第十一話 聖女様、その奇跡には使用期限があります
キーン、と耳の奥を刺すような、不気味な魔力の高周波音が、暗い地下廊下に鳴り響いていた。
レイヴンが盗み出した『古い帝都地下構造図』の通り、私とレイヴンは、近衛兵の包囲網を完全に裏をかく隠密ルート――かつて宮廷建築局が放棄した、古い給排水用の保守点検口から皇宮の最地下へと潜入していた。
「思った通り、支持構造が完全にイカれてるな。エレーナ、見てみろ。壁の石積みが自重と魔力の振動に耐えきれず、完全にヘアライン・クラック(微細な亀裂)だらけだ」
前方を歩くレイヴンが、極限まで光量を絞ったランプで壁面を照らしながら、低く鋭い声で言った。彼の言う通り、千年の間、地方の魔力を吸い上げ続けてきた帝国の心臓部は、すでに物理的な限界を迎えて悲鳴を上げている。
「ええ。ですが、さらに嫌な予感がしますわ、レイヴン。耳を澄ましてちょうだい。この不気味な高周波音、装置の駆動速度が、さっきから異常なペースで跳ね上がっていますわよ」
私は腰の道具袋のバックルをカチリと締め直し、最新のピッキングツールを忍ばせた手で、最地下の螺旋階段を一気に駆け下りた。
長い闇を抜けた先。突如として視界が開け、私たちは帝都のグランドレベル(基礎)よりも遥かに深い場所に隠されていた、巨大な地下空洞へと辿り着いた。
「……これが、帝国の心臓部ですのね」
私は思わず息を呑んだ。
空洞の中央には、直径二十メートルを超える、古代の未知の金属で造られた巨大な球体装置『古代魔法装置』が鎮座していた。その周囲には、血管のように張り巡らされた無数の魔導管が接続されており、怪しく脈動しながら、青白い魔力の奔流を地中から強引に吸い上げている。
しかし、一級建築士の視点(目)でその基部を見た瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
(……完全に液状化(支持力喪失)の兆候が出ているわ! 装置の圧倒的な重量とエネルギー負荷に対して、周囲の石積み基礎が耐えきれず、内部から微振動を起こして崩壊しかけている。これをこれ以上の出力で動かせば、魔力を集める前に、装置そのものが大爆発を起こすわ!)
「素晴らしいわ……! 装置がどんどん魔力を集めている! これで王都の宮殿は元通りになって、私は世界で唯一の、誰からも崇められる聖女に返り咲くのよ!」
空間に響き渡ったのは、狂気に満ちた金切り声だった。
装置の制御壇の前。そこには、数人の近衛兵を従えた皇太子ルードヴィヒと、狂乱の形相で両手を掲げるミカの姿があった。
「ミカ、もっと出力を上げろ! 地方の平民どもがどうなろうと知ったことか! アローザの小賢しい算術などに、我が帝国の千年の威光が負けてたまるか!」
ルードヴィヒが血走った目で叫ぶ。彼らは昼間の最高議会で私に拒絶されたことで、ついに正気を失い、この禁忌の装置の出力を最大にして、無理やり帝都の建物を魔法で再固定しようという「最悪の悪手」に打って出たのだ。
ミカが呪文を唱え、制御壇のレバーを強引に引き絞るたびに、古代魔法装置は「ギィィィィン!」と空間を切り裂くような異音を立て、青白い光を暴走させていく。
「ルードヴィヒ殿下、ミカ様! 今すぐその装置を停止させなさい!」
民衆の命をゴミのように扱う二人の愚行に対し、私は地下空洞の闇から毅然と姿を現し、激しい怒りを込めて一喝した。
「な……貴様、エレーナ! なぜここへ!」
ルードヴィヒが驚愕に顔を引きつらせ、近衛兵たちが一斉に抜刀する。だが、私の隣に立つレイヴンが、大玄能の柄を床にドンと突き立てると、その凄まじい気迫に兵士たちの足がすくんだ。
「おのれエレーナ! 往生際の悪い反逆者め! 見るがいい、この圧倒的な魔力の輝きを! これさえあれば、貴様のアローザ工房など一瞬で叩き潰せるのだ!」
「本当にどこまで無能で、物理の法則が読めない方なのですのね」
私は一歩、また一歩と、暴走する光の渦の中へ進み出た。
「ミカ様、あなたが神様から授かったというその『奇跡』は、とっくに使用期限が切れていますわ。あなたがレバーを引くたびに、吸い上げられているのは魔力ではありません。装置の支持基盤の寿命そのものですわよ!」
「な、何ですって……!? 嘘よ、私の魔法は完璧よぉ!」
「完璧な魔法だろうと、建物は物理法則に従うのですわ! 見てちょうだい、その制御壇の足元を!」
私の鋭い指摘に、ルードヴィヒとミカがハッと目線を落とした。
すでに古代魔法装置の振動は臨界点を超えていた。老朽化した石積みの土台が、あまりの過負荷に耐えかねて、ピキピキと音を立てて粉々に破裂し始めていたのだ。
「支持層が崩壊しているわ。これ以上出力を上げれば、魔力が逆流して装置そのものが自壊し、この地下空洞全体の地盤が液状化を起こす。そうなれば、帝都そのものが地下へと丸ごと沈没しますわよ!」
「だ、黙れ! 敗北者の脅し文句など耳を貸さん! ミカ、最大出力だ! 帝国に逆らう不届き者どもを、魔法の光でねじ伏せよ!」
「任せて、皇太子様あぁぁ!!!」
完全に理性を失ったミカが、制御壇のレバーを最大へと引き絞った。
その瞬間。
ドォォォォォン!!!
耳を聾するような大爆発音が地下空洞に炸裂し、空間そのものが激しくグラグラと揺れ始めた。
だが、それは彼らが期待した魔法の奇跡などではなかった。暴走したエネルギーが逆流し、装置の基部が完全に吹き飛んだ、破滅への終わりの合図だった。
「ひ、ひいいいッ!? 結界が、私の制御を完全に超えてるわぁぁ!」
制御壇から激しい火花が散り、ミカは悲鳴を上げて床を転げ回った。近衛兵の何人かが崩落する岩の下敷きとなり、残された兵士たちは武器を捨てて逃げ惑う。
「エレーナ、危ない!」
上空から降ってきた巨大な鍾乳石のような岩塊から、レイヴンが私の身体を強く抱き寄せ、間一髪で引き剥がした。背後で、先ほどまで私たちがいた床が、凄まじい轟音と共に底なしの暗黒へと崩落していく。
「ありがとう、レイヴン。……ですが、このままでは本当に帝都の何十万という民が巻き添えになりますわ。装置の出力を物理的に遮断しなければなりません!」
「分かった、遮断弁はあっちだ! あんたの引いた『アローザの設計図(未来)』を、こんなクソみたいな嘘の塊と心中させてたまるかよ!」
レイヴンは激しい石の雨と暴走する光の渦の中、私をその大きな身体で庇いながら、古代魔法装置のメインパイプの基部――巨大な緊急遮断弁へと向かって、果敢に突き進んでいった。




