3.萌芽
中学生活が始まってひと月ほど経った頃、体育祭の参加種目を決めていた。隣に座っているりりちゃんとは順調に仲良くなっている。好きな人と隣の席というのは、どうしてこんなにも嬉しいものなんだろうか。私が少し席から離れると、残念そうな顔で「いってらっしゃい」と言い、トイレに行くと言うと、ついてくる。こんなに可愛い生物がいるだろうか。いや、いない。
同時に、今まで私は薄い人間関係しか築いて来なかったんだなと思うと、少し寂しい気がする。でも、他人と積極的に関わりたいと思えなかったんだから、仕方ないと思う。
体育祭の種目は、百メートル走、二百メートル走など、私が得意なものばかりだった。しかし、今回狙うのはそれではない。二人三脚だ。これは良い。とっても良い。りりちゃんは運動が苦手だと言っていた。でも、体育祭は絶対参加だ。だから、二人三脚。りりちゃんは絶対に嫌と言わない。そう確信している。
「ねえ、りりちゃんはどれにするか決めた?」
ざわざわと皆があれが良い、これが良いと騒いでいる間に聞いてみた。しかし、なかなか返事が返ってこない。ここで急かしてしまうと、顔を赤くして泣いてしまう。つまり、りりちゃん検定不合格だ。合格するには、少し待つ。もう少し待つ。それで返ってこなかったら、決めてあげる。これが、合格ラインだ。
「私と一緒に二人三脚に出ようよ! 名前書きに行っていい?」
ここまで来たら、もう決まったも同然だ。私は席を立って、まだ誰も書かれていない『二人三脚』の項目の一番上に、『りり♡なぎさ』と書いた。ハートはやりすぎたかなと、少し不安になったが、女の子同士なんだから誰も気にしないだろうという結論に至り、席に急いで戻った。
「ハートにしちゃった!」
りりちゃんは、こういう甘酸っぱいことに弱い。すぐ顔が赤くなって、もごもごと何かを言いたそうにする。最初は嫌かなと思って遠慮してたけど「いやじゃない」と言っていたから、今では遠慮なくやってる。でも、やりすぎて泣いちゃったら悲しいから、少しでも嫌そうな顔をしたらやめよう。傷つけたくないのは、本当なんだから。
◇◇◇
初めての練習日に、お腹が痛くて保健室に行った。元々重い方だったから我慢すればよかったんだけど、軽い気持ちで行ってしまった。後から、りりちゃんに言ってないことに気が付いて、保健室の先生に伝えてほしいと言ったが、流されてしまった。
ベッドに寝転んでいると、先生から辛いんだったら帰っても良いよと言われた。少し迷っていると、先生が答えを急かしてきて、あたふたしている間に帰ることになっていた。
隠れてグラウンドに寄ろうかなとも考えたが、不自然かなと思ってやめた。
◇◇◇
家に帰ると、メッセージが何件か来ていた。熱が出ているわけではないのに、早退したことに少し罪悪感があった。『大丈夫だよ』と返していると、二人三脚リレーに参加する沙耶ちゃんから、長文のメッセージが届いた。
それを読み切った後に、軽々しく保健室に行ったことを後悔した。同時に、りりちゃんは他の人と根本的に違うんだと思った。先生はちゃんと早退したと言ってくれてたみたいだし。もしかしたら沙耶ちゃんがりりちゃんを責めたのかもしれないが、今は想像しかできない。
りりちゃんはスマホを持ってないから、確認しようにも連絡手段がない。家の電話は無いの? と聞いたが、それも無いらしい。やっぱり、りりちゃんの家庭に問題がありそうだなと感じたが、子供の私にはどうしようもない問題だと思った。
お母さんに相談しようとも考えたが、お仕事で大変なのは知っていたから、これ以上負担を掛けたくなかった。ただでさえ、私が弟たちの面倒を見ることをやめたことで負担を倍増させてしまっているんだ。それに、お父さんは関わるなと言うだろう。
もやもやする気持ちを洗い流そうと、シャワーを浴びに向かった。
◇◇◇
昨日より大分良くなっていた。まだ少し辛いが、これ以上りりちゃんを一人にさせるわけにはいかない。いつもよりお父さんが出る時間が遅かったせいで、私も出るのが遅れた。……トイレに新聞を持ち込むな!
急いで階段を上がり、廊下に出るとりりちゃんが何故かドアの前に立っていた。話を聞くと、ドアが重たくて開けられないらしい。何かに引っ掛かっているか、誰かが悪戯をしているだけだろうと思い、力一杯開けてみた。すると、想像の十倍は軽かった。
ガシャン! と、大きな音が廊下に響き、教室の中も一瞬で静まり返った。私は「あははー、ごめーん」と、頭を軽く下げながら教室に入ると、りりちゃんが急に手を握りしめてきた。手汗なのか、ぐっしょりと濡れた手を握りしめると、彼女の身体が驚いたように少しビクンと跳ねた。
◇◇◇
昨日から、沙耶ちゃんたちの誤解をどうやったら解けるのかを考えていた。それにもし、また私がいない状況になったら、同じことになるのかなと思うと、答えが堂々巡りになって結論が出なかった。りりちゃんが私を必要としてくれていることは、とても嬉しかったが、そのせいで苦しむことになるのは違うと、理性が教えてくれた。
やっぱりこれしかないと思った。りりちゃんは嫌がるだろうし、一番避けたいことだと思う。それでも、私の小さい脳みそでは『話し合う』ことしか、出てこなかった。もっとすごい方法を思いつかない自分が、少しだけ嫌になった。
りりちゃんに伝えると、案の定とても嫌な顔をした。でも、このまま引きずるわけにはいかないと思ったし、今後のことを考えると、早めに話した方が良いと思った。もしかしたら、沙耶ちゃんとりりちゃんが友達になれるかも知れない。私の中のもやもやが何かを言っていたが、りりちゃんの安全が第一だと言い聞かせて、隅に追いやった。
◇◇◇
放課後、私はいつも通りの道を通って家に向かっていた。今日の『話し合い』でのりりちゃんがとても格好良かった。人前で話すことが苦手なのに、自分から誤解を解いていた。その結果、沙耶ちゃんも謝った。全部りりちゃんが頑張ったからだ。私は、ただ人を集めただけだった。
私の考えでは、こうはならなかった。だって『私を通して話したらいい』なんて、りりちゃんを独占したいと言っているようなものだし、それこそ、私がいない状況になったらどうするんだという話になる。
——それでいいじゃん。
私は家のドアを開け、いつものようにドンドンと騒ぐ弟を目障りに感じながら、自室へと向かった。




