27.草案
会議室は静かな空気で満たされていた。
まず新顔のメンバーは、紙コップに注がれた飲み物――酒寄が神器【みずち】で出した――を飲みながら、薄い小冊子じみたウリエルの仕様書に目を通している。
神器【仮面騎士ハヤテ変身ベルト】の使い手、宮口は現代文の試験でも受けているような生真面目さで何度も読み直していた。しかしその傍ら、鬼塚は一度ぱらぱらと目を通したきりで、神器【アスクレピオス】をいじりながらつまらなそうな顔で頬杖をついている。
不良青年たる志鎌に至っては、机に突っ伏していびきをかいていた。酒寄は早々に資料を読み終えたらしく、今は法律の草案の方を読み込んでいる。青木はテレキネシスの訓練ということで資料を空中に浮かせており、隣の雨水兄妹が興味深げにそれを観察していた。
神器【ブラダマンテ】の器士、盲目の少女常盤は、当然のように印刷された資料は読めないので、隣に腰掛けた刀根が仕様書を音読しているところだ。
望月たちは既にウリエルの概要を把握しているため、一足先に分厚い法律の草案を読んでいる。紙不足で全員分はないため、何組かに分かれての作業だ。が、望月と多賀のコンビは、既に半死半生だった。望月はどうにか頑張って読もうとしているが目が滑っているし、多賀は目が半開きになって夢の世界へ誘われかけている。
佐京と剛田のコンビは、ぱらぱらと比較的速いペースで目を通していきながら、時折低い声で何かを話し合っていた。佐京がページをめくる傍らで、剛田が疑問点などをメモに書き付けていく。おそらく、最も生産的に作業を進めている組。
小牧とマユに至っては、ラッキーとじゃれていた。読もうとはしたが早々にギブアップしたのだった。二人の資料は、代わりに酒寄が真剣な顔で読み込んでいるところだ。ウリエルは相変わらず、置物のように部屋の隅でじっとしている。
「……さて、そろそろいいかな?」
常盤に小冊子の音読を終えたところで、刀根がホワイトボードの前に戻り問いかける。
「まだざっとしか読み終えてませんが……」
「一応、粗方目は通した」
「わたくしも、読み終わりました。特に疑問点などはございません」
佐京組と酒寄がぱたんと草案の資料を閉じて答えた。他の面子は、「やっと読書タイムも終わりか」とホッとしたような顔をしている。
「ガァ~……グゴッ……」
ただ一人、大いびきをかく志鎌を除いて。
苦笑する刀根と、爆睡する志鎌の間で視線を彷徨わせた酒寄が、捉えどころのないアルカイックスマイルを浮かべて隣席の志鎌を揺り起こす。
「んが……ん、ああ?」
寝ぼけ眼で顔を上げる志鎌。その目の前の空になった紙コップに、酒寄が湯気を立てる黒い液体を注ぐ。ほわりと漂う濃いコーヒーの香り。
「お代わり、注いでおきますね。熱いのでお気をつけくださいませ」
「ん? ……おう、ありがとよ」
紙コップを手に取り、ズズ、とコーヒーをすする志鎌。そこでようやく皆が自分に注目していることに気付いたらしく、「ん、オレ何してたんだっけ?」などとトボケたことを呟いている。
「えーと、すいません刀根さん。剛田さんと話し合ってたんですが、いくつかの罰則について質問が」
「答えよう。ああ、少し待ってくれ、その前に。まだ法の草案に目を通してない人もいると思うが、先に読んでおきたい人は?」
佐京の手元の分厚い資料を示して刀根。新顔の面子は、ぶんぶんと勢い良く首を横に振った。
「いいのかね? まあ、無難な内容にはまとめてはあるが……さて佐京くん、それで?」
「はい、一部の罪に対する量刑なんですが……」
剛田メモを見ながら、佐京が質問していく。いくつかのケースにおいて、犯罪に対する刑罰が軽すぎるのではないか、という趣旨だったが、過失や甚だしい悪意を持たない場合を想定して、情状酌量の余地を残してある、という刀根の回答に納得する。
「なるほど、そういうことでしたか。凶悪犯罪の割に罰が鞭打ちだけで『あれ?』って感じだったんですよ。炎の鞭で打たれたらそりゃ痛いでしょうし、人的資源の観点からも軽々しく死刑にしない方がいい、とは思いましたけど」
「そうだね、その通りだよ。ただ、よく見て欲しいんだが、一部の犯罪に対しては敢えて鞭打ちの回数の上限を定めていない。あまりに凶悪すぎる場合は鞭で嬲り殺される羽目になる」
「……わお。本当だ、気付きませんでした。罰を受けて心から反省したように見せかけたところで、ウリエルさんの拒否反応『誠実』で本心を暴かれる、と……」
「なかなか、えげつないな。いや、善良な市民からすれば悪くない法だが」
佐京と剛田は引きつった笑みを浮かべる。確かに、手元の草案を見る限り、一部犯罪に対しては反省が見られない場合は鞭打ちの回数が加算されると書いており、そしてどこにも上限に関しての言及がなかった。
