34.初めての友達
星月がレバーを操作し、爪が降りる。ぬいぐるみのタグをひっかけ、上昇した。今にも落ちてしまいそうに揺らめきながら。やがてガコンという音と共に星月が喜んだ。女の子の手を取り、喜びを分かち合おうとするも、彼女の顔からは血の気が引いていた。
「な……なんで……」
星月が初めて勝ち取ったぬいぐるみを見向きもせず、彼女は呟いた。長いまつ毛、綺麗な瞳、絹のような肌。氷のように冷たくて細い指を、温めてあげようかなと思った。
「ぬくぬくさん、あげる! あれ?」
手の力がどんどん強くなっている。思っていたよりも、ずっと強い。こんな力を知らないうちに手に入れていたとは思わなかった。
「痛い……」
かすれた声で彼女は言った。しかし、星月はせっかく力を手に入れたのだから試してみたいと思った。手の力を少しずつ緩めると、細い指はストンと落ちた。そして、星月の手が段々と上がっていく。
「え……」
なにがどうなっているのか、わかっていない様子だ。『私のりりにあんなことをしておいて』
「うっ……」
『言ったはずだ……絶対に許さないと……次あった時は、必ず……』
「やめておけ……」
『邪魔を……するな……』周囲に人が集まり、がやがやと騒いでいる。
「移動するぞ」
三人は、人だかりを残して足早に移動した。
◇◇◇
三人には広すぎる個室。端末がテーブルに二つ置かれ、モニターからは流行りのアイドルがインタビューを受けている映像が流れている。女の子は俯き、魂が抜けているようだった。白瀬が間に座っていたが、星月は白瀬が止めたにもかかわらず、女の子の隣に座った。しかし、両手の自由は奪われていた。
「許さないって、言ってる!」
『違いますわ。この手で終わらせてやると、言ってください』
「終わりだって!」
今にも暴れだしそうな星月の両手を白瀬が必死に抑えていた。彼女が何も言ってこないことが、何よりも腹が立ったような気がした。
「何か言ってほしいんだって!」
手が届かないのなら細くて柔らかそうな首を噛みついてやろうと思った。大きく口を開けた瞬間、彼女が口を開いた。
「どうして男と一緒にいるの。どうして、私以外の人間があなたの隣にいるの」
早口過ぎて聞き取れなかった。開いた口を近づけようとしたが、白瀬に止められた。
「お前は何を言ってるんだ? 自分から遠ざけたんだろ?」
聞いたこともない白瀬の低い声が部屋を響かせた。その声は微かに震えている。
「あぁ、そうか。あなたは知らないんだね。その子は私のものなんだよ。りりは犬だから、誰にでも尻尾を振っちゃうの」
彼女は俯いたまま動かない。背後からは「お前っ……」と唸っている。握られている手首の痛みが増した。
「勘違いしちゃうよね。可哀そうに。見てよ。りりが私を食べようとしてる。一緒になろうとしてるんだ」
星月はなんとなく口を閉じた。操られているようで心地悪かった。アイドルの声だけが流れ、沈黙が続く。
「エリート君。手、離して」
彼は「だめだ。君が大人しくしない限りは離せない」と言った。星月は「もうしないって言ってる」と返事をした。
「ねえ! 氷さん、黒い雲さんもくもくしてるよ? ふーふーする?」
彼女はゆっくりと顔を上げた。やっと目が合って嬉しいと思った。
「さっきからその変な喋り方は何なの? そこの男の趣味?」
ドアが開き、店員が飲み物を持ってきた。慣れた様子で三人分のコップを置き、やがて去った。
「んー。ふーふーしてもいいのかなー……」
眉間に人差し指を添え、白瀬の真似をした。
「その変な喋り方やめてよ! 気がおかしくなりそう」
急に女の子が立ちあがり、星月を見下ろした。とりあえずニコッと微笑むことにした。
「あんたはりりのなんなの」
いつの間にか白瀬の前に女の子が移動していた。瞬間移動でも使えるのかと思い、興味が出てきた。
「分かりやすく言うなら、友達だ。星月にとっては、『ルンルンさん』だな」
彼女は鼻で笑い、星月の前にしゃがんだ。手を捕まれ、自由を奪われた。
「りり、この人は望月と同じだよ。私と一緒にかえろ?」
まるでじぶんのことを以前から知っているかのような言い方に、星月はとても驚いた。飲んでいた水を吐き出してしまい、水瀬の顔がびしゃびしゃになってしまった。
「あ……びしゃびしゃさん……りり、拭くもの無い。ごめんなさい……」
女の子は「大丈夫だよ」と優しそうな声で言い、持っていたバッグからハンカチを取り出して拭いた。何故か微笑んでいる。
