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修羅の国戦記  作者: 甘木智彬
【AggressiveWorld-黎明の器士-】
22/38

22.転機

残虐非道な描写があります。ご注意ください。

=福岡県東部=乙幡(おとば)市=住宅街=


 とある民家に、一人の少年がいた。


 仮に、少年の名をTとする。


 少年Tにとって、その日はまさしく『転機』であった。


 家族が消えた。大人が消えた。周囲の住人が丸ごと消えた。

 夜遅くまで、自室のパソコンでネットとSNSを徘徊していた彼は、その異変にいち早く気付いた。

 仲のいいネットの同志の証言、そして自身の家を見回ったことで確信を深める。ロクでもない母親も、愚鈍な父も、口やかましい淫売の姉も、(ことごと)く消え失せていたのだ。


 ――ああ、これは、『試練』の時が来たのだ、と。


 少年Tは、根拠もなくそう信じた。彼は、普通の中学生だ。小学校のときに親の都合で他県から引っ越してきて、しかし風土と気性の差に馴染めず、中学に上がっても現実(リアル)には友達がいないまま、それでいていじめを受けるでもなく、ネットの同志との交流だけを楽しみに日々を漫然と過ごす。そんな中学生。


 彼は、自身を取り巻く環境全てに不満を抱いていた。


 いや、不満というより、彼にとっては義憤に近いものだった。この世界のくだらなさ。低俗で自分に理解のない家族。学校という制度の馬鹿馬鹿しさ。そしてそれを強いる社会への失望、嘆き。『クラスメイト』という括りで共同生活を強制される少年少女に至っては、風になびく照る照る坊主、あるいは案山子(かかし)の群れぐらいにしか思えなかった。


 彼は、自身の生に疑問を覚えていた。何のために生まれてきたのか。何のために生きていくのか。


 実際には、彼の生活はひどく穏やかで、何一つ不自由のないものだ。しかし彼は鬱屈していた。代わり映えのしない日常の中で、川底を転がった石が角を削られ、やがて無個性な丸石として量産されるように、自身が磨耗し、変質していくことをわけもなく畏れた。


 ――だから、彼は神を奉じた。


 彼の、彼のためだけの神であり、悪魔でもあった。


『ソレ』に名前はない。ただ彼に、革新の可能性を、希望の光を投げかける存在(モノ)。その信仰だけを頼りに、暗愚に満ちた世界を歩んでいた。彼は、孤独だった。


 そんな彼を慰め得たのは、ネットで知り合った同志の者たちだけだった。社会への、世界への、他者への疑問と怒りをぶつけ合い、分かち合う。そんな気の置けない仲間たち。


 そしてその日も、ネットの海で語らっていたところで、『異変』が起きた。


 まさに――神が『世界』という退屈な水面に、一石を投じたかのように。


 変化は劇的であった。奇跡としか呼びようのないほどに。世界に腐るほど満ち溢れていた暗愚どもが一掃された。SNSの流れも止まり、現実(リアル)虚構(ネット)の両世界に静寂がもたらされた。『選ばれた』ごく一部の人間しか、そこにはいなかったのだ。


 だが、ネットを通じた同志との歓喜の時は、そう長くは続かなかった。突然の停電、必然的な繋がり(ネット)の消失。暗闇の中に、少年は一人残された。


 そんなとき、彼が真っ先に頼ったのは、来たるべき終末(アポカリプス)に備え、押入れに備蓄していた物資だった。


 アイスピックや包丁といった日用品的な武器から、クロスボウとその矢弾(ボルト)、多種多様なナイフといった殺傷力の高いものまで。


 その中から少年が選び取ったのは、とある職人にネット経由でオーダーし、大枚をはたいて特注した一本のナイフだ。


 刃渡りは三十センチを超え、堅牢さと優美なデザインを両立した逸品。


 この世に一振りしか存在しない、彼にとっての聖剣であり、魔剣。


 そして――このナイフを手に取った瞬間、彼の運命は決定付けられた。


 いつか暗愚どもの血を捧ぐと決めていたこのナイフが、器械と化していたのだ。


 魔刃(まじん)【ゼラ】。位階Ⅵ、拒否反応『激痛』。


『・身体を大幅に強化』し、『・()べば器士の手元に還る』。


 そして『・その刃は魂に届く』――精神に癒しがたい傷を刻みつけ、心を折り、屈服させる、まさに魔の刃。


 まるで少年のために創られ、与えられたかのような器械だった。


 その権能、そしてもたらされた『知識』に、少年Tは狂喜した。彼は器械により世界の真実にいち早く辿り着いた。選ばれた人間の中でも、さらに極一握りの存在――『器士』となったことに、そして自身の運命に、彼は心酔した。


