no answer no choice
美しき歌声でヒトを惑わし、その巨躯を駆ってヒトを海へと沈めてきた万鈞たる大海牛が、
「うあっ!」
口から噴出した泥をジュリアに浴びせ、
「あうっ!」
後ろより切り込むワラビを、櫂の如き尾鰭で払い除けた。
叩かれたワラビが砂泥に滑り込む。
「わ、ワラビ! 大丈夫か!?」
「な、なんとか。痛いけど……きゃあっ!」
「ううっ!」
身を強張らせるワラビとジュリア。あなたたちの意思疎通を阻まんと、海牛がまたしても咆えたのだ。
野獣の大音声が鼓膜を劈く。先の誘った歌など忘れるくらいに。この声に耐えてあなたが斬りかかるが、これを海牛が牙で受け止めた。
そして、海牛が顎をしゃくり、この押し返す力にあなたまでもが倒される。
サイレン。神話のセイレーンに準えたモンスターであることは前述したが、警報の意も併せ持っている。
胴長の体型に胸鰭と尾鰭、短い毛に覆われた外見から、温暖な海に棲む人懐っこい生物・ジュゴンの一種では、と言われている。だが上顎に立派な牙を備えることから、氷の海に棲む厚い脂肪に覆われた肉食の海獣・セイウチの一種では、とも言われている。
いずれにしろこの生物はヒトを捕食する。海の藻屑へと化したヒトは数知れず、船乗りなど海に従事する者に最も恐れられている。
またこの生物は、賢い事でも知られ、ヒトを陥れる術に長けている。先の歌などは最も良い例である。
「くっ! ダメだアンタ! 詰まって撃てなくなっちまった!」
立ち上がったあなたにジュリアが、引けない引金を引きながら窮状を訴えた。
泥を被ったことで弩が壊れてしまった。敵のしたたかさにあなたが渋面を浮かべる。
そもそも海牛はあなたたちを挑発している。口を開いて見せた人頭、あれは誘ったのだ。いま更にジュリアの矢を封じ、海牛の術中に嵌った事と、それを退ける力がなかった事をあなたが悔やむ。
もう弩は使えない。この現況を苦慮したあなたが、不承ながらも決断する。
「ワラビ! 早く!」
泥まみれのジュリアが、同じく泥まみれの親友を呼んだ。
悔しいが引き際だ。そう決断したあなたが、海牛を挟んで対面にいるワラビに退却の合図を送った。
ジュリアの矢は通じぬとは言え、皮膚を赤く染めている。僅かではあるがダメージを与えていると見ていいだろう。また、海牛の気を逸らすには充分役に立っており、これがこれから見込めぬとなると、強大なる海牛に正面から立ち向かわなければならない。
諒としたワラビが、海牛を大きく迂回してあなたの元へ走る。
バシャバシャと音を立ててワラビが泥を蹴る。しかし、
「あうっ!」
ぬかるみに足を滑らせ、尻もちをついて転ぶ。
「や、いやっ」
「ワラビ!」
思わぬ親友の窮地にジュリアが目を大きく開いて叫んだ。
立ち上がれずにいるワラビ。泥がまるで底なし沼のように右脚を食っている。
早く逃げなければ。ワラビが脚を抜こうとするが、その焦りもあって引き抜けずにいる。そしてこれを見逃す海牛ではなく、尾鰭をくねらせて胸鰭を掻き、ワラビにじっくりとにじり寄る。
今のワラビはクモの巣に捕らわれた獲物も同然。ひたひたと近付く海牛を前にワラビが、
「キミ! ジュリア! 助けて!」
あなたと親友に助けを求める。
「待ってろワラビ!」
飛び出したジュリアにあなたが、ワラビを助けるよう言い渡した。
そしてあなたが剣と盾を構える。ジュリアが助けるまでの間、あなたが海牛を食い止めるしかない。
絶対に止めなければ、などとあなたが海牛を追い抜かし、クマを超える消炭色の巨躯に果敢と立ち向かう。
海牛が仰け反るように上体を起こし、あなたに胸鰭を打ち付けた。
これは耐えた。が、続いて海牛が首を上げ、あなたの構える盾に白い牙を突き立てる。
