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婚約破棄された一級建築士令嬢は、魔法帝国の欠陥を見抜く~追放先の泥だらけの辺境で、魔法不要の都市開発を始めます~  作者: 明石竜


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第四話 職人に身分はいりません。必要なのは腕前です

「――直ちに取り壊し、工事を中止せよ」

 完成したばかりの美しい石造アーチ橋の袂に、帝国の役人の冷酷な声が響き渡った。

 男の名はハンス。帝国の「魔法建築管理局」から派遣された一級官僚だ。薄い茶髪を几帳面に撫でつけた痩せ型の中年男性で、金糸の刺繍が施された贅沢な官服を泥風に揺らしながら、蔑むような目で私たちを見下ろしていた。

 その背後には、抜刀した十数人の帝国兵が控えている。

 せっかく開通した新しい交易路に歓喜していた村人や職人たちは、一瞬にして恐怖に血の気を引かせ、せわしなく行き交おうとしていた商人たちの荷馬車もその場に急停止した。

「取り壊せ、ですって?」

 私は一歩前に出た。麻のシャツの袖を捲り上げ、腰に道具袋をぶら下げた私の姿を、ハンスは「これだから平民に身を落とした元公爵令嬢は」と言わんばかりに鼻で笑った。

「そうだ、エレーナ・ヴァン・アローザ。いや、今はただの罪人か。エルドラド帝国建築法第三条によれば、『帝都以外の地方において、一定の規模を超える公共建造物を建造する際は、魔法建築管理局の事前許可、および国家魔導士による魔法補強を義務とする』と定められている。魔法の補強も受けておらず、管理局の許可も得ていないこの橋は、明白な違法建築物だ」

 ハンスは懐から、仰々しい朱色の刻印が押された「差押え命令書」を突きつけてきた。

「許可なき違法建築は、国家の安全を脅かす破壊工作とみなされる。職人どもを捕らえ、この悍ましい石の塊は今すぐ叩き壊せ!」

「待てよ!」

 ダリオが巨大なハンマーを握り締め、顔を真っ赤にして叫んだ。

「俺たちがどれだけの思いでこの石を削ったと思ってやがる! 違法だかなんだか知らねえが、この橋は魔法なんかなくたって絶対に崩れねえ! 壊すなんて絶対に許さねえぞ!」

「黙れ、職人風情が。魔法の補強のない建築物など、いずれ崩壊して民を巻き込む凶器となるのだ。帝国の法は絶対である」

 兵士たちがダリオを囲もうと、一歩前へ進み出る。緊迫した空気が現場を支配し、誰もが最悪の事態を覚悟したその瞬間。

「ふふ、あはははは!」

 静まり返った川原に、私の澄んだ笑い声が響き渡った。

 ハンスが不快そうに眉をひそめ、兵士たちの足が止まる。私は一歩、また一歩と優雅な足取りでハンスへと近づき、その「差押え命令書」を扇の代わりに指先で軽く弾いた。

「何が可笑しい、エレーナ!」

「可笑しいに決まっていますわ、ハンス様。あなた、せっかく帝都からわざわざこんな辺境まで出張ってこられましたのに、帝国の法規(建築基準法)を何一つ勉強してこられなかったのですもの」

「何だと……!?」

「確かに、帝国建築法第三条には大規模建築物への魔法義務化が記されていますわ。……ですが、ハンス様。同法第七条、および二百年前の『北西北辺境開発特例令』の存在をお忘れかしら?」

 私は前世の一級建築士時代、数千ページに及ぶ「建築基準法」や「都市計画法」の細かい条文、果ては過去の判例までをすべて頭に叩き込んで仕事をしてきた。その執念に比べれば、魔法にかまけて形骸化した帝国の法律を読み解くなど、赤子の手をひねるより容易い。私は数日前に領主館の地下で見つけた古い法典の記憶を、完璧に脳内から引き出した。

「特例令第十二項によれば、『年間降水量が一定値を超え、かつ地盤の軟弱な帝国北西部(黒土領等)の辺境においては、緊急の治水、および物流の確保を目的に行う建築行為に限り、領主の裁量による即時施工を認める。また、その際の工法は現地の環境に適したものを最優先とする』とありますわ。……ハンス様、この黒土川は、数日前に大氾濫を起こしたばかり。この橋の架け替えは、領民の命を守るための『緊急の治水・物流確保』に該当します。つまり、管理局の事前許可など、最初から一秒たりとも必要ありませんわ」

「な……な、何をデタラメを!」

 ハンスの顔が、一瞬にして見苦しく引きつった。彼は慌てて背後の部下に目配せをしたが、部下の若手官僚は青ざめた顔で小さく頷き、私の指摘が完全に事実であることを上司に告げた。

「そ、そうだとしてもだ!」

 ハンスは冷や汗を拭いながら、なおも虚勢を張って命令書を振りかざした。

「魔法補強が義務化されていない特例だとしても、安全性の保障がない! 魔法による構造維持がなされていない以上、この橋が『安全であるという証明』が立証されない限り、使用を認めるわけにはいかないのだ!」

