愛は幻、欲と肉
娼婦が逃げた先は、意外な人物の元だった。
「ど、どうしたんだ君たち、眉間に皺を寄せて」
僧侶モートが、険相を浮かべるあなたたちに驚いていた。
娼婦の彼女はあなたたちが問い詰めたことで窮していた。だから彼女にとって最も優しいヒトの元へ駆け込んだのだろう。
先に彼女は「あのヒトが作るクスリ」と言った。このモートこそが、マオウから麻薬を精製し、彼女に渡していると見て間違いない。
状況を掴めずにいるモートに、ワラビが詰め寄る。
「虫も殺さないような顔してるくせに。まさかあなたが、麻薬を作っていたなんて」
「麻薬だって!? 僕はそんなことしてないよ、何を言っているんだ君は」
「とぼけないで。このヒトがあなたの所へ逃げ込んだってことは、あなたが麻薬を作ってこのヒトに渡してる、ってことでしょ?」
「ちょっと待って。突然のことだから理解できない。ともかく、僕は麻薬なんか知らないよ」
「まだとぼけるつもり?」
「本当だよ。僕の眼が嘘をついていると思うか?」
モートの眼を鋭く睨むワラビ。だが、
「……フッ、一目見たときから思ってた」
「えっ?」
「東の子は、どんな味がするんだろうと」
不意に、モートが口角を上げ――。
――“籠の中の鳥、出やる時をいつ、何時と待ち望む”
“陰毛を炙れ。売女の性器を白日に晒せ。黔首は涎垂らし勃起せん”
“醜く拉げ、釘を眼に爪に打ち立てよ。止むなき嗜虐こそ秘めた欲”
“罪か無辜かなど取るに足らぬ。哀れに吊るす贄に本能は喝采す”――
「――“黒屍恐慌”」
「うっ、うああっ、ああ、あああぁっ」
「ワラビ!」
静かに呪文を詠んだモートが、ワラビに魔法を唱え、侵した。
「あっ、……やっ、いや、やだ」
「ワラビ!」
外傷はない。しかしワラビが、何かを恐れるように震え、後ずさっている。
ジュリアの懸命な声も届かず、振り返って逃げ出そうとしたワラビの体を、頬を緩めたモートが捕まえ、抱き寄せる。
「やだっ、やめて、やめてぇっ!」
「おっと、見かけによらず力のある子だ。少し大人しくしてもらうよ」
――“我が名は吉祥果。人攫いし鬼の血を継ぐ畜生の娘なり”
“淫らに狂えし母を我覗き、爛れし愛執の甘美を知る”
“濡れそぼつ陰の核、糸引き交わる肉の茎、剃刀に切り取らばや”
“夜に咲く腐臭の花、群がる蠅を喰らう科、我もまた”――
「――“鬼子乃厄”」
「あ、……うぅ、うう」
モートが鬼子乃厄を唱え、ワラビを弱らせた。
続けてモートが懐からナイフを取り出し、泣くワラビの白い首に刃を向ける。
ナイフの刃が赤い西日に煌めく。仲間を盾にされ、あなたたちは動けない。
「ワラビに、ワラビに何をした!?」
ジュリアが叫ぶ。あなたもモートが先に唱えた魔法は理解できなかった。
鬼子乃厄の前に唱えた魔法。チェルノボグ、とモートは言った。
そのような魔法、あなたはもちろん、魔法を一通り知っているはずのジュリアですら知らない。
「何、って。魔法で大人しくさせただけさ」
「そっちじゃねえ! 鬼子乃厄はあたしも唱えられる! あんた、一体ワラビに何の魔法を唱えたんだ!」
必死に問うジュリアに、涼しい顔のモートが驚愕の事実を告げる。
「えっ? 君たち、黒屍恐慌を知らないのかい?」
「……チェルノ、ボグ?」
「そう、黒屍恐慌。あっ、そっか、選ばれたヒトじゃなきゃ知らないのも無理ないね。この魔法は、遥か昔、あの魔道士ダビデが封じた魔法さ」
「なんだって!?」
「誰もが心の内に閉じ込めている幼い感情ってみんなあるよね? 泣きたい感情や、わがままに振るまいたい感情とかさ。この魔法は、そういった感情を呼び起こすんだ」
魔道士が封じた魔法。その事実は、あなたとジュリアを愕然とさせた。
ジュリアもエムブラから禁じられた魔法の事は聞いている。だが、それを操る者が、まさか今この場に現れるなんて思いも寄らなかった。
あなたは以前エムブラから、禁じられた魔法の中には倫理や道徳を無視した物があることを聞いている。
「そしてこの魔法は子供特有の恐怖心も増幅させてね、これがヒトを洗脳するには非常に便利なんだ。ちょっと脅かすだけで、大抵のヒトは言う事を聞くようになるよ」
「洗脳だと……」
「子供は痛いのや怖いの嫌だからね。……ふふっ、この魔法は楽しいよ。我が物顔でのさばる粗暴な男が、この魔法をかけるだけで泣いてひれ伏すようになり、脅しようによっては一途に男を想い続ける女が、進んで他の男の前で服を脱ぎ出すからね」
「…………」
「ま、僕はそんなことしないけど。ふふふっ」
ほくそ笑むモートの顔を、あなたは邪悪と断じた。
魔道士が禁じた黒屍恐慌という魔法。ヒトの精神を退行させ、操るなど悪魔の所業である。
嗤うモートがワラビの目の前に刃を翳し、
「ほら君、このナイフが分かるかい? 次暴れたら、このナイフで君の顔に傷を付けるからね?」
「やだ、やだぁ。いじめないで……」
「フフッ」
泣くワラビにあなたとジュリアが切歯する。
楽しい、とモートは使用感を述べた。そんなことしないなど真っ赤な嘘だろう。
ワラビが、この邪悪な男の玩具にされる。
「モート様、いったい、何をなさっているのですか……?」
