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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第1章 役立たずの死体鑑定士

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第6話 勇者は英雄になった

 その朝、王都は鐘の音で目を覚ました。


 一つ目の鐘は、勝利を告げる鐘。


 二つ目の鐘は、魔王討伐を告げる鐘。


 三つ目の鐘は、新たな英雄の誕生を告げる鐘だった。


 王都中央大通りには、夜明け前から人々が押し寄せていた。パン屋の店主も、仕立屋の娘も、兵士の妻も、孤児院の子どもたちも、皆が通りへ出ている。窓という窓から布が垂らされ、白い花が撒かれ、酒場では朝から樽が開けられていた。


「勇者様が帰ってくるぞ!」


「魔王が倒されたんだ!」


「これで戦争は終わる!」


 誰もが笑っていた。


 誰もが泣いていた。


 長く続いた魔王との戦争が、ようやく終わったのだと信じていた。


 やがて、王都の正門が開いた。


 真っ先に姿を現したのは、白銀の鎧をまとった勇者カイゼルだった。


 金色の髪が朝日に輝き、背には聖剣。鎧には魔王城で受けた傷が残っていたが、それさえ民衆の目には英雄の証に映った。


 カイゼルが片手を上げる。


 それだけで、王都は割れんばかりの歓声に包まれた。


「勇者カイゼル!」


「人類の剣!」


「魔王殺しの英雄!」


 花びらが舞う。


 白い花。


 赤い花。


 黄色い花。


 それらがカイゼルの肩に、髪に、聖剣の柄に降りかかる。


 彼は微笑んでいた。


 誰から見ても、完璧な英雄の笑みだった。


 その少し後ろを、聖女セレナが歩いていた。


 純白の法衣に身を包み、胸元には聖教会の紋章。彼女にも民衆から多くの祈りと感謝が向けられていた。


「聖女様!」


「息子を救ってくださってありがとうございます!」


「あなたの祈りのおかげです!」


 セレナは微笑み、手を振った。


 けれど、その笑みはカイゼルほど明るくはなかった。


 彼女の脳裏には、魔王城の玉座の間が残っている。


 倒れた魔王。


 黒い棺。


 そして、そこに残された一人の青年。


 死体鑑定士レイン・オルディア。


 彼が最後にどんな表情をしていたのか、セレナははっきり覚えていた。


 怒りではなかった。


 恨みでもなかった。


 ただ、見捨てられた者の静かな諦めがあった。


「セレナ」


 前を歩いていたカイゼルが、振り返らずに言った。


「顔が暗いぞ。民が見ている」


「……申し訳ありません」


「今日は人類の勝利の日だ。余計なことは考えるな」


 余計なこと。


 その言葉に、セレナの胸がわずかに痛んだ。


 レインのことも、魔王の遺体のことも、カイゼルにとっては余計なことなのだろうか。


 だが、セレナは何も言えなかった。


 大通りの先、王城のバルコニーでは、国王と重臣たちが勇者の凱旋を待っていた。


 王城前広場にたどり着くと、カイゼルは馬を降り、膝をついた。


 国王が高らかに宣言する。


「勇者カイゼルよ。そなたは人類の宿敵、魔王ゼルグレイスを討ち果たした。ここに、王国最高位の勲章を授ける」


 民衆の歓声がさらに大きくなる。


 カイゼルは恭しく頭を垂れた。


「すべては陛下と、王国の民のために」


 美しい言葉だった。


 台本のように整った言葉だった。


 王国の記録官たちが、忙しく筆を走らせている。


 その場には、討伐隊の功績をまとめるための公式記録係もいた。


 魔王討伐の参加者名簿。


 勇者カイゼル。


 聖女セレナ。


 宮廷魔術師バルド。


 剣士グラン。


 神官兵団。


 王国騎士団選抜隊。


