浄火
「うっ!?」
ジュリアが殺すつもりで矢を放ったが、モートは死ななかった。
至近距離から矢を放った。モートは左の掌で矢を防いだのだが、この距離なら掌を貫通できるはず。
掌に刺さった矢の痛みを、堪えるモートの異変に、
「こ、こいつ……」
ジュリアがうろたえ、後ずさる。
「く、くそぉ。この女、この僕の手に、矢を刺すなんて……」
あなたが目を剥く。上体を起こすモートの手の甲が、いつの間にか青い鱗に覆われている。
更に手は変容し、指の先から鋭い爪が生え、甲の鱗は目の粗いおろし金のようにささくれ立ち始めている。
苦痛に顔を歪めるモートの側頭部から、シカに似た角が二本現れ、
「くそっ! この僕をコケにするなんて!」
そのヒトと掛け離れてゆく異様に、あなたとジュリアが動揺した。
「……君たちは、この神に選ばれし僕の逆鱗に触れた」
そしてモートが、ゆっくりと立ち上がり、その変わり果てた姿をあなたたちに晒した。
内面に反した優しげな目は鋭利に変質しており、ともすれば女性に見誤る中性的な顔は、青く、蒼く染まっている。
「て、てめえっ!」
「この“ソウリュウ”の姿はあまりしたくなかったけど仕方がない。僕が君たちに、このドラゴンの力を以て耐え難き罰を与えよう!」
モートが変身を終え、あなたたちに激情を表した。
『ソウリュウ』。古より伝わる聖獣の名で、ビャッコ、スザクと並び立つ蒼き「ドラゴン」だ。
あなたが固唾を呑む。旅を通して遭遇した、この変身する者の力をあなたは味わっている。
特に馬頭、憑虎には手も足も出なかった。その力はまさにヒトの理を越えた化物。しかもモートは、あの一度現れれば災害級の力を振るうモンスター、ドラゴンの力を以て、と言った。
「まずは君だ。果てろ」
変身によって裂けた口をモートが開け、その中の様子に、
「なっ、なんだとっ!」
ジュリアとあなたが驚く。
吸い込むモートの口内では、なんと光が明滅している。その火花のように散る様から、あなたが電気と直感した。
ソウリュウは風を司り、雷鳴と共に現れるとも聞く。奴は本当にドラゴンなのか、などとあなたが汗を滲ませる。
程なくしてモートが光を吐いた。これを盾で防いだあなただが、
「アンタ!」
盾を通して伝わる衝撃があなたを痺れさせる。
「アンタ、ワラビを」
避けることもできた。しかし、膝を落とすあなたの後ろには、未だ怯えて泣くワラビがいる。
体が痺れ、立ち上がることができない。しかし盾だけは、とあなたが、不沈の覚悟で構え続ける。
「……こいつ! 絶対に許さねえ!」
「同感だね、僕も君は許さないよ。神に選ばれしこの僕を、一瞬でもコケにして」
怒れるジュリアが、顔を覆うように腕で×を組み、
「熱き契りに命焦がして……。――“天啓”!」
目を真っ赤に染め、腰から鎖を抜く。
今はジュリアだけが頼りだ。痺れで動けぬあなたがジュリアに戦いを託す。
「……ふっ、ふふっ」
「なに笑ってやがる。頭おかしくなったかこのヤロー」
「ふふっ、僕がこの姿に変身したからには、君が勝つことなど万に一つもないから。これから君を思う侭に痛めつけられると思うと、……ふふっ、楽しみでね」
「てめえ、よくもそんなに驕れるな。何が“神に選ばれた”んだこのナルシスト野郎」
「ハハッ、君がこれから挑もうとしている僕の姿が分からないのかい? ドラゴンだよ? この世の全てを蹂躙する、あのドラゴンの力を僕は持っているんだよ?」
「…………」
「これは神に選ばれたとしか譬えようがないよね? 僕は神に成功を約束された者、弱者に対し、何をしてもいい特権を与えられているんだ」
「力があれば何をしてもいいだと! つくづく、てめえは腐った男だな!」
「何を言っているんだ君は。弱肉強食は自然の摂理だよね? それに僕はその魔法知ってるよ。その魔法、効果は絶大だけど、大して持たない事をね」
「へっ、問題ねえ。効果があるうちにてめえを叩きのめすからな!」
「ハハッ、おめでたい君に、現実は非情だということを教えてあげるよ」
