第十話 帝都の宮殿は、最初から壊れていた
最高議会との決裂、そして国家反逆罪の指名手配。宮殿の異常によって、私たちはその場での拘束を免れたものの、皇太子が諦めたわけではなかった。
アローザ建築工房の仮宿舎の周囲には、近衛兵による監視網が敷かれ、出入りする職人や商人たちの動向まで厳しく調べられるようになっていた。
もっとも、帝都の建造物は今も崩壊の危機に瀕している。皇太子も、私たちの技術を完全に排除するわけにはいかないのだろう。
不自由な状況ではあったが、調査の手段が完全に断たれたわけではなかった。
そして、私の頭脳(計算機)が止まることもない。
「……やっぱり辻褄が合わないわ、レイヴン」
薄暗いランプの光の下、私はアローザの作業着の袖を捲り上げ、製図台の上に広げた「帝都全体の魔力流動簡易図」をコンパスの先で何度もなぞっていた。
「前世の一級建築士としての感覚(目)が、この街の構造そのものに強烈な違法性を感じているのよ。全長二キロの水道橋、空中回廊、そしてこの巨大な皇宮……。皇宮魔導士たちの個人的な魔力や、ミカの『奇跡』とやらを接着剤にして繋ぎ止めているという建前だけれど、そんな大雑把な魔力量で、これほどの自重を千年間も維持し続けられるわけがないわ。物理的な力学をねじ伏せるだけの、圧倒的なエネルギー源がどこかに隠されているはずよ」
私の言葉に、部屋の壁に寄りかかっていたレイヴンが、鷹のような鋭い瞳を細めて頷いた。
「ああ、俺も建築局の天才職人なんておだてられてた頃から、上層部が隠したがる書類の数字がおかしいと思ってた。供給されているはずの総魔力量の記録と、実際に建物が消費している強度の計算が、どうしても合わねえんだ。……エレーナ、じつは昨夜、最高議会から引き上げるどさくさに紛れて、建築局の地下資料室から『古い帝都地下構造図』の原本を引っ張り出してきたぜ」
レイヴンは不敵に笑うと、外套の内側から、何重もの厳重な封印魔術の痕跡が残る、古びた羊皮紙の巻物を取り出して机に広げた。
「素晴らしいわ、レイヴン! さすが私の最高の相棒ですわね」
私は胸を高鳴らせながら、その黒ずんだ図面を凝視した。
一級建築士としてのスキャン能力が、図面に引かれた奇妙な線、隠された二重壁、そして宮殿のグランドレベル(基礎)よりも遥かに深い場所に位置する「広大な空白」を一瞬で見抜く。
「……見てちょうだい、ここよ」
私は図面の最地下、皇宮の真下に描かれた、直径二十メートルを超える巨大な球体の記号を指さした。
「現行の帝国建築基準法(法規)にも、過去のグランドデザインにも、この構造物の記載は一切ありませんわ。これこそが、千年間秘匿されてきた帝国の心臓――古代魔法装置。そして、これに接続されている無数の魔導管のネットワークは……帝都の外、エルドラド帝国の全土へ向かって、血管のように地中深くを伸びているわ!」
「地中を伸びて、地方へ……? おい、この太い配管の終着点は、まさか」
レイヴンが息を呑み、図面の等高線を追う。その先にあるのは、毎年のように氾濫を繰り返し、土地が枯渇し、まともな建物すら建たないと言われていた見捨てられた辺境――私の新しい領地である『黒土領』をはじめとする、帝国各地の農村や地方都市だった。
その瞬間、私の頭の中で、すべての謎のピースが完璧に噛み合い、一つの恐るべき「構造計算」が弾き出された。
「――そういうことですわ。帝都の華麗な美しさは、地方の犠牲という名の、醜悪な搾取の上に成り立っていた。これが、彼らの誇る『魔法帝国の繁栄』の正体ですわよ」
私は冷酷な怒りを込めて、図面を強く叩いた。
「皇宮の地下にあるこの古代魔法装置は、地方の土地から根こそぎ魔力を強制徴収し、この巨大な宮殿や貴族の屋敷の補強(接着剤)として一極集中で回していたのですわ。地方の農作物の収穫量低下も、まともなインフラが育たないのも、すべてはこの装置が地方の命脈を吸い上げ続けていたからに他なりませんわ。……帝都は最初から、地方を干からびさせることでしか形を維持できない、欠陥だらけの吸血都市だったのですわね」
「なんてこった……」
レイヴンが拳を固く握りしめ、その腕の筋肉を激しく収縮させた。現場を愛し、地方の職人たちの苦悩を誰よりも知る彼にとって、その真相は到底許せるものではなかった。
「あんたの言う通りだ、エレーナ。貴族どもは自分たちの贅沢な利権を守るために、世界中の平民から大地を奪っていたんだ。……だが、そのツケが今、完全に回ってきたってわけだな」
「ええ。水道橋の魔法が切れただけではありませんわ」
私は地質図と地下構造図を重ね合わせ、冷徹に現状をスキャンした。
「地方の魔力を吸い上げすぎて、各地の土地が限界を迎えている。その結果、供給される魔力そのものが急速に収縮(魔力障害)を起こし、この古代魔法装置そのものが過負荷で制御不能に陥りつつある。支持構造が完全に破綻しているわ。装置の自重と、暴走するエネルギー負荷に対して、周囲の石積み基礎が耐えきれず、内部から崩壊を始めているのよ。……昨夜の議会で起きたあの不気味な振動は、その最初の悲鳴ですわ」
「このまま装置が暴走し続けたら、どうなる?」
「魔力を吸い上げる前に、装置そのものが地下で大爆発を起こしますわ。そうなれば、帝都の全地盤が液状化(支持力喪失)を起こし、何十万という何の罪もない平民たちを巻き添えにして、この王都が丸ごと地下へと陥没・沈没しますわよ」
凄まじい崩壊のシナリオ。
かつてルードヴィヒ殿下は、私を「国家の安全を脅かす破壊工作の容疑」で追放したが、真の国家破壊を行っていたのは、他ならぬ彼ら自身だったのだ。
「エレーナ、だったら今すぐその装置を止めなきゃならねえな」
レイヴンが外套を翻し、鷹のような瞳に覚悟の光を宿した。
「ああ、だがどうやって皇宮の最地下へ潜り込む? 俺たちは指名手配の身だ。近衛兵の目をかいくぐって、帝国のブラックボックス(心臓部)に近づくなんて、普通に考えりゃ自殺行為だぜ」
レイヴンの問いかけに、私はフッと不敵な、そして圧倒的な自信に満ちた笑みを浮かべた。
「普通に考える必要などありませんわ、レイヴン。一級建築士を侮らないでちょうだい。どんな強固な建造物であろうとも、構造がある限り、そこには必ず、設計図に描かれていない『隙間(抜け道)』が存在するものですもの」
私は道具袋のバックルをカチリと締め、最新のピッキングツールと、レイヴンが持ってきた地下構造図をしっかりと腰袋に収めた。
「ルードヴィヒ殿下やミカは、きっと自分たちの利権を守るために、破滅が迫っていることも知らずにさらに愚かな悪手を打ってくるでしょう。彼らが自滅のレバーを引く前に、私たちがその嘘の心臓(古代魔法装置)を物理的にシャットダウンして差し上げましょう。さあ、行きますわよ、相棒」
「応、どこまでも付き合うぜ、俺の最高の設計士」
夜の静寂の中、指名手配された元公爵令嬢と天才職人は、千年の大帝国を根底から解体する、命がけの「最地下潜入作戦」へと静かに動き出すのだった。




