第11章 クリスマス会
今日も伊藤夫人たちは、完成したコンサバトリーでワンコたちと和やかにお茶を楽しんでいた。
大輔さんの細やかな配慮により、カフェからコンサバトリーへの出入り口は重厚な『二重扉』になっていた。これでワンコたちの元気な鳴き声がカフェ内に響くこともなく、お客様も快適に過ごせる。冬の曇り空の日には、午前中からバイオエタノール暖炉に火が灯され、部屋の中はいつでもぽかぽかと温かかった。
そして、お客様に身体の中からも温まってもらおうと、花音が新たに考案したのが特製の『スープカレー』だ。
花音が独自にブレンドした香り高いスパイスを使い、丸鶏から何時間もかけて丁寧にガラスープを抽出。スパイシーでありながら深みとコクのある味わいに仕上げ、彩り鮮やかなターメリックライスとともに提供すると、あっという間に冬の大人気メニューとなっていた。
◇
十二月に入り、カフェが慌ただしくなってきたある日。
あんずが珍しく、一つのイベントを企画した。
「日頃お世話になっている常連さんたちを招いて、みんなでクリスマス会をやったらどうでしょうかぁ〜?」
カフェを温かく支えてくれるお客様へ感謝の気持ちを伝えたいというあんずの提案に、菊たちも大賛成。さらに、何かひとつ『余興』を披露しようということになった。
花音がクリスマス会のことを母・百合に話すと、なんと西蓮寺の本邸から繊細な装飾が施された小さな『チェンバロ』が届いた。カフェの隅にぴったり収まるコンパクトなサイズで、楽譜と一緒に「クリスマス会、楽しみにしていますね」と母からのメッセージが添えられていた。
仕事終わりに花音が試しにポロンと弾いてみると、キッチンにいたあんずが「わぁぁ!」と目を輝かせて飛んできた。
「私、その曲大好きです〜♡」
次の瞬間、あんずは伸びやかなドイツ語で歌い始めた。高校時代、コーラス部に所属していたというあんずの声は、まるで清らかな鈴の音のような透明感に満ちあふれていた。
「あんずちゃん、すごい……!」
あまりの美声に感動した4人は、あんずをメインボーカルに、菊と未来がコーラスを担当し、花音がチェンバロを演奏しながら歌うという豪華なミニコンサートを企てた。
演目は『きよしこの夜』と『もろびとこぞりて』のクリスマス・メドレー。そして目玉イベントとして、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を原語のドイツ語で披露することに決定。仕事が終わると、4人は毎夜遅くまで練習に余念がなかった。
◇
クリスマスが目前に迫ったある日。
林田さんが大きな紙袋を抱えてカフェにやってきた。当日の衣装にと、鮮やかな赤と白のサンタ風ワンピースをプレゼントしてくれたのだ。
なお、あんずの衣装だけは林田の趣味により、可愛らしいフリルのついた超ミニスカート仕様になっていた。
「(((林田さん……グッジョブ!!)))」
カウンターの隅で見ていた『殺虫剤軍団』が、心の中でサムズアップしたのは言うまでもない。
◇
クリスマス当日。
コンサバトリーの扉は全開にされ、中央には大きなクリスマスツリーが輝き、各テーブルのキャンドルと暖炉の橙色の炎が幻想的な空間を作り出していた。
菊、花音、未来、あんずの4人は、おそろいのサンタ風ワンピースでお出迎えをする。
一番乗りでやってきたのは、花音の両親だった。弟の風雅は海外でのクリスマスコンサートツアーのため欠席だったが、母の百合が笑顔で大きな袋を差し出した。
「お招きありがとう。はい、これは私からのプレゼントよ」
袋を開けると、そこには優しく微笑む菊、花音、未来、あんずの4人の姿が描かれた美しい絵画が収められていた。世界的に有名な画家西蓮寺百合の作品に、娘である花音も驚いた。
「 カフェに飾って、我が家の家宝に致しますす!!」
菊の目は、感激で潤んでいた。
あんずと未来が歓声を上げ、お互いの手を握りながら、ぴょんぴょん跳ねている。
「ママありがとう! 最高のプレゼントよ」
「これは皆さんで召し上がってちょうだい」
父の隼人が少し照れくさそうに差し出したのは、ベルギーの上質なチョコレートの箱だった。
「あ!『マダム・ドリュック』のチョコレートだぁ〜! あんず、これ大好きです♡」
あんずがはしゃぐ姿に、隼人は満足そうに目を細めて席へと向かった。
その後も、野菜の生産者の小林さんと仲間たち、明先生、春彦、そして駒子さんたちトイプートリオ夫妻に、『あんずちゃんを守る会』のおじいちゃん軍団が続々と到着。手に手にプレゼントを抱えて訪れるゲストたちに、花音たちは大忙しだった。明と春彦もジャケットを脱ぎ、率先してサービスを手伝っている。
全員が着席すると、今日だけの特別メニューとしてシャンパングラスが配られた。菊が前に出て、グラスを掲げる。
「皆様、本日はお忙しい中、カフェ『素敵なお茶会』のクリスマス会にお越しいただき、本当にありがとうございます。今日という日を無事に迎えられましたのも、温かく見守ってくださる皆様のおかげです。どうか今夜は、心ゆくまで楽しんでいってくださいね。……乾杯!」
