17.計画
「四十時間!?」
ウリエルの弾き出した予定時間に、全員が素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっと長すぎやしません?」
門を殴る手を止めて、引きつった笑みを浮かべる佐京。
「いや……彼一人でこのサイズの構造体を破壊するのならば、十分に短い時間と言えるだろう。……言えるだろうが、しかし……」
参ったな、とばかりに刀根が天を仰いだ。
「……門っていくつもあるんだろ? 全部壊すのにどんだけ時間かかんだよ」
はっ、と望月は皮肉な笑みを浮かべようとして、失敗した。
『全ての門を破壊する』――それが地球に帰還する条件だ。そして現状、目の前の門はそのひとつに過ぎない。
敵を排除して、門をひとつ残らず探し出し、破壊するのに要する時間と労力――それがどれほどのものになるか、想像もつかなかった。望月も自分の手で門を殴ってみたからこそ、その難度の高さが実感として胸に響く。
あるいは皆、同じ気持ちなのか、重苦しい沈黙が降りてくる。
「……これさ、」
そんな中、ただひとりガッガッとスルトの剣先で門を抉っていた多賀がぽつりと呟いた。
「人力じゃなくて重機とか使って壊せないかな」
剣を繰り出す手を止めて、振り返る。
「普通に物を壊すのと一緒で、力の入れ方で門の削れ具合が違う。ってことは強い力を込めればもっと効率良く破壊できるってことだろ?」
同意を求めるように、多賀が真っ先に見たのは望月だ。
「ショベルカーのアームに器械を固定したり、何かのエンジンを改造してプロペラみたいな感じで器械をつけてぶん回したりしたら、わざわざ自分で殴らなくても削れるんじゃないか?」
――確かに、多賀の言う通りだ。
「……その手があったか」
ぱん、と膝を打って望月。萎えかけた心に気力が戻ってくる。そういうのは得意分野だ。
「人の手でやらなくても削れるんですかね?」
「検証してみよう。車の先に何か器械を引っ付けて突っ込んだとき、門が削れるかどうか確かめればいい」
「なるほど」
佐京が水を差すように疑問を呈したが、刀根が実験を提案。作業を一時中断して(ウリエルは除く)、トラックのバンパーにガムテープで片眼鏡を貼り付け、そのまま門に突っ込ませてみることになった。
実験台――もといトラックの運転手を買って出たのは剛田だ。門に触れると転移することになるのではないか、とは少々心配していたが、ウリエル曰く「門の中心部まで到達しないと転移は起こらない」とのことだったので、剛田は安心して時速三十キロの安全運転でトラックを走らせた。
結論から言えば実験は成功し、多賀のアイデアが有効であることも証明された。
エリヤが門に接触した瞬間、まるでトラックそのものが大きなハンマーであったかのように、盛大に光が弾け飛んだのだ。ただし、その衝撃でバンパーが捻じ曲がってしまい、剛田は作動したエアバックでしこたま顔面を打つ羽目になった。
「とんだ災難だったが、収穫はあったな!」
剛田がトラックから降り、鼻血を垂れ流しながら真面目くさって言う。
「剛田さん、これどうぞ」
「ありがとう、小牧ちゃん」
リュックからティッシュを取り出して差し出す小牧に、にっこりと微笑んで礼を言う剛田。元々強面な上に鼻血まみれなのでかなり凶悪な顔になっていたが、昨夜から幾度となく修羅場を乗り越えてきた小牧は「いえいえ」と動じず笑顔で返す。
「となれば……会社の重機持って来るか」
望月はヘルメットを脱いで周囲を見渡し、道の状態などを見て重機を運ぶ算段を立て始めた。そしてしゃがみ込んだ拍子に、ふと多賀が腰に下げるスルトの鞘に目を留める。
「……なあ、多賀。その鞘って使わないのか?」
「え? そうだな。鬼切丸と違って太くて握れないし、スルトは両手剣だし……。あんまり使わないと思う」
「そっか……。佐京、お前のそれ、溶接とかできるか?」
「試したことはないけど多分イケると思うよ。鉄を溶かすくらいならね。……多賀くんのスルトでもできそうだけど」
「そっか……ふーむ」
「何か考えが? 望月くん」
「ああ」
刀根の問いに、望月は立ち上がって頷いた。
「ユンボの油圧ブレーカに鉄板を二枚溶接して、そこに鬼切丸とスルトの鞘をはめ込んだらどうだろう」
