36.反転
目を瞑ってからしばらくたった後、星月はバサッと身体を起こした。すると、水瀬と白瀬は驚いた様子で身体をビクッと震わせていた。その反応が面白く、三度繰り返したが、三度目はただただ茫然と見つめられるだけで、面白い反応は返ってこなかった。
「話した方がいいって、言ってる!」
水瀬はキョトンとし、何を言っているのかわかっていない様子たっだ。白瀬は「今じゃなくていいだろ」と呟いた。
「だーめっ! 今、話すの! だって、そう言ってるもん!」
星月はマイクを取り、部屋を響かせながら胸を張った。水瀬が何を話すのかを聞いたが、白瀬が先に答えを言ってしまった。すると、彼女はばつが悪そうな顔をして、俯いてしまった。
「私は……いいよ。知ってるし。改めて聞きたい話じゃないもん」
小さい声で水瀬が言った。星月は「絶対ダメって言ってる!」と言い、立ち上がろうとする彼女の膝の上に座った。
「これでトコトコできないでしょ! 今度は、逃がさないよ!」
今度とは何かを少しだけ考えた。響きがいいなと一瞬思ったが、なんか違うなと思った。
『不本意ではありますが、これであの女が……』
——いいから、早く教えてよ!
『……仕方ないですわね。私たちが嘘を吐いてしまった罰。甘んじて受け入れますわ』
「これは罰なんだって! 嘘吐いたから!」
『それは私たちがですわ。目の前にいる二人は違います』
水瀬がビクンと跳ねた気がした。星月は、彼女に密着するように、自らの背中と彼女の腹部を密着させた。
「違うんだって!」
背後から「どっちなの?」と可愛らしい声が聞こえた。白瀬は「気にしない方がいい」と言った。
「エリート君は、マイクを持つ係にします!」
彼は大きく溜息を吐き、マイクを持って星月の口に近づけた。
『それでは、始めましょう。りりが生まれたその瞬間を』
星月は話し始めた。淡々と、頭の中に響いた言葉を紡ぎながら。マイクを通してスピーカーから部屋中に広がり、しっかりと二人の鼓膜を震わせていた。白瀬は水瀬の隣にいたため顔が見えなかった。背後からは早くも呻き声と鼻を啜る音が聞こえてきた。すると、後ろから星月を抱くように腕が伸びてきた。星月は一瞬話すのを止め、この日一番の笑顔を見せた。その笑顔は誰にも見えていなかっただろうが、声が一段明るくなったことは、星月を除いた二人には、しっかりと届いていた。
◇◆◇
高校に入り、最初は順調な日々を過ごしてたんだ。ホイップのお陰でなんとか周囲と馴染めたような気がした。笑顔も練習したし、お話の練習もした。フローラは『ですわ』しか言わないし、アドバイスは適当。ティンクは『~です!』しか言わないから論外。ホイップはあの子みたいに可愛くて、優しい声で教えてくれた。私はそれを真似して、なんとか高校一年生の荒波を超えることが出来た。中学までの練習は何の意味もなかったんだと思った。
男の子が、熱心に話し掛けに来てくれた。最初は驚いて走って逃げちゃったけど、今では空き時間はいつも私の席に来るようになった。でも、あの子みたいに『約束』はくれなかった。代わりに貰っためろんぱんは、変な形をしてたし、ごつごつしてるのに軽くて奇妙なものだった。誰があんなもの好んで食べるんだろう。望月くんに聞いてみようとも思ったけど、話しが長くなりそうだからやめた。
数日後、めろんぱんの次はくりーむぱんというものを手渡された。すぐに、どちらも『ぱん』が付いていることに気付いた。『めろんぱん』の時は逃げちゃったけど、今度は「いらない」ってちゃんと断れた。すると、彼はいらない理由を何度も聞いてきた。ホイップは言ってた。「気持ち悪い」とか「変な味」とかは言わない方がいいって。だから、俯いて尋問が終わるのをただただ待ってた。
