1.一目惚れ
人のお世話をすることが好きだった。そうすると、嬉しそうな顔をするから。そして、自分が可愛いとも知っていた。顎を引いて瞳を潤わせたら、男の子も女の子も大人たちも皆、目をハートにして甘やかしてくれる。……でも、私の心は全然満たされなかった。
小学校の卒業式、仲の良かった皆と離れることになった。詳しくは分からないが、大きなお家に引っ越すことになったから。今住んでいる場所から少し遠いところらしい。皆は「寂しい」とか「離れても連絡するね」と言って、別れを悲しんでくれた。でも、私の瞳からは一切涙が出なかった。悲しい気持ちはあった。それなのに、心は乾ききったままだった。
◇◇◇
制服というものに憧れていた。中学校の制服は特に可愛いものではなかったが、大人に近づいてる感じがしたから。お母さんがアイロンを当ててくれた白いシャツに袖を通してから、紺色のブレザーを羽織った。少し袖が長くて恥ずかしかったけど、大人の階段を一歩登った気がした。新しい学校、知らない人たちとの出会いに胸を躍らせながら、少し重たいドアを開けて、少しずつ暖かくなってきた春の風を感じながら、運命の教室へと歩を進めた。
◇◇◇
一目見た時から話し掛けたくてうずうずしていた。しかし、新たな出会いという悪魔に憑りつかれたクラスの人たちが話しかけてきて、その場所になかなか行くことができなかった。得意の愛想笑いでその場を後にして、この教室でただ一人、机に顔を伏している女の子を見下ろした。
整えられたとは言い難い黒い髪。とても細い身体。いつ教室に入って来たか分からないくらいの存在感。それでも、見つけてから私の心を鷲掴みにした女の子。こんな感情になったことは無かった。『絶対に仲良くなりたい』その一心だった。一度咳ばらいをしてから、ポニーテールを直した。前髪をチェックして、小さい声を出した。
「ほしづき、さーん」
思ったよりも高い声が出てしまった。こんな声誰にも聞かせたことが無い。きっと、男の子に聞かせたら、迷わず求婚してくるに違いない。しかし、外界を閉ざしているように殻にこもった女の子は、顔を上げなかった。こんな経験も、初めてだ。
「おーい! 起きてるでしょー?」
名前は、たまたまさっき話しかけてきた男の子に聞いた。それしか聞かなかったが、何故かその時だけ嫌な空気が流れていた。なんとなく理由は分かるが、私には関係のないことだった。むしろ、誰にも邪魔されないのであれば、好都合だと思った。
「起きないと、ツンツンしちゃうぞー!」
初対面でこう言うことをするのは嫌われちゃうかもと、心の中では思っていたが、どうしても顔を上げさせたかった。どんな見た目をしているのかを知りたかった。
「ほんとーにしちゃうよー! さーん、にー、いーち……えい!」
念のためカウントダウンを挟んでから、勇気を振り絞って彼女の無防備な横腹を人差し指の先で突いた。すると、思った以上に彼女の身体が跳ね上がり、鋭い眼光を向けられた。私はできるだけニコニコと笑顔を向け、心の中で敵じゃないよアピールをした。
細目になっている筈なのに、大きな目を持ち、毛穴があるのかと思う程綺麗な肌、まつ毛は手入れされていないように見えるが、とても長い。しかし、やはり全体的に痩せている。骨ばっているわけではないが、私が見た人間の中で、一番細そうだと感じた。
「あ! やっと起きた!」
少し遅れて、反応したが、少しわざとらしかったかもしれないと思った。ちゃんと食べているのかという心配が勝ってしまったから。なおも睨み付ける彼女の心を溶かすにはどうしようかと考えながら、いつものように顎をキュッと引いた。
「そんなに怒らないでー? 反省してるからー」
人差し指をツンツンとさせながら、瞳を潤わせて彼女を見つめた。困った時にこうすると大抵その場が明るくなる。そして、人は言う「怒ってないよ」と。目の前の女の子も例に漏れず、怒ってないと、たどたどしく言った。その声は、とても弱々しく、いつかテレビで見た、人間を怖がっている犬のようだった。
すると、突然彼女は腕を交差させて『×』のポーズをし始めた。多分、私のことを拒絶しているんだと思う。
名前を名乗っていなかったと思い、『水瀬凪沙』と教えた。そして、あたかも今気づきましたというように、その『×』は何なのかを聞いた。
「……べ、べつに、きけん……だから」
喋ることになれていないのか、かなりの間の後に、彼女は返事をした。高くて可愛らしい声に、心を奪われた。きっとこれは一目惚れなんだと、心が言う。しかし、女の子なんて好きになってはダメだと、理性が止めた。
危険じゃないと伝えると、警戒しているのか返事が返ってこなくなった。話慣れていないように見えたから、無理に急かさなかった。話題を変えようと、名前を何て呼べばいいかを聞いた。しかし、返事は無かった。少し身体が震えているようにも見える。無理させたら本当に嫌われてしまうかもしれない。そう思った瞬間、彼女の目尻から流れてほしくなかったものが頬を通ったことに気付いた。
こんなことは初めてだ。今までは、私と話したくて列ができるほどだったんだ。その私がこんなに前のめりで話しかけているのに、この女の子は睨み、拒絶し、身体を震わせて泣いている。経験したことが無い状況なのに、何故か身体が火照ってくる。そして、心がそれを、求めてしまった。
「約束するよ。私はあなたを絶対に傷付けない」
再び返事を返してくれたことが嬉しくて、根拠のない約束をしてしまった。傷付きやすい星月さんを大切に、ゆっくりと関係を作っていこうと思っていたのに。
——分かんないんだから仕方ないじゃん。
思っても無い筈の声が、心の中から聞こえた。
この日から、私の『ココロ』は少しずつ黒く染まっていくことになる。




