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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第1章 役立たずの死体鑑定士

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第8話 廃村・アシュベル

 アシュベルは、地図の上ではまだ村だった。


 だが、実際にたどり着いたそこは、村というより、村だったものの残骸に近かった。


 夜明けを越え、昼前になっても、空は重く曇っていた。太陽は雲の向こうで白くにじみ、荒野に薄い影だけを落としている。


 黒い棺は、魔王の血が作った導線に沿って進んでいた。


 森を抜け、岩場を越え、干上がった小川を渡るたびに、棺の表面に刻まれた魔族の文字が弱く光る。その光を頼りに進み続けた先に、アシュベルはあった。


 崩れかけた木柵。


 傾いた見張り台。


 屋根の落ちた家。


 井戸の周りには雑草すら生えていない。


 畑だったらしい場所には、黒ずんだ土が広がっていた。けれど、その土は湿っていない。指で触れれば粉のように崩れそうなほど乾ききっている。


 生き物の気配がほとんどなかった。


 鳥の声もない。


 虫の羽音もない。


 風が吹くたび、壊れた扉がぎい、と鳴るだけだった。


「ここが、アシュベルか」


 俺がつぶやくと、リュシアは棺に手を置いたまま、小さくうなずいた。


「昔は、もっと緑がありました」


「来たことがあるのか?」


「幼いころに一度だけ。父に連れられて」


 彼女の視線が、枯れた畑をゆっくりとなぞる。


「魔族と人間の混血の者たちが暮らしていました。どちらの国にも居場所がない者たちが、ここで畑を耕し、家を建て、子どもを育てていました」


「今は……」


「ほとんど残っていないはずです」


 そう言った直後、村の奥から乾いた咳が聞こえた。


 俺とリュシアは同時にそちらを向く。


 崩れた家の陰に、人影があった。


 老人だった。


 痩せた体に、色あせた外套をまとっている。片手には木の杖。もう片方の手には、刃こぼれした短い鎌を握っていた。


 老人は俺たちではなく、黒い棺を見ていた。


「……魔族か」


 しわがれた声だった。


「それとも、人間か」


 俺は一歩前へ出た。


「俺は人間だ。こっちは魔族。けれど、戦いに来たわけじゃない」


 老人は鎌を下ろさなかった。


「こんな村に、何をしに来た」


「埋葬をしに来た」


「埋葬?」


 老人の濁った目が、棺へ向く。


「誰を」


 リュシアが静かに答えた。


「魔王ゼルグレイスです」


 空気が止まった。


 老人の指が震える。


 鎌が乾いた土に落ち、かすかな音を立てた。


「魔王、様……?」


 その呼び方に、俺はわずかに驚いた。


 人間側の者なら、魔王に敬称などつけない。


 だが老人は、恐怖ではなく、信じられないものを見たような顔をしていた。


 リュシアが外套のフードを外す。


 銀色の髪と、小さな角が現れた。


「私はリュシア。ゼルグレイスの娘です。父を、ここに埋葬させてください」


 老人はしばらく彼女を見つめていた。


 やがて、力が抜けたように膝をつく。


「姫様……」


「立ってください。私はもう姫ではありません。ただの墓守です」


「それでも、あんたは魔王様の娘だ」


 老人は震える声で言った。


「魔王様は、まだこの村を覚えていてくださったのか」


 リュシアは答えられなかった。


 代わりに、俺が口を開く。


「この村は、魔力枯渇地帯なんだな」


 老人は俺を見た。


「そう呼ばれているらしいな。王国の役人は、地図にそう書いていた」


「いつから枯れた」


「十年前だ」


 老人は村の奥を振り返った。


「最初は井戸の水が濁った。次に畑が実らなくなった。家畜が死に、子どもが熱を出し、土に触れるだけで手が荒れるようになった。王国に助けを求めたが、ここは魔族寄りの土地だと言われた。魔族領に助けを求めたが、戦争中で手が回らなかった」


