真夜中の珈琲
「蠅の衆徒ってご存知でしょうか?」
ある喫茶店の、最も角にあるテーブル席。向かい合って座るソロンがあなたに訊いた。
知らない。初めて聞く名だ。あなたが首を振る。
衆徒。この響きから察するに団体なのだろうか。あなたがソロンに問うと、
「蠅の衆徒とは、自らを“サーラの樹”にたかるハエと、自嘲を交えた自称をする宗教団体のことでして」
ソロンが宗教団体である旨を明かし、続く話にあなたが耳を傾ける。
「大本を辿ると、我がザイオニアの英雄、剣士ヒートラが滅ぼしたムーダイトに行き着きます。ですから“ナンナ教”を信仰する教団でありまして、……聞くまでもないことですが、ナンナ教についてはご存知ですよね?」
ナンナ教とは、かつての宗教国家ムーダイトが奉じていた宗教の名である。
ナンナ神という神を唯一と崇め、今でも南方では盛んに信仰されている。他の神を認めないいわゆる一神教だ。
この常識をもちろん知るあなたが首を縦に振り、これを前提にソロンが説明を続ける。
「今から五十年ほど前になりますか。姫君ゼノビアのナルシャマーム家の傍流、ラマイヤ家末裔の“エヌー”という男が、ある日、ナンナ神から託宣を得たのが蠅の始まりと言われています。このエヌーは、自らを神託者と名乗り、リベラル的な志向を排して神の教えに今一度還るべき、とナンナ教の信徒に呼びかけました。最初こそあまり同調されなかったのですが、エヌーは挫けずに地道な活動を続け、そうして徐々に信者を増やしたエヌーの団体は、いつしか蠅の衆徒と呼ばれるようになったのです」
あなたがソロンの話を聞き、南方にはそんな勢力があったのか、などと関心を寄せた。
ナルシャマーム家とは、かの姫君やその父親オルバヌスが属していた、ムーダイトという一大国家を治めていた一族の家系にあたる。
今は存在しない。ムーダイトの滅亡に伴って剣士が滅ぼしている。蠅の衆徒という団体は、その傍流エヌーという男が、長きに亘る布教の末に起こした勢力のようだ。
並大抵の苦労ではなかっただろう。エヌーという男に感心するあなただが、ソロンが怪我していない右手でカップを取り、コーヒーを一口すすってから、
「しかしです、この蠅の衆徒、少し、いや、大きな問題がありまして、……幾らエヌーがラマイヤ家の血を引くとは言え、指導者でもないたった一人の男が、神の教えに還るべきなんてお題目を唱えても、他人が素直に従うとは到底思えませんよね?」
問題、などと言う思わせぶりな発言をする。
「エヌーは信者を得るために強引な手段を講じました。アジールの形成です。アジールとは、宗教によって護られた治外法権のエリア、すなわち外からの干渉を拒絶し、ナンナ教の教義のみが適用される領域の事を指します。エヌーはこの築いたアジールに、ナンナ教の信徒であれば貴賎、罪、素性、一切問わずに誰でも匿ったことで信者を獲得したのです」
原点に戻る。聞こえはいいが、それは時としてヒトに窮屈さを強いる。
ソロンが言うとおり、信者が集まる名目にはならないだろう。そもそも法や教義とは、時代に沿って逸脱しない程度に革まるものである。
アジールとは宗教用語で聖域を表し、外部からの干渉、つまり外の法や権力を排除し、その宗教の戒律を適用する領域だ。
ここに入れば、いかなる者も外の追及から匿われる。食うに困って強盗を働いた者、やむを得ない理由で殺人を犯してしまった者。元々はそういった困窮するヒトたちを救うべく築かれた領域がアジールと聞いた。しかし、
「そうなのです。ナンナ教を信仰するなら誰でも匿った所為で、蝿の衆徒という団体には反社会的な組織が結構な割合で含まれているのですよ」
あなたが感じた疑問を訊き、それにソロンが頷いた。
エヌーという男は、信者を得るためにアジールを形成し、そこに誰彼かまわず引き入れた。外で罪を犯した者でも、である。
つまり犯罪者が、アジールの中では罪が洗われるのだ。追及から逃れるための隠れ蓑にされることは想像に難くない。
「蠅の衆徒は今や南方に大きな勢力を誇るようになりました。エヌーはその力を背景に、ナンナ教を国教とした政教一致型の国を興そうと画策しているのです」
思った以上に話が大きく、あなたが息を呑む。
それはまさにムーダイトの再来。蠅の衆徒とは、宗教を基に国家樹立を標榜する、とてつもなく巨大で清濁併せ呑む集団のようである。
だが、この宗教団体がどうしたのだろうか。南方にそのような勢力がいる事は分かった。けれどこの一癖ありそうな二枚目が、そんな団体を教えにわざわざあなたを呼んだのだろうか。
否。違うだろう。今の話はこれからする本題の前提なのだ。話の本題に移るようあなたがソロンを促す。
「前置きが長くなってしまいましたね。では本題に移りましょう。実はあなた方に、地下牢獄へ行ってもらいたいのです」
今ソロンが告げた単語に、あなたの目が光った。
地下牢獄。以前件の貴族の手下たちがたむろしていた場所で、あなたがお預けを食らった場所でもある。
