表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第1章 役立たずの死体鑑定士

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/40

第9話 魔王を畑に埋める

 魔王ゼルグレイスの棺が沈んだ畑に、黒い花が一輪だけ咲いていた。


 荒れ果てた共同畑の中央。


 枯れた土の裂け目から顔を出したその花は、夜の欠片をそのまま花びらにしたような色をしていた。黒いのに、暗くはない。光を吸い込むのではなく、静かに抱いているような黒だった。


 リュシアは、その花の前に膝をついたまま動けずにいた。


「お父さま……」


 かすれた声が、風に溶ける。


 俺は少し離れたところに立ち、彼女の背中を見ていた。


 魔王を畑に埋めた。


 言葉にすれば、それだけだ。


 だが実際には、そんな簡単な話ではなかった。


 父を失った娘が、父の遺体を土に還すことを選んだ。


 死にかけた村が、世界を支えていた魔王の遺体を受け入れた。


 そして俺は、死体鑑定士として、その埋葬が正しい処置だと知っていながら、ひとりの少女に父との別れを選ばせた。


 正しいことと、優しいことは、いつも同じではない。


 それを思い知らされるような埋葬だった。


 老人が、杖をついて畑の端に立っていた。


 名を、バルザというらしい。


 アシュベルに残っていた五人のうち、最も年長の村人だ。


 彼は黒い花を見つめ、何度も目元を拭っていた。


「まさか、生きているうちにもう一度、この畑に花を見るとはな」


「昔は、よく咲いていたのか」


 俺が尋ねると、バルザはゆっくりとうなずいた。


「黒曜花は、魔族の墓に咲く花だ。だがこの村では、亡くなった者の墓だけでなく、共同畑の隅にも植えていた」


「畑に?」


「死んだ者が、次の実りを守ってくれるようにとな」


 バルザは枯れた畑を見渡した。


「この村は、人間の国にも魔族の国にもなりきれん場所だった。だから、決まりも混ざっていた。人間式に土を耕し、魔族式に死者を弔う。祈りの言葉も、二つの国の言葉をつなげていた」


