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地下牢獄を出たあなたたちは、直ぐにあなたが脚を診てもらった医者の元に向かった。
テオがワラビを庇って負傷した。鼻の柱を横一文字に深く傷付けられ、これを診た医者は「残念だが痕が残るだろう」と告げた。
医者からの通告に、助けられたワラビは甚く落ち込んだ。だが――。
「我は盟に依り、隔てなく銀の腕を造ろう。――“霊癒”」
「おおう、ジュリアさんの魔法キクゥー」
翌朝。あなたたちが泊まる宿のベッドの上。そこで胡坐を掻くテオが、ジュリアに初めて霊癒を唱えてもらって喜んでいた。
「ジュリアさんの愛と血が、オレの鼻っ柱をこの上なくアツくするぜー」
「うう、気持ち悪いことぬかすんじゃねえ、このヘンタイ野郎」
陶然とした顔のテオに、ジュリアが数歩下がった。
顔に傷痕が残る。この、深刻な問題を全く気にしていないようなテオに、落ち込んでいたワラビが、
「ね、ねえテオ君、顔に傷が残っちゃうんだよ? それでいいの?」
戸惑いながらも尋ねるが、
「え、残るんだ? まあでも、そんくらい剣持った時点で覚悟してるし、それにさ、この傷ならかえってカッコよくね? 歴戦の戦士みたいでさ」
鼻の柱に横一文字の傷痕。確かに男なら箔が付くのかもしれない。
ワラビは誤解していた。彼は強い者に憧れる男なのだ。傷痕が残ることを知っても、むしろ勲章、と気にせず笑っていた。
「女の子助けて付いた傷だ、って自慢できるしな。ハハハ」
「うー、落ち込んですっごく損した」
「ジュリアさん、もう一回霊癒唱えてくれね? うう、傷が疼くぜー」
「調子に乗んじゃねえ」
ジュリアが頭に乗るなと言いつつも、テオの鼻っ柱にガーゼを貼る。ただし、乱暴にだが。
「あいてっ! ジュリアさん優しく、優しくして」
喜ぶ彼に、あなたが一息吐いた。そこへ、
「おーっす。ワラビー、ジュリアー」
振り返った二人。今日は青いドレスの上にジャケットを着たラズィーヤがやって来た。
この刑事、あなたたちが泊まっている宿を知っており、二人を送りに、または誘いにしばしば現れる。
「ソロンから聞いたぞ。おまえら地下牢獄でなんだかでっけえコウモリ倒したそうじゃねえか」
「もう知ってるんだ。倒したのほとんどジュリアだけどね」
「ふふん、親分として鼻が高いぞわたしは。これでソロンに威張れる。お祝いにメシを奢ってやろう。なにがいい?」
「私ステーキ!」
「ははっ、朝からステーキかおまえは。却下だ。ジュリアは?」
「奢ってくれるなら何でもいいよ」
「おまえはいっつも人任せだな。もうちょっとわがまま言ってもいいんだぞ? なんてったって、わたしはおまえらの親分だからな、ふふん」
「じゃあステーキ」
「ジュリア、おまえもか。却下だ」
女三人寄ればかしましい、などと言うが、まさにその通りで楽しく盛り上がっていた。
この刑事は、宿の受付にはいつもケルベロスの徽章を見せて通っている。彼女を止められる者は誰もいない。
よく司直が採用したな、などとあなたは彼女に対して思っている。少なくともあなたは、彼女が若者に加えた暴行以外に仕事をしているところを見たことがない。仕事熱心な刑事なら、逃げたの件の貴族を捜索して然るべきだろう。
ソロンは、他の同僚は、この奔放な彼女に対して何も思わないのだろうか。けれども今のかしましい彼女を見ていると、あの暴行を加えた人物と同一には思えない。
そんな事を考えるあなたを後目に、今日はワラビを含めてあなたたちの仕事は休みなため、ラズィーヤが二人を連れようとすると、
「……あん?」
毛布を被って隠れているテオに、彼女が気付いた。
「誰だ、毛布なんか被って隠れやがって」
遠慮なく毛布を引き剥がすラズィーヤ。本当にやりたい放題である。
そして、焦る半笑いのテオが現れ、このテオに彼女が、腰に手を当て前傾で、あなたやワラビやジュリアを見たように、じろじろとテオの全身を観察する。
「……おまえ、どっかで見たことあるツラしてんなー。誰だっけ?」
「ひっ、人違いじゃないっすか!?」
テオは司直を見るといつも逃げていたため、この二人のまともな対面は初である。