 そこに、レイン・オルディアの名前はなかった。


 記録官の一人が、小声で上官に尋ねる。


「死体鑑定士の名は、入れなくてよろしいのですか」


 上官は、顔も上げずに答えた。


「不要だ」


「しかし、討伐隊には同行していたはずでは」


「勇者様の正式な補佐ではない。現地調査員扱いだ」


「ですが、旅の初期記録には――」


「削れ」


 短い命令だった。


 記録官は黙って、名簿の端に書きかけていた名前を線で消した。


 レイン・オルディア。


 その名は、王国の公式な英雄譚から消えた。


 カイゼルは、それを横目で確認していた。


 当然だと思った。


 魔王を倒したのは自分だ。


 聖剣を振るったのも自分だ。


 民衆の前に立つべきなのも自分だ。


 死体しか見えない陰気な鑑定士など、英雄譚には似合わない。


 彼がいたところで、物語が汚れるだけだ。


「勇者様」


 式典が終わると、王国宰相グラウスがカイゼルのそばへ歩み寄ってきた。


 痩せた男だった。


 目だけが妙に鋭く、口元には常に薄い笑みを浮かべている。


「凱旋、お見事でした」


「民は単純だな」


 カイゼルは小さく笑った。


「魔王を殺したと言えば、あれほど喜ぶ」


「それだけ、民は英雄を求めていたということです」


「英雄、か」


 カイゼルは自分の聖剣に手を置いた。


「悪くない響きだ」


「今後、王国は勇者様を中心に新たな秩序を築くことになります。魔族領の再編、辺境地の管理、聖剣の研究……やるべきことは多い」


「魔王の遺体は?」


 カイゼルが尋ねると、宰相の笑みがわずかに薄くなった。


「現在、魔王城で回収作業中です」


「遅いな」


「制圧直後ゆえ、多少の混乱があるようです」


「魔王の死体には、膨大な魔力が残っているはずだ。王都へ運べば、聖剣の強化にも使える。学者どもも欲しがっていただろう」


「はい。魔道炉の新型核としても、極めて有望です」


 魔道炉。


 その言葉を聞き、少し離れた場所にいたセレナの表情が曇った。


 魔道炉は、王都を支える巨大な魔力機関だ。


 街の灯りも、結界も、貴族街の温室も、すべて魔道炉によって維持されている。


 だが、その燃料がどこから来るのか、民衆は知らない。


 セレナも、詳しくは知らされていなかった。


「魔王の遺体を、燃料にするのですか」


 思わず口を挟んだ。


 宰相グラウスが、ゆっくりと彼女を見る。


「聖女殿。燃料という言い方は正確ではありません。魔王の遺体は、王国の未来を支える資源です」


「遺体です」


「魔王の、です」


 宰相は静かに言った。


「人ではありません」


 セレナは言葉を失った。


 その言い方を、彼女はどこかで聞いた気がした。


 玉座の間で、王国兵がリュシアに向かって言った言葉。


 魔族に弔いなど必要ない。


 胸の奥に、小さな違和感が生まれた。


「セレナ」


 カイゼルの声が冷たく響く。


「まさか、魔王に同情しているのか」


「そういうわけでは……」


「なら黙っていろ。君の役目は、民の前で祈ることだ。戦後処理は俺と宰相に任せておけばいい」


 セレナは唇を結んだ。


 言い返したかった。


 だが、何と言えばいいのか分からなかった。


 魔王は敵だ。


 カイゼルは勇者だ。


 王国は正義の側だ。


 そう信じてここまで来た。


 ならば、なぜ自分は今、こんなにも息苦しいのだろう。


 そのとき、広場の外から一人の兵士が駆け込んできた。


 鎧は汚れ、額には汗が浮かんでいる。


「報告します!」


 兵士は膝をついた。


「魔王城より緊急伝令! 魔王ゼルグレイスの遺体が、棺ごと消失しました!」


 周囲の空気が凍った。


 カイゼルの笑みが消える。


「消失?」


「はい! 地下墓所から城外へ運び出された形跡があります。現場には魔族の娘と、元討伐隊員レイン・オルディアの姿が確認されています!」


