第九話 私の技術は、もうあなたのものではありません
「包囲を完了した! 国家反逆の容疑者、エレーナ・ヴァン・アローザ、およびレイヴン・クロフォード! 抵抗をやめておとなしく縛りにつけ!」
アローザ建築工房の仮宿舎を取り囲む、数百人の帝国近衛兵の怒号が夜の闇を切り裂いた。
窓の外には松明の紅い炎が揺らめき、重厚な甲冑が擦れ合う不穏な音が宿舎を完全に圧迫している。
「ちっ、思ったより足が早いな。皇太子の野郎、よっぽどあんたの図面が怖くて眠れなかったらしいぜ」
レイヴンが低く笑いながら、腰の短剣を抜かずに、愛用の大玄能を肩に担ぎ直した。その鷹のような瞳には、恐れなど微塵もない。
「エレーナ様、裏の手引きは完了しています! トリアの商業ギルドが手配した水運の隠密ルートを使えば、今すぐこの帝都を脱出して黒土領へ引き返せます! ここは我々が食い止めます、早く!」
ダリオたち職人がハンマーやバールを武器代わりに構え、私の前に強固な壁を作ろうとする。彼らの命がけの忠誠は嬉しかったが、私はふぅと小さくため息をつくと、彼らの背中を優しく叩いた。
「慌てないでちょうだい、ダリオさん。皆さん、武器を収めなさい」
私は作業着の襟元を正し、公爵令嬢としての、そしてアローザ建築工房長としての完璧な所作で、宿舎の重い扉へと歩み寄った。
「エレーナ、行くのか?」
レイヴンの問いかけに、私は振り返って不敵に微笑んだ。
「ええ。逃げる必要などどこにもありませんわ、レイヴン。ルードヴィヒ殿下がわざわざ『国家反逆罪』という極上の招待状(指名手配)を用意してくださったのですもの。アローザの代表として、真っ向からその不条理を買い叩いて差し上げますわ」
私が自ら扉を大きく開け放つと、松明の光が私の顔を照らし出した。怯むことなく、傲然と立ち塞がる私の威圧感に、槍を構えていた兵士たちが一瞬にして気圧され、数歩後退した。
「案内なさい。ルードヴィヒ殿下と、無能な管理局の老人たちが待つ、あの哀れな議会の場へ」
☆
近衛兵たちに前後を挟まれながら、私とレイヴンは皇宮へと向かった。
もっとも、護送されているという意識は私にはない。むしろ、招かれた客として堂々と歩いているつもりだった。
やがて通されたのは、皇宮の奥に位置する最高議会の大ホールだった。
円形に並ぶ雛壇には、帝国の名だたる大貴族や建築管理局の重鎮たちが、冷ややかな、あるいは怯えた視線を私に向けて一斉に突き刺していた。
その中心、最も高い玉座に座る皇太子ルードヴィヒが、身を乗り出すようにして私を指さした。
「よくぞ泥縄に絡め取られず、自ら首を差し出しに来たな、エレーナ! 聖女ミカへの不敬、管理局の許可なき公共建築、そして平民どもを扇動して帝国の魔法秩序を乱そうとした大逆の罪、もはや言い逃れはできんぞ!」
ルードヴィヒの隣では、ミカが勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべ、ハンカチで口元を押さえている。
「エレーナ様……どうしてそんなに恐ろしい技術を平民に広めようとなさるのですか? 魔法は神様から授かった貴い血筋のもの。それを泥まみれの平民に渡すなんて、帝国の調和を壊す悪魔の所業ですわ」
周囲の貴族たちが「そうだ」「不遜な罪人め」と口々に囁き合う。
大広間に響き渡る非難の嵐。しかし、私はその場に凛と立ち尽くし、彼らの言葉をただの「雑音」として冷徹に聞き流していた。私を背後から守るように立つレイヴンが、玄能を床にドンと突き立てると、重厚な破壊音がホールに木霊し、騒がしい貴族たちの口が一瞬で閉ざされた。
「悪逆、大逆、結構なことですわ」
私は澄んだ声を響かせ、玉座のルードヴィヒへとまっすぐに視線を据えた。
「ですが殿下。私を今すぐ処刑なさりたいのでしたら、どうぞご自由に。ただし、私が死ねば、アローザ建築工房の二百名の工兵部隊は一秒で帝都から撤退いたします。……構造計算書も引けず、石の割裂強度も知らないあなた方の建築局だけで、明日にも別の柱がへし折れようとしているこのハリボテの宮殿を、どうやって維持なさるおつもりかしら?」
「う、ぐ……ッ!」
ルードヴィヒの顔が、一瞬にして見苦しく引きつった。
図星である。彼らが私を指名手配してまで身柄を拘束しようとした真の目的は、私を処罰することではない。アローザの「魔法のいらない建築技術」を力ずくで接収し、崩壊寸前の帝都を自分たちの利権のまま修繕させることにあったのだ。
建築管理局の総裁である老貴族が、慌てて前に出だし、懐柔するような卑しい笑みを浮かべた。
「エ、エレーナ様、何も我らも、あなたの命を奪いたいわけではないのだ。あなたがそのアローザ工房のすべての設計図面、工法、そして建材の生産ラインを我が建築管理局へと即時委譲(国家接収)し、今後は管理局の指揮下で帝都の修繕に尽くすと誓うのであれば……皇太子殿下も、これまでの罪をすべて不問に処し、あなたを管理局の最高顧問として、再び帝都の華やかな地位へと迎え入れる用意がある」
