25.超常
「おお~……」
ふわふわと宙に浮かぶ長机やパイプ椅子に、望月たちは感嘆の声を上げた。
上げたが――それほど熱は篭っていない。確かに凄くはあるが、仮面騎士ハヤテ変身ベルトに比べると些かインパクトに欠ける。最初はドヤ顔をしていた青木も、思ったより望月たちの反応が薄かったので少しがっかりした様子だった。青木の肩の力が抜けると同時に、瞳から蒼い光が消え、浮かんでいた机や椅子が糸の切れたマリオネットのようにガシャンガシャンと床に落ちる。
「すごいねー!」
「へ~。面白いんじゃない?」
一方、変身ベルトでそれほど盛り上がっていなかった女子組は『わかりやすい』青木の器械に好反応だ。ぱちぱちと拍手するマユ、頬杖を突いたまま面白がる鬼塚、酒寄は日本人形のような捉えどころのない笑みを浮かべている。「おっ、そうですか?」と少しだけ気を持ち直す青木。存外、単純な奴のようだ。
「超能力って、つまり念動力のこと?」
眼鏡をクイッとかけ直しながら、佐京が尋ねる。
「そう……ですね! 正直、よくわからないんですけど。少なくともテレキネシスが使えるようになるのは確かです!」
「あのっ! 空を飛んだりとかは、できるんですか?」
軽く手を挙げて訊いたのは、小牧だ。
「うーん。似たようなことは、できます!」
ふわりと、青木が床から浮き上がる。髪と服をゆらゆらと揺らしながら、空中で静止する青木。これには流石に男子組も「おお」とどよめいた。
「すげえ!」
「飛んでる……!」
「フフフ……」
これだよこの反応が欲しかったんだよ、と青木も得意げだ。
「空が飛べるのは大きいな。門を探すのに大きな一助となるのは間違いない」
これまで黙って話を聞いていた剛田が、唸るように言う。しかし、感心しきりの剛田に、青木はむしろばつの悪そうな顔をした。
「すいません、これ飛んでるわけじゃないんですよ……天井と床を『掴んでる』んです」
スタッ、と着地して肩をすくめる。
「掴む……とは?」
「実はこれ、自分から透明な腕を伸ばす感じで念力を使ってるんですよ。でも作用反作用みたいなのがあって、自分より重いものを持とうとしたら自分が動いちゃうんです。自分を直接『掴んで』空中に浮かび上がるのは、ムリでした」
青木曰く、今しがた宙に浮かんで見せたのは、一本の『腕』で天井を掴み、もう二本を床に伸ばして体を支えていたらしい。先ほど机や椅子を浮かばせたときも、床に何本か『腕』を伸ばして、反作用を受けても体が動かないよう固定していたらしい。
「なので……『飛ぶ』っていうより、建物とか地面とかを支点に『浮かび上がる』くらいしかできないです。はい」
「反作用があるなら、勢い良く空気を動かしたら自分が動けるんじゃないか?」
ジェットか、あるいはプロペラのイメージか。指をくるくると回しながら、壁に寄りかかって話を聞いていた刀根が指摘する。
「それも試してみました! ……けど、やっぱり空気を動かすのは、捉えどころがなくて難しいっていうか。もうちょっと慣れたらイケるかもしれませんけど……」
「そうか。……『具体的にイメージできなくて難しい』という話なら、プロペラや翼を背負ったらできるかもしれないね」
「あー、そうですね。ちょっとおっかないですけど……」
具体的に空を飛ぶ方策を提示する刀根に、引き気味の青木。
「でも、反作用って不思議な話ですよね。何処に力がかかってるんでしょう?」
青木の指輪に視線を注ぎながら、佐京が呟く。
「……わかりません。体から『腕』を生やしてるイメージで、その付け根あたりかな……って気もするんですが、外で車を持ち上げようとしたとき、頭の中の圧力が異常に上がるっていうか、なんか色々と『出そう』っていうか……ちょっとヤバイ雰囲気がしました」