 セレナの心臓が大きく跳ねた。


 レイン。


 生きていた。


 いや、それどころか、魔王の遺体を持ち出した。


 カイゼルはゆっくりと立ち上がった。


「レインが?」


「はっ。兵士の証言によれば、死体鑑定士レインは魔族の娘と共謀し、魔王の棺を運んで逃亡したとのことです」


 宰相グラウスの目が細くなる。


「勇者様。これは面倒なことになりましたな」


「面倒?」


 カイゼルは低く笑った。


「違う。あいつは最後まで、自分の役割を分かっていなかっただけだ」


「いかがなさいますか」


「決まっている」


 カイゼルは民衆の歓声がまだ残る広場を見渡した。


 つい先ほどまで、彼は英雄として称えられていた。


 その英雄譚に、余計な影が差そうとしている。


 死体鑑定士。


 魔族の娘。


 消えた魔王の遺体。


 そんなものは、早いうちに潰さなければならない。


「レイン・オルディアは、魔王復活を企む反逆者だ」


 カイゼルははっきりと言った。


 セレナが息を呑む。


「待ってください。まだ事情も聞いていません」


「事情?」


 カイゼルは彼女を見た。


「魔王の遺体を盗み、魔族の娘と逃げた。それ以上の事情が必要か?」


「ですが、レインは理由もなくそんなことをする人では――」


「君はあいつの何を知っている」


 その一言で、セレナは黙った。


 確かに、何も知らなかった。


 旅をしていた三年間、レインはいつも後ろにいた。戦いが終わったあと、死体のそばで黙っていた。仲間たちが焚き火を囲んで笑っているとき、少し離れた場所で記録を取っていた。


 彼が何を考えていたのか。


 何に傷ついていたのか。


 セレナは知ろうとしなかった。


 知ろうとしないまま、見捨てた。


「宰相」


 カイゼルは命じた。


「すぐに通達を出せ。元鑑定士レイン・オルディアは、魔族残党と結託した反逆者。発見次第、捕縛。抵抗すれば斬って構わない」


「承知しました」


「魔王の遺体は必ず回収しろ。傷をつけてもいい。棺ごと壊しても構わん」


「では、魔族の娘は?」


 カイゼルは少し考えた。


「生け捕りにしろ。魔王の血族なら、利用価値がある」


 利用価値。


 また、その言葉だった。


 セレナは、無意識に自分の胸元の聖印を握りしめた。


 自分たちは、本当に正しいのだろうか。


 その問いが浮かんだ瞬間、彼女は慌てて打ち消した。


 勇者を疑ってはいけない。


 王国を疑ってはいけない。


 魔王を倒すために、どれだけの人が祈り、犠牲になってきたのか。


 ここで疑えば、そのすべてが揺らいでしまう。


 だが、レインの静かな声が記憶の底からよみがえる。


 ――この遺体は、持ち帰らない方がいい。


 あのとき、彼は何を見ていたのだろう。


 死体しか見えない鑑定士には、何が見えていたのだろう。


 王城の上空に、追討命令を知らせる赤い魔法灯が打ち上がった。


 民衆は、それを新たな祝砲だと思って歓声を上げた。


 誰も知らない。


 勇者の凱旋の日に、一人の鑑定士が反逆者にされたことを。


 誰も知らない。


 魔王の遺体が、世界を救う最後の楔であることを。


 そして誰も知らない。


 英雄になった勇者が、その日のうちに、死者を奪い返すための追跡を命じたことを。


 カイゼルは聖剣を握り、低くつぶやいた。


「レイン。お前は最後まで、俺の物語の邪魔をするんだな」


 その声は、民衆の歓声にかき消された。


 王都はまだ、勇者の勝利に酔っていた。


 白い花びらが舞う中で、英雄の名前だけが何度も叫ばれる。


 レイン・オルディアの名は、もうどこにもなかった。


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