あなたの盾は薄いながらも鉄板を貼った代物だ。しかし牙はそれを軽く突き破り、胸元まであと僅かと迫った牙に、あなたが肝を冷やす。
けれど驚いている暇はない。手を出すべくあなたが、盾を放して剣を両手で握る。
そして渾身の力を込め、海牛の頭へ剣を振り下ろした。
倒れろ、などとあなたが願う。が、海牛は首を逸らして直撃を避けた。
あなたの剣は海牛の胴に食い込み、ジュリアの矢と同様、皮は赤く染まるが肉には届かない。この堅さにあなたが剣を引き、とても正面から勝てる相手ではない、などと臆してしまう。
後ろの二人は。あなたが後ろを見やると、ジュリアはまだワラビを引き抜けずにいて、この隙を海牛が突く。
海牛が身を翻したのだが、これをあなたは臆して後ろを見やった為に見逃した。前に視線を戻せば、背を向けた海牛があなたに櫂の如き尾鰭を殴り付けた。
「アンタっ!」
「キミ!」
砂泥を転がるあなた。この海の方へ吹き飛ばされたあなたを海牛が追う。
寄せる波があなたに被る。そして近付いた海牛が、あなたを更に海へと転がすべく押した。
海牛はあなたを海に引き摺り込む気だ。二人に助けを求めようとするが、被る波があなたの発声を阻む。
塩辛い水をあなたが飲まされる。しかし、海牛が突如として止まった。
すかさずあなたが立ち上がると、海牛が蹲っていた。
低い唸り声を上げる海牛。明らかに不調であり、これにあなたがワラビを引き抜くジュリアを見た。
今になって効いたのだ、ジュリアが海牛の気を引く際、密かに混ぜていた聖母錯乱の矢が。あまり期待していなかったため、運が良かった、などとあなたが冷や汗を掻く。
仲間に敬意を覚えながらあなたが、落とした剣を拾って海牛の頭を叩き斬る。
「キミ!」
「アンタ!」
ワラビとジュリアが駆け寄る。まさに薄氷を踏む思いであなたたちは海牛に勝利した。
「危なかった。キミ、ジュリア、ありがとう」
「間一髪だったな。よく勝ったよ、ホント……」
三人そろって泥まみれのあなたたちが息を吐いた。
――キュゥゥ……
「なにこの鳴き声?」
「……あっ! おいアンタ、ワラビ!」
あなたたちの前に、果てた海牛の仔と思しき幼獣が現れた。
幼獣がよちよちと親に寄り、しきりに鳴き声を上げている。まるで起きない親を「起きて」とせっつくように。
「うわあ、かわいい……。ねえキミ、どうしよう?」
二人が始末をためらった。
しかし、この幼獣とて成長すればヒトを喰らう。今以上の手を付けられない存在に成り得る。
危険な芽は早く摘み取った方がいいだろう。それにこれは報酬でもある。あなたたちは危険を冒して強大なモンスターに挑み、そして倒したのだ。
このような言い方は憚れるが、幼獣も殺して金にするべきだろう。同情など損である。
「……ほら、あっち行って」
ワラビが刀を振って幼獣を追い払った。
始末できなかった。あなたは幼獣を見逃すことにした。
矛盾は分かっている。あなたたちは親を殺している。それにあの幼獣、親を失って生き延びれるだろうか。
はっきり言えば偽善。子供だからと見逃すなんて虫の良い話だ。それに得られる物は得なければ、後で必ず後悔するのが世の常である。
逃しておきながら悩むあなた。戦士の掟に従えば始末するべきだ。
「……ねえ、キミは間違ってないと思うよ」
「そうだよアンタ。子供くらい逃したって気にすることないって」
「キミのそういう優しいところ、私好きだから」
「あたしも。ふふ」
責めるあなたを、二人が慰めた。
たまにこういう選択肢をプレイヤーに選ばせるゲームってありますよね。
私的にはこんな選択に正解などない、と思っているのですが、見逃す方が正解みたいなゲームには製作者のエゴを感じてしまいます。
初めは罪悪感を覚えつつも幼獣を始末する話で考えていました。それ故の題名です。




