第八話 魔法のない街が、魔法帝国を脅かす日
エルドラド巨大魔法水道橋の崩壊を、魔法を一切使わずに阻止したという衝撃的なニュースは、またたく間に帝都全域を駆け巡った。
「アローザ建築工房」の名は、今や平民たちの間で救世主と同じ意味を持っていた。かつて私を「反逆者」と罵った民衆は、手のひらを返したように私の名を呼び、白い安全帽を被った我が工房の職人たちが通りを歩くだけで、惜しみない歓声と拍手が送られるようになったのだ。
だが、その熱狂を、血走った目で睨みつけている者たちがいた。
「エレーナめ。公爵家を追放され、泥にまみれて野垂れ死ぬはずだった不届き者が、よもやこれほどの政変(不穏な真似)を引き起こそうとはな」
皇宮の奥深くにある、皇太子の執務室。
ルードヴィヒ殿下は、アローザ工房の活躍を伝える密偵からの報告書を、怒りに震える手で机に叩きつけた。
「殿下、どうかお心を静めてくださいませ。あの生意気なエレーナ様のことですわ、きっと平民どもを金で抱き込んで、ご自分の罪をはぐらかそうとしているに違いありません」
隣に寄り添うミカが、可憐な白い神官服の裾を揺らしながら、甘ったるい声でルードヴィヒの胸元に手を当てた。だが、その漆黒の瞳の奥には、隠しきれない焦燥と、私に対する凄まじい嫉妬の炎が燃え盛っている。
それもそのはずだ。水道橋の救援劇以降、帝都市民の間では「聖女の結界は嘘だったのか」「高い魔法維持費を払う必要などないのではないか」という、帝国の根幹たる魔法の権威に対する、重大な不信感が広がり始めていたからである。
「ミカ、お前が怯える必要はない。……だが、これ以上の増長は帝国への叛逆も同然だ。アローザの技術が本物であろうと偽物であろうと関係ない。我が帝国の繁栄を支える魔法の秩序を脅かす存在は、力ずくで排除せねばならん」
ルードヴィヒは冷酷な笑みを浮かべると、傍らに控えていた帝国建築局の新たな主席建築士へと視線を向けた。
「管理局の権限を最大限に発動せよ。あの女の『泥遊び』を、今すぐこの帝都から叩き出すのだ」
☆
翌朝、私とレイヴンが帝都中央広場に設営した臨時の「アローザ建築工房・帝都出張所」の前には、不穏な鉄の響きが鳴り響いていた。
「これより、魔法建築管理局の最高令を執行する! 職人どもは直ちに作業を停止し、速やかにこの場から退去せよ!」
拡声のマジックアイテムを使い、尊大な声を張り上げているのは、ハンスをはじめとする建築局の役人たちだった。彼らの背後には、完全に武装した数十人の帝国近衛兵が、鋭い槍を構えて広場を取り囲んでいる。
せっかく水道橋の応急補強を終え、次の区画の安全性調査を始めようとしていたダリオたちが、一斉にクワや測量道具を握りしめて色めき立った。
「おい、待ちやがれ! 俺たちは治水事業の特例令に基づいて、帝都の崩壊を止めるために動いてるんだぞ! なんの権限があって俺たちの仕事を邪魔するんだ!」
ダリオが巨体を揺らし、ハンスに向かってハンマーを突きつけた。
「ふん、不学な泥民どもが。特例令はあくまで『緊急時』の応急措置を認めるものに過ぎん」
ハンスは懐から、禍々しい朱色の国家刻印が押された「アローザ建築工房・即時活動停止および立ち入り禁止命令書」を突きつけてきた。
「現在、水道橋の危機は去った。よって、特例令の適用は今この瞬間をもって終了する! これ以降、管理局の正式な施工許可を持たない者が帝都の構造物に触れる行為は、すべて『国家インフラに対する破壊工作』。すなわち、国家反逆罪とみなす!」
「なんだと……!? 命がけで街を救ってやった相手に向かって、反逆罪だと!?」
若い石工たちが怒りの声を上げる。近衛兵たちが一斉に槍の先端を職人たちへと向け、広場の空気は一触即発の緊迫感に包まれた。
「皆さん、そこまでになさい」
私は一歩前に出て、凛とした声で現場を制した。作業着のポケットに両手を入れ、完璧に上品な、けれど凍りつくような冷徹な微笑みをハンスへと向ける。
