第12章 新しい年に
クリスマス会が大成功に終わり、カフェ『素敵なお茶会』は再び穏やかな通常営業へと戻っていた。
あと数日でお正月を迎えるが、カフェは「初詣帰りのお客様にも温まってもらいたい」という菊の意向で、元旦から休まず営業することになっていた。
カフェの裏庭では、花音がサンドイッチ用のローストチキンを仕込んでいた。春彦の手によって綺麗に耕されたハーブ畑も冬越しをしながら静かに芽を蓄えており、裏庭は着々と充実してきている。
だが、花音は以前から一つ気になっていることがあった。
裏庭の奥に佇む、もう一つの重厚な鍵付きの木製扉の存在だ。あの奥には、一体何があるのだろうか——。
そこへ、香ばしいチキンの焼き上がりに吸い寄せられるようにあんずがやってきた。
「あ〜〜、すっごくイイ香り〜〜♡」
花音は微笑みながら振り返る。
「ふふ、あんずちゃんは焼き鳥が好きだものね」
「花音さんのはハーブとスパイスが効いていて、もっと複雑な味わいでずっと美味しいですよ〜!」
「ありがとう。じゃあ、後でカットしたら一番に味見をお願いね」
あんずもニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「ラジャーですっ!!」
「ところで……あの扉の奥に何があるか、あんずちゃんは知ってる?」
花音が指をさすと、あんずは首をかしげた。
「ううん、あんずも知らないんです〜」
二人が扉を見つめていると、そこへ菊と未来が現れた。
「あ、菊さん! ちょうど良いところに! あそこの扉って、何なんですか?」
あんずが尋ねると、菊は嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
「ちょうど今から行くところだったのよ。一緒に行ってみる?」
菊がポケットから小さな鍵を取り出し、扉の錠前を開けて中へと入っていく。三人がそれに続くと——そこには、洋館の北城家からは想像もつかないような、静寂に包まれた本格的な『和の空間』が広がっていた。
打ち水された趣ある石畳を歩いていくと、小さな鯉が泳ぐ池があり、その奥には風情ある数寄屋造りの『茶室』が佇んでいた。さらに向こう側には立派な木製の棚が組まれ、力強い藤の蔓が伸びている。
呆然とする三人へ、菊が優しく語りかけた。
「あちらは藤棚なの。ここだけは亡くなった主人の代からずっと専門の庭師さんにお願いしているから、裏庭みたいに悲惨なことになっていなかったのよ」
(((なんという財力……! 北城家の底力を感じる……!!)))
三人は心の中で思わず感嘆の声を上げた。
菊は微笑みながら三人を見つめ、茶室の躙り口へと促した。
「せっかくだから、一服いかがかしら?」
「ぜひいただきます!!」
畳の香りが心地よい茶室で、菊は流れるような優雅な所作でお茶を点てていく。
点てられたばかりの深緑の抹茶を口に含み、三人は「はぁ〜……」と心底ホッとした吐息をもらした。
「あ、あんずちゃん。また日本舞踊や茶道を習うなら、いつでもここで練習していいからね」
あんずはパッと目を輝かせた。
「本当ですか!? ありがとうございます、菊さん!!」
「それからね、みなさんにも企画のご相談があるのだけれど……お正月限定で、カフェで『和の特別プレート』を出してみようかと思っているの」
花音も身を乗り出した。
「素敵ですね! 菊さんはどんなメニューをお考えなんですか?」
「おめでたいお器は蔵にたくさんありますし、あんずちゃんもお茶を点てられるでしょう? だから、点てたてのお抹茶と、彩り豊かな『小さなおはぎ』のセットはどうかしら? きなこや小豆、黒胡麻のひとくちおはぎなら、お正月らしくて可愛らしいでしょう?」
「わぁ〜! 小さなおはぎ! 絶対に可愛いですし、美味しいです〜〜♡」
あんずが嬉しそうに手を叩き、花音と未来も「お正月にぴったりですね!」と目を輝かせた。
さらに花音も目をキラキラと輝かせて提案する。
「私もお正月限定でお一人様鍋を出そうかしら! 魚介と野菜の白味噌仕立て鍋に、鴨南蛮風のお餅入り鍋、それに熱々のビーフシチューと焼き立てパンのセットなんていかがかしら?」
近々『試食大会』が開催されることを瞬時に予測したあんずが、飛び跳ねて喜んだ。
「やった〜〜!! まかない試食、楽しみです〜♡」
◇
迎えた元旦。
菊の若い頃の艶やかな着物や帯を借りて、花音、未来、あんずの三人は優美な和装姿に変身していた。林田夫人が作ってくれた大正ロマンを感じさせるフリルエプロンは、着物にも驚くほどマッチしている。
「あけましておめでとうございます」
4人が揃って深々と挨拶すると、入ってきた常連客たちでさえ一瞬動きを止め、その神々しい美しさに息をのんだ。
菊の読み通り、初詣を終えた参拝客たちが暖を求め、吸い込まれるように次々とカフェへ入ってくる。
可愛らしいピンポンの音が鳴った。