よくある設定なら脳に負荷がかかってるって話ですけど――と青木は不安そうに語る。
「無茶しすぎたら……頭がパーンッ……」
「ちょっと、やめてくださいよ先輩!」
ぼそりと多賀が口に出した不穏な言葉に、震え上がる青木。実感があるだけに、本人としては笑い事ではないのだろう。
「それにしてもそれ、便利だよね。空飛べなくても障害物とか乗り越えるのが徒歩より断然楽だろうし……」
佐京は羨望の眼差しを注ぐ。
モンスターとの戦いを経て気付いたことだが、平地でブリューナクを使い前衛を援護するのは、存外難しい。望月や多賀と同一平面上にいると、レーザーが直線である以上、どうしても巻き込んでしまいそうになるのだ。
その点、電柱や民家の屋根によじ登ることができれば敵を目視しやすくなる上、誤射の危険性が格段に減る。戦闘時は高所に運んでもらえるよう彼に頼むのもアリだな、と佐京は思った。
「それにしても、その『腕』って、実際どれくらい伸ばせるの?」
「五メートルくらいですかね。指輪そのものの効果範囲みたいです」
青木がつっと指を動かすと、佐京の眼鏡が顔からふわりと浮かび上がった。
「うわー僕の眼鏡がっ!」
面白がって立ち上がる佐京だったが、眼鏡を掴み取ってふと真顔に戻る。
「……これさ、……五メートル以内なら、器械を奪い取れるってことなのかな」
望月や多賀のような身体強化型の近接戦闘器械は難しいかも知れないが、佐京のブリューナクや刀根のエリヤのような、身体能力に補正の入らない器械であれば容易く奪い取れそうだ。
全員の視線が青木に集中する。
「いや、残念ながらそれはできません!」
ところが青木は、おどけるようにお手上げのポーズを取った。
「このテレキネシス。器械には直接干渉できないみたいなんですよね!」
実は何度か試したんですが、と青木は悪びれる風もなく笑う。
「直接は干渉できない……か」
目を細める佐京。拒否反応に同じことが言えるが――つまり、『直接』でなければいいわけだ。
「布とかロープとかを操れば、器械を包んで動かしたり、絡め取ったりできるんじゃない?」
机の上に、ブリューナクとハンカチを置いて佐京。笑顔を浮かべていた青木は、一瞬、動きを止めた。
「…………」
青木が指をくるりと動かすと、佐京の手元のハンカチがブリューナクを包み、音もなく空中に浮かび上がった。
「……うん。これなら、できますね!」
素直に喜んでいいものか計りかねた青木が、複雑な表情で頷く。ほう……と静かに感心し、今一度青木に視線を集中させる部屋の面々。
「……いやいや。盗りませんよ? 盗ったってバレるし、場所わかるでしょ?」
青木がおどけてお手上げのポーズを取る。器士なら、自分の器械の位置はわかるはず。だから盗んでも意味はない――と言外に言っていた。
「盗まなくても殺しゃ簡単に奪えるじゃねーか」
椅子にだらしなく腰掛けた志鎌が、煙草を咥えたままぼそりと低い声で呟いた。皆の視線が、今度は青木から志鎌へと移る。しん、とした沈黙の中で、室内の空気が数度下がったような感覚。
「……勘違いすんなよ。オレは別にンなこと考えてねーぞ」
うち数人がその目に物騒な光を宿したのに気付き、志鎌は鼻で笑う。
「流石に今みたいなときに、人間同士で殺し合ってる場合じゃねーってことはオレでもわかる。ただそれがわかんねーバカもいるだろうし、器械を持ってないヤツは羨ましがって何やらかすかわかんないぜ」
