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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第1章 役立たずの死体鑑定士

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第4話 墓守の少女

「この死体は、もう王国のものじゃない」


 俺がそう言うと、玉座の間に踏み込んできた王国兵たちは、一瞬だけ動きを止めた。


 先頭にいた兵士の兜には、王都直属軍の紋章が刻まれている。勇者カイゼルに同行していた討伐隊ではない。魔王城の制圧後、宝物や資料を押収するために後から入ってきた部隊だろう。


 彼らの視線は、俺ではなく黒い棺に向いていた。


 棺の中に眠る魔王ゼルグレイス。


 人類の敵として倒された存在。


 だが、彼らの目にあるのは恐怖でも憎しみでもなかった。


 欲だった。


「そこをどけ、鑑定士」


 兵士の一人が槍を構えた。


「その棺は王国が管理する。魔王の遺体は、陛下への献上品だ」


「献上品?」


 俺は思わず聞き返した。


「死者を品物みたいに言うんだな」


「魔王は人ではない。討伐された魔物だ」


 兵士は当然のように言った。


 その言葉を聞いた瞬間、背後にいたリュシアの息が小さく震えた。


 俺は振り返らなかった。


 今、彼女の顔を見たら、たぶん冷静でいられない。


「魔王の遺体には、まだ膨大な魔力が残っている。王都へ運べば、研究素材として利用できる。聖剣の強化、魔道炉の燃料、不死兵団の核……使い道はいくらでもある」


「だから駄目だと言っている」


「貴様に判断する権利はない」


 兵士が一歩近づいた。


「勇者カイゼル様からも通達が出ている。元パーティーメンバーのレイン・オルディアは、任務終了後に除名。以後、王国軍の指揮下にはない。つまり貴様は、ただの民間人だ」


「ずいぶん早い通達だな」


「勇者様は判断が早い」


 違う。


 俺を切り捨てる準備を、最初からしていたのだ。


 そう思っても、不思議と腹は立たなかった。


 胸の奥が少し冷えただけだった。


 兵士の視線が俺の背後に移る。


「それから、魔族の娘」


 リュシアの肩が強張った。


「魔王の血族なら、なおさら捕縛対象だ。抵抗しなければ、命までは取らん」


「……父を、どうするつもりですか」


 リュシアが初めて口を開いた。


 細い声だった。


 だが、逃げる者の声ではなかった。


「父?」


 兵士が鼻で笑う。


「なるほど。魔王の娘か。ならばよく聞け。お前の父親は、人類を脅かした災厄だ。その遺体は王都で研究され、王国の未来に役立てられる。名誉なことだろう」


「名誉……」


 リュシアは、棺の縁を握りしめた。


「切り刻まれることが、名誉なのですか」


「魔族に弔いなど必要ない」


 その言葉が、玉座の間に落ちた。


 俺の中で、何かが静かに切れた。


 怒鳴りたくはならなかった。


 剣を振り回したくもならなかった。


 ただ、目の前の兵士たちが、ひどく遠いものに見えた。


 死者を前にして、ここまで何も感じない人間がいる。


 いや、違う。


 感じないのではない。


 感じないように教えられてきたのだ。


 魔王は悪。


 魔族は敵。


 敵の死体は素材。


 そう信じれば、誰も傷つかずに死者を踏める。


「リュシア」


 俺は小さく呼んだ。


「はい」


「この城に、外へ出られる別の道はあるか」


 兵士たちの表情が変わった。


「貴様、逃げる気か!」


「あるか?」


 俺は兵士を無視して、もう一度尋ねた。


 リュシアは一瞬だけ迷ったあと、小さくうなずいた。


「墓守だけが使う道があります。地下墓所の奥から、城壁の外へ出られます」


「棺は通れるか」


「……ぎりぎり、通せます」


「なら行くぞ」


 俺は剣を構え直した。


 兵士たちが前へ出る。


 数は六人。


