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婚約破棄された一級建築士令嬢は、魔法帝国の欠陥を見抜く~追放先の泥だらけの辺境で、魔法不要の都市開発を始めます~  作者: 明石竜


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第五話 下流の古橋を、崩れない橋に造り替えましょう

 共同住宅の完成から、さらに半年が過ぎた。

「魔法のない街アローザ」の噂が帝国を駆け巡る中、黒土領の工房はかつてない活気に満ちていた。

 第一号となる共同住宅(アパートメント)が完成して約半年。泥だらけだった村は、今や規則正しく区画整理された「都市」の雛形へと姿を変えつつある。上水道と下水道が機能し、糞尿の臭いとは無縁の清潔な石畳の通りを、毎日多くの職人や労働者が行き交っていた。

 しかし、都市が急速に成長すれば、新たなボトルネックが生まれる。

「エレーナ、近隣の商業都市『トリア』へ続く街道の状況だが、最悪だぜ」

 アローザ建築工房の所長室。レイヴンが泥と鉄錆のついた大きな手で、一枚の広域地図を机に広げた。

 彼の指が示しているのは、アローザと外の世界を繋ぐもう一つの生命線『黒土川下流の古橋』の場所だった。

「トリアの商人たちがアローザの建築資材(レンガ)や農産物を大量に買い付けたがってるんだが、この下流の橋が完全に死んでる。元々は帝国の宮廷魔導士が『浮遊補強の魔法』を施して維持してた木造橋なんだが、維持費の徴収が止まったせいで魔法が完全に切れた。主桁は腐り落ち、今は歩行者が命がけで渡るのがやっとだ」

「物資の流通が止まれば、都市の成長はそこで頭打ちになりますわね」

 私は腕を組み、地図の等高線と水流のデータをじっと見つめた。

 アローザの評判を聞きつけて、毎日のように平民の職人や、帝国の過酷な税から逃れてきた難民が流れ込んできている。彼らに仕事を与え、飯を食わせるためには、近隣の都市トリアとの間に、大量の物資を一度に運べる「強固な交易路」を確立することが急務だった。

「よし、この下流の古橋を、アローザの技術で完全に架け替えますわ。今度は上流のアーチ橋よりもさらに巨大な、大型の荷馬車が三台同時にすれ違える『複線式の石造連続アーチ橋』を造りましょう」

「連続アーチだと?……おいおい、工期も予算も、上流のときの比じゃないぞ。それに今の工房には、そんな大規模な工事を一から賄うだけの資金の余裕はねえはずだ」

 レイヴンが眉をひそめて指摘する。確かにその通りだった。共同住宅の建設や上下水道の敷設で、手元の資金(キャッシュフロー)は一時的にカツカツになっている。

「資金が足りないなら、前借り(ファイナンス)すればいいのですわ」

 私は机の上に、トリアの商業ギルドから届いた返書を広げた。

「……ですが、少し計算が狂いましたわね」

「どうした?」

 レイヴンが、私の手元にある資金計画書を覗き込んだ。

「出資を承諾してくださったのは、必要資金の半分だけですの」

「半分だと? 残りはどうする。橋脚を半分だけ造って、残りは魔法で浮かせるわけにもいかねえぞ」

「分かっていますわ。ですが、工期を延ばせば、交易路の開通も遅れます。新しく来た住民たちの仕事も減ってしまう……」

 私は図面に視線を落とした。

 建物の構造なら、いくらでも計算できる。

 けれど、資金の不足は数式だけでは解決しない。

「……エレーナ。最初から全部造ろうとするから、金が足りねえんじゃないか?」

 レイヴンが地図の一点を指した。

「まず一部の工区を完成させて、荷馬車を片側ずつ通せるようにする。その通行料を残りの工事費に回すんだ」

「……段階施工、ですわね」

「ああ。図面を少し変える必要はあるが、できない話じゃねえだろ?」

 私はしばらく図面を見つめ、それから思わず笑みをこぼした。

「素晴らしいですわ、レイヴン。私、最初から完成形ばかり考えていましたのね」

「たまには俺にも、いいところを見せさせろよ」

「ええ。では、設計を見直しましょう。工事中の安全性も、資金を回収するまでの計画も含めて、私たちの仕事ですもの」

「……はあ、驚いたな」

 レイヴンは呆れたように笑い、首を振った。

「あんた、ただの天才設計士かと思ってたが、とんだ守銭奴(ビジネスマン)でもあるらしい。技術だけじゃなく、その貴族仕込みの交渉術まで武器にするとは、帝都の皇太子様もとんでもない化け物を辺境に放り出したもんだぜ」

