根の上とか!」
「最初はキツいけど、練習したらすぐできるようになるよ」
「みんな楽しそうで、羨ましいなーって思ってたんです」
「……ごめんな、待たせちゃって」
「仕方ないですよーそれに望月さんのせいじゃありませんし……」
「でも気をつけないと。この間、佐京が調子に乗って鉄塔に登ろうとしてさ――」
佐京がうっかり死にかけた話や、ウリエルがそれを助けた話。前者は、佐京から「格好悪いしマユちゃんが心配するから」という理由で口止めされていたのだが、饒舌になった望月はついうっかり喋ってしまった。
それから、拠点整備の工事中にあった珍事件や今までで美味しかった献立など、他愛のない世間話が続く。
「そういえば、」
話題が尽きてきたところで、小牧がぽつりと呟いた。
「……ちょっと羨ましいな、って思うことがあるんです」
「なに?」
「物です。……お布団とか、お洋服とか」
どこか、しんみりとした口調だった。
ああ……、と望月も溜息のような声をもらす。
「他の人は……お家から、いろいろ持ってきてるじゃないですか。でも……」
小牧はフリースのジャケットを撫でる。
「これはマユさんからの借り物ですし、他のものも……」
すべて、他の人から借りているか、無人化した店から集めてきたものだ。
小牧の家は織尾――牟那方から車で二時間ほど東の町にある。
そして転移以来、小牧は一度も家に荷物を取りに帰っていない。
理由は、おそらく危険であるから。器士を勧誘しに向かった刀根と剛田が、不良に絡まれて散々な目に遭ったらしい。織尾以東の地域は暴走族がかなり幅を利かせているようなので、刀根から近づかないようにと言われていたのだ。
「やっぱり、寂しいよな……」
これに関しては、望月も同情の念を禁じえない。望月でさえ実家から無事だった布団や枕、思い出の品の類を持ち出しているし、洋服や食器も自前のものを使っている。皆もそうだ。
それに対して小牧は、一度も『家』に帰れていない。見知らぬ町の見知らぬ家で寝泊まりして、日用品の何から何までが全て借り物。
流石に――それは、寂しいだろうなと思う。
「危ない目には、遭いたくないですし。仕方ないかなって、思うんですけど……」
けど……と。それ以上は口に出さず、小牧は嘆息する。
望月は、月を見上げた。
なんだかなぁ、と胸の内に募る、遣る瀬無さ。
「……よし」
ならば、と思い立った。
「行ってみる?」
「え?」
「小牧ちゃん家に」
突然の望月の言葉に、小牧は目をぱちくりとさせた。
「でも……刀根さんがダメって」
「ダメって言ってたのは、もう二週間も前のことだしな」
「危ないんじゃないです、か?」
「危ないかもしれない。……でも今、ここら辺で危なくないトコなんてないよ」
ウリエルの領域内部は他より安全かもしれないけど、と望月は肩をすくめた。
それに――おそらく近い将来、望月は納方に赴くことになる。『門』を破壊するために、そして市街に巣食う『敵』を殲滅するために。
他から人を受け入れて戦力を強化するか否かはさておき、十分に準備をした上でことを運ぶつもりではあるが。
何が起こるかは、わからない。
できることを、できるうちにやっておきたい。そんな気持ちがあった。
「明日、刀根さんに相談してみよう」
「……いいんですか?」
「取ってきたいもの、色々あるでしょ?」
「……はい」
「じゃあ任せて」
ぽんぽん、と望月が肩を叩くと、小牧はそっと頭を望月の右肩に載せてきた。
「……ありがとうございます。本当に」
「まあ、お礼は許可が出てからってことで、さ」
「はい。……でも、ありがとうございます」
小牧の右手が、望月の膝に触れる。くすぐったいような、暖かいような、そんな感覚が波紋のように体中に広がった。
「…………」
物思いに浸っているのか、小牧は特に深く考えずに、そのまますりすりと右手を動かして望月の右膝を撫でる。
撫でているのだが――
(いやいや……小牧ちゃんその動きはまずいよ……)
くすぐったいというか、ぞわぞわするというか、アレだ。自覚なしでやっているなら末恐ろしい。
「……望月さんて」
「う、うん? なに」
「ここ、怪我されてたんですよね」
右膝を撫でながら、小牧。望月は真顔になった。
「……そうだね、ちょっと前に。つまんない交通事故で、ね」
「痛むんですよね……」
膝小僧を労わるように慰撫する小牧。
望月は瞑目した。邪念に囚われていたのは自分ひとりであったという事実。
「……まあ、今は大したことないよ。ソロモンもあるし」
「ソロモンがあったら、平気なんですか?」
「足に体重かけなくても、いざってときに踏ん張りが利くようになったからね」
「ああ、なるほどー……」
頷きながら、それでも望月の膝を撫でる手を止めない小牧。夢中、というよりも何か考え事をしているような顔だった。遠い目で、いったい何を想っているのか――
「……っくしゅん!」
と、突然小牧がくしゃみをした。
「あ。そろそろ戻った方がいいかもな」
望月は慌てて立ち上がる。寒い中、流石に長居しすぎた。
「あ……」
望月との距離が離れてしまったので、小牧は残念そうな顔をしたが、すぐにその表情を打ち消した。
「……そう、ですね」
「うん。あんまり夜更かししすぎても、よくないしね」
「はい」
「……また、一緒に星でも見よう」
「……はい!」
ぱっ、と顔を明るくして小牧。
家まで送る、というまでのこともない。小牧が寝泊まりする家は目の前で、玄関まで数歩の距離だ。
「それじゃ、おやすみ」
「望月さんも、おやすみなさい」
名残惜しげに手を振って、玄関まで戻った小牧は――顔を赤らめ振り返った。
「あ、あの。望月さん」
「……ん?」
「……つ、月が、きれいですねっ!」
小牧の顔は、月下でもはっきりそれとわかるほど、紅潮している。
望月は一瞬、ぽかんとしたが、すぐに照れ笑いと苦笑いを足して二で割ったような顔になった。
「うん。俺も、綺麗だと思った」
望月が微笑むと、小牧は嬉しそうな顔で、「おやすみなさい」と言い残して家の中に消えていった。
無言で民家を見上げた望月は、はぁ、とひとり溜息をつく。
ガリガリと後頭部をかいて、望月は苦笑した。
「……全く、俺も佐京のことロリコンとか言えねえな」
こつん、と自身を戒めるように頭を叩いて、望月も家に戻る。
何だかんだで、かなり小牧と話し込んでしまった。夜遅くになった、ということもあるが――それだけではない理由で、寝付きは良くなりそうだと望月は思った。
(明日、刀根さんに聞いてみるかな)
個人的に、織尾の町が、そして織尾より東部がどのような状況になっているのかにも興味がある。暴走族がうろついているのは少々危険かもしれないが、ドラゴンやゴブリンの群れに比べればマシだろう、という心の余裕もあった。
明日に備えて、望月は早々に家に帰り、布団に潜り込んだ。色々とやることができたぞ、などと思いながら――
それ以上は余計なことは考えずに、ぐっすりと眠ることができた。
翌日、小牧は風邪を引いた。