 正面から戦えば勝ち目はない。俺は剣士ではない。勇者パーティーにいたといっても、戦いの後に死体を調べるだけの役目だった。


 だが、ここは魔王城だ。


 そして、足元には多くの死者がいる。


 俺は玉座の間に倒れていた魔族兵の遺体へ視線を向けた。


 鑑定を発動する。


【対象:魔族槍兵の遺体】


【死因:王国兵による刺突】


【残存魔力:微量】


【遺体価値:未使用の煙幕石】


 見えた。


 遺体の腰袋に、小さな黒い石が残っている。


 俺は素早く屈み、それを取り出した。


「何をしている!」


 兵士が踏み込んでくる。


 俺は煙幕石を床に叩きつけた。


 瞬間、黒い煙が爆ぜるように広がった。


「くそっ!」


「視界が!」


「棺を押さえろ!」


 怒号が飛ぶ。


「リュシア、今だ!」


「はい!」


 リュシアが棺に魔力を流し込む。


 黒い棺が床から浮いた。


 俺はその横に駆け寄り、棺の動きを支える。棺は重い。魔力で浮いていても、方向を変えるには力がいる。


 煙の向こうから槍が突き出された。


 俺は身をひねってかわす。


 刃が腕をかすめ、熱い痛みが走った。


「レインさん!」


「止まるな!」


 血が流れる。


 だが浅い。


 今は傷を気にしている場合ではない。


 俺たちは玉座の間の奥、地下墓所へ続く通路へ走った。


 背後では兵士たちが咳き込みながら追ってくる。


「逃がすな! 魔王の遺体を奪われるぞ!」


 奪われる。


 その言葉に、リュシアが唇を噛んだ。


「……違う」


 彼女がつぶやいた。


「父は、物ではない」


 その声は小さかったが、俺にははっきり聞こえた。


 地下へ続く階段に入ると、空気が冷たくなった。


 黒い棺は階段の幅いっぱいだった。壁にこすれ、石粉が落ちる。リュシアは必死に魔力を込めていたが、額には汗が浮かんでいる。


「無理するな。少し止めるか」


「止まりません」


「でも」


「私は墓守です」


 リュシアは前を向いたまま言った。


「死者を、正しい場所へ送るのが墓守の役目です」


 その横顔に、さっきまでの怯えはなかった。


 父を奪われまいとする娘の顔でもあり、死者を守ろうとする墓守の顔でもあった。


「墓守は、魔王城では大切な役目なのか?」


 俺が尋ねると、リュシアは少しだけ呼吸を整えてから答えた。


「魔族は、人間ほど数が多くありません。だから、ひとりの死を長く覚えます。戦で死んだ者も、病で死んだ者も、名を刻み、花を供え、語り継ぎます」


「花?」


「はい。黒曜花という花です。魔族領の墓にだけ咲く花でした」


 黒い花。


 俺は、魔王の血から芽吹いた小さな芽を思い出した。


「父はよく言っていました。死者を忘れた国は、同じ過ちを繰り返すと」


「魔王が?」


「はい」


 リュシアは小さくうなずいた。


「人間たちは、父を残虐な王だと言います。でも父は、戦で死んだ人間の兵にも墓を作らせていました。名が分からない者には、せめて亡くなった場所だけでも刻めと」


 俺は言葉を失った。


 そんな話は、人間の国では一度も聞いたことがない。


 魔王は人間を憎み、殺し、踏みにじる存在。


 俺たちは、そう教えられてきた。


 だが、死体鑑定が示した魔王の価値と、リュシアの語る父の姿は、不思議なほど重なっていた。


 世界を壊す者ではなく、壊れたものを引き受ける者。


 死者を踏みにじる者ではなく、死者を覚える者。


「どうして君が墓守を?」


 俺は尋ねた。


「魔王の娘なら、もっと別の役目もあったんじゃないのか」


「父が決めたのではありません。私が望みました」


「どうして?」


「覚えていたかったからです」


 棺が階段の角に引っかかる。


 俺とリュシアは力を合わせ、慎重に向きを変えた。


 背後の足音は近づいている。


 それでも、リュシアは言葉を続けた。


「戦争が長くなると、皆、死に慣れていきました。昨日話した人が今日死んでも、明日の戦の準備をしなければならない。泣く時間も、名を呼ぶ時間も、少しずつなくなっていく」