「褒め言葉として受け取っておきますわ、レイヴン。さあ、予算は確保できました。すぐにダリオたちを呼んで、資材の切り出しと加工のスケジュールを組みますわよ!」

             ☆

「連続アーチ橋だとぉ!? エレーナのお嬢様、またそんな無茶な図面を引きやがって!」

 現場のプレハブ小屋に集まった職人たちの前で、首席石工責任者のダリオが、図面を睨みつけながら豪快に声を荒げた。だが、その顔に以前のような拒絶の色はなく、むしろ一級の職人としての「闘志」がギラギラと燃え盛っていた。

「上流の単一アーチとは訳が違う。川の真ん中にいくつも石の橋脚を建てて、そこに何重ものアーチを連続して繋ぐんだろ? アーチが互いに押し合う力のバランス(水平推力)が、一箇所でも支えを失えば、全部のアーチが連鎖的に崩れ落ちちまう工法だ!」

「その通りですわ、ダリオさん。だからこそ、あなたのミリ単位の石割精度(コントロール)が必要なのです」

 私はホワイトボードの代わりに用意した大きな板に、炭のペンで応力(ベクトル)の図解を書き込んでいく。

「今回の連続アーチは、各アーチの支点にかかる水平方向の力を、隣のアーチが相殺し合う構造になっています。そのため、両端の橋台(アバットメント)と、川底に設置する中間橋脚が、必要な支持力を確保した基礎でなければなりません。ダリオさん、石材の接合面(ジョイント)には、現地で新しく配合した『高強度モルタル』を使用します。石材の接合面を精密に仕上げてくださいませ」

「へっ、言ってくれるじゃねえか。俺の削る石に、隙間なんて一分(約3ミリ)だって生じさせねえよ! 若造ども、モタモタするな! 工房長(お嬢様)の引いた完璧な図面に、俺たちの腕が追いつかねえなんて恥をさらすんじゃねえぞ!」

「おうよ!」

 ダリオの怒号に近い大号令に、若い石工や大工たちが拳を突き上げて応じる。

 アローザ建築工房の現場は、完全に一つの生き物のように機能し始めていた。かつては身分や魔法の有無で差別され、その日暮らしの奴隷のように扱われていた平民の職人たちが、今や自分の「腕前」と「安全」が完全に保証されたこの場所で、最高のものを提供しようと目を輝かせている。

 私は彼らのために、現場の安全基準(セーフティプロトコル)をさらに厳格化した。

 すべての職人に、厚手の布と革を組み合わせた「安全帽(ヘルメット)」の着用を義務付け、高所作業の足場には頑丈な手すりと、前世の命綱に該当する「安全索」を敷設させた。

「職人の命を無駄に散らす建築など、ただの欠陥住宅ですわ」

 私のその徹底した方針に、最初は「お上品な過保護だ」と笑っていた職人たちも、実際に足場からの転落事故が命綱によって未遂に終わるのを目撃して以来、私を「命を守ってくれる最高のボス」として深く崇拝するようになっていた。