「安全性の証明、ですか。ええ、もちろんご用意しておりますわ」

 私はフッと冷徹な笑みを浮かべると、背後に控えていたレイヴンに向かって、あらかじめ用意していた「一枚の大きな羊皮紙」を持ってくるよう合図した。

 レイヴンがニヤリと不敵に笑いながら広げたのは、私が夜通しで書き上げた、緻密な「構造計算書」と「荷重試験データ」だった。

「これが、この『黒土川石造アーチ橋』の構造計算図解ですわ。ハンス様、あなたは先ほど『魔法のない建物はいずれ崩壊する』とおっしゃいましたわね? では、お聞きしますわ。この図面にあるアーチの半径、石材の密度、そして各接合面(ジョイント)にかかるベクトル(応力)の分散値を、今すぐここで査収してくださらない?」

 私はハンスの目の前に、数字と幾何学的な数式がびっしりと並んだ紙面を突きつけた。

「え、ええい、なんだこれは……! 呪術の文字か!?」

「ただの算術(数学)と物理法則ですわ。この橋は、石材にかかる荷重を圧縮力として橋台へ伝える構造です。魔力の供給が途絶えても、ただちに強度を失うことはありません。もちろん、長く使うためには定期的な点検が必要ですけれど。さあ、管理局の一級官僚であるハンス様なら、この安全性の数式が『正しいか正しくないか』、当然その場で検算できますわよね?」

「う、ぐ……あ、頭痛が……」

 数字の羅列を見ただけで、ハンスは目を回しそうになって激しくよろめいた。帝国の建築士や官僚たちは、建物の強度をすべて「魔導士の魔力量」という大雑把な基準でしか測ってこなかったのだ。構造力学という、前世の世界が何百年もかけて積み上げてきた「科学の力」の前には、彼らの権威など机上の空論にすら満たない。

「もし、この数式が理解できないとおっしゃるのでしたら……」

 私はハンスを完全に見下ろす視線で、冷ややかに言い放った。

「そちらに停車している、近隣の町からの荷馬車をすべて、今すぐ同時にこの橋の上に載せてごらんなさいな。私の計算では、最大で荷馬車五十台が同時に通過しても、この橋の構造的歪みはゼロコンマ数ミリ以下ですわ。もし一過性の亀裂でも入ったならば、私は国家反逆罪でもなんでも、喜んでお受けいたします。ですが」

 私は声を一段と低くし、冷徹な圧力をハンスに叩きつけた。

「もし、橋がびくともしなかった場合……。あなたは、正当な治水事業を不当に妨害し、辺境の流通を停止させて帝国に経済的損失を与えた無能官僚として、私が直ちに中央議会へ弾劾状を送呈いたしますわ。ヴァン・アローザ公爵家からは義絶されましたが、他国の王室や帝国内の主要商会(パトロン)へ続く、私の私的な人脈まで消えたわけではありませんのよ?」

 論理的な反論に加え、元公爵令嬢としての威圧感を突きつけられ、ハンスはついにガタガタと震え出した。

「ひ……ひいいッ! 撤退だ! 一旦、帝都に戻って上層部の判断を仰ぐ!」

 ハンスは命令書を泥の中に落としたまま、大慌てで煌びやかな馬車へと逃げ込み、帝国兵を引き連れてクモの子を散らすように去っていった。


「――勝った、勝ったぞおおお!」

 帝国の役人が見えなくなった瞬間、黒土川の両岸は、昨日の橋の完成時をも超える、凄まじい地鳴りのような歓声に包まれた。

「お嬢様……いや、エレーナ様! 凄すぎるぜ! あの鼻持ちならない帝都の役人を、書類と口喧嘩だけで叩き出しちまうなんて!」

 ダリオが、ハンマーを高々と掲げて叫んだ。

「魔法管理局の鼻をあかしてやったぞ! ざまぁみろ!」

 彼をはじめとする職人たちが、地面を叩いて大笑いしている。

 待機していた商人たちも、我先にと荷馬車を走らせ、新しく完成したアーチ橋を渡り始めた。一台、二台、十台――重い鉄鉱石や木材を積んだ荷馬車が次々と通過していくが、石の橋は埃一つ落とすことなく、堂々とその重量を支え切ってみせた。

「たいしたもんだ。法律と数字を使って、敵を一切傷つけずに完膚なきまで叩きのめすとはな」

 レイヴンが歩み寄り、私の肩をポンと叩いた。その顔には、深い感心と、私の相棒としての誇らしげな笑みが浮かんでいた。

「建物は嘘をつきませんもの。そして、正しい知識もまた、決して嘘をつきませんわ」

 私は道具袋から手拭いを取り出し、少し汗ばんだ額を拭った。ハンスを追い払ったことは痛快だったが、これで帝都の「魔法建築管理局」の上層部が、私たちの技術を本格的に脅威とみなし始めるのは確実だった。

「のんびりしている暇はありませんわね、レイヴン。工房の評判が広がれば、これからさらに多くの職人や平民が、仕事を求めてこの黒土領に集まってきます。今のボロボロの村のままでは、すぐに住環境が破綻してしまいますわ」