そんな彼の本性に恐れを抱いたのか、娼婦の彼女が訊いた。
彼女は優しくて嫌な事を忘れさせてくれる彼しか知らないのだろう。表向きは聖職者であるモートの裏の顔に戸惑っている。
この彼女にモートが、にっこりとした笑みを浮かべ
「ローザ、危ないからこっちにおいで」
「あっ、……はい」
迷う彼女をそばに誘い寄せるが――。
――“真実を告げる鏡よ、白き雪積もる呪われし家系に血の恵みを”
“嘗て侮蔑した枯れし継母、同情せし齢となりて無情を知らん”
“瑞々しき処女の肢体、今一度と帝切せん。胎児が如く妾は生まれ変わる”
“扉閉まる時、汝は針に抱かれよう。祝え、永遠の美に近付く悦びを”――
「――“蛭”」
「な、なにをっ!? だめ、モート様、や、いやあああぁ……」
あなたとジュリアがまたしても驚く。モートが彼女の背に手をあて魔法を唱えた途端、華奢な彼女の体がみるみると白んだのだ。
その様子は、モートが彼女の生気を吸い取ったよう。無論いま唱えた魔法もあなたとジュリアは知らない。
そうして彼女が膝を落とし、うつ伏せに倒れ、喘ぎながらモートに訊く。
「モート、さま……。アタシに、一体何を」
「魔法には血が必要なことくらい無知な君でも知っているだろう? その血を、君から補充しただけさ」
「ち、血を。ど、どうして、アタシから」
「……予定説って知ってる? この世には、神の救済をあずかる者と、そうでない者の二通りがいる」
「……?」
「君は残念だけど、救済されなかった方だったね。この子が手に入るなら、君のような売女はもう要らないかな」
「そ、そん、な……。やだ、助けて、捨て、ないで……」
「現実は非情さ。……ああ、でも安心して。君が大事に育てている弟と妹は、僕が責任をもって奴隷として売ってあげるよ」
絶句するあなたとジュリア。信じられぬことに、苦しむ彼女をモートは嗤っていた。
息を荒げる彼女。その肌は死人のように白く、以前ジュリアが血を使い過ぎたときよりも危険な状態だ。
あなたが察知する。今モートが唱えた蛭という魔法は血を奪う魔法だろう、と。生命円環とは異なる利己的な効果に、魔道士が禁じた訳を理解する。
モートが、依然として泣くワラビの耳に口を寄せ、あなたとジュリアに視線を向けながら、
「あ……」
「ふふっ、君は僕の物だ。ゆっくりと調教してあげるからね」
ワラビの耳を味わうように嘗め、それから囁くようにして告げた。
「それにしても、なぜ魔道士はこんな便利な魔法を封印したのかな。まったく、旧い価値観に囚われて。ヒトの血を奪い、ヒトを意のままに操れるなんて最高じゃないか」
モートが魔道士に悪態を吐き、これにあなたが反論した。
魔道士ダビデの考えをあなたが知る由はない。だが、魔道士が今のような魔法の悪用に備え、先二つの魔法を封じたことくらいあなたでも察した。
この男はエムブラとは違う。この男は魔道士の意思を尊重せず、魔法を己の為だけに使う邪な男だ。
また、娼婦の彼女は、想像するにあらゆる自分をモートに捧げていた。
辛い人生の中で、彼だけが優しくしてくれたから。けれど彼女は、その尽くした彼にゴミの如く捨てられ、先の悲痛な訴えもあってあなたがモートを責める。
「……ふふっ、ハハハッ。笑える、実に笑っちゃうよ。時代の流れも知らないヒトが、この神に選ばれし僕に説教を垂れるなんて」
しかしモートは全く意に介さなかった。
ワラビに刃を向けながら、モートがあなたを、取るに足らぬ者でも見るような目つきで見下し、
「これから世は大きく変革するんだ、詳しくは言えないけどね。……いや、既に始まっていると言えるかな。ミネルバで起きた地震に籠城事件、それからペルカララ島の噴火、この国を襲った山津波。いくら君が時代の流れに暗くとも、その兆候は感じているよね?」
あなたを先の読めない、知らない愚か者と罵る。
「この変革こそが俗に終末って言われてたりするんだけど、……変革を終えた後に始まるのは、選ばれし者が世を治める時代。時代が変わればこれまでの常識なんて全く通用しなくなるよ。こんな売女に同情するだけ無駄な時代がね」
あなたは、今の開き直るモートが恐ろしく見えた。
良心がなく、不要となれば容赦なく切り捨て、自分が絶対と信じて憚らずにいる。
時流などと言って己の行為を正当化し、理解できないあなたが眩暈を覚える。
「君、予定説って知ってる? ヒトは大した苦労もなく成功しちゃう者と、いくら頑張っても永久に報われない者の二通りに分かれるんだ。……ふふっ、この死にそうな売女を見てみなよ。この女ルガルパンダから命からがら逃げて来て、汚い男に体を売った挙句にこのザマ。報われないよね。ハハッ、神に捨てられているよね」
自身が瀕死に追いやった娼婦の彼女を、まるで他人事のようにモートは嗤っていた。
「でも、この僕が抱いてやったんだ、そこだけは報われたと言えるかな」
下種な言い分はともかく、あなたがモートに尋ねる。
この男は禁じられた魔法を知っている。何者だ、といった旨をあなたが問う。すると、
「僕は救世主さ」
救世主。そうモートは確かに言った。
「僕は救世主。祝福されし者を新たな時代へ導く、神に選ばれし使いさ」




