第13章 Green大作戦
三が日が過ぎ、桜町動物病院も無事に通常業務へと戻っていた。
受付の吉田さんがパタパタと館内を拭き掃除していると、突然「ウィーン」と自動ドアが開いた。
「あ、すみません……うちの猫の様子が変で」
「あ、どうぞ! 少々お待ちくださいね」
吉田が奥の診察室へ走り、明を呼んでくる。
「どうぞ、お入りください」
女性が、猫を抱えて診察室へ入ってくると、明の顔を見て目を見開いた。
「あ、もしかして……東堂くん!?」
「え?……木下さん!?」
なんと、訪れたのは高校時代の同級生だった。
明がさっそく猫を診察してみたものの、特に変わった様子もなく健康そのもの。安堵した二人は、自ずと昔話に花を咲かせていた。
するとそこへ、突然「失礼しま〜す!」と駒子が風のように現れた。
「あ、明先生! え? 同級生のお嬢さんなの? もしお喋りするなら、コンサバトリーの鍵を渡すから使っていいわよ!!」
「えっ!?」
明が驚く間もなく、木下は目を輝かせた。
「コンサバトリーって……あのおしゃれな?」
「そうなの! 近所に最高に美味しいカフェがあってね、コンサバトリーならペットも一緒に利用できるのよ!」
「まあ素敵……♡ 東堂くん、もう少しお話ししたいわ! お言葉に甘えてカフェに行かない?」
明は一瞬躊躇したものの、断りきれずにカフェへと向かうことになってしまった。
◇
コンサバトリーに到着し、駒子からもらった鍵を使って中に入る明たち。
チャイムが鳴り、花音が「いらっしゃいませ」とお水とメニューを持って二重扉を開けて入ってきた。
しかし、花音の目に映ったのは、明のすぐ隣にぴったりと身を寄せ合うように座っている女性の姿だった。
一瞬、花音の目が見開かれたが、すぐにニッコリと営業用の笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ」
明は慌てて立ち上がった。
「か、花音さん! こちらは高校の同級生の木下さんで……ね、猫の診察をしてたんですよ!」
花音は努めて平静を保ちながら頷いた。
「そうだったのですね。お決まりになりましたら、またお呼びください」
そう言い残すと、花音はすっと厨房へ戻っていってしまった。
その場に固まる明。
「綺麗な人ですね。東堂くんのお知り合い?」
「ええ……まあ……」
二人が注文を決め、再びチャイムを鳴らすと、今度はあんずが入ってきた。
「あ〜、明先生。いくら何でも女の子の横にベッタリ座るのはどうかと思います〜。あんずだったら、もう口きかないなっ」
「あ、あんずちゃん!? 花音さんは……!?」
あんずはニッコリと柔らかく笑った。
「ご注文はお決まりですかぁ〜?」
「……っ!」
明はたまらず席を立ち、カフェの厨房へと走った。
「花音さん……!」
カウンターの奥にいた花音は、どこか少し不機嫌そうに背を向けている。
「……何か?」
「ごめんっ!! 別に何でもないんだ! ただの同級生で、やましいことは一切ないから! 俺が好きなのは、花音さんだけだからっ!!」
カフェにいた他のお客様が一斉にこちらを振り向いた。
「あ……明さんっ! 分かりましたから……っ!」
花音は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
一方その頃、コンサバトリーではあんずが木下に向かって「花音さんは明先生の婚約者なんですよ〜♡」と満面の笑みで説明していた。それを聞いた木下は「そうだったの!?」と顔を青くし、慌てて逃げるように帰っていったのだった。
◇
客が去った後、未来が呆れたようにため息をついた。
「明くんは無防備すぎるよ。いくら同級生でも、あんなに隣にベッタリ座らせるなんて」
「だ、だって……もう一度じっくり猫を診てほしいって言われたから……」
「それでもだよ! もし逆だったら、明くんはどんな気分になるの? しっかり反省しなさいよね!」
明は一瞬動きを止め、もし花音が他の男性の隣にベッタリ座っていたら……という状況を想像した。
次の瞬間、明の顔から血の気が引いて真っ青になった。
「か、花音さん……本当にごめんなさい!! あの、今夜迎えに来るので、二人でどこか出かけませんか!?」
あまりに狼狽して青ざめている明が不憫になった花音は、少し戸惑いながらも頷いた。
「……はい、分かりました」
◇
カフェの営業終了後。明は車で花音を迎えにやってきた。
助手席に花音を乗せ、静かに車を走らせる。
「今日は……本当に申し訳ありませんでした」
「いえ。久しぶりの同級生の方でしたし、診察が目的だったのですから……」
明はぎゅっとハンドルを握りしめ、唇を噛んだ。
「『逆の立場だったら?』って未来に言われて……もし花音さんが男の同級生の隣に座っていたらと想像したら、目の前が真っ暗になりました……」
(((別に私は目の前が真っ暗にまではならなかったけれど……ちょっとモヤッとしただけなのに……)))
花音は心の中でツッコミを入れつつ、尋ねた。
「ところで明さん、どこに向かっているのですか?」
「横浜です! フレンチレストランの予約を入れましたから!」
花音は慌てて制した。
「明さんっ! 私、明日も朝早くから仕込みがあります! 横浜は遠すぎます……!」