しかし見覚えがあると言ったラズィーヤ。この問いにテオは、声を上ずらせて勘違いでは、と答えた。
ラズィーヤは、容姿だけで見れば非常に良い女性だ。けれど女好きのテオが口説くどころか、異常なまでに怯えている。
「……ふーん、まあいいや」
思い出せないようで、ラズィーヤが踵を返した。
そしてラズィーヤが二人を連れる。この彼女の後ろ姿に、テオが大きな息を吐いた。
***
「お待たせしました。報告書をまとめるのに手間取りまして」
夕には少し早い落猿の時。テーブルを挟んだ向かいの席にソロンが座った。
ここはあなたがソロンから依頼を受けた喫茶店。座る席も奇しくも先日と同じである。
あなたがテーブルの上に、ケルベロスの徽章と、洒落た装飾の懐中時計を置く。
「この時計は、やはり……」
先を言い淀むソロンにあなたが頷いた。
実はあなたたち、テオを医者に預けた後、地下牢獄に再進入した。
特に障害なく交戦した場所まで着いた。そして、地下牢獄の最も奥で、大量の紙幣と金塊を発見した。
金塊は眩いばかりに輝いていた。これを見てワラビが「ちょっとくらい貰っていってもバチ当たらないかな?」と言ったが、対してあなたが、身元不明の不浄な金だぞ、といった旨を告げて止めた。
出所が知れない金だ。こんな物を掠めてしまった日にはどんな災いが降りかかるか分からない。金に困っている訳でもないので理解できない二人ではなかった。
また、遺体も発見した。抉れたような引っ掻き傷と喰われた跡があり、あなたたちは祈った後、遺体からケルベロスの徽章と懐中時計を選りすぐった。
その選りすぐった二つの品を今、あなたがソロンに渡した。ちなみに、金の発見と件の貴族を地下牢獄で見つけた事は、昨晩のうちにソロンに伝えた。
だからラズィーヤが知っていたのである。ソロンは昨日の晩は忙しそうであり、落ち着いたら金の確保をする、とあなたたちに告げた。
「ありがとうございました。これで亡くなった者も浮かばれます。御礼は近いうちに僕の方からしますので」
今、耳を疑うようなことをソロンが言った。
礼はポケットマネーでするとのこと。司直から出るのではないのか、などとあなたが訊くと、
「フフッ、お金なら地下牢獄にたんまりあるじゃないですか」
細い目を一層細めて言った。確かにいま地下牢獄の入口は司直の者が見張っており、盗まれる心配はないだろう。
そういえば、地下牢獄の入口で、件の貴族の手下は報復を訴えていた。
大丈夫なのか。あなたたちは昨日、地下牢獄内で件の貴族を逃している。あの男は危ない雰囲気を臭わせていた。だが、
「それは問題ありません。今のウィルガスト家ではどこも動きませんよ。ましてあの家は代替わりしたばかりですし」
報復はあり得ない、とソロンが笑って言う。
いずれにしろソロンの手を介するなら不浄ではなくなる。資金洗浄だ。そうあなたは思っておいた。
さて、訊きたい事が一つあった。あのコウモリだ。
何故ザイオニアに生息しないはずのヴァンパイアがいたのか。地下牢獄にいたのはあまりにも不自然であり、そもそもヴァンパイアとは、危険生物に指定されている生き物で、個人が飼養することを禁じられている。
船上での事件に遡るが、蒸気船上でソロンの上司クライブは、アーレ・ミゼルにケルベロスを指して「危険生物」と言った。この危険生物とは魔王の時代に定義された概念であり、ヒトを殺害する性質を持ち、兵器として利用可能な生物を指す。
古くは「魔物」と呼ばれ、ヒトを襲いながらもヒトに従う二律背反の知能を有す危険生物は、主に魔王が創った生物を指す。しかし自然に生まれた生物にも極少数存在し、ヴァンパイアはその極少数に該当した。
ヴァンパイアはプライドが高いのか、群れるのを嫌う傾向がある。しかし飼い慣らすのは可能で、飼い主の下ならば群れるのも厭わず、古くにはこれの大群を使って一晩で村を壊滅させた事例も存在する。
飼養を禁じている現在では群れを成すことはない。そのヴァンパイアがなぜ地下牢獄にいたのか。これについて訊ねるとソロンは、
「蝿の者の仕業でしょうね。昨日あなた方が見かけたウィルガスト家の男に、蝿の誰かが譲渡したのでしょう」
