04.翻弄
星月は賑やかな廊下を小気味良い足取りで歩いていた。
パタパタと鳴る足音が、周囲のざわめきに混ざっていく。
『うーうー! 発見です! 小さい箱さん、いっぱいあります!』
『あっちには、キラキラした箱もあるよ! 今度いこうね!』
行き交う学生や開いた教室のドアへ、次々と顔を向ける。足元も前方もほとんど見ないまま、目に入るものへ順番に意識を奪われていた。
『あらあら、前を見て歩かないと、すってんてんしちゃうわよ』
「りり、すってんてんしないよ! るんるんさんだから!」
床に並ぶタイルをなぞるように、一枚ずつ踏んでいく。軽く弾んでいた足音が、一歩進むたびに小さくなっていた。
『またまた発見です! エリート君、発見しました! まだ気付かれていません!』
ふと顔を上げると、少し先を歩く白瀬の背中が目に入った。
「ほんとだ! どうしよっかなー! わー、しよっかなー!」
星月の弾んだ声が、廊下のざわめきを抜けて響いた。白瀬の肩がわずかに揺れ、ゆっくりと振り返る。
「……星月か」
白瀬と目が合った瞬間、星月の動きがピタリと止まった。星月は、一拍遅れて短い息を呑む。
「わっ! 見つかっちゃった! かくれろー!」
隠れる場所を探すように、忙しなく廊下のあちこちへ視線を飛ばした。
「……ない! かくれんぼできる場所、ないよ! どうしよう!」
白瀬は目を細め、隠れ場所を探し続ける星月をしばらく見ていた。やがて、諦めたように息を吐く。
「こっちに来ればいいだろう」
星月は、白瀬との間に残っていた距離を、一気に縮めていく。
「えと……みーつけたっ! エリート君、てくてくさんだね!」
駆け寄った勢いのまま、白瀬の目の前で止まる。両手を後ろに組み、白瀬の顔を下から覗き込んだ。
「……近い。適度な距離を取れと、言っただろう」
星月の肩が、ぴくりと跳ねた。
「そうだった!」
足元を見て一歩だけ後ろへ下がる。それから、距離を確かめるように腕を伸ばした。
「エリート君は、むずむずさんだねー。りり、せわしない!」
白瀬は妙に真剣な面持ちで、星月の瞳を正面から見据えた。
「もし、嫌でなければ、君のその、むずむずさんのような言葉をメモさせてほしいんだが。いいか?」
行き交う学生の声が、立ち止まる二人の周りを流れていく。少し遅れて、星月の頭が横へ傾いた。
「かきかきさん?」
白瀬は一呼吸置いてから、ゆっくりと言葉を続ける。
「そうだ。君の言葉は、その……何と言ったらいいか。あー。かなり独特だ。俺には、意味が分からない」
言葉を探すように揺れていた白瀬の視線がピタリと止まり、正面から星月を見据える。
「だから、理解したいんだ。変な意味ではない。むずむずするんだ。わからないことがあると」
少し先の教室から、細かな音が絶え間なく流れてくる。白瀬の横を抜けるように、一歩踏み出した。
「エリート君! こっち、おっきい箱さんあるよ!」
白瀬の手首をそっと掴み、教室への距離を潰していった。
「おい! いいのか、だめなのか教えてくれ! とるからな!? メモするぞ!?」
白瀬の顔をしばらく見つめた後、こくんと小さく頷いた。次の瞬間には、扉の向こうへ身を乗り出している。
「わー! かたかたさん、いっぱいだー。たのしそー!」
口元を緩めたまま、隣にいる白瀬へ顔を向ける。しかし、白瀬は教室ではなく、手元のメモに夢中になっていた。
「エリート君! カタカタさん、たのしそーだね!」
返事を待つように上体を傾け、ペンを動かし続ける白瀬の顔を覗き込む。
「あ、あぁ。そうだな。カタカタさん……これは、恐らくキーボードの音から取ったと推測するが、合っているか?」
星月は、むすーっと頬を膨らませ、廊下へ身体を戻す。床に足を強く押し付けながら、先へ進んだ。
「あ! こっちには、白い鳥さんもいるよ! ……エリート君!?」
星月の声に返事はなく、紙を擦るペンの音と小さな独り言だけが続いている。
「……だーめっ! えいっ! かきかき禁止の魔法だよ!」
白瀬の手元からメモをひょいと取り上げる。まるで時間が止まったかのように、白瀬は固まったままだった。
「エリート君。りり、ぷんぷんさんです!」
メモを抱え込むように胸元へ引き寄せ、頬を膨らませ、ぷいっと顔を横へ向ける。
「これ、ポイします!」
白瀬のメモをパーカーのポケットの奥にしまい込んだ。
「ポイするのは、困る。君の言葉を星月語と仮称しているが、それを記録し、翻訳したいんだ。頼む。返してくれないか?」
白瀬は両手を顔の前で突き合わせ、わずかに頭を下げた。
『りり。返してあげたら、エリート君、ルンルンさんだわ』
喉の奥で迷うような声を出しながら、白瀬の頭頂部を見つめた。
「どーぞ。エリート君、ルンルンさん?」
ポケットからメモを取り、白瀬の前に差し出した。白瀬はそれを受け取ると、背負っていたリュックの中へ大事そうにしまい込む。
「ありがとう。君の前ではメモを取らないことを約束する。そして——」
白瀬がリュックに目を向けているのを確認し、そーっと一歩下がる。そのまま、ざわめきに紛れるようにその場を離れていった。
「っ! 星月!? どこにいった!」
少し離れた場所で、白瀬が右へ左へ顔を向けているのを微笑みながら眺めていた。
「エリート君! こっちだよ! くるくるさんだったね!」
星月は、えへへと笑いながら、手招きをした。
「急にいなくなるからだ! 急にいなくなったら驚くだろう。」
少し離れた場所から、白瀬がやれやれといった様子で足早に向かってくる。
「あはは! エリート君、くるくるさーん! たのしー!」
星月はご機嫌にくるくると回りながら、無邪気に遊んでいた。
「何事も無くて良かったが……」
歩み寄ってきた白瀬を迎え撃つように、星月は白瀬の前に歩み出る。
「エリート君、はてなさん、ぎゅーぎゅーだよ? 大変だ!」
少しだけ上体を前に傾け、下から白瀬を覗き込んだ。
「はてなさんとは、多分、わからない、という意味だと思うが、わからないがぎゅーぎゅーとは……」
白瀬が顎に指を添え、眉間に皺を寄せた。
「むずむず顔だね! むずむず君!」
白瀬の表情をからかうように、わざとらしく眉間に皺を寄せた。
「君と話していると、頭がパンクしそうだ……!」
白瀬が諦めたように小さくため息を吐く。
「そういえば、星月は何処に向かっているんだ?」
白瀬は星月をじっと見つめ返し、静かに口を開いて問いかけた。
「おっきい箱さん! むずむずさんのお話があるの!」
星月はすっと腕を伸ばし、一直線に伸びた廊下の奥を指さした。
「むずむずさんのお話し...。もしかして、大教室Aの世界史概論か?」
こくこくと首を縦に振り、白瀬の手を取る。
「エリート君! だーっ! するよ! せーの!」
星月は、白瀬の手を引き、走り始めた。ほんの一瞬、動きを止めたが、白瀬は気付いていないようだった。白瀬の大きくて温かい手を離さないようにぎゅっと握りしめながら、目的地まで走った。
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