鎖を両手に持つジュリアが、錘をモートに向かって投げつけた。
かわそうとするモート。だがこれは囮で、モートが動くと同じくして鎖を引いたジュリアが、その反動も使って止めた錘を逆時計回りに回した。
ジュリアはかわすモートの動きも読んで錘を回した。天啓の効果が光っている。
モートの体に、ジュリアが錘を叩きつける。だが、
「なっ!? コイツ、体がかてえ」
「フッ、何かした?」
喰らったモートが冷笑した。
「無駄なことはやめなよ。子ネコがドラゴンに挑むなんてさ。ドラゴンの鱗は刃を弾く盾、今の僕にはいかなる攻撃も効かないよ」
「くっ……」
「ふふ、その悔しそうな顔、いいね。その綺麗な顔が、もっともっと悔やみ、絶望する顔を見たいな」
「……ならばっ!」
ジュリアは目標を変え、モートの顔を狙った。
モートの顔は蒼く染まっただけで、鱗に覆われてはいない。攻撃が通じるならここになるだろうか。
ジュリアが巧みなフェイントを織り交ぜつつ鎖を振る。そして錘を、モートの顔面に向かって叩きつけるが、
「ははっ、必ず顔を狙ってくると思ってた。そう易々と当てさせないよ?」
「……くっ!」
モートが鱗に覆われた腕で防ぎ、ジュリアの錘は届かなかった。
「君、これで僕に勝てないことは分かったよね?」
「うるせえっ、諦めるもんか! てめえだけは、てめえだけはっ!」
天啓の効果を以てしても、今のモートに痛打を与えることは難しい、とあなたが悟る。
顔に胸、あるいは腕に脚に首に腹。対人戦の妙味とは、攻め手が敵のどこの部位を狙い、守り手がそれを読んで防ぐことにある。
ジュリアはジリ貧だ。敵は蓋をするように顔だけを塞げばよい。読んで攻撃を防ぐなどの妙味などあったものではなく、顔だけを守ればいいのだから迷う必要がない。
必死なジュリアに対し、涼しい顔のモート。ジュリアの不利を感じたあなたが、痺れで体を震わせながら後ろを振り向く。けれど、
「うう、ごめんジュリア。私、怖いの……」
蹲るワラビは顔を伏せていた。
ワラビさえ無事ならば。あなたが悔しがる。
「ねえ、キミ……」
だがワラビが、あなたにしがみつき、
「お願い、ジュリアを助けて……。もうキミにしか頼れない。私が行きたいけど、ダメ、怖いの……」
涙でぐじゃぐじゃの顔を上げてあなたに縋った。
これを受け、あなたが何とか立ち上がろうと試みる。
脚が笑っている。気を抜いたら倒れそうだ。だが、何とか踏ん張ってあなたが立ち上がった。
仲間を助けるべく、あなたがふらつく足でジュリアの援護に向かう。しかし、
「ダメだアンタ! ワラビを一人にしちゃ!」
数歩あるいた所で、気付いたジュリアが叫ぶ。
そうであった、などとあなたが悔やむ。モートが口を開け、再び光を放とうとしており、
「キミ!」
「アンタ!」
ワラビに向かって放たれた電撃を、あなたが再び庇って倒れた。
「キミ、ごめん、ごめんなさぁい……」
「フッ、大人しくしてなよ。自己犠牲しか能がないくせにさ」
苦しみ悶えるあなたを、モートが嘲笑う。
「このゲス野郎が!」
怯える親友を狙った。この事で怒り心頭のジュリアが、弩に持ち替えて引き金を引いた。
矢はモートの眉間に一直線。だが、モートが右の手の甲でこれを防ぐ。
ジュリアの眼は、元に戻りかけている。
「ふふっ、後がないね。では、そろそろ行くよ」
「……くっ!」
天啓があることで今まで攻撃を控えていたモートが、ジュリアの眼を見て反撃に乗り出した。
だが、この反撃こそジュリアは待っていた。すかさず矢を番え、ある一点に全てを賭ける。
モートは攻撃に転じる際、必ずや右手を使うだろう。左手は矢が刺さっているため、使うとは考え難い。
つまり、右手を振るった時こそ顔のガードが外れるとき。モートの攻撃をかわし、その憎い面をゼロ距離からぶち抜く。
「神に愛されし僕の力を味わえ!」
全身全霊で神経を尖らせるジュリアに、モートが右手を振り上げた。
狙い通りだ。鋭い爪牙をジュリアが屈んでかわし、
「くたばりやがれっ!」
