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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第4章 魔王を弔う者

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第38話 世界で一番やさしい花

 黒曜花は、戦場のあとに咲いていた。


 踏み荒らされた土。


 割れた聖油瓶。


 砕けた掘削具。


 倒れた魔道砲の車輪。


 泥に沈んだ王国の旗。


 そのすべての間に、黒い花は静かに揺れていた。


 黒い、というだけで人は恐れる。


 魔王の色だと。


 呪いの色だと。


 死の色だと。


 王国はそう言った。


 黒曜花を見つければ通報せよ。


 黒曜花は王都の魔力を奪う。


 黒曜花は魔王復活の兆しである。


 黒曜花は焼却対象である。


 そう布告した。


 だが今、俺の目の前に咲いている花は、誰も呪っていなかった。


 倒れた兵士のそばに咲き、泥で汚れた水杯を支え、ユーディアの手首に残った拘束具の跡へ、そっと葉を伸ばしている。


 黒曜花は、敵味方を選ばなかった。


 魔族の子どもにも。


 王国兵にも。


 傷ついた聖女にも。


 父を失った墓守にも。


 聖剣を失いかけた勇者にも。


 同じように、静かな光を向けていた。


 それが、かえって胸に痛かった。


「本当に、変な花ですね」


 セレナが言った。


 彼女は井戸のそばで、けが人の手当てをしていた。


 白い法衣は、もう白とは呼べないほど汚れている。


 泥。


 血。


 黒曜花の花粉。


 それらが裾に混じっていた。


 それでも、彼女はその服を脱ごうとしなかった。


 今のセレナには、その汚れこそが聖女の証のように見えた。


「変か」


 俺は近くの石に腰かけたまま尋ねる。


 まだ立つとふらつく。


 最後の鑑定の反動で、視界の端が時折暗くなる。


 文字は、まだ出ない。


 壊れた道具を見ても、死者の灯を見ても、鑑定結果は浮かばない。


 けれど、黒曜花が揺れていることだけは分かる。


「ええ」


 セレナは王国兵の腕に布を巻きながら答えた。


「普通、戦場に咲く花は、勝者の花か、死者の花です」


「黒曜花も死者の花だろう」


「でも、それだけではありません」


 彼女は手当てを受けている兵士へ水杯を渡した。


「この花は、生きている人にも伸びるんです」


 兵士は戸惑いながら杯を受け取った。


 彼は王国軍の若い兵だった。


 名前はトマ・レイス。


 命令魔道具をつけられ、魔王の墓を掘らされかけた兵士。


 今はその魔道具を外され、額に布を巻いている。


 トマは黒曜花を見つめていた。


「俺は、この花を焼くために来ました」


 彼は小さく言った。


「なのに、手当てされている」


「傷があるからです」


 セレナは答えた。


「傷がある人を手当てするのに、理由はそれで足ります」


「俺は敵です」


「今は、けが人です」


 トマは黙った。


 その手元へ、黒曜花の葉がそっと伸びる。


 彼はびくりと肩を震わせた。


 だが、葉は傷を縛った布に触れただけだった。


 黒銀の光が淡く灯る。


 痛みが少し引いたのだろう。


 トマは目を見開いた。


「……やさしい」


 ぽつりと、そう言った。


 自分で言ったことに驚いたように、すぐ口をつぐむ。


 けれど、セレナは微笑んだ。


「はい」


 彼女は黒曜花を見た。


「世界で一番、誤解されているやさしい花かもしれません」


 その言葉が、胸に残った。


 世界で一番、誤解されているやさしい花。


 黒曜花。


 魔王の墓から咲いた花。


 死者の記憶を抱く花。


 魔力毒を土へ還す花。


 世界が恐れ、王国が焼こうとし、教会が汚染と呼んだ花。


 その花は、ただ静かに傷へ寄り添っていた。


 少し離れた場所で、リュシアが父の墓の前に座っていた。


 薬草茶の杯を両手で包んでいる。


 黒銀の灯は、もうはっきりとは見えない。


 けれど、最初の黒曜花はまだ柔らかく揺れていた。


 リュシアは、時々小さく笑っていた。


 泣きながら笑っている。


 きっと、父が薬草茶を嫌がる記憶を、まだ見ているのだろう。


 俺は立ち上がろうとした。