「ほら、いこ? これからは私があなたの居場所になるよ。絶対に幸せにする」
女の子に手を引かれ、立ち上がった。ぎゅっと抱きしめられた。甘い匂いで肺がいっぱいになるのを感じた。
「りり、知らない人のとこ……行かない! あなた、だーれ?」
女の子は「え?」と困惑したように身体を離した。しばらく見つめ合うと「ほんとにわからないの?」と聞かれた。隣からも驚いたような声が聞こえた。
「嘘だ……だって……そうだ。高校三年生のときに会ったよね? 覚えてるでしょ?」
彼女の声が震えていた。空調を自動に設定していたからか、大きな音が鳴った。星月は二度首を横に振った。
「じゃ、じゃあ、クリスマス! 一緒にお出掛けしたでしょ? 後は……そうだ! 手紙もいっぱい書いたし、りりも嬉しそうだった! それから、えっと。なんだろ……」
誰かとの思い出を必死に思い出しているようだった。星月は代わりに思い出してあげられたらいいのになと、唸りながら聞いていた。
「そうだ! 二人三脚! 一緒に公園で練習したよね。転びながら、足を紐で——」
言い切る前に、白瀬が彼女の口を塞いでいた。実はこの二人は『ルンルンさん』だったんだなと思った。
「もう、やめろ」
彼はいつの間にか女の子の前に立っており、静かに言った。能力者が二人もいたことに驚いた。
「もうわかっただろ。お前の知っている星月は、もういない」
——何のことだろうね? 最初から知らないのに。
女の子の目元から涙が流れた。鼻を啜り、声が少し漏れている。星月はその様子をただただ眺めていた。
「じゃ、じゃあ……私の、名前も……わからないの……?」
星月は「氷さん?」と聞いた。彼女はガクンと脱力したかのように肩を落とし、ふふっと笑った。
「そっか! じゃあ、覚えてないんだね。あの時のことも。うんうん。その方がいいよ」
星月が一緒に笑おうとしたとき、女の子が顔を上げた。そして、手を取った。今日は手とか手首とか取られる日だなと思った。
「私、水瀬凪沙っていうの。改めて、よろしくね?」
——なぎ……さ? どこかで……
「まて、何を勝手に仲直りしようとしてるんだ。都合がよすぎる。お前のせいでこいつは——」
「なに? 邪魔しないでくれる? 私、りり以外の人間嫌いなの」
白瀬が立ち上がると、水瀬も立ち上がった。しらせ、みなせ……読み方が似ているなと思い、可笑しく感じた。
「嫌いで結構。お前の好みなんて俺には関係ない。ただし、お前には知ってもらわないといけない。お前から『トモダチ』を与えられた直後、何をしようとしたかを」
白瀬とそんなに前から知り合いだったのかと驚いた。今日はよく驚きもする一日だ。
「な、何……仕方ないでしょ。私だって、必死だったんだから!」
白瀬が「煩い」と言い、水瀬を黙らせた。それから、星月は部屋の奥に移動させられ、ポツンと座った。少し遠くで白瀬と水瀬が小さい声で話している。きっと次に驚かすことを話し合っているのだろう。
◇◇◇
少し広いカラオケの一室。その中で、星月がアイドルの歌を踊りながら歌い、白瀬と水瀬は内緒の作戦会議を行っていた。普段は頭の中に響く歓声は、何故か聞こえなかった。既に五曲目となるが、まだまだ踊れそうだなと思った。チラッと二人を見てみると、水瀬が顔を抑えて泣いているようだった。星月は早足で二人の元へと急いだ。
「エリート君!? なぎさちゃーー」
「なぎさちゃーー」
——あれ?
「なぎ! ……なぎ?」
星月は水瀬の前にしゃがみ、泣いている顔を覗き込んだ。しかし、手が邪魔で見えなかった。手を取ろうと思ったが、なかなか力が強くて離れなかった。やがて観念したのか星月の手の中に水瀬の温かい手が収まった。彼女は「ごめんなさい」と何度も言っていた。それがどういう意味なのかは分からなかった。そして、何故か自分の目からも同じものが流れていた。
「なぎさちゃん。友達、なろうよ」
誰の声なのかもわからなかった。水瀬が言ったのか、自分が言ったのか。それとも白瀬なのか。空耳だったのかもしれない。頭の中では『ダメですわ』『危険です』『絶対ダメ』と、響いている。星月は自分の感情を整理してみようと試みたが、嬉しい、楽しい以外の感情が見つからなかった。
部屋の中には、水瀬の泣いている声と、流行りのアイドルの歌が同時に響いていた。
次話は24日に投稿されます




