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「斉田さん」

振り返るとグレーのスーツをすらりと着こなした一人の男性が見える。


「辞めるんだって? 聞いたよ。あんまりにも急だから」

無駄の無い動きで彼は私のデスクに手かける。色めき立ったようにフロアの女子の視線が絡みついたのを背中に感じた。

「うん。色々あってね」

「何があったの?」

仕事中なんかおかまいしに聞いてくる彼に少しイラッとした気持ちを隠しながら、

「今度話すから」

「じゃあ、今晩。よろしく」

「はぁ……」

これ以上、あまり私の周りの気を乱したくもないので、逃げるように言うとまんまと彼の意向にはまってしまう。


「斉田係長ってやっぱり男前ですね」

さっきまでまつげを伏せていた、隣の席の佐藤さんはきらきらとした眼差しで自分の部署に戻っていく斉田さんを追っていた。

「そうかもね」


確かに、見た目だけと仕草はそこら辺にいる男より綺麗だと思う。

そして男女関係なく態度を変えずに笑顔で接する彼を尊敬しない訳ではない。

けれども、私はあまりにも強引すぎる人は好きじゃない。


「斉田係長と仲良いんですか?でも、接点ありましたっけ?」

佐藤さんの口調が一瞬鋭く光る。

「接点というか、前の直属の上司だったから」

「なるほどですね」

そう言うと納得した表情で佐藤さんは自分の仕事に戻っていた。


※※※

「久しぶりだよね」

ビールが入ったジョッキを持って様になる人はそれ程いないだろう。

「それよりも煙草吸い過ぎだと思うよ」

「そう言わずにさ」

彼は、煙草を深く吸うと少し眉を顰めながらビールを飲んだ。


「煙草嫌いなら吸わなければいいのに」

「好きも嫌いも辞められないんだよ」

そう言って、少し笑うとさっと煙草の火を消した。


「そんなことよりさ。なんで辞めようと思った訳?」

さっきまで綺麗な作り笑いで笑っていた彼の顔がさっと表情を変える。

「…なんでも。なにも無いよ」

途端に私は彼の顔をなんだかまともに見れなくなり

ビールのジョッキを抱えた。

「何にもないのに急に辞めるの?」

「……そうだね」

店の中では少し流行遅れの歌がかかっていた。

隣の席では団体客が、ビンゴをやっていた。

そんな喧噪が自分とはずいぶんかけ離れた世界から

かかってくる音楽のように遠くに聞こえる。

「嘘。本当のこと話してよ」

だけど、この男の声だけは良く響く。

隣を見ると、真っ直ぐな瞳。

会社ではあまり見たことのない表情。

なんだか、もう逃げられないような気がした。




「あんまり話たくない」

むっとして言ってみる。

私の中での最後の抵抗。


「じゃあ、話したくなるまで、ずっと待ってる」

そう言うと彼は店員を呼んで、ビールよりもずっとアルコール度数の高いお酒を二つ程注文した。

にやりと、ほくそ笑む顔が目の端に見える。

もうどうにでもなれとばかりに、私は手に抱えたビールジョッキを最後まで飲み干した。


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