第8章 白いパラソル
季節は、いつの間にか真夏を迎えていた。
照りつける太陽の中、洋館のテラス席では、麦わら帽子をかぶり、首に手ぬぐいを巻き、汗でメイクがほぼ流れ落ちている駒子たちトイプートリオ夫人たちが、「根性」でお茶を飲んでいた。
店内からその様子を窺っていた未来が、ポツリと呟く。
「ねえ、菊さん……駒子さんたち、熱中症になりませんかね?」
菊は深いため息をついた。
「真夏は危険ですからテラス席はおやめになった方が……とお止めしたのだけれど、『大丈夫よ!』ってきかなくてねぇ」
すると、あんずがのほほんと言った。
「パラソルを立てたら、少しはマシかも! あとは冷風機を置くとか〜」
花音も心配そうに駒子さんたちを見つめる。
「あと夏期限定のメニューはどうでしょうか? かき氷とか、ところてんのような冷たいものなら、塩分や水分も補給できそうですし」
「あ! あんず、クリームあんみつが食べたいな♡」
それを聞いたカウンター席の『殺虫剤軍団』は、目にも留まらぬ速さでスマートフォンを取り出し、『クリームあんみつの名店』を検索し始めた。
菊はふっと思い出したようにポンと手を打った。
「そう言えば、トランクルームに昔使っていたパラソルがあったと思うわ。今日の営業が終わったら、行って探してみるわね」
チャンスとばかりに、未来がすぐさま乗っかる。
「なら私、明君に車を出してもらうね!」
「あら、明さんばかりに頼ったら申し訳ないわ。タクシーを呼びましょう」
「大丈夫、大丈夫! 連絡したら喜んで飛んできますから!」
未来はニヤリと悪代官のような笑みを浮かべると、素早く明へメッセージを送った。
◇
数時間後——営業終了。
「お疲れ様でした〜! あ、菊さん、あんずは進藤さんたちと甘味処に行ってきま〜す!」
菊が進藤たちに会釈する。
「いつもすみません。よろしくお願いしますね」
菊もあんずが安心して明るくなった事に喜びを感じていた。
進藤はニッコリと包容力たっぷりの笑顔を浮かべた。
「はい! 帰りもしっかりとお宅までお送りしますので、ご安心ください」
あんずは絶品クリームあんみつへの期待で目を輝かせながら手を振り、殺虫剤軍団のおじいちゃんたちとウキウキで出かけていった。
それと入れ違いに、明のステーションワゴンが滑り込んできた。菊、花音、未来の3人は車に乗り込み、郊外にある北城家のトランクルームへと向かった。
トランクルームの奥を探すと、目当ての大きな『白いパラソル』が何本か出てきた。
「たしか、今使っているテラスのテーブルに差し込めるはずよ」
さっそくカフェへと持ち帰り、明が手際よくすべてのテラス席に白いパラソルを設置していく。
「わあ、可愛い♡ これなら直射日光をしっかり遮れますね!」
パッと開いた白いパラソルを見上げて、花音が嬉しそうに声を上げた。
そこへ、甘味処からあんずと『殺虫剤軍団』が帰ってきた。
「菊さ〜ん! 竜崎さんが、これくれました〜!」
進藤たちが抱えてきたのは、大型の冷風機と家庭用ミスト散布用のホースセットだった。
「竜崎さん、こんな立派なものをいただいてしまって良いのですか?」
竜崎は少し照れくさそうに咳払いをした。
「いや、なに……以前、街の夏祭りで役員をやっていた時に使ったものでしてね。倉庫に眠っていたのを思い出したんですよ。あんずちゃんが『伊藤夫人たちが心配だ』と言っていたからね。役に立つなら使ってください」
花音は「みなさん、喉が渇いたでしょう」と、冷たく美味しい冷茶を淹れて運んできた。
未来がさっそく設置した冷風機とミストのスイッチを入れる。
シュワァァァ……と繊細な霧が広がり、一気に涼しい風が吹き抜けた。
「あ、気持ちい〜い♡」
あんずがひんやりとしたミストにあたりながら、キャッキャとはしゃいでいる。
「今は夜だが、昼間だって何も無いよりは断然マシだろう」
竜崎も満足そうに頷いていた。
と、ここで未来が明の背中を強めに突っついた。(ほら! 今でしょ!)と言いたげな顔だ。
明はゴクリと唾を飲み込み、意を決して花音に向き直った。
「あ、あの……花音さん。すごく旨い『焼き鳥屋』があるんですが、良かったら一緒に行きませんか……?」
(((や、焼き鳥屋だとぉぉぉーーーっ!? 明君なに考えてるのよ!! 初めてのお誘いならもっと洒落たイタリアンとかフレンチでしょ!?)))
未来は般若のような顔で明を睨みつけた。
しかし、その瞬間——
「えっ!? あんずも焼き鳥食べた〜い!!」
ミストではしゃいでいたあんずが、目を輝かせて走ってきた。
未来はギクッと固まる。
(((あ……あんずちゃんに言ってなかった……!!)))