「油圧ブレーカってあれだっけ、コンクリとかガガガガーッて砕くヤツ?」
腕を押し出すように振動させながら佐京。
「そうだ。溶接した後の強度が不安だが、割といい線行くと思う。少なくとも人力で振り回すよりは、な」
「私のエリヤは使わないのかい?」
「うーん……エリヤそのものが小さすぎて、固定が難しい。まさか溶接して鉄の中に埋め込むわけにもいかないし。それに、作業中に敵が出てきたら、一旦ユンボを放棄して下がることになるだろ? 鬼切丸とスルトは鞘がなくても何とかなるが、エリヤは万が一のことがあったら取り返しがつかないからな……」
「それもそうか」
望月の言うことも尤もだった。納得して引き下がる刀根。
「万が一のことって? 器械なんだから物理的には壊れないし、位階Ⅶの破壊力をフル活用した方がいいんじゃない?」
代わって、佐京はエリヤを利用することに固執しているようだ。望月は小さく肩をすくめて見せる。
「それは俺も考えたんだが、例えばメチャクチャでかい化け物とかが出てきて、万が一ユンボを門に引きずり込まれでもしてみろよ。……お前あの中まで取り戻しに行けるか?」
「NO THANK YOU」
親指でクイと背後の門を示す望月に、速攻でお断りの意を表明する佐京。門の向こうに広がっているであろう魔境を想像してぶるりと身震いした。
「ぼかぁ化け物で溢れた土地なんてゴメンだね」
「俺もだよ。ってなわけで、なくしても、まぁなんとかなるものを、ってことさ」
「スルトは鞘がなくなったら、それはそれで困るけどな」
なくなる前提で話が進んでいることに、多賀が苦笑する。魔剣【スルト】は鞘に納めない限り刀身が燃え続けるのだ。色々試してみてわかったのだが、火力は器士の意思である程度調節できても熱を完全に消し去ることはできないらしい。
望月は、「わかってるさ」と小さく肩をすくめた。
「鬼切丸も、鞘は貴重な戦力だからもちろんなくしたくはない。鞘は鉄板に完全に固定するんじゃなくて、簡単に取り外せるようにしといた方がいいかもな」
「じゃあどうする? 今から取り掛かるかい?」
「そうだな……」
佐京の問いに、改めて考え込む。
事務所に戻り、ユンボのアームをバスケットから油圧ブレーカに換装し、鉄板を溶接してここまで輸送するのに、少なく見積もっても三時間半はかかる。特にユンボを積み込む重機運搬車はATではなくMTな上、運転にもあまり慣れていないので輸送にはもっと時間を食うかもしれない。
腕時計を見れば、時刻は午後三時を回っている。午後五時を過ぎると暗くなり始めることを考えると――
「今すぐ事務所に戻って作業始めても、六時過ぎになるな。日が暮れちまう」
「それは……厳しいな。一時撤退して、明日の朝に出直すのが無難かもしれん」
鼻の穴にティッシュを詰め込んだ剛田が唸るようにして言った。それに同調して刀根も頷く。
「私も賛成だ。元々ゴブリンの殲滅が主な目的で、ついでに門にひと当てできれば僥倖、くらいの意気込みだったからね」
「日が暮れてから門を破壊するのはやめておきます? 僕としてはやってもいいんじゃないか、って気はしますけど」
慎重派の二人に対し、積極的な姿勢を崩さない佐京。
「暗くなってからの作業は危険を伴うんじゃないのかい?」
「夜になっても、門自体が光るんで光源は確保できると思うんですよ」
「しかし、敵が出てくる可能性もあるからね」
「敵の出現に関しては明日も同じことが言えるでしょう? むしろ明日の方が可能性としては高いと思います。それにゴブリンはどうやら昼行性みたいですし……。まあ門の向こう側とこちらの時間帯が一致してるかはわからないんで、その点は何とも言えませんが」
「でもゆーちゃん、明かりがあっても、一晩中は起きてられないよ? わたしは危ないと思うけど……」
不意に、横から口を挟んだのはマユだ。幼馴染からの予想外の反対、そして瞬時に夜間行動のリスクとユンボの運用、その護衛の手間などにも考えを巡らせたらしく、むむ、と佐京は言葉に詰まる。
「いずれにせよ、計画の核になるのは望月くんだ。望月くんの意見は?」
刀根が望月に話を振ってきた。
「……そうだな。俺も暗い中でアレコレするのはやめといた方がいいと思う」
