4.水瀬と白瀬
りりの家に住んでから数週間が過ぎた。まあ、住んでると言っても半分居候だ。実家は居心地が悪かったし、りりとずっと一緒にいられると思うと、幸せで心が満たされる。今までひどいことをしてしまった分、何かで償いたい。今日は、その何かを探す日にするんだ。
りりが住んでるマンションを初めて見た時は、顎が外れるかと思った。空に届くくらい高く、ここはホテルなのかと思う程のエントランス。そして、部屋に着くまでのエレベーターがとても長い。それだけは、少し面倒臭いなと思ったが、りりがワクワクして楽しそうにしている姿を見ると、悪くないなと思った。
部屋の中に入っても、驚きの連続だった。何足も入る様な靴置き場の中には何も入っていなかった。ていうか、りりは靴を一足しか持っていない。……靴をプレゼントするのもいいかもしれない。
その後も、水の箱だらけの部屋は少し怖かったけど、水に困らなくていいと思うことにした。リビングに続く廊下には右側に三つ、左側に三つの部屋があり、右側の部屋の一つに、さっきの水の部屋がある。もう一つは、白瀬が言ってた『認識できない部屋』。そして、バカでかいベッドが置いてある寝室がある。左側には、トイレとお風呂があって、空き部屋があった。
そして、リビングとキッチンが繋がったとても広い部屋には、高そうなパソコンやとても高そうなカメラがあった。テレビでしか見たことが無い照明などもあったが、私にはよく分からなかった。
そして、壁にはダンス教室なのかと思いたくなるくらいの鏡がドシンと存在感を放っている。たまにりりと可愛いポーズで、写真を撮ったりするのに便利だった。
キッチンを使用した形跡は無く、埃が溜まっていた。今までお掃除はどうしてたんだろう。……してないとか? あり得る。だって、掃除機も無いんだもん。お掃除ロボットの姿も無い。……後で相談しよう。
そんな感じで、りりが甘えた声で誘ってきたことをきっかけに、この現実離れした空間に住むことになった。女の子なら誰でも一度は憧れる『タワマン暮らし』を急に叶えてしまった。でも、私はりりに相応しい人間ではないから、家事を頑張るんだ。
◇◇◇
りりは大金持ちだ。詳しくは分からないが、パソコンで配信というものをしているらしい。そういえば、テレビでも配信者が出演してる番組を見たことがある。少し調べたが、配信で稼ぐことはとても難しいらしい。それに、前よりハードルが上がってるとも書いてあった。私の彼女はすごいなと思うと同時に、顔を出しているりりが少し心配になった。
少しだけ。ちょっとだけ覗いてみた。りりの配信を。興味本位で。一番最初の配信は、画質が悪くて見れたものではなかった。それでも、再生数は数万回を超えていた。日にちを見てから少し泣いた。だけど、目を逸らしちゃダメなんだと、自分に言い聞かせた。
りりから貰った部屋には、ずっと書いていた日記や学校に必要なものだけを持ってきた。極端に物が少ないこの家に勝手に持ってきたらいけないと思った。本当は服とか靴を持ってきたかったが、必要な枚数だけにした。
……そろそろ、私の服も買わないと。そうだ、りりと服を買いに行こう。
りりが大学に行っている間は暇だ。話し相手がいないし、遊ぶものも無い。無駄に大きいテレビはあるが、この時間は面白い番組は何もない。
一人になると、やっぱり私はりりと一緒にいるべきではないんじゃないかと思うときがある。日記を読み直すと、自分が意図的にりりを傷付けるようなことをしてきたかが鮮明に書かれていて、吐き気がした。りりの本心を聞いてみたかった。本当は憎んでいるんじゃないかとも思う。それくらいのことを、私は中学の時に何度もしたんだ。純粋なりりを、私が壊した。自分が気持ちよくなるために、りりを利用した。
……ほんとに嫌になる。私は自分が嫌いだ。
◇◇◇
りりが帰ってくると、世界が明るくなる。勢いよく開けるドアの音が聞こえると、時間が動き出したかのように、跳ねるように私は立ち上がる。「ぐでぐでさん!」という声がすぐに聞こえてくるから、ドアを開ける。短い廊下の先には、愛しのりりが靴を揃えてるから、私は「おかえり」と言って彼女を抱きしめる。
これからりりと楽しい時間になる筈だった。その筈だったのに、余計な男が一緒にいる。私はむすっと下唇を噛んで不機嫌な顔を作った。『私は不機嫌です』という顔を、その男に向ける。すると、あろうことか彼は「そう怒るな」と宥めてくる。この男はいつもそうだ。
……待って。りりと帰って来たってことだよね?
私も一緒に帰りたい。一緒に授業を受けたい。一緒にお昼ご飯を食べたい。
この男とりりの仲がいいことは知っている。不覚にも彼から聞いてしまったから。もうそのことは整理がついてる。今更嫌だなんて言わない。
でも、でもだよ。どれくらい大学で一緒にいるのかは分からない。学部が違うとは言っても、昼食の時間は変わらないし、講義の時間も同じ筈だ。もしかしたら、共通の講義もあるかもしれない。
……ずるい。ずる過ぎる!
「大好き!」
そんなことを考えていると、りりが私の胸に飛び込んできた。私はバランスを崩し、背中を床に打ち付けた。かなり痛かったが、相手がりりだから気にならない。よしよしと、彼女の頭を撫でながら、少し細い身体を堪能する。それだけで、身体の痛みは宙に消えるんだ。
「……俺がいないときにやってくれないか」
低い声で何かを言っているが気にしない。むしろ、早く帰るかリビングに行ってほしい。私の至福のひと時は、例え神様にだって邪魔させないんだから。
すると、思いが伝わったのか、彼はスタスタとリビングへと消えた。
「あのね、りり……えと、むずむずさんがんばった!」
私の耳元で大きな声を出してりりが言った。私は「偉いね。すごいね」と言いながら、りりの頬に自らの頬を重ねた。まだまだ健康的とは言えないが、中学や高校の時よりかはふっくらと可愛い頬になってきている。
「ねえ、今日はなんであいつと一緒だったの?」
そう聞くと、たまたま帰りに会ったから連れてきたと、りりが言った。多分、そんな解釈で合ってると思う。だって「あー! して、だー! ってしたんだよ!」って言われても、そう解釈するしかないと、私は思う。
「りりは……いや、なんでもない」
私は聞いてはいけないことを言いかけて、やめた。人間は簡単には変われないんだなと思いながら、りりと一緒に立ち上がり、手を繋ぎながらリビングへと向かった。
リビングに入ると、あの男はりりのパソコンをいじっていた。私もりりもパソコンに詳しくないから、何か困ったことがあると彼に見てもらうことがある。
「し……しら…………白瀬くん!」
私が大きな声で彼を呼ぶと、驚いた様子で彼は振り向いた。
「お前がそう呼ぶのは初めてだな。……すごく嫌な予感がするんだが」
私はこの男が嫌いだ。いっつも正論で殴ってくる。きっと女の子の扱いになれていないんだ。少し頭がいいからって、バカにしてくるんだ。
……でも、りりのことを誰よりも理解してる。だから、利用してやるんだ。
「れ、連絡先教えてくれてもいいよ! あと、相談してあげても……いいんだから!」
勇気を振り絞って、大きな声で彼に言った。多分、私の顔はとても赤くなってるだろう。そして、彼は少しの間の後、返事をした。それを聞いて、私は「なんで!?」と問い質した。
だって、白瀬くんは「嫌だが」と言ったんだから。彼が大切にしているりりの彼女が、勇気を出して言ったのに信じられない!