「……鞭打ちって、相当痛いはず」
ぼそりと、陰鬱な顔で雨水冴が呟く。
「ネットで、未だに鞭打ちを採用してる国の執行を観たけど。数発で皮が破れて、その下の肉を直接打たれることになる。大の大人でも泣き叫んで、たった数回で音を上げるみたいよ。その上、『天使』の鞭は燃え盛る炎なんでしょ。生傷を火で焼かれたら、心配しなくても心から『反省』すると思う――」
ニタリと、雨水冴は皮肉な笑みを浮かべた。
「――少なくとも、その場では、ね」
「……再犯に関しては、ベースの鞭打ちにさらに回数が加算されることになる」
反省が持続するとは限らない、と言外に指摘する雨水冴に、肩をすくめる刀根。
「痛みを身をもって経験した人物に対しては、ある程度の抑止力になると期待したいところだね。今後、どんどん人が増えていくと何が起きるかわからないとはいえ……一応『そういう法がある』とわかっただけでも、抑止力としては機能すると思いたい」
「『抑止力』だァ?」
それを、鼻で笑い飛ばしたのは志鎌だ。
「本気でそう思ってンなら、オメーはとんだマヌケだぜ」
「……というと?」
刀根が曖昧な笑みを浮かべて訊き返す。笑ってはいるが、アレはムッとしている顔だな、と望月は思った。
「ンな辞書みたいな法律作ったところでよォ、誰も読まねえよ! この『資料』もそうだが、もうちっとわかりやすく書けってんだ!」
バンバンと手元のウリエルの仕様書を叩きながら、がなりたてる志鎌。刀根は目を丸くして、意表を突かれたような顔をした。
「……一理あるね」
「少なくとも、単純な犯罪とそれに対する刑罰のリストみたいなのを作らないと、抑止力としては機能しないでしょう。これ全部読むの結構キツいですよ」
頷いて、佐京。残念ながら、志鎌の言っていることはある意味で正論だった。そもそも認知されなければ、抑止力として機能しようがない。
「まあ、現行犯で何かやらかしたら、ウリエルさんが瞬間移動してくるんで、それそのものが結構な抑止力になるとは思いますが……」
佐京の言葉に、望月は思わず部屋の隅のウリエルを見やった。まだコミュニティが成立していないのでお披露目はされていないが、あの銀色の甲冑が目の前に瞬間移動してきたら、確かにビビるだろうな、とは思う。
「……そうだね。簡単なリスト化は、考えておくよ。ありがとう志鎌くん」
「おう、できたら読んでやるよ、わかりにくかったらやり直しな」
ふん、と至極偉そうに笑う志鎌に、刀根は思わず苦笑していた。
「あと、ちょっと法律そのものからは脱線するんですが、質問が」
そこで、さらに佐京が挙手。
「なんだね?」
「この、『敵』に関する対外法に関してなんですが。単体で強力と思われる敵生命体が法制領域内に踏み込んできた際、ウリエルさんが出動して首を刎ね飛ばすってヤツですね」
眼鏡をクイッとかけ直して、佐京は真剣な眼差しで刀根を見やる。
「法律そのものには、全く異存はないんですけど。『飛竜』『大海蛇』『真竜』『魔人』その他諸々……なんというか『敵』に詳しすぎません?」
そう、刀根の法案に書かれた『強力と目される敵』は非常に種類が多く、そしてそのどれもが佐京や剛田の『知識』には見当たらないものだったのだ。
「あるいは、高位の器械に付随する『知識』と、低位の器械のそれじゃ内容に差があるのかな、とも考えたんですが。刀根さんは、前々から竜の存在についてはご存知でしたよね」
思い出すのは、佐京が初めて刀根と出会ったときのことだ。マユの家の前で色々と話し込んだ際、刀根は既に『竜』の存在に言及しており、敵に関しての詳細な知識を持っていることを匂わせていた。
あの場では、次の器士――望月――に接触したいということで時間がないことを理由にはぐらかされ、その後も実際に飛竜と戦う羽目になったのですっかり忘れていたが、こうして草案を読んで不意に思い出したのだ。
「ぼ、ボクのも、位階Ⅶですけど……」
おどおどと、宮口がベルトを触りながら口を開く。
「その……ドラゴン、とか、そういう知識はありません。ゴブリンとか、トロールみたいな『鬼種』どまりです」
「同じく。ってかさっき写メ見るまで竜がいるとか知らなかったし」
位階Ⅶの神器【アスクレピオス】の使い手、鬼塚も同調する。
「…………」
全員の視線を一身に集め、刀根は曖昧な笑みを浮かべた。
「ふむ。まあ実を言うと、私の『知識』は特別でね」
刀根がおもむろに右手を掲げると――黒い、影のようなものが収束し、一瞬で四角い形状を取った。
それは、一冊の分厚い、黒い装丁の本。
あまりにも突然な、そして不自然な現象に、部屋の面々は呆気に取られる。
「え……器械、ですか? それ」