「「「乾杯——!!」」」
一斉にグラスが掲げられ、豪華なクリスマスビュッフェがスタートした。
中央の大きなテーブルには、花音と菊が腕を振るった極上のご馳走がズラリと並んでいた。様々な材料の色とりどりなカナッペ、じっくりと焼き上げられた艶やかな『鶏モモ肉のローストチキンハーブ焼き』に、絶妙な焼き加減の『ローストビーフ』生クリームを使った濃厚な『ロブスターテルミドール』ディルが散りばめられた『サーモンのマリネ』牡蠣や鮭を使った『ひとくちフライ』さらに、全粒粉の焼き立てバゲットや数種類のチーズ、サラダも数種類用意された。
「うわぁ、どれからお皿に盛ろうか迷ってしまうな!」
「妻が足しげく通う理由が本当によく分かるよ。どれも絶品だ!」
ゲストたちは歓喜の声を上げながらお皿にご馳走を盛り付け、シャンパンを手に和やかな歓談を楽しんでいた。
美味しいお料理とお酒で場が十分に温まり、菊特製の『クリスマスブッシュ・ド・ノエル』や『可愛いプチケーキ』が並ぶワゴンと未来の極上の紅茶が振る舞われ、皆がホッと一息ついた頃
店内がスッと暗くなり、スポットライトのような暖炉の光の中、花音がチェンバロの椅子に腰掛けた。
その脇に、あんず、菊、未来が寄り添うように並ぶ。
静かな静寂の中、チェンバロの可憐な音色が響き渡った。
英語で歌われる『きよしこの夜』と『もろびとこぞりて』の美しいメドレー。4人の声が重なり合う温かなハーモニーに、会場からは惜しみない拍手と喝采が巻き起こった。
元検事の国枝が、「いやあ、良い冥土の土産になりましたわい」と目を細めて感極まっている。
そして——花音が母から託されたバッハの『主よ、人の望みの喜びよ』の前奏が始まると、会場はピンと張り詰めた静寂に包まれた。
「Jesus bleibet meine Freude,
Meines Herzens Trost und Saft, 」
ソロパートを務めるあんずの、清らかで透明感あふれる歌声がカフェ中に響き渡る。
続いて菊と未来、そして演奏する花音の重厚なコーラスが重なり合い、ドイツ語の歌詞が美しい旋律に乗って人々の心へ染み込んでいった。
最後の音が優しく消え去った瞬間、しばしの息をのむような静寂が訪れた。
そして——花音の母・百合がバッと立ち上がり、惜しみない拍手を送った。
「ブラボーーーっ!!」
それを合図に、雷のような拍手がカフェを揺らした。駒子さんたちトイプー夫人はハンカチを湿らせて涙を流している。感謝の気持ちを込めたミニコンサートは、大成功を収めたのだった。
◇
宴が終わり、ゲストたちが温かな余韻に浸りながら帰り支度を始めていた時。
明が意を決した表情で、花音の元へと歩み寄ってきた。
「花音ちゃん……ちょっといいかな?」
「あ、明さん。今日はお手伝いまでしていただいて、本当にありがとうございました。何かありましたか?」
花音が首をかしげると、明は顔を真っ赤にし、小さなリボンがかかった小箱を差し出した。
「か、花音さん! もし良かったら……俺と結婚してくださいっ!!」
「……えっ!? け、結婚……!?」
影で見守っていた駒子と未来が、豪快にズッコケた。
「あ、間違えましたーーーっ!! いや、気持ちはミリも間違ってないんですけど……! 俺と、お付き合いしていただけませんか……!?」
赤面する明の真摯な眼差しに、花音も頬をぽっと染めて、恥ずかしそうに頷いた。
「……あ、はい」
明がお礼を言う前に
「「「おめでとうーーーーーーっ!!!」」」
次の瞬間、カフェ中に怒涛の拍手と祝福の歓声が巻き起こった!
影で見守っていた春彦は、自分のことのようにガッツポーズをして拳を握りしめている。
実は今日、明が花音に告白することは裏で完璧に仕組まれていたのだった。
未来は今日まで何度も『花音役』をさせられ、自分宛てではない明の告白予行練習に付き合わされていたのだ。そして「みんなの前でサプライズ告白させて後戻りできないようにする」という恐ろしい(?)作戦を立てたのは、言わずもがな駒子さんである。
前もって風雅から明の人柄を聞き、密かに身元調査(?)を済ませていた花音の父・隼人が、ニヤリと笑って明の肩を叩いた。
「明くん。君なら安心して花音を託せる。……花音を幸せにしてやってくれ」
緊張がピークに達していた明は、直立不動で叫んでしまった。
「は、はいっ!! お殿様ーーーーっ!!」
「「「ギャハハハハ!!!」」」
あまりの緊張ぶりに、「おとうさま」が「おとのさま」に化けた明の言葉に、カフェ中が大爆笑に包まれた。
花音がそっと小箱を開けると、そこには繊細で可愛らしい『8分音符(♪)』のゴールドネックレスが輝いていた。あの不器用な明が、一生懸命ジュエリーショップに行って選んでくれた姿を想像すると愛おしさが込み上げ、花音はその場でネックレスを胸元に飾った。
花音の首元で黄金の音符が優しく光っているのを見た明は、これ以上ないほど幸福な、最高の笑顔を浮かべるのだった。
(第12章へ続く)




