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こっち向けの魔法だよ!-君を好きになる魔法-  作者: パーシバル田中
大学編序盤

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05.不調和

食堂へ足を踏み入れると、人の波と食器が触れ合う音に包まれていた。

星月はその場で一度足を止め、流れていく学生を眺めた。

まるで自分だけ時間が止まっているようで、思わず笑みが零れる。


「かっきてき……だね!」


しばらくその場に留まっていると、男子学生の肩が星月にぶつかり、

チッと舌打ちする音が響いた。


『ひどーい! か弱い女の子にぶつかるなんて! ありえない!』

『人ごみの中立ち止まるのは、危ないですわ。席を探しに行きましょう』


星月は全く気にしていなかったが、そうはいかなかったみたいだった。


席を探す前に、半透明のコップを一つ取り、ぎりぎりまで水を注ぐ。

人の流れに身を任せ、右へ、左へ。周囲と同じように、首を振りながら席を探した。


「ぜんぜん空いてない……」


しばらく進んだが、どこも埋まっていて、星月が座る席がない。

正午の食堂がこんなにも混んでいるなんて考えもしなかった。


『うーうー! エリート君です! エリート君いました!』


更に奥へ進んだところで、星月の足が止まった。

空席の向かい側に、見覚えのある顔が座っていた。


 ——たしか、エリート君?


「エリート君、みーつけたっ! 白い湖さん、ぷかぷかしてるね!」


ガタンという音と共に、トレーを滑らせる。

その衝撃で、コップの水がはじけるようにして、テーブルに散った。


「あっ! こぼれちゃった……」


一気に血の気が引き、星月はしゅんと肩を落とした。


「ふきふきしなきゃねー。でも、ふきふきさんいないなー?」


チラチラと白瀬に視線を送り、返事を待つ。

しかし、肝心の白瀬はこちらを見るだけで、貸してくれる気配がない。


『気付いてくれてもいいのに! 鈍感な男!』


ふんっと鼻を鳴らしながら、顔を背けている様子を想像する。

笑みが零れそうになったが、意識を視界に戻して耐えた。


『あらあら、もしかしたらエリート君も持っていないのかもしれませんわ』


『うーうー! その可能性大です! ジェントルマンくんではないかもしれません!』


 ——しー、できる?


『しー、できます! 大得意です! ……いつまで、ですか!?』


 ——一人になるまで。


星月は下げていた顔を上げ、キリっと白瀬の瞳に視線を定めた。


「エリート君、ふきふきさん……ある?」


白瀬が、深く息を吐いた。


周囲では賑やかな話し声が飛び交い、食器の触れ合う音が絶え間なく続いている。

頭上では、空調が低く唸っていた。


それでも、白瀬のため息だけは、不思議なほどはっきりと星月の耳に届いた。


「ティッシュくらい持ち歩いたらどうだ? ……手ぶらで学校に来たのか?」


テーブルに広がっていた水は、跡も残さず綺麗に拭き取られていた。

その様子を見ていた星月は、いつもと変わらない笑みを浮かべている。

困ったことがあれば白瀬を頼ってみよう、と思った。


「今日は、講義は無かったのか?」


ぐっしょり濡れたティッシュを纏めながら白瀬が問いかけた。


「むずむずさん、りり、やっつけた!」


ぴくっと一瞬だけ、白瀬の眉毛が動いたように見えた。

しばらく星月を見つめていたが、やがて皿に乗った料理を口に運んでいた。


「……講義があったということだな?」


 なぜ繰り返し聞くのかはわからなかったが、こくんと首を縦に振る。そして、指先を静かに上げてトレーの上にある皿を指さした。


「エリート君、これ、もぐもぐさん?」


 口の中に入れたスプーンを取り出すことを忘れたかのように、また固まっている。


 天井から流れてきた風が、星月の長い髪を優しく撫でるように揺らした。時間を止められる人間は、自分だけではなかったのだと思い、可笑しくなる。


「……当たり前だろう」


 ようやく白瀬の時間が動き出し、コップを手に取り、ごくごくと飲み干した。勢いよくコップを置いたせいか、テーブルが少し揺れた。


「……もくもくさん、消えちゃうね?たいへんだー」


 星月は、料理から出る揺らぎが無くなっていることに気付いた。どうせなら、揺らめきと共に身体を動かしとくんだったと、少しだけ後悔した。


「恐らく、湯気のことだと思うが、それも、当たり前だ」


 ——今日のエリート君は、当たり前さんだね。


 周囲の喧騒に耳を傾けてみるが、面白そうな話は聞こえてこなかった。皆夢中で、食べ物を口に運んでいる。


「君の、昼食はどうした」


 突然白瀬が言葉を発したせいで、うまく聞き取れなかった。首を傾けたまま困っていると、白瀬が、「昼食だ」と、付け加えてくれた。


「お水さん、いるよ?」


 コップを両手で持ち上げ、頬の横に添えた。ニコッとポーズを決めた後、口に運ぶ。ごくごくと喉を鳴らしながら、あっという間に飲み干した。


「たしかに、君のトレーには水しかない。昼食はもう済ましたのか?」


 水を飲みほした余韻に浸っている最中に、白瀬がまた何か言ったみたいだった。今日の白瀬はとても間が悪いと感じた。


「……」


 ゆっくりと瞬きを繰り返すと、白瀬の姿勢が変わっていることに気が付いた。両肘をテーブルにつけ、顔の前で指を組んでいる。背後にある窓から入る陽の光が重なっていることもあってか、眉間の皺が一層深くなっているように見えた。


