第9章 変化
朝早く、カフェへと向かった花音と未来。
昨日、春彦の登場で作業が途中で止まってしまっていたため、まずは裏庭の草むしりの続きをしようと裏庭へと向かったのだった。
だが、裏庭に足を踏み入れた二人は、思わず目を見張った。
一歩入れば鬱蒼としていた雑草が綺麗さっぱり刈り取られ、レンガ造りのバーベキュー炉もピカピカに掃除されていた。炉には重厚なグレート(焼き網)がセッティングされ、その脇には丁寧に炭まで用意されている。
そして何より二人を驚かせたのは、かつて花壇だったと思われる場所が、まるで農園のようにふかふかと土が耕されていたことだった。
「……これ、一体誰が……!?」
二人は慌ててカフェに入った。厨房では菊が香ばしい焼き菓子を焼き上げているところだった。
「菊さん!! 裏庭のアレ、どうしたんですか!?」
駆け込んできた二人に、菊が少し呆れたような、けれど愛おしそうな笑顔を向けた。
「あら、二人とも早いのね。実はね……昨日あのあと、春ちゃんに草むしりの話をしたら、猛烈な勢いで残りの雑草をむしってね。未来ちゃんのハーブ畑になる場所を作って、バーベキューの炉も綺麗に整えてくれたのよ」
「えっ……! で、春彦さんは!?」
「夕食だけ食べて帰宅したわ。東京に転勤になったことだし『ここに住んだら?』って勧めていたのだけれど……」
「そうだったんですね……」
未来はどこか複雑な気持ちを抱きつつも、「春彦くんは菊さんの大切な甥っ子なんだから、同居するのは当たり前よね」と自分に言い聞かせることにした。
◇
やがてカフェが開店すると、いつものように『殺虫剤軍団』の面々が入店し、ズラリとカウンター席に腰掛けた。
配膳をしていたあんずが、ふと菊に問いかける。
「菊さ〜ん、春彦さんって、いつからここに住むんですかぁ〜?」
その言葉に、カウンターの『殺虫剤軍団』がピクッと一斉に反応した。
「まだはっきりとは決まっていないのだけれどね。私としては、なるべく早く引っ越してきてほしいって言っているのよ」
進藤がスッと静かに菊へ近づいてきた。
「菊さん……その春彦さんというのは?」
「え、ええ、私の甥っ子なんですよ」
「学生さんですか?」
「い、いえ、社会人ですの。この度、東京に転勤になりまして……」
「なるほど……菊さんの甥御さんなら優秀で誠実な青年でしょうが……1つ屋根の下に、若い男女が一緒に暮らすわけですね……」
進藤の重厚な牽制に、あんずがすかさず笑顔で割り込んだ。
「春彦さんなら大丈夫ですよ〜! 未来ちゃん一筋ですから! 高校時代からずっ〜っと好きなんですって♡」
(((あんずちゃん!! 言い方ぁぁぁーーーっ!!)))
菊は心の中で絶叫した。
すかさず竜崎が未来の元へ歩み寄る。
「未来さん……大丈夫ですか? 」
「あ、はい! どうやら高校の時の後輩だったらしくて……あ、でも大丈夫です! 私、ぜんぜん気にしていませんし、いざとなったら戦えますから! 極真空手、黒帯ですので!」
未来がシュッ、シュッとキレのあるファイトポーズをとってみせると、竜崎はフッと笑って席へと戻っていった。
(((違うの……私が心配してるのは別の意味で春ちゃんなのよ……! 未来ちゃんに組み伏せられないかしら……!)))
菊は一人で冷や汗をかいていた。
進藤たちも「未来さんなら返り討ちにできるな」と少し安心したようだったが、やはり『あんずちゃんを守る会』としては、同じ屋根の下に若い男性が住むこと自体が心配なようだった。
そこへ——
「なら、あんずちゃん。また私の家に帰ってくればいいじゃない? お部屋もそのままにしてあるし。習い事だって、こちらで続けてみたらどう?」
またしても駒子さんがそこに立っていた。
(((神出鬼没の駒子さん来たーーーっ!!)))