この高校には『文化祭』というものがあるらしい。望月くんに聞いたら、どこにでもあると言っていた。放課後、彼が一緒に回ろうと言ってきた。話が長くていやだなって思ったから、私は「うーん」と悩んだふりをした。これもホイップが教えてくれたんだ。何の役にも立たなかったけど。そしたら、突然彼が「やった!」って喜んでた。よくわかんないけど、喜んでるならいいやって思った。
彼に半ば強引に、『きっさてん』と呼ばれる場所に連れていかれた。なんでも頼んでいいというから、水を頼んだ。彼はがやがやと何か言ってたけど、煩いから無視した。
文化祭当日、自由時間になった瞬間に望月くんに手を引かれ、色んなところに連れていかれた。歩くのが早いし、声もぼそぼそと話すから聞き取りにくい。それでも、高校三年間を何事も無く過ごすには、我慢するしかないと思った。
退屈な文化祭だった。よくわからない服を着た人がいっぱいいたところで、彼はオムライスを食べていた。私は、あの子も食べてたなと思い出して、また食べたくなった。『めいどさん』からスプーンを貰おうと思ったけど、その前に彼が私の口にオムライスを押し付けてきた。口の周りが汚れたし、やっぱり変な味だった。気付かれないようにそっとティッシュに出した。それ以外は、特に何もなかったと思う。
やっと終わったと思った文化祭。帰ろうとしたときに、望月くんに呼び出された。大股で歩くから、私は自然と駆け足のようになっていた。誰もいない空き教室に入ると、彼は「俺とずっと一緒にいてほしい」と言ってきた。他にもぼそぼそと言ってたけど、ほとんど聞こえなかったし、聞きたくもなかった。『トモダチ』でもないのに、なんでずっと一緒にいないとダメなんだろう。私は「なんで?」と聞いたら、彼が急に抱きしめてきた。汗臭くて、気持ちが悪かった。精一杯暴れて、なんとか抜け出した。彼はもすごい形相で睨みつけてきた後、ドンドンと、床を鳴らしながら教室から出て行った。あの子だったら、良かったのに。
最悪だ。たまに話していた女の子たちに囲まれた。昨日、望月くんと空き教室に入っていったところを見られていたらしい。私は正直に話した。これが良くなかったんだと思う。すぐに、何も聞こえなくなった。……ノイズのような日常が、また始まるんだ。気付いたら、教室のドアを出たところで転んでた。何が起きたのかわかんなくて、きょろきょろ見渡してたら、望月くんがいた。口角を上げて、にやにやと笑ってた。彼はぼそぼそと何かを言っていたが、聞こえなかった。
それからは……机に顔を伏せる日々だった。授業中以外ずっと。たまに授業中でも紙切れが飛んできた。書いてある言葉は想像がつくから、見なかった。色んなことを言われたけど『声』がいたから気にならなかった。でも、足を掛けてきたり、ぶつかってきたりするのはやめてほしかった。
◇◇◇
私はいつものように、窓から外を眺めていた。誰が来るわけでもない、ただの日課。明日から高校生活最後の冬休み。いつも通り部屋で過ごし、冬休みが終わったら学校に行く。ただ、それだけのはずだった。
時間になり、家のドアを開けて外に出た。冬だというのに太陽が出ていて、暖かい日だった。
私は、足元を見ながら歩き出した。もう少しで家の敷地から出ると思ったとき、何か違和感を感じた。視界の端に私の方に向いた足が見えた。顔を上げてみると、黒い髪を後ろで結いあげ、甘い香りを漂わせている女の子がもじもじと立っていた。
もう会えないと思っていた。夢かと思って目を擦り、頬をつねってみた。夢じゃ……ない……
——どうして……今まで来てくれなかったの……
私はもういなくならないようにと祈りながら、水瀬を抱きしめた。