完璧な技術の強奪。そして身分という名の鎖による再支配の要求。
貴族たちは、贅沢に慣れた元公爵令嬢の私なら、この甘い汁(地位の復権)を提示すれば、泣いて喜んで技術を差し出すと信じ込んでいるのだ。
彼らの浅はかな妄想に対し、私の胸の奥から湧き上がったのは、絶望ではなく、盛大な嘲笑だった。
「ふふ、あはははは!」
静まり返った議場に、私の澄んだ笑い声が響き渡る。
ルードヴィヒが不快そうに眉をひそめ、管理局の老人たちが顔を見合わせた。
「何が可笑しい、エレーナ!」
「可笑しいに決まっていますわ。あなた方、本当にどこまでも傲慢で、そして哀れな物乞い(利権の奴隷)なのですもの」
私は一歩、玉座へと近づいた。
「勘違いしないでちょうだい。私は、あそこで飢えと恐怖に怯えている何の罪もない平民たちの命と生活を救うために、この帝都へ参りました。ですから、街が崩壊するのを止めるための『応急の技術』と『労働』は、これからも無償で提供して差し上げますわ。ですが――」
私は声を一段と低くし、冷徹な拒絶を突きつけた。
「アローザ建築工房の支配権、そして私たちが血の滲むような思いで築き上げた最新の建築理論(図面)は、一文字たりともあなた方には渡しません。我が工房の職人たちは、誰一人として帝国の奴隷には戻らない。私の技術は、もう二度と、あなた方利権貴族のものではないのですわ!」
「な……何だと……!? 貴様、国家の帰属要求を拒絶するというのか!」
ルードヴィヒが狂ったように玉座の肘掛けを叩いた。
「私の技術が必要なら、ただの『一顧客』として、アローザ建築工房へ正当な報酬と対価を支払って、頭を下げて依頼なさい。それができないというのであれば……どうぞ、その腐った魔法の利権と共に、物理の法則に従ってこの宮殿ごと床下へと沈没なさるがいいわ」
完璧なる決別。そして傲慢な帝国に対する、完全な独立の宣言。
議場の大貴族たちは、誰一人として反論できなかった。
「エレーナ! 貴様ぁぁッ、どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ! 近衛兵! 今すぐこの不届き者を――」
ルードヴィヒが激昂して処刑の命令を叫ぼうとした、その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
突如として、議場の大床が、足元から不気味に、そして激しく振動し始めた。
天井の燦然と輝く魔導シャンデリアが大きく揺れ、壁の隙間からサラサラと不自然な量の石粉が降り注ぐ。
「な、何だ!? また地震か!?」
貴族の一人が悲鳴を上げた。
「いや、違う! 魔力の供給が……宮殿の床下が鳴っているぞ!」
建築管理局の官僚が、青ざめた顔で叫ぶ。
「殿下! 天井の支持柱に亀裂が! このままでは議場が崩れます!」
近衛兵の一人が叫んだ。
「ええい、何をしている! 早くエレーナを捕らえろ!」
「しかし殿下、まずは皆様の避難を!」
兵士たちは顔を見合わせた。皇太子の命令に従うべきか、それとも議場にいる貴族たちを安全な場所へ誘導するべきか。
その迷いの間にも、天井から細かな石粉が降り続けていた。
貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑うなか、私は冷ややかな目で、皇宮のさらに奥深く、地下へと続く方向を睨みつけた。一級建築士としての私の感覚が、帝都の地中深くで、何らかの巨大なエネルギー負荷が急速に臨界点を迎えつつあるのを感じ取っていた。
(……間違いないわ。水道橋の魔法が切れただけではない。この帝都の地下には、設計図に描かれていない、恐ろしい魔力の歪み(ブラックボックス)が隠されている……!)
「引き上げるわよ、レイヴン。ここにはもう、聞くべき言葉はありませんわ」
「応、合点だ」
私は呆然と立ち尽くすルードヴィヒとミカに背を向けると、一度も振り返ることなく、最高議会の大ホールを歩き出した。
「ま、待て! 貴様らは国家反逆罪の容疑者だぞ!」
近衛兵の一人が槍を構えた。
だが、その背後で、天井から新たな石片が落下した。
「隊長! 西側の回廊も崩れ始めています! 避難経路の確保を!」
近衛兵の隊長が、苦渋の表情で命令を下した。
「くっ……! そちらを優先しろ! 容疑者は後で追う!」
近衛兵たちは槍を下ろし、我先に出口へ殺到する貴族たちの誘導へと走っていった。
「行きましょう、レイヴン」
「ああ。だが、あいつらがこのまま引き下がるとは思えねえな」
「もちろんですわ。ですが、今はそれ以上に気になることがありますの」
私は足元から伝わる微かな振動を感じながら、皇宮の地下へと思いを巡らせた。