「ああ、そうだな。で、次は何を建てるつもりなんだ、エレーナ工房長?」

 レイヴンの問いかけに、私は橋の向こうに広がる村の家々へと視線を向けた。

 そこには、昨日の洪水を乗り越え、私たちの技術を信じて集まってきた若い職人たちや、家を失いかけて共同生活を送っている領民たちの姿があった。

「最初に建てるべきは、豪華な領主館(マイホーム)でも、見栄えのいい宮殿でもありませんわ。領民たちが安全に、そして暖かく暮らせるための『共同住宅(アパートメント)』です。これを作りますわよ」


 翌日から、アローザ建築工房の第二の大プロジェクト「黒土領第一号共同住宅」の建設が始まった。

 私が引いた設計図は、この世界の人々にとって、まさに驚天動地の構造をしていた。

「おい、エレーナ。これ、本当に木と石だけで三階建ての建物を造るのか? しかも、何十世帯もの家族が、一つの建物の中に一緒に暮らすって……そんな巨大なもん、魔法なしで本当に建つのかよ」

 設計図を囲む机の上で、ダリオが頭を抱えていた。

 この世界の一般的な平民の家は、一本の太い柱に頼った平屋の木造か、粗末な石を積み上げただけの平屋が基本だ。魔法の加護がない限り、複層階(二階建て以上)の建物を建てるなど、強度の面から自殺行為だと信じられていた。

「建ちますわ、ダリオさん。前世の……いえ、私の設計では、建物の重量を四方の『壁』全体で均等に支える『壁式構造(ツーバイフォー)』の理論を応用します。各部屋を強固な箱(ボックス)の形に組み上げ、それをハニカム構造のように連続して配置することで、魔法の補強なしでも、地震や強風にびくともしない頑強な三階建ての集合住宅が実現しますの」

 私はさらに、前世の知恵である「上下水道の基礎配置」の図面を広げた。

「さらに、建物の地下には一括して生活用水を供給する配管(パイプ)と、汚水を外へと逃がす共通の排水溝をあらかじめ敷設します。帝都の平民街のように、窓から通りへ糞尿を投げ捨てるような不衛生な真似は、このアローザの街では一切させませんわ」

「上下水道……それに、壁で建物を支える……」

 レイヴンは図面を凝視し、その指先で壁の接合部のディテールをなぞった。

「なるほど。これなら、特別な巨木を使わなくても、現地で調達できる並の木材と、ダリオたちが作る標準規格のレンガ(ブロック)を大量生産すれば、短い工期で何十人分もの頑丈な家が建てられるって訳か。エレーナ、あんたのやり方は、いつも無駄がねえな」

「建築とは、限られた資源と時間の中で、最大の安全と快適を生み出す芸術(サイエンス)ですもの」

 私は作業着のポケットから鉛筆を取り出し、図面にいくつかの修正を書き加えた。

「職人の皆さんの労働環境も一新しますわ。これまでの帝国の現場のように、身分が低いからとタダ働きをさせたり、危険な高所作業を命綱なしで行わせることは絶対に認めません。働いた時間と成果に応じた『明確な賃金制度』を導入し、全員に安全帽(ヘルメット)の着用を義務付けます」

 この私の提案は、職人たちに二重の衝撃を与えた。

 彼らにとって、建築現場とは常に「貴族の奴隷」として扱われる場所であり、怪我をすれば使い捨てにされるのが当たり前だったからだ。しかし、このアローザ建築工房では、自分の「腕前」がそのまま正当な報酬となり、領主である私自身が、誰よりも彼らの命を大切に扱っている。

「……ふん、本当におもしろいお嬢様だ。いいぜ、俺たちの命、あんたのその白い安全帽(ヘルメット)とやらに預けてやるよ!」

 ダリオが豪快に笑い、若い職人たちに檄を飛ばした。

 こうして、アローザ建築工房は身分制度を完全に廃した「能力主義の近代組織」へと生まれ変わり、黒土領の大地を力強く踏み荒らし始めた。

 数か月後、黒土領の荒野には、白いレンガと木目が美しい、整然とした三階建ての集合住宅が完成していた。

 雨漏りもせず、冬の冷たい隙間風も通さない、そして清潔な水がいつでも使える魔法のいらない最新の家。入居した領民たちは、その快適さに涙を流して喜び、工房の職人たちの士気は最高潮に達していた。

「魔法を使えなくても、努力と技術で、貴族より豊かな暮らしができる街がある」

 その噂は、商人の口コミを通じて、瞬く間にエルドラド帝国全土へと広がり始めていた。

 しかし、そのアローザの急速な繁栄を、帝都の華麗な宮殿から、忌々しげに睨みつけている男がいた。

「エレーナめ、あの泥だらけの辺境で、平民どもを集めて不穏な真似を……」

 皇太子ルードヴィヒ。彼の手には、アローザの驚異的な都市開発を報告する、何枚もの隠密からの報告書が握り締められていた。


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