不穏な言葉を紡ぐ割に、その表情はいくらか楽しげだ。あるいはこのような混沌とした状況を楽しんでいるのかも知れない。
「それに、お前。青木だっけ? 器械を狙うとか、ンなまどろっこしいことしなくても、超能力で直接ぶん殴れば大抵の相手はイチコロだろ」
「えっ」
突然志鎌に物騒な話を振られ、意表を突かれる青木。
「……どうでしょうね。そんなに威力は出ないかも」
「ふーん。なら包丁とか振り回すだけでも普通に強そうだよな。あ、目潰しとかもイケるんじゃね?」
「ま、まあ、そうですね……」
気まずげに頬をかく青木、「あまり物騒な話はして欲しくないなぁ」とその顔に書いてあるかのようだった。
実際のところ、本人曰くリーチが五メートルで、人間の弱点に不可視の一撃を叩き込める【ソロモン】は、非常に強力な器械と言えるだろう。地形をものともしない機動力があることも鑑みれば、総合的な戦闘力は望月よりも上かも知れない。
「テレキネシスに関してはわかったけど、」
椅子の上、足を組みなおして望月は尋ねる。
「他には、どんなことができるんだ?」
至極、真面目な表情だ。『新顔』の能力を見極めようとするかのような、厳しい眼差し。横から見ていた佐京が、思わず苦笑する。
「望月くん、バイトの面接みたいになってるよ」
「……たしかに。なんか偉そうだったな、ごめんな」
「ああ、いえいえ! ……しかし、他に、ですか。正直よくわかんないんですよ」
うーむ、と大袈裟に考え込む青木は、話題転換を歓迎しているようだ。
「テレポートとかテレパシーとかも試してみたんですけど……上手くいかないっていうか、そもそもできるか謎です」
むむ、と望月に向かって手をかざし何かを念じる青木。ふわりと髪が逆立ち、瞳に蒼い光が宿る――
「――ん」
唐突に、望月の頭に、『0719』という数字が去来した。
「……0719?」
「ああっ!? 伝わりました!? あれっ、ていうか目光ってません?!」
「え?」
青木に言われ、目の辺りに手をやる望月。多賀が身を乗り出して確認する。
「あ、ほんとだ。望月センサー反応してるぞ」
「マジか。ってかそのネーミングやめろよ、俺がびっくり人間みたいじゃねえか」
ぼやきながら腕時計の硝子に反射させてみると、確かに両眼が薄く金色に光っているようだった。しかし周囲に敵の気配はない。青木の『何か』に反応したのか。
「うおおっ、やった! 7月19日ってぼくの誕生日なんですよ! テレパシーも使えるようになった!」
訝る望月をよそに小躍りして喜んだ青木は、続いて佐京に向かって手を掲げる。
「…………」
しばし見詰め合う二人。だが、やがて佐京が戸惑ったように首を傾げた。
「……特に何も感じないんだけど」
「あれ? おかしいな……」
今度は多賀に向けて手をかざすが、多賀も小さく肩をすくめる。
「あれ~……?」
最後に青木が望月に向き直ると、再び望月の脳内にイメージが去来した。今度は何故か、ダブルバイセップスのポーズを取る筋肉ムキムキのゴリラが思い浮かぶ。
「ムキムキのゴリラ?」
「そうです! その通りです! ……なんで望月先輩にだけ通じるんでしょうね? 先輩だけ目が光るし……」
「目が光るのは、鬼切丸のせいだよ」
不思議がる青木に、望月はぽんぽんと腰の鞘を叩いてみせた。しかしこれまで、望月の目が光ったのは周囲に『鬼種』の敵が居たときのみだ。仮に鬼切丸の権能が青木のテレパシーに反応しているのだとすれば、心当たりはひとつしかない。
「鬼切丸に、『・霊感を研ぎ澄ます』って効果があるんだが。それのせいか?」
「『・霊感を研ぎ澄ます』ですか! それ、ぼくもです! 神器【ソロモン】にも同じ権能があります!」