「……分かる気がする」


 勇者パーティーの旅もそうだった。


 死者が出ても、俺たちは進まなければならなかった。


 村が焼かれていても、次の目的地へ向かった。


 死体を調べる俺は、いつも急かされた。


 そんなことをしている暇はない、と。


「私は、それが怖かったのです」


 リュシアは言った。


「死ぬことより、忘れられることが怖かった。だから墓守になりました。せめて私だけは、死んだ人たちの名前を覚えていたいと思ったのです」


 その言葉は、俺の胸に深く刺さった。


 死体しか見えない鑑定士。


 墓守の少女。


 人間と魔族。


 立場は違うのに、俺たちは同じものを見ていたのかもしれない。


 生きている者が急いで通り過ぎる場所に、取り残された死者たちを。


「リュシア」


「はい」


「君は、いい墓守だな」


 彼女は驚いたように目を瞬かせた。


「そんなことを言われたのは、初めてです」


「そうなのか?」


「墓守は、魔王の娘がするには地味な役目だと言われていました。もっと前に出ろ、魔族を導け、父の隣に立てと」


「でも、君は墓守を選んだ」


「はい」


 リュシアは、棺にそっと触れた。


「今は、選んでよかったと思っています。父を送る役目を、誰かに渡さずに済みますから」


 そのとき、階段の上から兵士たちの声が響いた。


「いたぞ! 地下へ逃げた!」


「追え!」


「棺ごと押さえろ!」


 リュシアの顔が強張る。


 俺は階段の踊り場で足を止め、周囲を見回した。


 壁際に、古い甲冑が並んでいる。


 魔族兵のものだろう。中には遺骨が残っているものもある。


 俺はその一つに手を触れた。


【対象:魔族近衛兵の遺骨】


【死因:落城時の防衛戦】


【遺体価値:閉門機構の鍵】


 見えた。


 この先に、墓守の道がある。


 そして、この遺骨はその扉を閉じるための鍵を残している。


「リュシア、墓守の道はこの先か?」


「はい。地下墓所の奥、古い黒扉の向こうです」


「扉を閉じたら、追ってこられないか?」


「内側からなら封鎖できます。でも、鍵は失われたと聞いています」


「失われてない」


 俺は甲冑の胸元から、黒い小さな石板を取り出した。


「この人が持っていた」


 リュシアの瞳が揺れた。


「近衛兵ダリオ……この方も、まだ守ってくださっていたのですね」


「急ごう。守りを無駄にしたくない」


「はい」


 俺たちは棺を押し進め、地下墓所の奥へ向かった。


 黒い扉は、壁と同化するように立っていた。


 リュシアが魔力を込め、俺が石板を扉のくぼみに差し込む。


 低い音を立てて、扉が開いた。


 その向こうには、細い地下道が続いている。


 湿った土の匂いがした。


 外へつながっている。


「ここを抜ければ、城壁の外です」


 リュシアが言った。


「その先に、アシュベルへ向かう森道があります」


「行こう」


 俺たちは棺を地下道へ入れた。


 直後、背後から兵士たちが墓所へ飛び込んでくる。


「止まれ!」


「魔族の娘を撃て!」


 弓が引かれる音。


 俺はリュシアを庇おうとした。


 だが、その前に彼女が振り返った。


 紫の瞳に、涙はなかった。


「私は、墓守リュシア」


 彼女は静かに告げた。


「魔王ゼルグレイスの娘としてではなく、この城の死者すべてを預かる者として命じます」


 黒い扉が震えた。


「ここより先に、死者を冒涜する者の侵入を禁じます」


 扉が閉じ始める。


 兵士たちが駆け寄る。


 だが間に合わない。


 分厚い黒扉は、轟音とともに閉ざされた。


 追手の怒号が遠くなる。


 地下道に、静けさが戻った。


 リュシアは棺に手を置いたまま、深く息を吐いた。


「……初めてです」


「何が?」


「墓守として、誰かを止められたのは」


 俺は彼女の横顔を見た。


 震えていた。


 けれど、それは恐怖だけではないように見えた。


「行こう、リュシア」


「はい」


「夜明けまでに、君の父親を埋葬する」


 リュシアはうなずいた。


「お願いします、レインさん」


 地下道の奥から、冷たい夜風が流れてくる。


 魔王の棺は、静かに前へ進んだ。


 勇者が殺した魔王を、死体鑑定士と墓守の少女が盗み出す。


 歴史に残る英雄譚には、きっと書かれない夜だ。


 だが俺には、この夜こそが、魔王ゼルグレイスの本当の物語の始まりに思えた。


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