「ハンス様。相変わらず、ルードヴィヒ殿下の使い走りとしては一級の手際ですわね。私たちが水道橋を完璧に直したのを確認してから、おいしいところだけを利権の檻(法規制)で囲い込もうというわけかしら?」
「黙れ、ヴァン・アローザの名を剥奪された罪人め! 帝国の建築法は、皇太子殿下の御意志そのものである。貴様らがどれほど奇妙な算術を並べようとも、我が管理局の許可なき建築行為はすべて違法なのだ!」
ハンスは勝ち誇ったように胸を張った。彼は、私が前のように法律の穴(特例令)を突いてくることを見越して、上層部に手を回し、特例令そのものを強制終了させる手続きを取ってきたのだ。
これ以上の実力行使は、確かにアローザ工房の職人たちを本当の「犯罪者」にしてしまう。
「エレーナ、どうする?」
隣に立つレイヴンが、外套の内で短剣の柄にそっと手をかけながら、低く鋭い声で私に耳打ちした。彼の鷹のような瞳は、周囲の兵たちの配置と退路を一瞬で計算している。
「構いませんわ、レイヴン。……ハンス様、その命令、謹んでお受けいたします」
「な……ッ!?」
ダリオたちが驚愕の声をあげる中、私は一歩も怯むことなく、ハンスの目をまっすぐに見つめ返した。
「私たちはこれより、帝都におけるすべての調査・補強行為を完全に停止し、アローザ工房の敷地内へと撤退いたしますわ。……ですが、ハンス様。これだけはお忘れなきよう」
私は声を一段と低くし、冷酷な圧力を役人たちへと叩きつけた。
「この帝都の構造的寿命は、すでに限界を迎えています。魔法の接着剤(魔力)がどれだけ過剰に供給されようとも、基礎の不同沈下と柱の疲労破壊は物理の法則に従って確実に進行していく。……次にどこかが崩壊したとき、あなた方のその『許可証』という名の紙切れが、数万トンの石の重さを支えてくれるとよろしいですわね」
私の凄まじい威圧感に、ハンスは一瞬、言葉を失ってガタガタと震え出した。
「撤収しますわよ、アローザ建築工房! 道具をまとめなさい!」
私の大号令のもと、職人たちは悔しさに歯噛みしながらも、整然と機材を片付け始めた。民衆が遠巻きに不安そうな声を上げるなか、私たちは帝都中央広場を後にした。
☆
その夜、帝都の端にあるアローザ工房の仮宿舎。
「クソッ! 皇太子の野郎、俺たちの技術が怖くてたまらねえんだな! 書類一枚で現場を縛り付けやがって!」
ダリオが机を叩き、悔しさを爆発させていた。
「だがエレーナ、このまま手を引くわけにはいかねえぞ。帝都のあちこちの歪みは、確実にひどくなってる。近いうちに、今度は宮殿の基部か、あるいは平民街の地下構造が丸ごと崩落しかねねえ」
レイヴンが、昼間に隠密ルートで手に入れた帝都の魔力流動の簡易図面を広げながら言った。
私は製図台の上で、一本の鉛筆を指先で弄びながら、じっとその図面を見つめていた。
「ええ、分かっていますわ、レイヴン。ルードヴィヒ殿下は、私たちの技術を接収するか、あるいは完全に圧殺するまで、この弾圧の手を緩めないでしょう。……ですが、これで舞台は整いましたわ」
私は不敵に微笑み、地質図の帝都中心部――皇宮の地下をコンパスの針で強く突いた。
「彼らがどれだけ政治的な権力で私たちを縛ろうとも、建物の自重は一秒も待ってはくれません。立ち入り禁止命令? 結構なことですわ。自分たちの手でその首を絞める歪み(バグ)がどこまで膨れ上がるか、特等席で見物させていただきましょう」
私の瞳に宿る一切の揺らぎのない光に、レイヴンは頼もしげな苦笑を浮かべた。
だがその時、宿舎の薄暗い廊下に、あわただしい足音が響いた。
扉が激しく開け放たれ、顔を青ざめさせたトリアの商人ギルドの連絡員が飛び込んできた。
「エ、エレーナ様! 大変です! 皇宮の最高議会において、ルードヴィヒ殿下が臨時の緊急勅令を可決させました! 『アローザ建築工房の主要幹部に対し、国家反逆罪の嫌疑による本格的な指名手配および、身柄の即時拘束』が決定したとのことです! すでに近衛兵の精鋭部隊が、この宿舎へと向かっています!」