と答え、それから、
「……今からする話は、王宮に係わるので、ここだけの話にして欲しいのですが」
改まった様子であなたに告げる。
「今の王が、骨肉の争いを制して玉座に就いたのは、貴方もご存知ですよね?」
組んだ手に顎を置くソロンが、その細い目であなたを見つめながら訊いた。
この質問にあなたが頷く。ザイオニアでは二十年ほど前まで内紛が相次いでいたのは周知の事実である。
「他国の援助を得て内紛を制した現王“シュナイド”公は、旧来の因習を覆した大胆とも言える政策を敷き、また、身分を問わずに有能な人材を登用し、多くの人々を牽引しました。そうしてここ二十年ほどの安定した政権があるのですが、現王は血筋で言えば傍流にあたり、未だ嫡流の者達の間では不満がくすぶっているのが実情でして」
ソロンが渋い顔をして続ける。そして、
「誰に焚きつけられたのやら、その嫡流の者達が、最近何か企んでいる、と耳にしているのです」
きな臭い話をした。国内に不穏な動きがあるようだ。
今の王は傍流。これは割と知られた話である。歴史と伝統を重んじるザイオニアは何よりも血を重視する国だ。
件の貴族が幅を利かせていたことからも窺い知れるだろう。そんな警察国家の王に庶流の男が就任した。この話題は当時世間を賑わせている。
そして、今の王が玉座に就いてからたかが二十年だ。その程度の年数で皆が諒とするとは思えない。考えてみれば有り得る話だ、などとあなたが納得する。
「地下牢獄であなた方が見つけた金ですが、嫡流の者から支払われた報酬なのでしょう。ウィルガスト家は嫡流の派閥に与する一族でして、蝿の者から預かった物と言うのは、もう嫡流の者に渡してしまったのでしょうね」
つまり、こういうことだろう。件の貴族は嫡流の者に命じられ、蝿の衆徒から何かを受け取った。
そしてその何かを嫡流の者に渡した。その報酬があなたたちの見つけた金である。
この取引は表には出来ない密輸だ。だから嫡流の者は件の貴族を介したのだろう。復権を望む貴族なら尚更この密輸を引き受けるに違いない。
運び入れたその何かとは。あなたが訊いてみるが、
「すみませんが、それは部外者のあなた方には答えられません。まあ確証のある話ではないので、伏せた訳を察してください」
ソロンは答えなかった。あやふやなことは言えないのだろう。
いずれにしろ、国への介入は明らかに戦士の領分を越えている。しかも世に知れた大国ザイオニアだ。レヴァルツィアへ行くにあたり、大変な事態に巻き込まれなければいいが、などとあなたが思う。
しかし、現生とは恐れ入った。地下牢獄で見つけた額は並ではなかった。
いくら番人がいたとは言え、何故あんな大金を地下牢獄などに置いたのだろうか。そのふとした疑問をあなたが尋ねると、
「表に出来る金ではないですからね。我々司直は銀行の口座を調べ、場合によっては差し押さえることもありますから」
表に出来る金ではない。この答えを聞いてあなたは納得した。
銀行は信用で金を預かる機構である。表には出来ない大金を銀行に預ければどうなるか。必ずや調査が入るはずだ。
その調査を件の貴族は恐れたのだろう。あれほどの大金を扱ったことのないあなたが、なるほど、などと思う。ところが、
「でもまあ、タイミングの問題じゃないですか。とりあえず地下牢獄に隠し、安全な所へ移す前に、我々に捕まったのではないのでしょうか」
あまり深く考えるな、とソロンが肩をすくめて言った。
「なので司直として大掛かりに動いては、嫡流の者達に捜査を妨げられる可能性があったため、それであなた方戦士に頼んだですよ。助かりました、ありがとうございます」
ソロンがあなたに改めて礼を告げた。
彼があなたたちに依頼したのは、それなりの理由があったようだ。けれど、
「あなた方に依頼できて良かった。実のところ、あなた方とのパイプを築いておくのも悪くないと思いまして。……フフッ、王宮内を騒がしたその実力、頼りにしてますよ」
ソロンがニヤリとした笑みをあなたに浮かべた。
ラズィーヤと二人が仲良いのも計算の内なのか。いや、もしかしたら、この男がそうさせているのかもしれない。
油断ならない男だ、などとあなたが思った。