「その祈りは、まだ覚えているか」


「覚えている」


 バルザは、少し驚いたように俺を見た。


「聞きたいのか」


「魔王を埋めたのがこの村なら、この村の祈りで送るべきだと思った」


 そう言うと、バルザはしばらく黙った。


 やがて、深く頭を下げた。


「死体鑑定士殿。あんたは妙な人間だな」


「よく言われる」


「だが、ありがたい」


 バルザは村の方へ振り返った。


「おい、出てこい。魔王様の埋葬だ。生きている者は、せめて顔を見せろ」


 崩れた家々の陰から、少しずつ人が出てきた。


 片目に布を巻いた鍛冶屋。


 熱に浮かされた幼い兄妹。


 彼らを支える痩せた女。


 そして、扉の陰から老婆が這うように姿を現した。


 村人は、本当に五人だけだった。


 五人しかいない村。


 けれど、畑へ向かう彼らの足取りは、誰一人として軽くなかった。


 皆、何かを背負っていた。


 死んだ家族。


 見捨てられた年月。


 枯れた井戸。


 実らなかった畑。


 そして、誰にも助けを求められなかった十年。


 バルザが畑の中央へ進み、黒い花の前に膝をついた。


 他の村人たちも、それにならう。


 リュシアは驚いたように顔を上げた。


「皆さん、やめてください。父は……人間の国では、憎まれていた存在です。あなたたちまで、王国に目をつけられます」


 片目の鍛冶屋が、かすれた声で笑った。


「姫さん。見ての通り、俺たちはとっくに見捨てられてる。今さら目をつけられて困るものなんてねえよ」


 熱を出している少年が、母親に支えられながら言った。


「魔王様は、悪い人なの?」


 リュシアの表情が凍る。


 その問いに、すぐ答えられなかった。


 少年は咳をして、黒い花を見た。


「王国の人は、魔王様は悪いって言ってた。でも、今、お水が戻ったんだよね」


 村の奥から、井戸水を汲む音が聞こえていた。


 まだ細い水音だ。


 けれど、十年枯れていた井戸が、確かに水を取り戻していた。


 少年は不思議そうに言う。


「悪い人を埋めたら、水が出るの?」


 誰も答えなかった。


 子どもの問いは、ときどき大人の理屈をあっさり壊す。


 魔王は悪。


 勇者は正義。


 王国は人類の守り手。


 そう信じれば、世界は分かりやすい。


 だが、枯れた村に水を戻したのは魔王の遺体だった。


 その事実を前にすると、分かりやすい物語は途端にもろくなる。


 リュシアは少年の前に膝をついた。


「私にも、まだ分かりません」


 彼女は正直に言った。


「父がすべて正しかったとは、私には言えません。父は戦いました。たくさんの命が失われました。あなたたちの中にも、父を許せない人がいるかもしれません」


 村人たちは黙っていた。


 風が黒い花を揺らす。


「でも、父はこの村を覚えていました。たぶん、最後まで」


 リュシアは畑の土に手を置いた。


「だから私は、父を英雄としてではなく、魔王としてでもなく、ひとりの死者として弔いたいのです」


 バルザがうなずいた。


「それでいい」


 彼はゆっくりと祈りの言葉を唱え始めた。


 人間の言葉と、魔族の言葉が交互に混ざる。


 完全には聞き取れない。


 だが意味は、なんとなく分かった。


 土へ還れ。


 名を忘れない。


 眠りが次の実りとなるように。


 残された者が、明日を恐れずに済むように。


 そんな祈りだった。


 リュシアも、その祈りに声を重ねた。


 最初は震えていた声が、少しずつ整っていく。


 俺は黙って聞いていた。


 死体鑑定士として、俺は何度も埋葬を見てきた。


 だが、たいていは急ぎの作業だった。


 戦場では穴を掘る時間もない。村では疫病を恐れてまとめて焼くこともあった。王都の貧民街では、名前も分からない死者が荷車に積まれて運ばれていく。


 死者を送る時間は、いつも生者の都合で削られる。


 けれど本当は、これほど時間をかけるべきなのかもしれない。


 名を呼び、土に触れ、覚えている者が声を合わせる。


 死者は何も言わない。


 それでも、生きている者がどう送るかで、その死の意味は変わる。


 俺の視界に、静かに鑑定結果が浮かんだ。


【対象:魔王ゼルグレイスの埋葬地】


【状態:共同祈祷中】


【埋葬適合率:上昇】


【土地との同化率:十二パーセント】


【黒曜花:一輪開花】


【副次効果:周辺死者の記憶反応】


 周辺死者の記憶反応。


 その文字を見た瞬間、畑の空気が変わった。


 黒い花の周囲に、淡い光が浮かび始める。


 白ではない。


 青でもない。


 月明かりのような、薄い銀色の光だった。


「これは……」


 バルザが息を呑む。


 光は、畑のあちこちから立ち上がった。


 数え切れないほどではない。


 けれど、一つ、また一つと、地面から小さな灯のように現れていく。


 リュシアが目を見開いた。


「死者の記憶……?」


「たぶん、この村で亡くなった人たちだ」


 俺は鑑定結果を見ながら答えた。


 銀色の灯の一つが、バルザの前で揺れた。


 彼はそれを見た瞬間、杖を落とした。


「マリア……?」


 誰かの名だった。


 灯は言葉を発しない。


 姿もない。


 それでも、バルザには分かったらしい。


 老人は震える手を伸ばした。


「お前、まだここにいたのか」


 灯は、彼の手に触れるようにふわりと揺れた。


 バルザは泣き崩れた。


 片目の鍛冶屋の前にも、一つの灯が浮かんだ。


 彼は荒い息を吐き、顔を歪める。


「親父……」


 熱を出した兄妹の周りには、小さな灯が二つ寄り添った。


 母親が口元を押さえ、涙を流す。