 その夜、少年はゼラを握り締めて、大人しく眠った。興奮してなかなか寝付けなかったが、来るべき夜明けに備えて――体力を温存すると決めたのだ。


 そして翌日。彼は行動を開始した。


 具体的な目的があったわけではない。ただ変わった世界を見に行こうと思った。


『知識』により真実を知った今、それが昨日まで自分が居た世界とは、別物であることはわかっている。しかしこれから、自分が長い時を過ごすであろう世界を――まず見て回る。それは新しい自身を定義するために、必要な儀式だった。


 黒いコートを羽織り、フードを目深にかぶって街へ繰り出す。家から一歩踏み出した瞬間に、少年は古い名を捨てた。


 少年Tという存在に別れを告げ――新たに、『エクス』と名乗ることにした。


 それはネットで同志と語り合う際に、彼が使っていたハンドルネームであった。新たな自分を定義し、またひょっとすればリアルでも邂逅し得る同志たちに向けての、メッセージも兼ねていた。


 街は、閑散としていた。


 当たり前だ。大人が消え去り、幼い子供もおらず、残されたのは十代後半の少年少女だけなのだ。器械を獲得できてない多くの者は、それを知らずに慌てふためいているに違いない――と考え、ひとり優越感に浸った。


 ついでに、魔刃【ゼラ】の権能を試す。


『身体強化』による変化は、劇的であった。少年T――いや、身体的には一般人に過ぎなかったエクスは、今やトップアスリートさえ追随できぬ速度で走り、二メートル以上の高さに跳躍し、人並み外れた立体機動(パルクール)を可能としていた。


 黒いコートをはためかせ、エクスは万能感に酔いしれる。民家の屋根を飛ぶように駆け抜け、普段とは全く違った『高み』からの景色を楽しんだ。


 やがて住宅街を抜け、繁華街に近づくと、自分以外にもちらほらと少年少女の姿を見かけるようになった。何が起きたのかを把握しておらず、皆酷く怯えている。黒いコートを羽織ったエクスが屋根の上を疾走するのを見て、彼らは仰天し、動揺し、何か恐ろしいものにでも遭遇してしまったかのように悲鳴を上げていた。


 哀れな――と、エクスは憐憫の情を禁じえない。いずれ、エクスが彼らを導く日が来るだろう。しかし今はまだそのときではない。『門』の位置もわからず、自分以外の器士の存在も確認していないのだ。まずは情報を集めなければ――と変わり果てた世界を走る。


 少なくとも、ゼラの権能は圧倒的だった。『知識』によれば『敵』がこの世界にやってくるらしいが――大抵のモンスターには、負ける気がしないと獰猛に笑う。


 そしてエクスが繁華街の中心部に降り立ったとき、それは起きた。


 裏路地の方から、か細い少女の悲鳴が聞こえてきたのだ。続いて、「助けてっ」という声。コートの下の鞘にゼラを仕舞ったエクスは、ふむ、と考える。


 何かトラブルが起きているのは明白だ。しかし、わざわざ自分から首を突っ込む道義はなく、巻き込まれるのは少々面倒でもあった。


「だが――いや、これも運命(さだめ)か」


 ふっと笑い、路地に歩みを進める。自分がこの場に現れた途端、悲鳴が上がり、誰かが助けを求めてきた。これを運命と呼ばずして何と呼ぼう。


 果たしてエクスが路地に踏み込むと、そこには不良たちに囲まれた一人の少女がいた。


 それなりに美人だ。しかし割とケバい格好をしていることに、エクスは鼻白む。彼は、清楚な娘が好みだった。


「なぁ、別にいいじゃんよ、少し遊ぼうってだけなんだからさ」


 そんなケバい少女を、壁際まで追い詰めて恫喝するように口説いていたのは、髪を安っぽい金色に染めた背の高い青年だった。


 モデルのように整った顔には、軽薄なへらへらとした笑みが浮かんでいる。同じようにニヤニヤと笑い、周囲を取り囲む不良たちは、この青年の取り巻きらしい。エクスは顔をしかめた。彼は不良とイケメンという人種を毛嫌いしていた。そして両方の条件を満たした目の前の青年は、紛れもなくエクスの憎悪の対象であった。