普段は進入禁止とされている。そこへ行け、とソロンが確かに勧めた。
「ウィルガスト家って覚えてますよね? あの連中、地下牢獄の入口付近によくたむろしていたのですが、そもそも何故あんな所にたむろしていたのか疑問に思っていたのです。それでこの度捕まえたので、その意図を尋問したのですが、なんと奴ら、いま話した蠅の衆徒と係わりがあり、蠅の者から預かった物を地下牢獄に隠した、と吐いたのです」
話を聞いたあなたは、彼が何を頼まんとしているのか大体理解した。
しかし、これを戦士に頼む必要があるのだろうか。司直自身で探せばいいのでは、などとあなたが思うが、
「僕はそれを聞いて部下に確かめに向かわせました。ですが、その者が未だ帰って来ないのです。不審に思って僕が確かめに行くと、そこには番人というべき存在がいて、そいつに僕は不覚をとってしまったのですよ」
さらにソロンが続け、一人行方不明者が現れた旨と、左手の怪我の理由を話した。
あなたがソロンに訊く。その番人を倒し、預かった物とやらを確かめればいいのか、などと。
「察しの通りです。あなた方に頼みたいのは、預かった物の確保と、それを守る番人の討伐。あと、確かめに向かわせた部下が生きているようなら救出、そうでなかったなら遺留品を持ってきて頂けると助かります」
ソロンがあなたたちに依頼を申し込んだ。
しかし、彼が負傷したからといって戦士に頼む理由とはならない。やはり司直自身で確かめれば良い。
なぜ彼は戦士のあなたたちに頼むだろう。だが、これをあなたは訊くのをやめた。せっかくのダンジョン探索、この機会に水を差されたくはなかった。
あなたが心得る。バースデイ島の洞窟は消化不良だった。そして足を折り、今あなたは冒険したがっている。
「気を付けてください。番人は暗闇でも動き回れる“紅い眼”の持ち主です。あなた方の不意を突いてくるでしょうから、くれぐれも注意を怠らないように御願い致します」
もう一度述べるが、行方不明者が一人現れている。ソロンが警戒を促した。
「ところで、……以前上司のクライブも言いましたが、貴方は司直に就く気はありませんか?」
唐突にソロンが、あなたを司直に誘った。
司直に勤めるのは狭き関門。それに王国勤めなどすれば縛られ、旅に出るなど叶わなくなるだろう。
あなたには叶えたい目的がある。よって誘いを受けるあなたではないが、
「惜しいですね。ミゼル商会の悪事を止めたあなたなら、王も諸手を挙げて歓迎するでしょう。知っていますか? あの事件は王宮内でも結構な話題になったのですよ?」
あなたたちが知らず知らず、ザイオニアの城内を賑わせたことをソロンが明かす。
「世間的には一地方の一事件として片付けられていますけどね。ミゼル商会の元会長アーレ・ミゼルですが、とある理由があって王はあの者を苦々しく思っていたのです。そこへあなた方が現れ、事件を解決に導いたものですから、クライブなんては王に“この件に係わった戦士の名を教えろ”と詰め寄られてましたよ」
あなたが息を呑む。あなたたちの名は、世界を統べる警察国家の王に知られているようである。
ジュリアの頼みと、シンシアを救うために戦ったまでだ。まさか、あの事件がそんなに大事であったとは。あなたは思いも寄らなかった。
王に知られていると聞いて脈を早めるあなた。このあなたにソロンが、
「僕はあなた方に礼を言わなくてはいけません。私事になりますが、あの事件で僕は昇進しまして、今ではハレーシャンの街の治安を任されるようになったのですよ」
礼を述べ、これにあなたが気もそぞろに祝辞を返す。
あなたが、レヴァルツィアでの身の振りように思案を巡らす。テオを送ったらさっさとザイオニア国内を出るべきか。それとも、一度ザイオニア王に謁見するべきか、などと考えていると、
「どうでしょうか? 王に気に入られれば出世コースも間違いありませんよ? 王子の警護役を任されたりして、フフッ」
ソロンが細く釣り上がった目を一層細め、あなたをそそのかす。
「……まあ、気がないのは分かっています。ですが、それでも一考してくださると助かります。ミネルバなどザイオニアの周辺は平和な方ですが、この世にはまだまだ無法があふれてますから。元ムーダイトの領地しかり、ラズィーヤの故郷であるヒルダガルしかり。ただ力が有るというだけで他者を平気で虐げ、他者を平気で玩具にする輩が、この世には確かに存在するのです」
随分と買い被られた。あなたは己の意志に従って戦って来ただけだ。
だが、評価されるのは悪くない。それにソロンが言うとおり、この広い世界には確かに悪がはびこっている。
悪を許せない気持ちは誰にでも、あなたにも存在する。いつかあなたの旅の目的が叶ったら、今ソロンが告げたことを一考する余地はあるのかもしれない。
そして、この男が悪を語ったのは意外だった。飄々として捉えどころの無い彼だが、その見た目とは裏腹な、熱く籠もった想いをあなたは感じ取った。