望月の考えは単純だ。周りが明るければいざ敵が来ても安全に運搬車を走らせて逃げられるが、夜間は門から離れると真っ暗になる。望月は運搬車の運転には慣れていないので、視界が悪くなれば事故になる可能性も高まるのだ。
「んーむむむ……流石に無謀か」
難しい顔で唸る佐京、刀根がぽんとその肩を叩く。
「早めに門を壊したいのは私も一緒だけどね。今、無理をするのはやめておこう」
「そうですね……」
「我は如何にする」
と、話がまとまりかけたところで、ひとり門を殴り続けていたウリエルがぐるりと首を巡らせて問うた。
「ウリエルは、まだやれるか?」
「……破壊活動を継続可能か、という意図であるならば、然り。半永久的に可能である。我に疲労は存在せぬ故」
「ほう……」
刀根が感心したような声を上げる。
「仮に、ウリエルさんを置いていくなら、明日の朝まで一人で門を殴り続けることになるんですよね? 大丈夫なんですか?」
「構わない。重ねて言うが、我に疲労は存在せぬ故。但し敵が新たに出現した場合、我は抵抗できぬことに留意せねばならない」
「あー。じゃあ敵が出てきたら逃げてもらう感じですか……ウリエルさんて、本気出したらどのくらいの速さで動けるんです?」
「本気…………」
佐京の何気ない質問を受け、ちかちかと、ウリエルの鉄仮面の奥の蒼い双眸が明滅する。
門を殴るのを止め腕を組み、直立不動の姿勢に戻ったウリエルは、スゥッと滑るような動きで左右にスライドした。ノリとしては反復横跳びのそれに近い。ただ常人が小走りするよりちょっと速い、という程度の速度。「あの動き……どういう原理なんだ……」と刀根が小さく呟いている。
「……えっ、それが本気ですか?」
「然り」
「いやいやいや! もっと速く動けるでしょ! 僕を殴ってみせようとしたとき、凄い速さで踏み込んできたじゃないですか!」
「む……」
佐京に詰め寄られて、たじろぐウリエル。
「っていうかウリエル。めっちゃ速く門を殴れるんだから、自分の足で走ればいいじゃねえか」
傍から見ていた望月も口を挟む。刀根曰く、位階Ⅶの器械で門を殴ると鉄板のような硬さに感じられるらしい。その門をいとも容易く拳で割り砕いてしまうパワーがあるのだから、それを走る方向に応用すれば凄まじい俊足となるのは自明だ。
「走、る……自分、ノ、足デ……」
ガクン、カクンと首を動かし、機械じみた動きで足を見下ろすウリエル。元より人間味に欠ける声だったが、さらに人工音声っぽさに磨きがかかっており、何故か言語機能すら怪しくなりつつある。
「もー、こうですよ、こう!」
と、見かねたマユが突然ウリエルの前でタッタッタとジョギングの動きを実演してみせる。望月を含め全員が(ジョギング……)とは思ったが、歩行を忘れた初心者にはちょうどよい難易度かもしれない。
しばらくマユの動きを黙って凝視していたウリエルは、発条仕掛けが壊れたカラクリ人形のように、あるいは動画を早回しするかのようにガションガションと猛烈にその動きを模倣し始めた。あまりの唐突さに「ひぇっ」と声を上げて怯えたマユが、慌てて飛び退き佐京の後ろに隠れる。
「……ありがとう、守谷真由美。思い出した」
動きを止め、ウリエルはじっとマユを見据えた。
しかしすぐに視線を逸らし、おもむろに腕を組んでカシャンカシャンと自分の足で歩き出す。滑らかな、計算され尽くした3Dモデルのような歩き方。おお、と周囲の者が感心するのをよそに、シャカシャカと歩くウリエルは徐々に加速、アスリートのようなフォームの駆け足に移行していく。終いには一歩ごとに足元のアスファルトを割り砕きながら、一本の銀の矢のようにすっ飛んでいった。
農道の果てまであっという間に駆け抜けたウリエルは、ヘアピンカーブからの強烈な再加速を経て、背中の翼をばさりと打ち広げ大きく跳躍した。五十メートル近い距離をそのまま滑空し、望月たちの前に着地する。
腕を組み、ゆっくりと直立不動の姿勢に戻ったウリエルは、心なしか誇らしげに多賀の方を見やる。
「あらかじめ加速を行えば、滑空は可能である」
「……あ、ああ。そうか。良かったな」
翼があるのに飛べない、という事実を本人なりに気にしていたらしい。それ以上はとやかく言わず、多賀は愛想笑いとともに頷いた。