「おい」

「……あ?」


 エクスが声をかけると、振り返った青年は、エクスの姿を認めて不機嫌そうに顔をしかめる。


「やめろよ。嫌がっているだろう」

「……は? なんだお前」


 少女から離れ、つかつかと歩み寄ってくる青年。


 エクスと青年では、身長が三十センチは違う。見下ろす青年の無表情は、以前のエクスならば震え上がるような恐ろしさだったが、魔刃【ゼラ】の権能がある今、微塵の動揺もなかった。


 そしてそれは、青年も察したらしい。ビビりもせず平然としたままの年下のガキ(エクス)に、ぴくりと口の端を痙攣させる。


 青年の手が、胸倉を掴もうとエクスに伸びた。その動きを見切ったエクスはさっと身を引き、ほんの数ミリの差で青年の手を空振らせる。


 胸倉を掴み損ねた青年を、エクスは「フッ」と鼻で笑った。青年は額にびしりと青筋を立てる。


「やめておけ。痛い目は見たくないだろう?」


 心底馬鹿にしたような、もったいぶった口調でエクスは言った。


「……はァ?」


 表情を引きつらせ、ぎりぎりと拳を握る青年。完全に、ヤル気満々だった。それを見てエクスはやれやれと首を振り、コートの下から魔刃【ゼラ】を引き抜く。


「フンッ、思ったとおり低脳か。格の違いもわからんらしい」

「――――」

「まあいい、少し『教育』してやろう。せいぜい自分の愚かさを嘆くがいいさ」


 自分の口上に酔いしれるエクスは、青年の瞳孔が完全に開き切り、怒りを通り越して無表情に戻ったことに気付かなかった。


 ジャケットの内側にさっと手を突っ込んだ青年は――



 流れるような動作で、『それ』を突きつける。



「……ん?」


 拳で殴るわけでもなし、手を伸ばしても届くわけでもなし、間合いは十分に取れている、目の前に突きつけられた『黒い穴』――なんだこれは、とエクスは怪訝な顔で



「調子こいてんじゃねえぞ死ねカス」



 タァンッ! と鋭い炸裂音が路地に響いた。


 青年は一切の躊躇なく、その手の拳銃を発砲した。


 エクスの軽い挑発に対し、返ってきたのはあまりに重い殺意。


 反応する暇さえなかった。



「ぉひょっ」


 額に赤い穴を穿たれたエクスは、そのままぐるりと白目を剥いて倒れ伏す。地面に転がり痙攣するエクスに対し、青年はなおも発砲する。事態を傍観していた少女が悲鳴を上げ、取り巻きの不良たちもどよめいて後ずさる。


 タァンッ、タァンッ、タァンッ、タァンッ、カチッ、カチッと撃鉄(ハンマー)の冷たい音。何度も引き金を引いて、弾丸が切れたことに気付いた青年は、銃を握り締めたまま無言で足元のエクスを蹴りつける。


 蹴る。蹴る。蹴る。


 ドグゥッ、ボゴッと鈍い音を立ててエクスの身体が跳ねる。額に、顔に、胴体に合計で五つの穴を穿たれたエクスは、もはや痙攣すらせずにされるがままだった。それでも尚、青年はその顔面を踏みにじり、皮膚がぐちゃぐちゃになって原型を止めなくなるまで暴力を振るい続ける。


「ザキアくん、ザキアくん。そいつもう死んでるよ」


 硬直する不良たちのうち、ただひとり、無表情で状況を見守っていた少年が声をかける。特攻服やだらしない私服を着込む不良たちの中にあって、学ランを着て割と真面目そうにも見える、だからこそ浮いている少年。