未来が心の中でツッコんでいると、菊が興味深そうに目を輝かせた。
「あら、あんずちゃん、習い事をしていたの?」
「はい、日本舞踊と茶道を習っていたんです。実家の旅館に舞台があって、お客様に踊りを披露したり、外国人のお客様にお茶や踊りを体験していただいたりしていて……経営の方は兄が勉強しているので、あんずは踊りやお茶でおもてなしができたらなって」
「まあ、素敵ねぇ♡」
菊がうっとりと手を合わせると、『殺虫剤軍団』の4人もあんずの艶やかな着物姿を脳内に思い浮かべ、一瞬で夢心地な表情になった。
駒子がぐっと身を乗り出す。
「たしか花柳流だったわよね! あんずちゃんがまた習いたいなら、こちらでお稽古場を探しておくわ!」
駒子さんがエアで日本舞踊のしなやかな手つきを真似してみせる。
「うん! 駒子叔母さん、またお世話になっていい……?」
駒子さんは自分の豊満なお腹をポンと威勢よく叩いた。
「もちろんよ! 任せなさい!」
こうして、カフェのスタッフと駒子さん夫妻の手によって賑やかにあんずの引越しが行われ、入れ替わるようにして春彦が北城家へと越してきたのだった。
◇
秋の気配が少しずつ深まり始めた頃。
駒子が大きな段ボール箱を抱えてカフェにやってきた。
「あ、こんにちは〜!」
菊、花音、未来、あんずの4人が声を揃えて出迎える。
「いらっしゃいませ〜!」
「これね、実家からたくさん送られてきたのよ。皆様にもお分けしてちょうだいって!」
箱を開けると、中からコロコロとした見事な大粒の栗が溢れんばかりに出てきた。
「あ! 甚三じいちゃんの栗だぁ〜!」
あんずが歓声を上げる。
「親戚が栗畑をやっていたんだけど、高齢になったから身内で管理しているのよ。甘くて本当に美味しい栗だから♡」
菊が嬉しそうに深々と頭を下げる。
「まあ、本当に立派で美味しそうな栗だこと」
あんずは袖をまくり上げ、嬉しそうに申し出た。
「あんず、栗の皮むき得意だから手伝いますね!」
駒子も負けじと腕をまくる。
「どんな風に剥く? 鬼皮だけ剥く? 渋皮も取る?」
張り切る二人のパワーに、菊と花音は圧倒されつつもクスクスと笑った。
「菊さん、この栗をお料理に使ってみても良いかしら?」
花音の瞳がキラリと輝いた。どうやら新しいレシピが閃いたようだ。
「もちろんよ! 私も栗のタルトと、洋風の渋皮煮を作ってみようかしら」
その日の午後、カフェの片隅では、楽しそうにお喋りをしながら黙々と栗を剥く駒子さんとあんずの姿があった。
カウンター席の『殺虫剤軍団』は、目を細めてあんずの健気な姿を眺め、至福の癒やしタイムを堪能していた。
◇
数日後。
カフェの『秋のアフタヌーンティーセット』の上段には、菊が焼き上げた香ばしい栗のタルトと、ブランデーが優雅に香る栗の渋皮煮が添えられた。
さらに、花音の考案した秋の新メニュー——小さな耐熱皿でグツグツと踊る『栗と豚肉のハーブ白ワイン煮込み』に、彩り鮮やかな野菜のサラダ、自家製全粒粉の丸パンを添えたワンプレートが、瞬く間に大人気となった。
休日のランチタイム、カフェで食事をするのがすっかり習慣になった春彦の隣には何故か?明の姿もあり片思い同盟が出来ていた。カウンター席で花音の新作ワンプレートに舌鼓を打つ2人。
「あ、すみません。紅茶のおかわりをお願いします」
未来がおかわりのポットを持って春彦の側へ行く。
「北城くん。お料理なら分かるけど、何もわざわざお金を払ってお店で紅茶を飲まなくてもいいんじゃない? 茶葉なら母屋に持っていくわよ?」
春彦は蚊が鳴くような小さな声で、恥ずかしそうに呟いた。
「未来さんが淹れてくれたお茶の方が、断然美味しいですから……。それとも、僕がお店に来ない方がいいですか……?」
「ちがうわよ! 単にお金がもったいないんじゃないかって話!」
「それなら良かったです……。それに、僕ってお金の使い道がここくらいしかありませんから。叔母さん、家賃を受け取ってくれなくて……食費だけやっと受け取ってくれたんですよ」
「ふふ、菊さんらしいわね」
未来はくすりと笑うと、キッチンへと戻っていった。
淹れたての紅茶を一口含み、心底幸せそうな表情を浮かべる春彦。だが、その視線は相変わらず未来の後姿をじーっと追いかけている。
その視線に気づいた竜崎が、ちろりと鋭い眼光を春彦に向けた。
気配を察した菊が慌てて春彦の元へ駆け寄る。
「春ちゃん! 未来さんに聞いて、ハーブの種を買ってきてくれないかしら? せっかく素敵な畑を作ってくれたんだから」
「あ、はい!」
春彦がさっそく未来に教えを乞うと、未来はポンと手を打った。
「そうね! ローズマリーやディルなら、花音ちゃんの料理にも使えるかしら? あと、地植えにすると増えすぎるから、鉢植え用にミントがあると嬉しいわ!」
「未来、花音さんの役にも立つのか?」
明の声に未来はニヤリと笑い
「とっても役立つと思うわ」
「俺も一緒に行くよ春彦君」
2人は、見つめ合うとウンとうなずき
「分かりました! ローズマリー、ディル、ミントですね! すぐに買ってきます!」
明と春彦は風のようにカフェを飛び出していった。
数時間後——明と春彦の手により裏庭には、未来の指示通りに綺麗な畝が作られてハーブの種が蒔かれ、ミントの鉢植えも用意されていた。
その様子を見ていた駒子が決心したような顔で結婚相談所の所長のごとく燃え上がっていた。
(明先生と春彦君か‥全部くっついてくれれば菊さん、花音ちゃん、未来ちゃんが親戚同士になるんだから、こんなに良いご縁はないわよね。頑張らなきゃ!!)
どうやらカフェ『素敵なお茶会』では、恋の予感がしてる?のだった。
(第10章へ続く)