「マジか」
俄かに興奮する青木、望月も少々驚いたが、冷静に考えればそれほど珍しいことでもない。望月の鬼切丸と多賀のスルトも、『・身体を強化する』という権能は共通している。他にも同じ権能を持つ器械があっても何らおかしくはないだろう。
「っていうか、具体的にどういう効果があるんだ? その指輪。流石に霊感を研ぎ澄まして終わりじゃないだろ?」
「『・霊感を研ぎ澄ます』と『・思念を力に変換する』の二つです。思念を力に、のくだりは多分そのまんまかと」
「思いを力にってヤツか……」
「後半覚醒して強くなるタイプだ」
「そんなキャラじゃありませんよ……」
茶々を入れるような佐京と多賀に苦笑いする青木。
「それにしても、テレパシーは『受信側』にも『・霊感を研ぎ澄ます』とかその辺の権能がないと通じないってことなんですかね?」
「それは大いにありうる」
ホワイトボードに寄りかかり、うむ、と刀根が頷く。
「うーん。他に同じ権能の器械を持ってる人がいれば、確定できるんですが……」
「ふむ……」
残念がる青木に、刀根は意味深な笑みを浮かべた。
「案外、すぐに何とかなるかもしれないよ、それは」
「? どういうことです?」
「それは後でのお楽しみ、さ」
刀根が含み笑いとともに見やったのは、長机の一番端に座る目を瞑った少女だ。視線を感じたのか、少女は気配を探るように首を巡らせている。常に瞳を閉じたままであるところを見るに、やはり目が見えないのだろう。
「まあ、そういうわけで。次の人、かな」
刀根が次を促す。自己紹介を終えていないのは、残り三人。
一番端の席に腰掛ける、目を瞑ったまま細長い杖を握った少女。
その隣で頭を抱えて机に突っ伏す少年。座った姿からしてかなり小柄で、モヤシのような細身の体格。吹けば飛びそうだ。
そしてぼさぼさの黒髪を長く伸ばした、呪いのビデオから飛び出してきたような陰鬱な見かけの幼い少女。黒い布を巻きつけた、何か細長いものを抱えている。
「……あたしは、雨水冴」
青木の次に、ぼさぼさの黒髪の少女が、無愛想な声で名乗った。
病的なまでに色白で、線の細い少女だ。手入れを怠ったぼさぼさの長い黒髪が、身だしなみへの頓着なさを如実に物語っている。服装も、ジャージの上に機能性重視のフリースの上着を羽織っているだけで、洒落っ気は欠片もない。顔立ちは決して悪くないのだが表情に乏しく、うっすらと陰鬱な雰囲気を漂わせていた。切れ長の瞳はどこか爬虫類を連想させる。
「それで、これがあたしの器械」
少女――雨水冴は、抱きかかえていた細長い物体、それを包み隠していた黒い布をしゅるりと解いた。
中から姿を現したのは、銀色の滑らかな刀身を持つ、細身の剣。美しく、ぞっとするような鋭さを秘めた一振りだ。柄の部分には蛇を象った装飾が施されている。
「魔剣【ナズ】、位階Ⅳ。権能は『・身体を大幅に強化する』」
ほう、と感嘆の声を上げたのは望月と多賀だ。
「『大幅に』か」
「やるな……」
鬼切丸とスルトにも身体を強化する権能があるが、『大幅に』という言葉はついていない。手足は細く、見るからに不健康な雨水だったが、器士となった今、その身体能力は侮りがたいものがあるだろう。
「…………」
「……えっと、それで?」
「それだけ」
先を促す多賀に、素っ気無く返す雨水。「あ、そう……」と多賀は二の句が継げない。
「……ってか、雨水さんはどこ出身なの? まだ中学生くらいだよね?」
何となく変な空気になりそうだったので、佐京が愛想よく笑いかけるが、雨水は不機嫌そうに顔をしかめた。
「学校は行ってない。あんな下らない場所」