「既に、昼食は食べたのかと。そう聞いているんだ。聞こえているのか?」


 記憶にある白瀬の声よりも、何段階も低くなっているように感じた。テーブルに落ちた陰を眺めると、先ほどよりも星月の方へ明らかに伸びていた。陰に手を乗せてみると、急に橋が架かったみたいだと可笑しくなる。


 白瀬の顔の皺が段々と深くなっている。返事をしていないことに気が付き、口を開く。


「……お水さん、いるよ?」


 顔の前で指を交差させた白瀬の瞳は鋭く、星月を無言で見つめている。そんなに見つめて何が楽しいのかがわからなかったが、面白いことが起きることを期待して見つめ返すことにした。


『危険です……多分、離れた方が、良いです』

「エリート君、もくもくさん、無くなっちゃったよ?」


 ——るんるんさん、こないね?


 徐々に星月の口角が上がってくる。白瀬は依然として鋭い眼差しを星月へ向けていた。痺れを切らして口を開けようとしたその時、前方から声が聞こえた。


「今は、君の昼食について、聞いているんだ。水だけなのか、既に食べた後なのか」


 白瀬の頬にツーっと汗が流れ、やがて顎から雫となり落ちる。星月は、本当にテーブルに落ちたのか、それとも床に落ちたのかが気になって仕方がなかった。


「りり、お水さんごくごくしてるよ? ぐーしない。だめ?」


 腹部に手を添え、優しく撫でた。空腹を告げる様子は一切ない。白瀬が繰り返す質問が、山彦のように思えてくる。


 昼食——ちゅうしょく——しょく——く——


 食べたのか——たべたのか——のか——か——


 心の中で繰り返していくうちに、つまらない尋問も楽しくなりそうだと感じた。


「要するに、水だけというわけだな? ……それは、いつもそうではないよな?」


 白瀬の言葉を確認するように、心の中で繰り返した。


『りり、無理しなくていいのよ』


 やっと楽しくなってきたところだと、そう思った。


『……そういうことでは、ないの』


 何かが聞こえた気がしたが、聞き返してもノイズが走るだけだった。


「りり、白いころころさん、もぐもぐするよ!」


 手のひらを丸め、リズムよく握っている様子を模した。白瀬はようやく視線を星月の瞳から外し、胸元の前でリズミカルに動く手を凝視した。


「ころころ……白い、ということは、おにぎりか。あとは?」


 周囲の賑やかな音にかき消され、星月の耳には届いてこない。白瀬は口を動かしているので、音を発していると感じるが、その音は、途中で力を失っているようだった。


「……」



 最初は勢いよく飛び出す音が、途中で力無く落下している様子を想像すると、音が可哀そうに思えてきた。星月は、腕に力を入れ動かそうとするが、何故かぴくっと動いただけで、言うことを聞かなかった。


「口に出してくれないと、わからない」


 白瀬の言葉は、食堂の喧騒の中へ霧散した。


「エリート君、もくもくさん……」


「いないのは、わかっている。だが、水と、おにぎりだけで生命が維持できるとは、信じ難い」


 星月の言葉に被せる様に、白瀬が声を発した。


『りり、あっちにキラキラがあるよ? いってみよ?』


 右、左へと首を回したが、期待したものは何もなかった。


「……」


 しばらく沈黙が続いた。白瀬が、どこを見ているのか分からないし、何も話さない。ただ、表情だけが強張っていた。


 やがて、ゆっくり瞬きをし、こくんと頷いてから、白瀬が鋭い眼差しを向けてくる。


「君は、会話ができないのか?」


 会話なら、ずっとしているのに、と、星月は思った。少し考え、思考を巡らせる。そして、一つの答えを導き出した。


「エリート君、りりと、るんるんしたいんでしょ!」


 星月が柔らかく微笑んでいるのとは対照的に、白瀬の表情は崩れ落ちるように歪んでいた。その後、テーブルの上の影が縮んでいった。


「今、俺は、君に……君とは、星月のことだ。質問をしている。君は、たまに俺の質問を明らかに避けている。いや——?」



「エリート君、何か、言った?」


 白瀬が勢いよく椅子を引き、背中が壁に当たる。しかし、白瀬はその衝撃を気にすることなく、視線だけは星月の瞳を捉え続けていた。


「——」


 そのまま、ゆっくりと腰を浮かせ、立ち上がる。


「エリート君、バイバイ?」


 白瀬は、沈黙し呆然と立ち尽くしていたが、やがてその場を離れた。


 食堂の騒音が、だんだん大きくなる。後ろ姿を追っていたが、いつのまにか消えていた。星月は、トレーの上にあるコップを口に運んだが、口を潤すことはなかった。


「あ。お水さん、もうないや」


 空のコップをカタンと置き、誰も座っていない席を見る。

 ついさっきまで誰かが座っていて、お喋りしていたような。

 気のせいか、と呟いてから、視線を落としコップを見つめた。

ありがとうございました!

書き方を書ていますが、どうでしょうか?


6話も明日投稿されます!

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