35.純愛
白瀬はすぐ水瀬と離れさせたがる。今だって『友達』を作ろうとしたら邪魔してきた。まだ声にも出していないのに……きっと先を越されると思って、焦っていたに違いない。
——困っちゃうね! ぷんぷんさんなりそう!
『え、ええ。そうですわね。でも、りり? もうこの部屋から出た方がいいですわ。耐えられませんわ』
——えー。りり、まだなぎさちゃんと歌ってないんだよ!
『ダメだよ! りりには私たちがいるでしょ? 凪沙なんていらないよ』
——なぎさってだれ? 不思議さんなりそう!
『そうだね、私も知らないや!』
——じゃあ、そこにいる女の子は誰?
『誰もいないよ?』
星月は目を擦り、パチパチと瞬きを繰り返した。すると、白瀬を見つけた。そのすぐ隣に誰かいたような気がしたが、気のせいだと思った。スマホを大きくしたような機会を操作して、アイドルの歌を大量に予約した。
◇◇◇
茶髪の女の子が泣いていた。きっと白瀬が泣かせたに違いない。長いまつ毛が湿っていて、無性に拭きたくなった。急いでそこに向かい、目の前にしゃがみ込んだ。すると、どこかで何度も嗅いだことのあるような甘い香りが鼻孔をくすぐった。
——ねえ、なんで?
——どうして?
——女の子、いたよ?
何度話しかけても返事は返ってこなかった。お出掛けしてるのかと思ったが、今までそんなこと一度も無かった。少し迷ったが、一つだけ伝言を残すことにした。
——約束は守らないとだめなんだよ。じゃないと……
鼻息を荒くしながら、心の中で呟いた。視界を目の前の女の子に戻すと、にこっと微笑んだ。
「なぎさちゃん。友達、なろうよ」
『声』は完全に黙っている。水瀬はなかなか「いいよ」とは言わなかった。星月は少し困った様子で唸っていたが、やがて納得した。
「プリクラ行こ! あとー、なんだっけ……えと……おむ……おーむ……」
星月が困っていると、水瀬が「オムライス」と教えてくれた。星月は首を縦に何度も振り、手を引いたが微動だにしなかった。もしかしたら、友達になりたくないのかなと心配になった。それか、友達とはダメな言葉なのかもしれないと思った。
「覚えてるのか……覚えてないのか、どっちなの? さっきからよくわかんないよ」
水瀬が目から水を零しながらか細い声で話している。どうやったらそんな声が出るのかが気になって仕方なかった。水瀬の口の中を見てみたかった。
「だーめっ! ニコニコの魔法!」
への字に曲がっている水瀬の口角を、頬を持ち上げて無理矢理上げた。彼女が「ふぇ!?」と面白い声を出し、笑っているように見えた。しかし、頬が水で濡れていたためか、指が滑って元の顔に戻ってしまった。もう一度やろうと思ったが、何故か身体が動かなかった。身体が震え、急に寒くなってきた。
——そうだ……カイロ……
水瀬の隣に座り、ポケットが無いかを探した。しかし、彼女は、Tシャツにショートパンツを着ていたため、手を入れられそうなところは見当たらなかった。仕方なく手を握るだけで許してあげることにした。
「どうしちゃったの……? これも、全部私のせい……ってこと?」
水瀬が震えているように見えた。低い声が聞こえたが、空調の音だと思うことにした。
——やっぱりなぎさちゃんはりりのこと見捨ててなかったんだ!
そう思うと、今までのことは全部許してあげようという気持ちになった。勝手に早退したこと、勝手に一番になろうとしたこと、手が離れていたのに気付かなかったこと。全部今のためにわざとやったんだと思った。
「なぎさ……ちゃん……まって、だよ。ずっと」
そうだ。水瀬は、他の女の子に優しい声を掛けてたんだった。手も繋いでたし、腕も組んでた。男の子とも楽しそうに話してた。
——でも、許してあげるんだ。りりは優しいから。
待ってたのに迎えにも来なかった。約束してたのに、守らなかった。
——全部今日の再開のためだったんだね。
点と点が綺麗に繋がった。高校の時のあれも、この時のためだったんだ。
「えへへ、嬉しい」
星月は持っている感情全てをぶつけるように水瀬を抱きしめた。目を閉じ、頬を擦り付け、境界線をなくすように。
「なぎさちゃん……りりの……凪沙……ちゃん……」
水瀬が腕を回してこなかった。不思議に思ったが、抱き方が悪いのかと思った。腕を背中の上から腰の辺りまで全て試してみたが、変わらなかった。生存確認も怠らなかった。
「違う……私は、こんなはずじゃ……」
水瀬が流した涙を星月は自らの頬に擦り付け、笑った。時間が止まればいいと思った。
「そうだ! あの時言ってたよね。りりは、なぎさちゃんのこと——」
——そうだった、りりは肝心なところでいっつも声がでないんだ。
すると、太くて低い男の声が突然聞こえた。
——凪沙ちゃん意外、必要ないのに。
「だ、誰……? ねえ、なぎさ……ちゃん。たす……けて……」
星月は閉じていた目を開き、水瀬から離れた。低い声の持ち主は、眉を上げ、目を大きくしながら涙を流している。口をパクパクと動かし、何かを伝えたいようだった。しかし、その声が星月に届くことは無かった。
「りりには……なぎさ、ちゃん……だけ……いれば……それだけで、いいの」
再び水瀬を抱きしめた。
——こうしないと、すぐどこかに行っちゃうから。
あの日の続きを求めるように、スッと目を閉じた。
◇◇◇
目を開けると、白瀬が泣いていた。どういうわけか、水瀬が腕の中で泣いている。星月の目は濡れていないのに、頬は濡れている。彼女の髪から甘い香りが肺をいっぱいにした。
「えんえんさんゲーム? りり、負けちゃったー」
水瀬の肩に悔しがるように顎を乗せた。罰ゲームは何だったかなと思い出そうとしたが、違うことを思い出した。
「そうだ! 凪沙ちゃん、お友達になろうよ!」
水瀬の肩を掴み、向かい合った。彼女の輪郭に沿って水滴が通り続けていた。ぽたぽたと雫が落ちている様を見ると、どうしてもキャッチしたくなった。二つの呻き声が部屋を満たしている。相変わらず流れているアイドルの歌。メロディーだけが流れ、歌い手を探しているようだった。星月は水瀬と白瀬を交互に見てから、最後にマイクを見つめた。迷いに迷った結果、水瀬の膝で眠ることにした。
遅くなってすみません……