◇
三十分後、近所で評判の赤提灯が揺れる居酒屋。
なぜか小上がりにある一番大きな座敷テーブルに、全員が揃って座っていた。
あんずの隣にはぴったりと『殺虫剤軍団』がガードを固め、菊がお上品に座り、未来は「どうしてこうなった……」と言いたげな複雑な顔、明は泣き笑いのような情けない顔、そして花音だけが「楽しみですね!」と純粋に目を輝かせていた。
「これ、明先生おすすめの塩焼き鳥です。熱いうちにどうぞ」
差し出された焼き鳥を一口かじった瞬間、花音は目を丸くした。
「……! 本当に美味しいですね! 炭火で焼くと、こんなにもジューシーで豊かな味わいになるのね……」
花音は串を見つめながら、真剣な表情で考え込み始めた。
「菊さん、庭にバーベキューコンロを置いてみても良いでしょうか? 電気オーブンで焼くより、炭火の方が肉料理の幅が広がるかもしれません」
「あら、素敵ねえ。でもバーベキューコンロなら、わざわざ買わなくても裏庭にレンガ造りの炉があるわよ? 主人が存命だった頃、休みの日によく肉を焼いてくれていたから。グレート(焼き網)は物置にあるわ」
「えっ、あるんですね……!」
花音はパッと顔を輝かせると、明に向き直って深々と頭を下げるのだった。
「明さん、今日はこんな素敵なお店に連れてきてくださり本当にありがとうございました! すっごく勉強になりました!」
明はなんとも言えない切なくも嬉しい表情を浮かべながら、
「お、お役に立てて良かったです……!」
と答えるのが精一杯だった。
◇
翌日。
日差しが照りつけるテラス席には、白いパラソルの下で心底幸せそうな顔をした駒子たちが座っていた。
「ほんっと、ビックリしたわ〜! 急に素敵な白いパラソルに、涼しいミストや冷風機まで完備されるなんて!」
駒子は特注の冷風を浴びながら、ご機嫌でスプーンを動かしている。
「それに、このかき氷のシロップ、手作りで絶品ね〜!」
林田も冷たい自家製ミックスベリーシロップのかき氷を口に運び、至福の表情を浮かべていた。
「こっちの特製クリームあんみつも最高よ!! さすが菊さんね。自家製餡子の甘さと寒天の食感が絶妙だわ」
川村も上機嫌で甘味を堪能していた。
足元では、トイプートリオのワンコたちも用意された冷たいお水を美味しそうにゴクゴクと飲んでいる。
その微笑ましい光景を眺めながら、菊、花音、未来、そしてあんずの4人は、心から安心したように温かく微笑み合うのだった。
◇
数日後、カフェの定休日。
菊に案内され、洋館の裏庭へと足を踏み入れた花音、未来、あんずの3人は、目の前の光景に絶句した。
そこは背丈ほどの雑草が鬱蒼と生い茂るジャングルと化しており、お目当ての『レンガ造りのバーベキュー炉』など影も形も見えなくなっていたのだ。
「……すごいでしょ、この有様」
菊が顔を真っ赤にしながら照れくさそうにはにかむ。
「とりあえず、草むしりからですね!」
未来は腰に手を当て、やる気満々で腕まくりをした。
「未来ちゃん、はい虫除けスプレー! 蚊に刺されちゃうから!」
そこへやってきたあんずの姿を見て、花音は目を丸くした。
手ぬぐいを頭に巻き、もんぺ風のズボンを履いたあんずは、まるで『田舎のおばあちゃん』のような出立ちで準備万端だったのだ。
そして作業が始まるやいなや、あんずは手慣れた手つきで次々と雑草を根そこぎ抜いていく。そのあまりにも圧倒的でプロフェッショナルな草むしりの技に、花音は感嘆の声を上げた。
「あんずちゃん……! すごい手際ね!」
「ふふ、実家の庭がめちゃくちゃ広くて、昔からよくむしらされてたんです。ウチ、実家が旅館なので!」
「えっ? あんずちゃんのおうちって旅館なの!?」
「そうなのよ〜。お姉さんの嫁ぎ先が老舗旅館なのよ」
(((こ、駒子さん……っ!? いつからそこに……!?)))
