25.あなたの隣
溶けることはないと思っていた雪がすっかりなくなった。
春の心地良い日差しが部屋に差し込んでいる。
今日で春休みが終わり、明日は待ちに待った始業式。
二年生……なんだかいい響きだ。
水瀬が私に話しかけたのが、明日で丁度1年前。
私の家に迎えに来てくれるようになったのが、8ヶ月前から。
事あるごとにお手紙をくれるようになって、4ヶ月。
お手紙をしまえるように、専用の箱を作ったんだ。
段ボールに水色の紙を貼り付けて。
ハートもいっぱい書いたんだよ。
どこにあっても見逃さないように。
水瀬には言わない。
でも、いつかは見せてもいいと思ってる。
そうだな、5年後くらいだったら見せてもいいかな。
『5年後はともかく、明日は重大なことがあることを忘れてはいけませんわ。』
そうだった。忘れるところだった。
クラス替えがあるんだ。
水瀬と同じクラスにならないと、大変だ。
もし違うクラスになっちゃったら、どうしよう。
授業の合間に会いに来てくれるかな。
そう考えだしたら、一気に明日が楽しみじゃなくなった。
こんなことなら、先生にお願いしておくんだった。
今からでも間に合うかもしれない……
『もう決まっているかと思いますわ。』
そうだよね。
私はがっくり肩を落とした。
それに、同じクラスになってもらわないと少し困る。
春休みの間に考えたんだ。
どうやったら水瀬のようになれるのか。
考えた結果、真似するのがいいと思った。
ノートに思い付くものは書いたけど、それが合ってるのかがわからない。
だから、観察したいんだ。
◇◇◇
心臓の音が大きくなっているのがはっきりわかる。
私のこの後の中学校生活が、この結果で大きく変わるから。
水瀬と繋いでいる手は、ぐっしょり汗で濡れていることだろう。
そんなことも気にならないほど、私は切実に祈っていた。
「どうしよう!同じクラスじゃなかったら……」
やっぱり昨日先生に言いに行った方がよかったかも……
「きっと……同じクラス、だよ。」
靴を脱ぎながらそんな話をしていた。
クラスの発表は、二年生の教室がある三階に貼り出されていると、水瀬が教えてくれた。
一段上るたびに、水瀬の手を握る力が強くなっていく。
着く頃には、多分水瀬の手はぺしゃんこになってるだろうな。
そんなことを考えていると、いつの間にか張り紙の前に立っていた。
急いで水瀬の名前を探した。
一組には、いない。
二組は……いない。
三組……いた!
水瀬の上の方に、星月とも書かれていた。
「やった!同じクラスだよ!よかったー!」
水瀬も同時に見つけたみたいだ。
私たちは抱き合って同じクラスのことを喜んだ。
◇◇◇
水瀬に隠れるように、教室に入った。
相変わらず喧騒に満ち溢れている。
座席を確認すると、水瀬とは少し離れた席だった。
私は窓際の後ろから二番目の位置。
その右斜め前が水瀬の席だった。
絶好の位置だ。そう思った。
しかし、困ったことに水瀬は空き時間はほとんど私の近くにいた。
いつもは嬉しいけど、今は少し事情が異なる。
察して欲しいんだけどな……
『それは無理があると思いますわ……』
知ってるよっ。
水瀬がニコニコしながら話している。
春休みの間にあったこと、違うクラスになってたら空き時間に会いに来ようと思っていたこと。
水瀬の話を聞いていて、気付いたことが三つある。
一つ目は、変なところに、さん、を付けること。
そういえば、ドアさんとか言ってたっけ。
二つ目は、水瀬の話には、絶対、という単語が多く入る。
絶対そうだよね、とか。
三つ目は、私の目をずっと見つめて話してる。
少し恥ずかしいから気付きたくはなかったけど、いい収穫だ。
これは使えそう。
「むー……りり、話、聞いてる?」
聞いてるよ。私を誰だと思ってるの?
「温泉、行ったんでしょ?」
私に隙は無い。
「違うよ!それは三つ前の話!今はわんちゃんに顔をなめられて大変だった話!」
まあ、そんなこともある。
そもそも、考えながらお話をするなんて芸当、私には無理だ。
「それは、大変だね。」
そうなんだよ!と、話を続けていた。
私は、久しぶりの水瀬との時間を、楽しむことにした。
時間はいっぱいあるんだ。
急ぐ必要は、ない。
◇◇◇
翌日、昼休みに水瀬が右斜め前で、誰かと話している。
本当はそんなところ見たくない。
奥歯を噛み締めながら、その光景を目に焼き付けた。
水瀬が人懐こい顔で誰かを見つめている。
うんうんと、頷きながら。
右に首を傾け、手を口に添えながら笑っている。
結い上げたポニーテールがるんるんと遊んでいるように弾んでいる。
……水瀬が誰かの手を握っている。
机の上に雫が落ちた。
心臓が誰かに掴まれているように痛い。
手のひらが痛い。
目が……離せない。
『りり……もうやめましょう。』
やめられるわけがない。
こんなに夢中になったのは初めてだ。
これも、水瀬がくれた初めての一つなんだから。
『りり、あの子のようにならなくても、十分魅力的ですわ。』
煩いな。黙っててよ。
『……りり——』
やっと静かになった。
水瀬に意識を向けないといけないのに。
水瀬がびょんと立ち上がって誰かと背を比べている。
顎を引きながら腕を伸ばしている。
終わったと思ったら、誰かが水瀬の腕を抱いている。
——やめてよ。そこは、りりの場所なんだから。
あはは!と、笑い声がどこからか聞こえた。
やめてよー、と明るい声が私の鼓膜を叩いている。
そんなんじゃないよ、と頭の中で響いている。
——私以外と話さないでよ。
春の心地良い風が窓から入ってきた。
鬱陶しい髪が左頬を撫でた。
その髪は何故か頬から離れてくれなかった。
机の上には水たまりができていた。
お読みいただきありがとうございました。