コンサバトリーに駒子さんたちが到着した合図だ。駒子さんには外扉の鍵を渡してあるため自由に入れるのだが、到着を知らせるために専用のチャイムを取り付けておいたのだ。
あんずがお冷をトレーに乗せ、カフェ側からの二重扉を開けて中へと入っていく。
「皆様、あけましておめでとうございます〜」
「あら、あんずちゃん! なぁにその可愛らしい着物は!」
林田夫人が歓声を上げると、あんずは嬉しそうに微笑んだ。
「これ、菊さんの若い頃の着物と帯なんですよ〜♡ あんずにはこれが似合うって選んでくださったんですぅ〜」
「まあ、菊さんが着付けてくださったの?」
川村夫人が綺麗な振袖の袖を眺めながら尋ねると、すぐさま駒子が割り込んできた。
「あんずちゃんは自分一人で着付けられるのよ! 何しろ実家の旅館で外国人のお客様に着付けてあげていたんだから。それに日本舞踊の腕前だって大したものなんだからねっ♡」
駒子が『叔母バカ』全開で自慢しまくっている。
「あら、あんずちゃんってバレエのイメージだったけれど、日本の伝統派だったのねぇ」
あんずはニッコリと微笑み、パッとメニューを広げた。
「ありがとうございます♡ あ、お正月限定のスペシャルメニューもありますよ〜!」
3人はメニューを見るやいなや大興奮。菊の『和の特別プレート』を注文するやいなや、駒子はさっさとカフェ側へと向かった。
カウンターで作業していた未来のそばへ忍び寄る。
「あけましておめでとう、未来ちゃん。ところで明先生は呼んだの? 花音ちゃんの着物姿を見せてあげたいわ!」
「あけましておめでとうございます。ふふ、もちろんお呼びしましたよ♡」
「なら良かったわ!!」
確認を終えると、駒子は風のようにコンサバトリーへと戻っていった。
それから間もなく、ビシッと着物を着こなした明がやってきた。
「あけましておめでとうございます」
そこへ、奥から花音が歩み寄ってくる。
「あけましておめでとうございます、明さん」
お互いに艶やかな着物姿に見惚れ、一瞬言葉を失う二人。
すると未来がすぐさまやってきて、苦笑いを浮かべた。
「明くん。花音ちゃんの美しさにノックアウトされるのは分かるけど、そんなところに突っ立っていたら、他のお客様の邪魔に……」
と言いかけて明の後ろを見ると、そこには『あんずちゃんファンクラブ』の殺虫剤おじいちゃん軍団が、明と同じように口を開けて、あんずの着物姿に惚けていた。大家さんに至っては、あまりの尊さに手を合わせて拝んでいる始末だ。
あんずがトコトコと走ってきた。
「おめでとうございま〜す! 皆様、こちらのお席へどうぞ〜」
手際よく4人をテーブル席へ案内するあんず。
明は照れくさそうにカウンター席へ腰掛けた。すると、そこへ春彦もやってきて明の隣に滑り込む。
「あ、今年もよろしくお願いします、明さん! いやぁ、今日は眼福ですね〜」
春彦は、テキパキと働く未来の着物姿を熱い視線で眺めている。
「そうなんですよ……花音さんの美しいことといったら……」
そこへ未来がやってきて、二人を見下ろした。
「ところで、お二人のオーダーは?」
「あ、俺は鴨南蛮風のお鍋で!」
「僕はビーフシチューとパンのセット、あと未来ちゃんのハーブティーをお願いします!」
二人の注文を聞き届けると、未来は厨房へと戻っていった。
運ばれてきた熱々のお鍋とシチューを、二人は「うまい……!」と絶賛しながら味わった。
明は心の中で「花音と初詣に行きたい」と思っていたものの、なかなか切り出せずにソワソワと挙動不審になっている。
見かねた未来が、花音の元へ寄り添った。
「花音ちゃん。ちょうど店内も一段落したし、少し休憩してきたら? 明くんと初詣に行って来なよ!」
「えっ? でも、まだ皆だって休憩していないのに……」
「いいから、行ってらっしゃいな」
菊も優しく背中を押し、あんずは素早い手つきで花音のフリルエプロンを外していく。
奥から、羽織をまとった花音が出てくると、明の顔は一瞬で真っ赤になった。こうして、二人は少し照れながら初詣へと出かけていくのだった。
◇
初詣へ向かう二人の後ろ姿を見送りながら、残された面々がため息をつく。なかなか進展しない二人に、周りもヤキモキさせられっぱなしなのだ。
あんずがポツリと一言。
「あれじゃあ……結婚するまでに何十年かかるのかなぁ〜?」
「そうよね〜。獣医としての腕はピカイチなのに、恋愛に関してはまったくダメダメよね〜」
(((出た! 駒子さん……!!)))
相変わらずの神出鬼没な登場に、未来は心の中で全力でツッコミを入れた。
「明くん、昔はずっとボロ雑巾だったからね〜。昔の同級生が見たら絶対に本人だって分からないわよ」
「こりゃあ……私たちが一肌脱いで、何とかしてあげないとねぇ」
駒子と未来は顔を見合わせると、ニヤリと『悪巧み』の笑みを浮かべ、ケケケと怪しく笑い合うのだった。
——この後、二人の仕掛けた企みによって『ちょっとした事件』が起きるのだが、それはまた別のお話。
(第13章へ続く)




