07.残滓
星月は、以前から気になっていた扉の前で立ち尽くしていた。”図書館”と、はっきり書かれた文字を見上げている。そーっと自動ドアの前に近づくと、ドアが開いた。恐る恐る中へ入ると、まるで外界とは断絶された世界のようだった。
あちこちから聞こえる紙の擦れる音と、どこか遠慮がちな誰かの声。星月は、慣れない足取りで絨毯を踏みしめ、書架の迷路へと吸い込まれていく。
「本さん、しー……だよ?」
見渡す限りの分厚い本に囲まれて、夢中でその気配を肌に馴染ませるように背表紙を優しく撫でていた。
「ぎゅーぎゅーさんで、暖かそう。りりも、挟まりたいなー」
静寂に溶け合うような吐息で呟きを落とす。ゆっくりと足を運んでいると、忍者になったように感じた。隠し扉の一つや二つくらいあるのではないかと怪しみ、本を数冊取ってみたが、特に変わったことは起きなかった。
——何にもなかったよ?
『あらあら、あるなんて言っていませんわ』
「あっ」
何気なく目をやった書架の奥に、見覚えのある人物が分厚い本を読んでいる。視界の隅に混じった違和感に、星月の足取りは自然と力を失った。確かに知っている人物のはずなのだが、記憶を探っても情報が出てこなかった。
『りり、あっちに面白そうな場所があるわ』
じーっと知っているはずの人物を見つめていると、その顔がこちらに向きかけた。もう少しで目が合うと思ったところで、ぷいっと逸らされてしまった。
器用だな、と、思った。
『前を見て! あっちにキラキラしたものがあるよ! 行ってみよ!』
そんなに言うのなら、相当面白いものがあるのではないかと思い、正面を向いた。特に何も見当たらなかったが、空気に背中を押されたかのように足が進む。自らの足が床を蹴る姿を、どこか遠いところから眺めているような不思議な感覚に陥っていた。
『そうよ。あっちの方がきっと楽しいわ』
言われるがまま、ただ淡々と前へ進み続ける。立ち止まることなく、吸い込まれるように歩き続けた。
「.……ちくちくさん?」
ちくっと胸が痛むのを感じた。心臓を直接手で鷲掴みされたかのような、そんな感覚。そっちじゃないよ。そう言われているかのようだった。
——でも、あっちにるんるんさん、いるんだよ!
歩調を緩め、胸元に手を添えた。心臓がドクン、ドクン、と動いている。何かに後ろ手を引かれたかのように感じた。
意識のどこかで何かが零れ落ちそうな気配があるが、それを捕まえられない。
「……」
その時、誰かが横を通り過ぎた。その人物を追うように、星月は身体の向きを変える。周囲を見渡すが、人影はなく、ただただ書架が並んでいた。
『りり? そっちには何もないわ。きらきらさんは、逆よ』
再度隙間をなぞるようにゆっくりと巡らせたが、求めている景色はそこには無かった。視線を彷徨わせていると、元居た場所で誰かがこっちだよ、と、手招きしているようだった。左足を一歩前に出し、右足もそれに続いた。
右手を胸元に当てたまま、ゆっくりと、何かに引き寄せられるように歩き出した。
「はてなさん、どこいった?」
手招きしている人物は、見た目よりも遠かった。次第に歩く速度が上がり、駆け足のようになる。周囲の景色がなくなり、ただただ、進み続けた。
『りり、だめよ。お願い……戻って来て』
もう少し。あと、数歩で戻れる。星月は手を伸ばし、そこにいる人物に触れようとした。
その瞬間、景色が戻る。
横を見ると、見覚えのある人物が下を向いて俯いている。
「あ……」
頬にスーッと何かが流れたような気がした。頬に手を添えると、違和感が手の平から伝わってきた。目の前に持ってくると、確かに手の平は濡れていた。頭をフル回転させ、いつものように答えを探し、答えを出す。
しかし、その答えは宙に浮いて届かなくなってしまった。
頬に流れた液体を拭い、改めて奥の人物の方へ足を進めた。その足は、徐々に速度を上げ、一気に距離を詰めていく。
「ずっと、下向いてるけど…….ねんねなの?」
とうとうすぐ前まで辿り着き、前かがみになって、覗き込んだ。顔を覗くと、今までわからなかったことが嘘のように、自然と頭に浮かんだ。
「みーつけたっ。エリート君、ねんねなの?」
いつもより小さい声で。しかし、はっきりと呼んだ。まるで、以前から呼び続けていたかのようだった。
「星月……か。何故戻ってきたんだ」
しばらく白瀬を覗き込んでいたが、一向に視線が合わなかった。むしろ、顔を逸らされ続けていた。白瀬の視界に入ろうと、動いたが、全く入る気配はなかった。
——ふんふんさん……なりそう!
「……むー」
膝を畳んでしゃがみ込み、白瀬の膝をツンツンと指で突いた。もしかして、そういう遊びなのではないかと少し考えた。
そうだとしたら、白瀬の勝ちでいい。強すぎる。
「エリート君。りりのこと、じーって、できないの?」
容赦なく膝を突き続けたが、白瀬からの反応は返ってこない。もしかしたら、遊びをやめたいのに、やめられないのかもしれない。そう考えることにした。
「りりにも、考えが……あります」
視線を膝から上に走らせると、一瞬目が合ったが、すぐに右を向いてしまった。スッと立ち上がり、星月の両手で白瀬の両頬を挟みこみ、力任せに正面を向けさせる。視線を逃がさないとばかりに、額をコツンと重ねた。
——あはは!これで、りりの勝ち!
「だーめっ! えいっ! こっち向けの魔法だよ!」
互いの額が触れ合い、呼吸が交じり合う。白瀬はこれ以上ないほど大きく目を見開いた。視線が逃げ場を失ったかのように、星月の瞳を真っすぐ捉えていた。星月は彼の瞳を見つめ返したまま、小さく微笑んだ。
勝ち逃げは許さないよ、と、言っているかのように、自信に満ちた顔をしていた。
「な、何を……!! して、いるんだ!」
顔を動かそうと白瀬は首に力を入れようとするが、星月がそれを許さなかった。勝ち続けることに、意味がある。そう思ったからだ。
「みーつけた! エリート君、りりのことじーってできたね。えらいえらい!」
「ぐっ! は、放せっ……」
星月の両手が白瀬に掴まれ、少しの攻防の後、白瀬は解放された。逃がすつもりは無く、力で負けるつもりも毛頭なかったが、今回だけは譲ることにした。
「エリート君、魔法、できたね!」
息を整えている白瀬を、星月は満足そうに覗き込んだ。頭頂部に手を乗せ、優しく撫でた。
「魔法ではない。物理だ!」
読んでいただきありがとうございました!
8話は明日投稿します!