「あ、そう……」
吐き捨てるような雨水の言葉に、佐京も曖昧な笑顔で頷く。色白で身だしなみに無頓着、日常生活にさえ支障をきたしそうな長い髪、そして不登校。典型的な引き篭もりパターンだった。
今度こそ、その場に如何ともしがたい気まずい空気が流れる。
「それと、ナズの拒否反応は『神経毒』。触ったら死ぬから」
どうしたものか、と皆が顔を見合わせたところで、雨水がぼそりと付け足した。
「神経毒……そいつは穏やかじゃないな」
「なるほど、拒否反応で攻撃力を高めるタイプか」
鬼切丸やスルトに比べるとナズは権能が地味に思えたのだが、そのような拒否反応があるのなら納得だ。望月と多賀も頷く。
「『触ったら死ぬ』って、そんなに強力なの?」
「そのくらいのサイズの犬なら、一ミリ掠っただけで泡吹いて死んだ」
佐京の問いかけに、マユの足元のラッキーを顎で示して雨水。その回答に、引っかかるものを感じた佐京は、笑顔を維持したまま首を傾げる。
「……まるで見てきたように言うけれど」
「実験したの」
ニィッと、冷たい、それでいて恍惚とするような暗い笑みを浮かべる雨水。佐京はゾッと鳥肌立つのを感じた。話を聞いていたマユが表情を険しくして、ラッキーを庇うように抱きかかえる。
「ああ、……そうなんだ」
眼鏡を外して、ぺし、と手で顔を覆う佐京。自分の発言に恐れをなしたのか、と雨水はどこか得意げな雰囲気すら漂わせていたが、佐京が雨水の目から覆い隠したのは、苦笑だった。
(あちゃー……)
わかる。残念ながらよくわかる。この独特な雰囲気は、完全にアレだ。グロ画像を集めたり残酷な振る舞いをすることが『カッコイイ』と感じてしまっているパターンだ。佐京にもそういう時代があったので、痛いほどよくわかる。本当に痛いほど。
(しかしそんな女の子に、この状況とこの器械の組み合わせはマズいな……)
たとえ真性でなくとも、状況が人を変えてしまうこともある。仮にモラルのタガが外れかけているのならば、この雨水という少女は要注意人物だ。問題児な雰囲気を漂わせている志鎌よりも、よほど危険かも知れない。
「あまり、あたしには近づかない方がいい。魔剣【ナズ】もそうだけど……、今のあたしは、危険な存在……」
フ……と表情を翳らせて、シリアスな雰囲気を醸し出す雨水。
不意打ちだった。ここにきて佐京の自制心が試される。全力で笑いを噛み殺し、ひょっとこのような顔になる佐京。何とも言えない表情で顔を見合わせる望月と多賀、素直に「ええっ……!」と圧倒される小牧、警戒しっ放しのマユ、ある種の微笑ましさを見出す刀根に、しかめ面の剛田。他の面子は、それぞれ呆れていたり、生暖かい眼差しを向けていたりと、反応は様々だった。ウリエルはひとり、窓の外のスズメを見ていた。
「ええと……ありがとう。それでは、次の人」
刀根が、雨水の隣で、机に突っ伏す少年に目を向ける。
「…………」
少年は、自己紹介の番になったことには気付いていないらしく、頭を抱えたままだ。「うっ……うっ……」と微かに声を漏らしながら、震えているようにも見える。
「おい真人間」
ドスッ、と隣の雨水冴が少年の脇腹に拳を叩き込んだ。
「おぐふっ」
脇腹を押さえて少年が跳ね上がる。その体もモヤシのような細さだが、ハの字の眉毛をした、面長の何とも気弱そうな顔つきだった。しばらく脇腹を殴られた痛みに悶え苦しみ、そのままプルプルと震えていたが、やがて顔をくしゃくしゃに歪めたかと思うと、グスグスと涙をこぼし始める。
「もう……もう、イヤだよォ……!」
「泣くな。キモい。死ねゴミクズ」