「いや、違う。似たようなものかもしれないけどね。説明が遅くなってすまない」
悪戯っ子のような、と形容するには、少々渋い笑顔で刀根は首を振った。
「私の神器【エリヤ】――この片眼鏡だが、元々これは曽祖父の遺品でね。私は、右目だけ極端な弱視で、普段は片方のレンズだけを度入りにした眼鏡で生活してたんだが……家では片眼鏡をつけて本を読むのが趣味だった」
子供時代の、片眼鏡というものに対する憧れの残滓さ、と刀根は肩をすくめる。
「――そして今回の『転移』が起きた際、私は既にこの片眼鏡をつけていた」
一度意識を失って――気がついたときには、『器士』となっていた。
「どうやら私は、この福岡県内で一番最初に器械を獲得した人間らしい。まあ転移の瞬間に身に着けてたんだから、当然といえば当然だね。そしてこの本は、それに対する『特典』なんだそうだ」
「……特典?」
「そう。この『状況』を作り出した何者かが、私に授けたものだよ」
「待ってください、ってことは『主催者』と接触したんですか!?」
思わず、立ち上がって食いつく佐京。
しかし、刀根は首を横に振った。
「いや。通常の『知識』と同様に、気がつけば私はこの本を『召喚』できるようになっていた……ただ、内容が不完全なんだ」
刀根は本を広げて、皆の方に向けてぱらぱらとめくってみせる。ページの大半は空白のページで何も書かれておらず、後半の一部のページにのみ、見たことのないような文字や、古風な筆致のイラストなどが描かれていた。
「誰か、内容は読めるかね?」
「いや……」
「全く。見覚えのない文字ですね」
「やはりか。どうやらこれを『読める』というのも私の特権らしいんだ。そして、何かが書いてあるこのページは……数えてみたところ、この本全体の四分の一程度に留まる。私は『このエリアで』最も早く器械を獲得した人間。そして……福岡以外に、あと三つエリアがあるはず、と考えれば……」
「……他のエリアにも三人、似たような本を持つ人がいるはず、と」
佐京の言葉に、刀根は頷いた。
「おそらくね。そしてこの本には、『敵』の生態と、『門』の向こう側の世界についてが書かれている。ざっと言えば、敵の構築する社会形態であったり、詳しい種類であったり、文化や戦いの傾向であったり……」
「えっ、それすごくね?」
「普通にすごいだろ」
「かなり有利になるな」
敵と戦う前に、事前に生態や戦法がわかる、ということだ。
「もっと早く教えてもらえれば、よかったのだがな」
「いや、すまない。すっかり機会を逸してしまってね」
控えめな剛田の抗議に、あまり悪びれる風もなく肩をすくめる刀根。
「代わりと言っちゃあ何だが、一応私が読み取った範囲での、日本語訳は用意しておいた」
刀根は足元の鞄から、これまた分厚い紙の資料を取り出す。
「良かったら、皆も読んでくれ」
「あとで読ましてくれ」
「おれもだ」
「僕も僕も」
志鎌などはうんざりした顔つきだったが、望月を始めとして、直接戦闘に関わる佐京や多賀は俄然やる気だった。
よしよし、と満足げに頷いた刀根は、「もう質問はないかな?」と話を続ける。
「すみません。今ひとつ、質問を思いつきました」
そこで、ぱらぱらと草案をめくっていた酒寄が手を挙げた。
「何かな?」
「コミュニティ内で、法を施行する際の質問です。草案には『統括委員会における合議での可決・承認を経て施行される』とありますが、この場合の『統括委員会』の正確な定義を見つけられませんでした。わたくしたちを示すことはわかりますけれども」
「良い質問だね。一応、私としては、今後も我々による合議制で通していきたいと思う。はっきり言って、今後人を集めることになっても、無闇やたらにメンバーを増やすつもりはない」
いちいち皆の意見を取り入れてたらキリがないからね、と肩をすくめる。
「というわけで、その辺はまだ具体的には定めていない。とりあえずコミュニティを結成してから、おいおい考えていきたいね」
「わかりました。そこまでお考えになられているならば、異存はございません」
単純に、刀根が『抜けて』いるかどうかの確認だったのだろう。酒寄は素直に引き下がった。
「さて、じゃあもう質問はないかな? ないなら、我々でコミュニティを結成してウリエルに法案を承認してもらいたいのだが……」
刀根が皆を見回すも、反対意見は上がらない。
「……よし。じゃあ、ウリエル」
「うむ」
部屋の隅から歩いてきたウリエルが、その手に光り輝く蒼い炎の旗――天眼旗を顕現させる。
「共同体の結成であるな」
「ああ、ようやくだよ」
「心得た。では、結成を承認する故――」
ウリエルが鉄仮面の下、蒼く発光する双眸で刀根を見やる。
「――共同体の名を定めよ」