「それで、皆出ていったのか」


「出ていけた者はな」


 老人の声が低くなる。


「病人と年寄りは残った。行き先のない混血の子も残った。だが、残った者も少しずつ死んだ」


 風が吹いた。


 枯れた土が舞い上がる。


 俺は村を見渡した。


 崩れた家。


 閉ざされた窓。


 誰も座っていない広場。


 この村は、突然滅びたわけではない。


 誰にも助けられないまま、少しずつ死んでいったのだ。


「今、村に何人いる」


 俺が尋ねると、老人は少し間を置いた。


「生きているのは、五人だ」


「五人……」


「わしを入れて五人。あとは、寝たきりの婆さんが一人、熱の下がらない子どもが二人、片目の鍛冶屋が一人」


 リュシアが唇を噛む。


「そんなに……」


「姫様が気に病むことじゃない。この村は、どちらの国にも捨てられた。それだけの話だ」


 どちらの国にも捨てられた。


 その言葉が、胸に残った。


 俺も、つい昨日までは勇者パーティーの一員だった。


 そして今は、王国から反逆者扱いされている。


 リュシアも、魔王の娘でありながら、父を守れなかったと自分を責めている。


 棺の中の魔王も、人間からは悪と呼ばれ、死後は素材にされようとしていた。


 ここに来るべきだったのかもしれない。


 捨てられた者たちが、捨てられた土地へ。


 俺は棺に触れた。


 鑑定を発動する。


【対象:廃村アシュベル】


【状態:魔力枯渇、土壌毒化、水脈停止】


【死者数:多数】


【残存価値:未弔いの記憶】


【適正処置:魔力循環の楔を埋葬】


【推奨地点:旧共同畑中央】


 視界に文字が浮かぶ。


 やはりここだ。


 魔王の遺体は、この村に埋葬されるべきなのだ。


「旧共同畑はどこだ」


 俺が尋ねると、老人は村の奥を指さした。


「あの枯れた大きな畑だ。昔は村の者みんなで使っていた。春には麦が育ち、夏には豆、秋には芋が採れた」


「そこに埋める」


 老人の顔が強張った。


「魔王様を、畑に?」


「鑑定では、そこが正しいと出ている」


「鑑定?」


「俺は死体鑑定士だ。死体に残された価値が見える」


 老人は怪訝そうに俺を見た。


 当然だろう。


 死体しか見えない鑑定士など、王国でも珍しい。まして廃村の老人が知るはずもない。


「魔王の遺体は、世界の魔力を正しく巡らせる楔だ。王都へ運べば壊される。ここに埋めれば、この土地を再生できるかもしれない」


「かもしれない、か」


「絶対とは言えない」


 俺は正直に答えた。


「でも、俺の鑑定はそう示している」


 老人は黙った。


 乾いた風が、彼の白髪を揺らす。


 しばらくして、老人はゆっくりと立ち上がった。


「なら、案内しよう」


「いいのか」


「この村はもう死んでいる」


 老人は杖をつきながら歩き出した。


「死んだ村に、魔王様をお迎えする。悪くない」


 俺たちは老人の後について、村の中央を抜けた。


 家の隙間から、誰かの視線を感じる。


 痩せた女。


 包帯を巻いた男。


 扉の陰に隠れる子ども。


 彼らは棺を見ていた。


 恐れている者もいれば、拝むように手を合わせる者もいた。


 魔王は、人間にとっては災厄だ。


 だがこの村にとっては、違う存在だったのかもしれない。


 共同畑に着いた。


 畑と言っても、そこに作物はなかった。


 広い黒土の中心に、ひび割れた大地があるだけだ。井戸に近い場所なのに、土は完全に乾いている。


 リュシアが棺を畑の中央へ進める。


 その瞬間、棺に刻まれた文字が強く光った。


 俺の鑑定が、勝手に発動する。


【推奨地点到達】


【埋葬可能】


【効果予測:土地再生、井戸水脈回復、魔力毒浄化】


【副次効果:死者の記憶開花】


【注意:埋葬者の意思が必要】


 埋葬者の意思。


 俺はリュシアを見た。


「君が決めることらしい」


「私が……」


「墓守だからだと思う」


 リュシアは棺の前に立った。


 黒い棺に、そっと手を置く。


 彼女の指は震えていた。


「父を、ここに置いていくのですね」


「埋葬するというのは、そういうことだ」


「分かっています」


 リュシアは小さくうなずいた。


「分かっているのに、手が離れません」


 その声を聞いて、俺は何も言えなかった。


 彼女にとって、棺の中にいるのは魔王ではない。


 世界再生素材でもない。


 父親だ。


 たとえ世界を救うためでも、父を土に埋めるのは簡単なはずがない。


 老人が静かに頭を下げた。


「姫様。魔王様は、この村に何度も食糧を送ってくださいました」


 リュシアが振り返る。


「父が?」


「はい。表向きは、魔王軍からの支援ではありませんでした。中立商人を通したり、名のない寄付にしたり。けれど、わしらは知っていました。魔王様が、この村を見捨てなかったことを」