矢の先端を、モートの額にあてるまで迫ったのだが、
「……ぐぅっ!」
「ははっ、惜しかったね。今のは少しヒヤリとしたよ」
引き金を引く前にモートから膝蹴りを喰らった。
「ぐ、うぅ、うぅぅぅ!」
「これで力の差が分かったよね? ……ふふ、更に痛めつけて、赤ちゃんを産めない体にしてやろうか?」
下腹部を押さえて悶絶するジュリアの髪を、モートが鷲掴みにする。
そしてモートが、
「さあ君、どうする? 今なら裸になって詫びれば、許してあげるよ?」
邪悪な笑みを浮かべ、ジュリアの顔を上げさせるが、
「……ぺっ!」
「うっ!? 唾を」
「何もらった力で粋がってやがるこのナルシスト! あたしてめえと同じ変身するヒト知ってんだけどな、そのドラゴンの力ってのが教団だか救世主から与えられたモンってこと知ってんだぞ!」
「…………」
「てめえのもんじゃねえじゃねえか! “ドラゴンに変身できる能力を得ましたからデビューしました”なんて恥ずかしいと思わねえのか、なあおい! 借りた力で自分が強いなんて思いあがってんじゃねえ、この勘違い野郎!」
ジュリアが窮地に追い込まれても、モートに啖呵を切っている。
「どんな目に遭おうとも、てめえは殺してやる! てめえは悪だ、害だ! 絶対に生きてちゃいけない野郎だ!」
「……ふふ、ははは」
しかしモートは、罵られているにも係わらず笑っていた。
とても可笑しそうに。それからモートが、ドラゴンの腕を以てジュリアを地面に叩きつけ、
「うあっ!」
「ははっ、殺そうと思ったけどひとまずやめるよ。君のような鼻っ柱の強い女性を屈服させたくなった」
ジュリアの頭を押さえ付けながら、
「君は、僕の気が済むまで犯した後に捨ててやる。さあ、恐怖に惑え」
黒屍恐慌の呪文をつぶやく。
「ああっ! ジュリア……」
親友まで侵されそうとし、ワラビが泣き崩れた。
モートはワラビのみならず、ジュリアまで黒屍恐慌で侵そうとしている。
あなたが体を起こす。だが、いくら体を奮い立たせても、未だ強く残る痺れが言うことを効かせない。
膝を落とすあなた。それでも、と気力を振り絞るあなたに、
「キミ! ……助けて! 誰か、ジュリアを助けてぇ!」
ワラビが日の沈む空に向かって泣いたときだった。
――“油断大敵”
「うっ!?」
何かがモートに投げつけられ、これにモートが呪文を止める。
「油……?」
当たった物は油が入った小さな玉で、突如として引っかけられた油に、モートが疑念を抱いたとき――。
――“輝く光よ、今こそ其の貪欲を示せ”
“功徳御利益火生三昧。苛烈、なれど慈悲深き灼かな清めよ”
“不浄な衆生に糞味噌屎尿。常世に溜まりし穢土を祓い給れ”
“我ら半跏趺坐に跪かん。汚れ怒れれば悉く焼き尽くせ”――
「――“火神”」
「うわっ、あああああっ!」
突如として現れた黒き者に、あなたが驚いた。
夕闇に紛れて現れた何者かが、魔法でモートを焼いた。発火する程度の火神だが、べとつく油を被せたことで盛んに燃えている。
炎を浴び、転げ悶えるモート。その隙に黒き姿の何者かが、
「あ、あんたは」
「話は後。一緒に奴を討ちましょう」
窮地のジュリアを救った。
そして、黒き姿の者があなたの元へ駆け、その顔にあなたがギョッとする。
黒き者は仮面を被っていた。その仮面は、ある僧が恨みや嫉妬を持つ女を描いて創作されたと聞く「般若の面」である。
般若の面を被る黒き者が、
「“キミ”、戦える?」
静かな声であなたに手を差し伸べ、これに痺れがようやく取れてきたあなたが立ち上がった。
「…………」
苦しむモートに振り向く般若の面。無言ながらも殺気が漂っていた。
あなたが突如として現れた闖入者を今一度見る。女性の割には背が高く、仮面の他には両手に「苦無」と呼ばれる暗器を握り、黒い装束を身に着けていた。
ただし、長い髪は金髪で、脚は黒のショートパンツを履いて白い腿を晒している。想像と少し違ったが、この姿を間近に見たあなたは、東で言う戦の達人「忍者」を連想した。