気がつくと、あんずと全く同じ『おばあちゃんスタイル』に変装した駒子が、隣でシュッ、シュッ、と凄まじいスピードで草をむしっていた。
「あら嫌だ、駒子さんにまで草むしりをさせてしまうなんて申し訳ないわ〜」
菊が両手を頬に当てて恐縮する。
「いいのよ、この間の白いパラソルと冷風機のお礼なんだから気にしないで!」
「でも皆さん、暑いですから少し休憩しましょう。今日は甥っ子が手伝いに来てくれるから、色々と準備していたの。良かったら皆さんも召し上がってちょうだい」
菊の「お昼にしましょう」の一声に、駒子とあんずの動きは素早かった。
汗ばんだ服を速やかに脱ぎ捨てると、二人揃って洗面所へと飛んでいった。
母屋のテーブルには、揚げたての天ぷらやキリッと冷えた素麺がズラリと並べられていた。ミョウガや大葉などの薬味もたっぷりと添えられ、食欲を強烈にそそる。
「わあぁぁ〜! 美味しそう!!」
みんなで冷たい素麺をツルツルと賑やかに味わい、食後の冷茶を飲んでほっと一息ついた時だった。
玄関のチャイムが鳴り響いた。
「あら、春ちゃんが来たかしら?」
菊が立ち上がろうとすると、未来がサッと立ち上がった。
「あ、私が出ますよ!」
未来はパタパタと玄関へ走っていった。
重厚なドアを開けると、そこには爽やかな青年が立っていた。
「え……? 未来さん……!?」
「北城さん……!?」
お互いに目を見開いたまま固まる二人。
奥からなかなか戻ってこないのを不審に思った菊が、様子を見にやってきた。
「あら、やっぱり春ちゃんじゃない。どうしたの二人とも、立ち止まっちゃって?」
「叔母さん……なんで未来さんがここにいるの!?」
春彦の意外すぎる反応に、菊は目を丸くした。
「え? 春ちゃん、未来さんを知っているの……?」
「僕のお見合い相手です……! 急に実家から姿を消してしまった……」
「えぇっ!?」と声を上げる菊。
未来は気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「北城さんって、菊さんの甥っ子さんだったんですね……。名字が同じだとは思っていましたけど、世の中って本当に狭いですね……」
◇
「それじゃあ菊さん、ごちそうさまでした! 私たち、駒子さんの家に行ってますね!」
察しの良い花音、駒子、あんずの3人は、手早く皿を下げると気を利かせて出て行った。
リビングのテーブルに向かい合って座る春彦と未来。
菊はキッチンで気を揉みながら、ハラハラと片付けを行っている。
「未来さん……どうして急に姿を消したのか、理由を聞いてもいいですか? 実家から逃げ出すほど、僕のことが嫌でしたか……?」
春彦が悲しそうな、傷ついたような瞳で尋ねる。
「北城さん、違うんです! あなたが嫌だったわけじゃないんです。ただ……親の言いなりになって、見ず知らずの人とそのまま流されるように結婚するのが嫌だったんです。私、もっと社会に出て自分の力で生きてみたかったの。まあ……結局のところ、私には何のスキルも無かったんですけどね」
未来が自嘲気味に笑うと、春彦はどこか切なそうな顔で首を振った。
「見ず知らず……ですか。僕に直接声をかける勇気がなくて『お見合い』という形を取ってしまいましたが……僕たち、実は同じ高校だったんですよ」
「……えっ!?」
未来は目を見開いた。
「未来さん、高校の時にお財布を落としたことがあったでしょう?」
「あ……ええ! 下駄箱からひょっこり出てきて助かった記憶がありますけど……」
「あれ、僕が拾って入れたんです。空手部で凛々しく活躍していた未来先輩に……憧れていたから」
「ち、ちょっと待って!『先輩』……!? あなた、私の後輩だったの!?」
「はい。僕は美術部だったんです。部室の窓から、グラウンドをランニングする未来先輩の姿がよく見えて……」
その会話を聞いていた菊が、お盆を抱えたまま慌てて飛んできた。
「春ちゃん……! も、もしかしてあなた、未来ちゃんをストーカーしていたの……!?」
「ちがうよ叔母さん! ストーカーじゃなくて、未来先輩を遠くから『愛でていた』だけだよ!!」
必死に弁明する春彦。
菊は青ざめた顔で未来に向き直った。
「未来ちゃん、本当にごめんなさいね……! 春ちゃんは本当はとっても優しい子でね、主人や息子を亡くして一人になった私のことを心配して、来てくれたりする良い子なのよ。悪気は無かったと思うの……!」
「ふふ、大丈夫ですよ菊さん。理由がどうあれ、何も言わずに逃げてしまったのは私の方ですから……。全く気にしてません」
『全く気にしていない(=過去の出来事として完了している)』という未来のサッパリとした態度に、春彦は胸を打ち抜かれたような地味なダメージを受けていた。
「……叔母さんのこと、これからもよろしくお願いします。それと……もしよかったら、またここへ遊びに来てもいいですか?」
未来はカラッと微笑んだ。
「何言ってるんですか! ここは北城さんの身内のおうちなんだから、私のことなんて気にせず、どんどん菊さんに会いに来てあげてくださいね!」
完全に『親戚のお兄さん』ポジションに分類された春彦は、トドメを刺されたような顔になりながらも、切なく頷いた。
「は、はい……そうします。じゃあ叔母さん、頼まれていた廊下の電球、交換してくるね」
トボトボとした背中で2階へと歩いていく春彦。
その背中を心配そうに見送りながら、菊は密かに冷や汗をかいていた。
(((10年間も一途に思い続けるなんて……それに、違う学年の未来ちゃんの下駄箱の場所を知ってたなんて、やっぱりそれってストーカーの一種なんじゃ……? もし『殺虫剤軍団』の竜崎さんたちに知られたら、春ちゃん……法的にも物理的にも消されちゃうんじゃないかしら……!?)))
菊の密かな苦労は、まだまだ続きそうであった。
(第9章へ続く)