 しかし、工事は決して順風満帆ではなかった。

 黒土川の下流は上流に比べて川幅が広く、水深も深い。さらに、現地の特異な鉱物を含む泥のせいで、川底の地盤は予想以上にドロドロの軟弱地盤だった。

「エレーナ! ダメだ、川の中に土嚢を積んで水をせき止めよう(締切り工事)としたが、泥の圧力で土嚢の壁が何度も押し流されちまう!」

 激しい泥水に腰まで浸かったレイヴンが、ロープを握り締めながら叫んだ。

 川の中に頑強な石の橋脚を建てるためには、一度その周囲の水を完全に抜いて、乾いた状態(ドライ)で基礎工事を行う必要がある。

 私は唇を噛んだ。

 当初、この場所での締切り工事は可能だと判断したのは、ほかでもない私だった。

 事前の地盤調査でも、川底の粘土層が軟弱なことは分かっていた。だが、予想を超える泥の流動性までは、正確に把握できていなかったのだ。

「……私の見積もりが甘かったようですわね」

「エレーナ?」

「この工法では、これ以上進められません。いったん作業を中止します」

 私がそう告げると、レイヴンは驚いたように目を見開いた。

「いいのか? 工期が遅れるぞ」

「ええ。ですが、無理に続ければ、職人の皆さんを危険にさらしてしまいますもの」

 私は濁った川面を見つめた。

 設計図の上では、すべてが計算通りに収まっていた。

 けれど、現実の大地は、いつも図面通りに振る舞ってくれるとは限らない。

 前世で何度も思い知らされた、現場の厳しさだった。

「……やっぱり、あんたは変わったお嬢様だな」

 レイヴンが小さく笑った。

「普通の貴族なら、自分の失敗を認めるくらいなら、職人のせいにするところだぜ」

「私は貴族である前に、建築士ですわ」

 私は泥に汚れた手袋を外し、図面を広げた。

「間違った設計に固執することほど、危険なことはありませんもの」

 その間にも、黒土川の凶暴な水流は、これまでに積み上げた土嚢の壁を次々と崩していた。

 現場に焦燥感が広がる。職人たちの間に、「やっぱり魔法なしで川の中に橋を建てるなんて無理なんだ」という諦めの空気が漂い始めた。

「レイヴン、職人の皆さん、いったん川から上がりなさい! 工法を根本から見直しますわ!」

 私はメガホン代わりの円錐形の紙筒を口に当て、現場全体に響き渡る声で指示を出した。

 私は長靴のままぬかるんだ岸辺を進み、川から引き揚げてきたレイヴンの元へと駆け寄った。彼の身体は冷たい泥水でガタガタと震えていた。私は自分の上着を彼の肩にかけ、鋭い目で川の濁流を睨みつけた。

「水をせき止めるのが無理なら、最初から『乾いた箱』を川底に沈めればいいのですわ」

「乾いた箱……? 一体何を言ってるんだ?」

「前世の……いえ、私の秘策、『潜函(ケーソン)工法』ですわ」

 私は泥の上に、素手で四角い箱の絵を描いた。

「頑丈な函体を川底へ沈め、内部の土砂を取り除きながら、安定した支持層まで到達させる工法です。ただし、水圧や地盤の状態によって施工方法は変わります。まずは現地の条件を慎重に調べ直しましょう」

 レイヴンは泥の上の図解を凝視し、その分厚い胸を大きく上下させた。

「……なるほど! 水と泥への対策を考えながら、基礎を築くわけか! 箱が強固な岩盤(支持層)に到達したら、その箱の中に大量の石とセメントを流し込んで、そのまま巨大な橋脚の土台にしちまうんだな!」

「その通りですわ、レイヴン。自然の力を力技でせき止めるのではなく、構造の工夫で受け流す。これがアローザの建築ですわ」

「おもしろい……! おい、みんな聞いただろ! 工房長が最高の作戦を授けてくれた! すぐに工房に戻って、巨大なケーソンの木枠を組み上げるぞ!」

 レイヴンの力強い声に、職人たちの目に再び火が灯った。

 それからのアローザ建築工房の団結力は凄まじかった。レイヴンが川底の掘削指揮を執り、ダリオのチームが正確に石を積み上げ、私は毎日現場の進捗(スケジュール)と構造の歪みをミリ単位で管理し続けた。


