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――9月に会ったのが最後だった。
いつもは見せない表情で少し笑いながら私の目を見て「辞める」と彼はそう言った。
「実はさ、他のお客さんには言ってない。ナツだけ」
その言葉が本当なのか嘘なのか私には見極める術はない。だけど、そんなのはどちらでもよかった。
ただ、目の前の現実が音を立てて壊れていくような感覚が背中に走っていた。
「辞めるんだ。そっか」
思ったより、口から出た言葉を笑って言える自分になんとなく驚いた。
「もし、いつか道ですれ違ったら声かけてよ」
笑いながらそう言ったユウタの表情はいつになくスッキリとしていた。
「ううん。きっとお互いわかんないよ。だって“ナツ”なんて子はいないもん」
「知ってる。“ユウタ”だっていない」
その言葉の意味を本当はわかっていた。
私が居心地よく感じていたのは“ナツ”が私の理想とする人物であったからだ。
本当はカフェで働いたことなんてない。
それは夢であって、現実は厳しい。
本当の私はただのしがないOLで、ただ同じ毎日を咀嚼していただけ。
“ナツ”も“ユウタ”も理想の人物であって、
夢の中で生きることが居心地よく感じていただけだ。
だけど、
例えそれが偽りだとわかっていても
“ナツ”も“ユウタ”もお互い私の彼の一部であって
どこか、言葉の根底でふれあえたことは事実だと思っていたい。
「そうだね。もう、会うことは無いけれど会えてよかった」
「バイバイ。“ナツ”」
「バイバイ。“ユウタ”」
静かに扉は閉ざされた。