「……それで、ウリエルはしっかり逃げられるってことでいいのかな?」
場に漂う奇妙な空気を流すように、おどけて尋ねる刀根。
「然り」
「そうか、それなら良かった。気は引けるが、明日の朝まで門はキミに任せる形になる」
「構わない」
淡々と頷くウリエルを尻目に、望月は改めて腕時計を確認する。
「明日の朝一に出直すなら……明るくなるのは朝七時くらいだよな。敵がわんさか出てこない限り、ウリエルは十四時間以上、門を殴り続けることになるのか……」
とてもではないが、疲れが存在しない半人半器械のウリエルでなければ不可能な所業だ。
「残りの二十六時間を、どれだけ短縮できるかだねえ」
頭の後ろで手を組んだ佐京が、どこか投げやりに呟いた。野暮ったい黒縁眼鏡の奥で、疲れた瞳がぼんやりと空を眺めている。
「ゆーちゃんお腹空いたの?」
「空いた」
「飴もってきたよ。はい」
「ありがとうマユちゃん」
マユがコートのポケットから取り出した飴玉を口に放り込む佐京。隣の多賀が、二人の仲を勘繰るような、それでいてちょっぴり羨ましそうな顔をしている。
「ん? 多賀くんもいる?」
が、多賀の視線をどう解釈したのか、ポケットからさらに飴玉を取り出すマユ。
「あ、いや……うん」
若干挙動不審になりながらてれてれと飴玉を受け取る多賀を見て、まあ、守谷はかわいいもんな、とだけ望月は思った。しかし望月にはどうでもいいことだ。
「よし、じゃあ戻ろうぜ。明日のためにユンボ準備しないと」
「そうしようか」
「お腹も地味に空いてきたし、晩御飯のことも考えないとねー。小牧ちゃん、何か食べたいものとか、ある?」
「えっ、わたしですか? ええっと……」
望月の一声に、各々撤収の用意にかかる。ウリエルは門を再び殴り始めた。
「私は……どうしようか。作業を手伝ってもあまり役立ちそうにないから、明るいうちにさっき出現した器士とコンタクトを取りに行くべきか」
「行くなら付き合おう」
片眼鏡に触れる刀根、重々しく頷く剛田。多賀は飴玉を舐めながらぼんやりと門を眺めている。
「あ、俺ちょっと家から着替え取ってきていいか? 来客用の布団とか寝袋もあるから、なんなら人数分持ってくるが」
トラックに乗り込もうとしたところで、望月はふと思い立って佐京たちを見る。
「おー。今日は望月くんトコの事務所で過ごす感じでいいのかい? 僕は自分の家から布団とか服とか持ってこようかと思うけど」
「おう、今更バラバラに行動すんのも何だろ? ウチならキッチンもバーベキューセットも木炭もストーブも石油も発電機もあるぞ」
「素晴らしい。マユちゃんどうする?」
「ゆーちゃんと一緒にいくー。みんなで居た方が安心だもんね」
「OK! というわけで、お世話になりやすぜ兄貴!」
ぐへへ、と笑みを浮かべてへりくだってみせる佐京。相変わらずのわざとらしさに望月は苦笑した。
「じゃあ……えーと、小牧ちゃんは?」
「あっ、わたしもお願いします!」
「OK。多賀と、刀根さんたちはどうする?」
「おれは……そうだなぁ。厄介になりたいけど、刀根さんについていくかもなぁ。おれの家牟那方市だし……」
多賀がそう言いながら、ちらりと刀根の様子を窺う。
「私は剛田と一緒に、先ほど東に出現した器士に接触しようと思う。方向と距離的に……これは、乙幡市かな? 明日の朝には戻ってくるつもりだが、今日中に望月の事務所に戻ってこれるかはわからない」
「乙幡市かー反対側ですね。おれどうしようかな」
「まあ多賀+αで考えて布団とか取ってくるわ」
「僕も手伝おう」
家に入ろうとする望月、その後ろに小走りで佐京がついていく。が、
「――――」
望月はぴたりと足を止める。背中に佐京が追突して「ふがっ」と声を上げた。
「ちょっ急に立ち止まるなよ望月くん、鼻打ったじゃないか……望月くん?」
望月は黙したまま、振り返って門を睨んだ。望月の横顔を見た佐京がはっと息を呑む。
その両眼が――ぼう、と金色の光を放っている。
「……佐京、ブリューナク用意しろ。小牧ちゃんと守谷はトラックに!」
突然の指示に、皆は固まった。しかし切羽詰まった顔で「早く!」と言われ、弾かれたようにトラックに乗り込む。
「注意せよ。少なくとも五十以上の足音を感知した」