 老人の目に涙がにじむ。


「この村は助けられませんでしたが、それでも、最後まで覚えていてくれる方がいた。それだけで、わしらは生きてこられたのです」


 リュシアは目を閉じた。


 長い沈黙のあと、彼女は棺に額を寄せた。


「お父さま」


 声は震えていた。


「私は、あなたをまだ失いたくありません」


 風が止まる。


「でも、あなたが守ろうとしたものを、私が止めることはできません」


 棺の文字が、静かに光る。


「墓守リュシアが、魔王ゼルグレイスを、廃村アシュベルの共同畑に埋葬します」


 その瞬間、黒い棺がゆっくりと地面へ沈み始めた。


 土が割れ、棺を受け入れるように開いていく。


 俺は思わず息を呑んだ。


 誰も掘っていない。


 だが大地が、自ら棺のための墓穴を作っている。


 棺は少しずつ沈み、黒い土に包まれていった。


 リュシアは最後まで手を離さなかった。


 やがて、棺の蓋が土の下に消える直前、彼女は小さくつぶやいた。


「おやすみなさい、お父さま」


 棺は完全に土に沈んだ。


 畑に静けさが戻る。


 何も起こらない。


 老人が息を止めて見守っている。


 リュシアも、俺も、乾いた畑の中心を見つめた。


 しばらくして、地面がかすかに震えた。


 ひび割れた土の隙間から、黒い芽が顔を出す。


 魔王城で見た芽と同じだった。


 一本。


 二本。


 三本。


 黒い芽は、畑の中心から円を描くように広がっていく。


 そのうちの一本が、ゆっくりと小さな花を開いた。


 黒い花だった。


 闇のように黒いのに、不思議と冷たくない。


 花びらの縁には、朝露のような銀色の光が宿っていた。


 老人が膝をつく。


「黒曜花……」


 リュシアが震える声で言った。


「父の墓に、花が咲いた……」


 そのとき、村の方から叫び声が聞こえた。


「井戸だ!」


 片目の男が走ってくる。


「井戸に水が戻った!」


 老人が顔を上げる。


「何だと?」


「本当だ! 水が、井戸の底から!」


 村の中がざわめく。


 寝たきりだったはずの老婆が、家の戸口から顔を出していた。熱にうなされていた子どもが、母親に支えられながら外を見ている。


 枯れた村が、息を吹き返し始めていた。


 俺の視界に、鑑定結果が浮かぶ。


【埋葬完了】


【土地再生開始】


【水脈回復率:三パーセント】


【魔力毒浄化開始】


【黒曜花:開花】


【効果範囲:廃村アシュベル中心部】


 成功した。


 まだ小さな変化だ。


 けれど確かに、魔王の遺体はこの土地を再生し始めている。


 リュシアは黒い花の前に膝をついたまま、肩を震わせていた。


 泣いていた。


 今度は、涙をこらえていなかった。


 俺は彼女の隣に立ち、畑に咲いた黒い花を見つめた。


 魔王は死んだ。


 だが、彼の死は終わりではなかった。


 この村で、何かが始まった。


 そのとき、遠くの荒野から角笛の音が聞こえた。


 王国軍のものだった。


 老人が青ざめる。


「追手か」


 俺は西の空を見た。


 土煙が上がっている。


 まだ遠いが、確実にこちらへ近づいていた。


 勇者カイゼルの追討隊。


 魔王の遺体を奪い返すための兵たち。


 俺は黒い花から目を離し、剣の柄に手を置いた。


 ここが、魔王を埋葬した村。


 ならば、ここが俺たちの最初の守る場所になる。


「リュシア」


「はい」


「逃げるか、残るか。決めるのは君だ」


 リュシアは涙を拭い、立ち上がった。


 その瞳には、もう迷いがなかった。


「残ります」


 黒い花が、風に揺れる。


「父の墓を、もう二度と奪わせません」


 俺はうなずいた。


「分かった」


 死体しか見えない鑑定士は、廃村アシュベルで初めて、生きている者たちを守ることになった。


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