「……あアッ?! 知るかよ、クソがッ!」


 少年の声に振り返った青年――林ザキアは、吐き捨てるように言い、最後に力を込めて足元の頭をサッカーボールのように蹴り飛ばした。


 ゴキッ、と鈍い音を立てて、首の骨が折れる。もはや『少年T』でも『エクス』でもない、ただの肉塊がそこには転がっていた。


「クッソ、久々に本気で腹立ったわ」


 怒り覚めやらぬザキアは、今度は壁際でへたり込んでいた、先ほど絡んでいた少女に目をつける。


 醒め切った瞳に見据えられた少女は、ヒッ、と怯えて震え上がった。


 つかつかと歩み寄ったザキアは、


「テメェもだよコラァッ!」


 少女の顔面に、思い切り前蹴りを叩き込んだ。


 ボグッ、と音を立てて少女の鼻がつぶれ、口の端から砕けた歯が零れ落ちる。


 くぐもった悲鳴を上げ、手で顔を押さえて倒れる少女に、さらに容赦なくザキアは蹴りを見舞う。


「テメェがッ! グズグズしてる間によォ! こんなキメェガキが寄ってきて! クッソ腹立つ羽目になったんだがァ!? どう責任取るんだッ!? ああァ!?」

「ひっ、ごべっ、ごべんなざっ、ぎぃッ!」

「ウゼェんだよッ! ちょっとッ優しいッ顔したらッ調子にッ乗りやがってッ!」


 一言一言の区切りに蹴りを放ち、無表情に戻ったザキアは少女に銃を突きつけ、


「死ね」


 カチッ、とハンマーの音が響いた。


「……あ、そうか。弾丸切れてるんだったわ」


 素で忘れていたらしく、周囲を取り囲む手下の不良たちに対し、ちょっと恥ずかしそうにするザキア。不良たちはイヤミにならないよう全力で気を払いながら、曖昧な笑顔で頷いた。


 拳銃をホルスターに仕舞ったザキアは、ボロボロになった少女に向き直り、その尻をバシンッと蹴り飛ばした。


「消えろ。次に顔見せたら殺す」

「は、はひっ、ごべん、なざいっ」


 顔面を腫れ上がらせ、口と鼻から血を垂れ流す少女は、泣きながら這いずるように立ち上がる。不良の集団が割れて道を開け、少女はヨロヨロとその場から逃げていった。


「…………」


 沈黙する不良たち。地雷原にでも取り残されてしまったかのような、空恐ろしい雰囲気が漂っている。


「……それにしても、こいつ。何であんなに(イキ)がってたんだろうね」


 そんな空気をよそに、普通っぽい学ランの少年が、エクスの死体に歩み寄った。つんつんと、無表情のまま、それでいて興味深げに死体をつま先でつついている。


「知らねー。ナイフ持って、強くなった気にでもなったんだろ」


 ふん、と鼻を鳴らしたザキアは、エクスの手から零れ落ちたまま、足元に転がるナイフに目を留める。


「ったく、」


 しょうがねえなァ――とザキアはナイフを拾い上げようとして。



 それに触れた。



「ぐぅッ!?」


 頭を押さえたザキアが、表情を歪めてその場に転ぶ。


「ザキアくん!?」

「ザキアさんっ!?」


 周囲の不良たちが慌てて駆け寄るが、ザキアは、何事もなかったかのようにすぐに立ち上がった。


「ザキアくん、どう――」


 したんだい、と尋ねようとして、学ランの少年は口をつぐんだ。


 右手にナイフを握ったザキアが、左手で口元を押さえ宙の一点を睨んでいる。


 何か、考え事をしている顔だ。こういうときに話しかけても、ロクなことにはならないと、少年は知っている。今頃ザキアの頭の中では、何かが――善いこと悪いことにかかわらず――凄まじい勢いで考察されているに違いなかった。


「……ふン」


 やがて、思考を切り上げたザキアは、突然その手のナイフを投げた。


 ビシュッ、と目にも留まらぬ速さで手が動き、ナイフが対面の壁に――鉄筋コンクリートの壁に、突き刺さる。学ランの少年が、周囲の不良たちが、目を剥いた。


「――【ゼラ】」


 そして、ザキアが呟くと同時に、壁に突き立ったナイフが黒い霧状の『何か』と化し、ふわりとザキアの手元に戻って再びナイフの形を取り戻した。


 何が。


 何が起きているのか。


 不良たちには、わからない。


「……なるほど、な。オレの頭がおかしくなったわけじゃない、と……」


 ただ一人、納得するように頷いたザキアは、改めて手下たちに向き直る。



 無表情。それでいて滲む、獰猛な何か。



 それはただの不良の顔ではなく、手下たちを束ね掌握する、【暴朧剄騎(ボルケイノ)】の副長の顔だった。



「おい、お前ら」



 ザキアは、にやりと笑った。



「――兵隊集めろ。今すぐに、ボルケイノの構成員、全員だ」





次回から、また望月たちの視点に戻ります。

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