呆気に取られる周囲をよそに泣き濡れる少年、まさしくゴミクズを見るような冷たい目で罵声を浴びせる雨水。
「母さんたちは消えちゃうし……変な人たちばっかだし……ワケわかんない道具はあるし、冴もおかしくなっちゃうし、もう何がどうなってるんだよォ……! ううっ……うううぅ、うえええん……」
「マジでキモい。やめろ。死ね」
鼻水を垂らし、おいおいと泣き喚く少年に、雨水が椅子を引いて距離を取る。
「その……どういう状況だろうか」
流石の刀根も困惑の表情で、雨水に説明を求めるような視線を向けた。はぁ、と小さく溜息をつく雨水。訝る周囲の面々に、小さく肩をすくめて見せる。
「……残念ながら、本当に残念ながら、コイツは兄の真。雨水真って名前。高校二年生だけどいい歳こいてこの有様」
心底残念そうな、この少年と血が繋がっていることがおぞましい、とでも言わんばかりの陰鬱な表情で、少女――雨水冴は今一度溜息をついた。
「……キミのお兄さんは、何故そんなことに?」
「一応、状況は説明したけど。兄の脆弱な精神じゃ現実を受け止めきれなかった」
「だからッなんだよッ、その『現実』ってッ!!」
うんざりしたような妹の解説に、突然、雨水真がキレた。
「原因もわかんないのに、いきなり大人が消えて、器械だって、モンスターだって!? 何が『門』だよッ、異世界だよッ! そんなの信じられるかッ! 冴だって、剣を拾ってからなんか急におかしくなっちゃうし……!! この剣が、この剣がいけないんだ! こんなもの! こんなものォ~!!」
「あ~ッ!! だから触ったら死ぬって言ってんでしょうがッ! やめろ! 死にたいのか! このクソ真人間がァッ!」
妹から剣を取り上げようと飛び掛る兄。厳重に黒い布を巻きつけた魔剣【ナズ】を遠ざけながら、げしげしと靴を脱いだ右足で兄の顔を蹴りつける妹。「なんだ、いい兄妹じゃん」と佐京が小さく呟いたが、幸いなことに雨水は気付かなかったようだ。
その後もしばらく、雨水真は駄々をこねるように暴れていたが、キレた雨水冴が腹に痛烈なパンチを叩き込み、シクシクと泣きながら床にうずくまって大人しくなった。
「ええと……それでは、その、最後だ」
気まずいような、生暖かいような、妙な空気を押し流すように、無理やり明るい笑みを浮かべた刀根が最後の少女を示す。
「ああ、わたしの番ですか?」
「お待たせしたね。……彼女が、十二人目の器士だ」
皆を見回す刀根の顔は、非常に晴れやかなものだった。
「そして――彼女は、我々の中で、最も強力な器械を持っている」
刀根は断言した。全員の視線が、少女に集中する。
「見られてますか? なんだか恥ずかしいですね」
視線を感じたのか、少し照れた風の少女は、目を閉じたまま一礼する。
「初めまして。常盤沙希といいます、高校三年生です。見たらわかるかもしれませんが、目が見えません。皆さんにもちょっとご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
それで、と言葉を続けた常盤は、おもむろに首にかけていた銀色のチェーンを引っ張り出した。胸元から、チェーンに通されたロザリオが姿を現す。
銀色の十字架だ。手の平に収まるほどの大きさ。
窓から差し込む陽光に、きらりと光を放つ。
非常にシンプルな造形だが、空気が渦を巻くような、吸い寄せられるような気品がある。神々しさが、部屋の空気に浸透していくかのような、そんな気品が。
「わたしの、器械です。位階Ⅶ、神器【ブラダマンテ】。権能は――」
そっと、常盤の指がロザリオを撫でる。
「他の器械を元にして、複製器械を作成する力を持っています」