「あなた……お母さん……」


 畑は、死者の記憶で満たされていった。


 声はない。


 姿もない。


 けれど、残された者たちはそれぞれ、そこに誰がいるのか分かっているようだった。


 この村は、死んでいたのではない。


 忘れられない死者たちを抱えたまま、動けなくなっていたのだ。


 リュシアは黒い花の前で震えていた。


「父が、呼んだのですか」


「いや」


 俺は首を振った。


「魔王が呼んだというより、魔王の遺体が、この土地に残っていた記憶を開いたんだと思う」


「記憶を……」


「この村の死者は、誰にもちゃんと弔われないまま残っていた。魔王の埋葬が、その記憶に触れたんだ」


 言いながら、俺は自分の胸が重くなるのを感じた。


 死者の記憶は、救いにもなる。


 だが同時に、痛みでもある。


 忘れたふりをしていた悲しみが、もう一度目の前に戻ってくる。


 バルザは泣きながら、銀色の灯に向かって何度も謝っていた。


「すまん。守れなくて、すまん。お前を、こんな村に残して……」


 灯は、ただ静かに揺れていた。


 責めているようには見えなかった。


 むしろ、寄り添っているように見えた。


 リュシアの前にも、一つの灯が現れた。


 他の灯よりも、少し大きい。


 黒い花のすぐ上に浮かぶそれは、銀色の中に淡い黒を含んでいた。


 リュシアは息を止めた。


「お父さま……?」


 灯は、彼女の頬の近くで静かに揺れた。


 リュシアの目から、涙があふれる。


「ごめんなさい。私、守れなかった。お父さまを、守れなかった……」


 灯は何も言わない。


 だが、リュシアの髪を撫でるように、ゆっくりと揺れた。


 俺はその光景を見て、胸の奥が痛くなった。


 死者は許すのか。


 それとも、生きている者が許されたと感じたいだけなのか。


 俺には分からない。


 けれどリュシアは、初めて父の前で泣けている。


 それだけで、この埋葬には意味があったと思えた。


 不意に、視界の端で別の鑑定結果が浮かんだ。


【警告:王国追討隊接近】


【距離:三千歩相当】


【到達予測:短時間】


 現実が戻ってくる。


 俺は顔を上げた。


 荒野の向こうに、土煙が見える。


 馬だ。


 複数の騎兵。


 その先頭で、白銀の鎧が光った。


 勇者カイゼル。


 やはり追ってきた。


「リュシア」


 俺は低く呼んだ。


 彼女は涙を拭い、立ち上がった。


 黒い花の上に浮かんでいた灯は、ゆっくりと花びらの中へ吸い込まれていく。


 魔王の記憶は、畑に戻った。


 村人たちも、次々に荒野の方を見る。


 バルザが歯を食いしばった。


「王国軍か」


「ああ」


 片目の鍛冶屋が、錆びた槌を握る。


「戦える奴なんて、この村にはいねえぞ」


「戦う必要はない」


 俺は言った。


「まずは村人を家に入れてくれ。子どもと病人を隠す」


「それで、あんたは?」


「話をする」


 鍛冶屋が呆れたように俺を見た。


「勇者相手にか?」


「俺は剣で勝てない」


「なら話でも勝てねえだろ」


「かもしれない」


 俺は荒野を見据えた。


「でも、魔王の墓の上で剣を抜かせる前に、言うべきことがある」


 リュシアが俺の隣に立つ。


「私も行きます」


「危険だ」


「父の墓です」


 彼女は黒い花を見た。


「墓守が逃げるわけにはいきません」


 俺は何も言えなかった。


 その瞳には、もう昨日までの怯えだけではない強さがあった。


 父を埋めた娘の強さ。


 死者を守る墓守の強さ。


 俺はうなずいた。


「分かった。ただし、俺より前には出るな」


「はい」


 村人たちは急いで動き出した。


 子どもたちは母親に連れられ、家の奥へ入る。老婆は鍛冶屋に支えられながら避難した。バルザだけは、畑の端に残った。


「じいさんも隠れてくれ」


「嫌だね」


「危ない」


「この村の長は、まだわしだ」


 バルザは震える足で立っていた。


「魔王様を迎えた村の長が、最初に逃げるわけにはいかん」


 頑固な老人だ。


 だが、その頑固さが少しだけ頼もしかった。


 黒い花が風に揺れる。


 魔王を畑に埋めたことで、村は息を吹き返し始めた。


 だが同時に、王国から狙われる理由も生まれた。


 死者を素材にする国は、この埋葬を許さないだろう。


 勇者はきっと、魔王の遺体を取り戻そうとする。


 たとえ、もう大地に還り始めていたとしても。


 白銀の騎兵隊が、村の入口で止まった。


 先頭の馬上に、カイゼルがいる。


 彼は俺を見つけると、冷たく笑った。


「レイン」


 昨日まで仲間だった男が、聖剣の柄に手を置く。


「ずいぶん似合いの場所に逃げ込んだな。廃村、魔族の娘、死体の墓。お前にはぴったりだ」


 俺は黒い花の前に立った。


「ここは墓だ」


「だから?」


「馬を降りろ、カイゼル」


 周囲の騎兵たちがざわめいた。


 勇者に向かって、追放された鑑定士が命じたのだ。


 カイゼルの目が細くなる。


「何だと?」


「ここには死者が眠っている。話をするなら、馬を降りてからにしろ」


 一瞬、村全体が静まり返った。


 カイゼルは俺を見下ろしていた。


 そして、ゆっくりと笑った。


「死体しか見えない男が、俺に礼儀を説くのか」


「ああ」


 俺は答えた。


「死体しか見えないからこそ、死者の前でどう振る舞うべきかは知っている」


 黒い花が、俺の背後で静かに揺れた。


 魔王を畑に埋めた日。


 俺たちは初めて、勇者と敵として向き合った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