「ハッ……! か、花音さんのご都合も考えずに……すみません! すぐキャンセルします!」
明は慌てて電話をかけ、予約を取り消すと、しゅんと落ち込んでいるようだった。
車を降りた花音は、そんな明の顔を見つめ、クスリと笑った。
「明さん。明さんがよく行くラーメン屋さんってありますか?」
「え? あ、はい。あんまり綺麗な店じゃないですけど、味はピカイチな店なら……」
「じゃあ、そこに連れて行ってください! 私、食べたいですラーメン!」
明は車を自宅の駐車場に置くと、二人で歩いてそのラーメン屋へ向かった。
そこは昭和の雰囲気が残る懐かしい佇まいの店だった。壁の上には小さなテレビが設置され、雑誌や新聞を入れるラックが置かれている。こうした大衆的なお店に入ったことがない花音には、すべてが新鮮だった。
「いらっしゃい! あら、先生が女性連れなんて珍しいねぇ! いつものかい?」
「俺はいつものやつで。彼女は……」
「あ、私も明さんと同じものをください!」
テーブルに運ばれてきたのは、厚切りの柔らかなチャーシューが乗ったチャーシュー麺だった。透き通るようなスープから香ばしい湯気が立ち上っている。
花音はフーフーと息を吹きかけ、一口スープを飲むと、パッと目を輝かせた。
「美味しい……! 私、こんなに美味しいラーメン、初めて食べました!」
「本当ですか!? 良かった……!」
明もホッとしたように表情を緩ませた。
お腹いっぱい食べて店を出た後、明は花音を玄関まで送った。
「花音さんもお気づきでしょうが……俺、あまり女性とお付き合いした経験がなくて。失敗ばかりで……本当に申し訳ないです」
「いえ、私も似たようなものですから……。ただ、何かを決めるときは、二人でちゃんと話し合ってから決めたいです」
「二人で……?」
「はい」
「分かりました! これからは必ずそうします!」
頭を下げて去っていく明の後ろ姿を見送りながら、花音はぽつりと呟いた。
(せっかくなら、お茶くらい飲んでいけばいいのに……)
◇
翌日のカフェ。
いつも通り、カウンター席でランチを食べている明と春彦。
カランコロンとドアが開いた。
「いらっしゃいませ〜! ……あっ! 伯母様!?」
未来の声に、明の背筋がピンと凍りついた。
「未来ちゃん、久しぶりね〜! 来ちゃった♡」
明は慌てて振り向いた。
「母さん!?」
「あ、いたわね! お正月も帰ってこない薄情息子が!」
明は焦って母の元へ飛んでいく。
「で、花音さんってどなたかしら?」
「な、な、なんで母さんが知ってるの!?」
母はニンマリと怪しい笑みを浮かべると、スマホの画面を見せてきた。
そこには、クリスマス会で明が「もし良かったら……俺と結婚してください!!」と叫び、果ては「はいっ!! お殿様ーーーっ!!」と直立不動で叫んでいる爆笑の一部始終がバッチリ録画されていた。
顔を真っ赤にした明は、犯人である未来を思い切り睨みつけた。
「お正月早々、親戚みんなで大爆笑しちゃったわよ〜!」
「し、親戚みんなって……母さんっ!?」
「だって、おめでたいことじゃない! 私なんて『明は女性より男性が好きなのかしら……』って心配していたくらいなんだから!」
「明さん……?」
奥から花音がひょっこりと顔を出した。
「まあ……! なんて可愛らしいお嫁さんなのかしら! 初めまして、私、明の母の美咲です。よろしくね」
花音は慌てて深く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします! 西蓮寺花音と申します」
「まあ、可憐なお嬢さん! 長く待った甲斐があったわねぇ、明! で、お式はいつになるの? 準備もあるから早めに教えてちょうだいね!」
「し、し、式〜〜!? まだ付き合い始めたばかりだし、これから二人でいろいろ話し合って……」
そこへ未来がすっと割り込んできた。
「明くんのペースじゃ、花音ちゃんがお婆ちゃんになっちゃいそうですよね〜。だって未だに手すら握ってないんですよ?」
お母様は目を見開いた。
「まあっ! そうなの!?」
「そうなんですよ〜。明くん、ヘタレなんです」
そうなのだ。明は花音と付き合えたことに舞い上がりすぎてデートすら誘えず、花音ものほほんとしているため、関係がまったく進展していなかったのだ。
見かねた未来は『Green(嫉妬)作戦』を決行。
地元の友人に明のイメチェン写真を送り、その写真が地元のあちこちに拡散された。当然友人は、東京に住む姉にも送った。明に好意を寄せていた同級生の木下(姉)が猫を抱えて現れるという思惑通りの展開になったのだ。
ついでに伯母にも告白動画を送ったのも、息子の浮いた話のなさに嘆いていた伯母の行動を未来が完璧に予測していたからである。
「花音ちゃん! ぜひ我が家にも遊びに来てちょうだいね!」
明のお母様は、花音の手をぎゅっと温かく握りしめた。
「あ、はい! ぜひ伺わせていただきます」
母は明の方を振り返り、怒りを秘めた(?)満面の笑みを浮かべた。
「……分かったわね? 明」
「は、はいっ!! 調整でき次第、すぐ帰省しますっ!!」
カウンターの陰で、未来と駒子はニヤリと顔を見合わせ、親指を立ててガッツポーズ(グッジョブ!)を交わし合うのだった。
(第14章へ続く)