 夜、工房の設計室で、私とレイヴンは二人きりで遅くまで明日の施工図の手直しをしていた。

 ランプの柔らかな光の中、疲労で少しぼんやりとする私の手元に、温かいハーブティーのカップが置かれる。

「少しは休めよ、エレーナ。あんたが倒れたら、この街の設計図を引く奴がいなくなっちまう」

 レイヴンが私の隣の椅子に腰掛け、不器用な手つきで私の髪に触れた。現場の泥が少し残る彼の指先が、私の頬を優しく掠める。

「……ありがとうございます、レイヴン。ですが、胸が高鳴って眠れませんの。前世では、利権や予算、理不尽な規制のせいで本当に造りたい建物が造れなかった。でも今は、あなたと、あの信頼できる職人たちがいる。私の引いた一本の線が、本当に誰も崩せない本物の形になっていく……これ以上の幸福はありませんわ」

 私がまっすぐに彼を見つめると、レイヴンは少し照れたように視線を外し、だがすぐに真剣な瞳で私を見返した。

「俺もだよ、エレーナ。あんたに出会うまで、俺は帝国の魔法建築の嘘に絶望して、ここでただ腐りかけてた。……あんたが描く未来の設計図なら、俺は命を懸けてでも全部形にしてやる。だから、これからも俺の先を走ってくれ」

「ええ、もちろん裏切ったりしませんわ、私の最高の相棒(バディ)」

 二人の間に、仕事上の強固な信頼と、それを超えた確かな熱が通い合った瞬間だった。


            ☆


 工事開始から三ヶ月。

 黒土川の下流には、誰も見たことのない、壮麗にして圧倒的な建造物が姿を現していた。

 美しい放物線を描く五つの石造アーチが連続し、川を跨ぐ『新・トリア大橋』。

 魔法の補強を一切受けていないその橋は、開通式のその日、トリアの商業ギルドが送り込んできた「大型のトリプル荷馬車」が同時に三台、満載の物資を載せて通過しても、埃一つ落とすことなく、堂々とその重量を支え切ってみせた。

「素晴らしい! 魔法の維持費がかからない、永久に使える大橋だ!」

「アローザの建築工房は本物だ! 帝国のどの建築局よりも優れた技術を持っている!」

 トリアの商人たちは大歓声を上げ、アローザとの間に結ばれた優先交易権を使って、次々と物資をアローザへと運び込み始めた。

 橋の完成によって、黒土領には莫大な富と流通、そして新たな技術者たちが爆発的に流入することとなった。アローザはもはや単なる「泥の村」ではなく、帝国北西部における最大の「経済・建築の新星都市」へと成長を遂げたのだ。

 しかし、その歓喜の式の最中、橋の向こう側から、帝国の紋章を掲げた数騎の騎馬武者が現れた。

 彼らは橋の手前で馬を止めると、集まった商人たちを押しのけるようにして、私たちの前へと進み出た。

 彼らが持ってきたのは、朱色の蝋で厳重に封印された、最高権力者からの直筆の命令書。

「エレーナ・ヴァン・アローザ。およびアローザ建築工房の者どもへ。皇太子ルードヴィヒ殿下よりの勅命である。帝都の偉大なる魔導宮殿の老朽化に伴う大修繕工事を行うため、エレーナ、貴様の持つ『平民の建築知識』を帝国へ即時提供せよ。直ちに荷をまとめ、一週間以内に帝都へ帰還することを命じる」

 その高圧的な命令書を読み上げた使者に対し、周囲の領民や職人たちは一瞬にして激しい怒りと不安に駆られた。

 一度はエレーナを「危険な反逆者」として断罪し、泥の辺境へ追放した男が、アローザの繁栄を見るや否や、その技術を「もともと帝国のものだ」と強奪しにきたのだ。

 領民たちが息を呑み、レイヴンが不穏に剣の柄に手をかける中、私は至って涼しい顔でその命令書を受け取った。

「まあ、ルードヴィヒ殿下からの直々の救援要請(おねだり)ですのね」

 私は優雅に微笑み、使者の目の前で、手元にあった高級な羊皮紙に、さらさらと流麗な文字で返書を書き上げた。

「使者の方、この返書を殿下にお渡しくださいませ。『私の技術が必要とおっしゃるなら、相応の対価(帝国建築独占権の廃止、および職人の完全なる自由化)を支払っていただきます。それができないのであれば、そちらの欠陥だらけの宮殿(おうち)と心中なさるのがよろしいかと思いますわ』……とね」

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