それとほぼ同時、門を殴り続けていたウリエルがばさりと翼を翻し門から距離を取った。
佐京と剛田はトラックの荷台でそれぞれブリューナクと槍を構え、刀根が急いでエンジンを回しいつでも逃げられるよう車を反転させる。
「望月、目ぇ光ってるぞ」
「ああ、そんな感じがするよ」
面白がるように言いながら、ひゅんひゅんとスルトを振り回す多賀。望月もその隣で鬼切丸と鞘を握り締め臨戦態勢に移った。
「望月センサーが光るってことは、ゴブリンか?」
「なんだよそのネーミング……わからん、鬼切丸が反応したってことは、多分鬼種だろうが」
「足音のパターンはゴブリンのそれと一致していた」
望月、多賀、ウリエルと前衛三人組でトラックを守るように横一列に展開。
「で、この後どうする望月?」
「基本はトラックを守りながら後退。敵のゴブリンがそんなに多くなかったらブチ殺す。多すぎたらブチ殺しながら逃げよう」
「それでいいけど、ちゃんと退けるのか? ゴブリン斬ったらめっちゃテンション上がってたじゃんお前」
「いやまぁ……そうだが。気をつけるよ」
「――来た。注意せよ」
ウリエルの言葉に、望月たちは口をつぐむ。
果たして、門の中にぽつぽつと黒い影がいくつも浮かび上がった。
ギャッギャ、ギィギィと耳障りな声を上げて、無数のゴブリンたちが蜘蛛の子を散らすように門から飛び出てくる。
「割と多いな?」
ちらりと多賀が隣を見やると、望月は両目を爛々と輝かせながら頷く。
「『割と』、な」
つまりそれほど多くないというわけだ。望月の口の端が凶暴に吊り上っているのを見て取り、多賀がフッと諦めたように笑う。
ゴブリンたちがこちらに突っ込んでくるのを、今か今かと待ち受ける望月だったが――やがて、少しばかり様子がおかしいことに気付く。
「……なんであいつら、こっちに来ないんだ?」
多くのゴブリンは門から飛び出るや否や、周囲の環境に戸惑っているように見えつつも、近隣の家屋や林に酷く慌てふためいた様子で駆け込んでいる。何匹かは、畑を走り回ったり、道の果てに佇む望月たちの姿を見つけて突っ込んできているが――全体に比してごく僅かな数だ。
「家の中に入るヤツが多いな。まーた最初から掃除のやり直しか……」
「そう、だな。……いや待て、これひょっとして」
うんざりと溜息をつく多賀をよそに、望月はテンションを下げつつも、ふと思い当たる。
「これ、アイツら何かから逃げてきたんじゃないのか――?」
望月が呟いた、その瞬間だった。
ゆらりと。
門の奥に、巨大な影が浮かび上がる。
ズン……ズン……と響く鈍い足音。
悠然と、光の渦の向こうから。
そいつは姿を現した。
竜。
望月が咄嗟に連想した、その姿を説明するに足る一文字。
さながら、炎の化身だ。深紅の鱗に覆われた体躯は門の光を艶やかに照り返し、流線型の頭部と、首から背中、長く伸びる尻尾にかけてのラインが、ある種のエロティックな女性的美しさを感じさせた。おそらくは前脚に相当するであろう、蝙蝠のような膜の張った一対の翼を畳み、頑強な二本脚でゆったりと歩む姿は、どこか鳥類を思わせる。
だが、畜生とは一線を画した、しなやかな動きはどこまでも優美。それでいて、その裏に息づく肉体の力強さを物語る。二階建ての家屋に勝るとも劣らぬ体格――その圧倒的な重量感、威圧感。
存在そのものがびりびりと空気を、魂を震わせる。
そんな、真なる意味での化け物が――
と、恐怖に耐えかねたか、竜の足元の草むらが揺れ、そこから一匹のゴブリンが飛び出して逃げ始めた。
ちらりとそちらを見た竜は、まるで蚊を払い飛ばすかのように、その長い尻尾を一振り。
ばんっ、と羽虫のように薙ぎ払われたゴブリンは、アスファルトと尻尾に磨り潰されて赤黒い染みに変わった。
勢い余った尻尾の一撃は、そのまま近くの民家に直撃し。
木造の壁を、呆気なく崩壊させた。
――あれは、ヤバい。
望月の全身が、鳥肌立つ。
――どう考えても、今の自分が戦っていい相手じゃない。
石のようでありたいと、望月は思った。
ひたすら無害に見える存在でありたいと。
しかし、そんな一抹の願いを嘲笑うかのように。
赤く燃える瞳が、ぎょろりと蠢き、まっすぐに望月たちを見据えた。