 体が重い。


 すぐにセレナが気づく。


「まだ動かないでください」


「少しだけだ」


「その少しが危ないんです」


「大丈夫だ」


「鑑定なしで大丈夫かどうか分かるんですか」


 痛いところを突かれた。


「……分からない」


「では座っていてください」


 セレナの声は優しいが、逃げ道がない。


 俺はおとなしく座り直した。


 すると、近くにいたミレイユが笑った。


「いい気味ね。いつも無茶するからよ」


「ミレイユに言われたくない」


「私はちゃんと倒れる前に止めるわ」


「昨日、魔力切れ寸前まで空に記録図を出していたのは誰だ」


「必要な無茶だったの」


「俺もそうだ」


「あなたの方が重症」


 ミレイユは肩をすくめた。


 その杖の先には、まだ小さな青い光が灯っている。


 彼女は戦場に浮かべた巨大な循環図を、記録魔法の結晶に写し取っていた。


 王都魔道炉の構造。


 死者素材化経路。


 黒曜花移植候補地。


 聖剣の使用条件。


 王国が隠していたもの。


 すべてを記録した。


 白面神官が消そうとしても、もう一つの記録がここにある。


 王国軍の一部も見ている。


 兵士たちの記憶にも残っている。


 もう完全には消せない。


「その記録、どうする」


 俺が尋ねると、ミレイユは表情を引き締めた。


「複写する。できるだけ多く」


「王都へ?」


「王都へも。研究院へも。各地の村へも。全部に」


「危険だぞ」


「分かってる」


 彼女は記録結晶を胸元にしまった。


「でも、隠されていたものは、もう隠させない。王都の人たちにも見てもらう。自分たちの光が、何で燃えていたのか」


「受け入れられると思うか」


「すぐには無理ね」


 ミレイユは王国兵たちを見た。


「でも、ここにいる兵士たちでさえ揺れた。なら、王都にも揺れる人はいる」


 彼女は小さく息を吐いた。


「それに、ただ責めるためじゃない。止め方も記録したんだから」


 王都魔道炉を段階的に止める方法。


 黒曜花種子を枯死村へ移植する方法。


 聖剣で毒脈を切る手順。


 死者名簿の安定化。


 魔王血脈の解放宣言。


 それらもすべて、最後の鑑定で開示された。


 ただ暴いただけではない。


 道も示した。


 まだ遠い道だが。


 ベルクは村の入口で、王国兵たちと話していた。


 彼の大盾は地面に置かれている。


 敵を威圧するためではなく、椅子代わりに座る兵士がいるほどだった。


 その光景は妙だった。


 さっきまで戦っていた相手が、同じ盾のそばで水を飲んでいる。


 だが、ベルクは特に気にしていない。


 彼はただ、一人ずつ名前を聞いていた。


「所属は」


「西方歩兵第二隊です」


「名前は」


「トマ・レイス」


「家族は」


「妹が一人」


「なら、生きて帰れ」


 短い会話。


 だが、兵士は泣きそうな顔で頷いていた。


 別の兵士にも同じように尋ねる。


 所属。


 名前。


 家族。


 そして、生きて帰れ。


 王国軍では、上官が兵にそう言うことは少ないのかもしれない。


 命令は下る。


 進め。


 撃て。


 守れ。


 死ね。


 だが、生きて帰れとは言われない。


 ベルクは、盾騎士としてではなく、一人の人間として兵士たちを見ていた。


 グランは壊れた掘削具を集めていた。


「こんなもん、よく作るな」


 彼は吐き捨てるように言う。


 聖油槽。


 命令魔道具連結部。


 黒い刃。


 魔王の墓を暴くための道具。


 その一つ一つを分解し、危険な部分を外している。


 カイゼルがその近くに立っていた。


 聖剣アステリオスは、今は彼の腰に戻っている。


 けれど、彼は鞘に手を置かない。


 触れるのを恐れているようにも見えた。


 聖剣は、もう彼の所有物ではない。


 それを彼自身も分かり始めているのだろう。


 グランが掘削具の一部をカイゼルへ放った。


「持て」


 カイゼルは受け取る。


「何だ」


「お前が斬ったやつだ」


「これをどうする」


「証拠にする。王国が魔王の墓を暴こうとした証拠だ」


「俺に持たせるのか」


「お前が持って帰った方が効くだろうが」


 カイゼルは掘削具の破片を見つめた。


 勇者の手に、墓荒らしの道具。


 皮肉な光景だった。


「俺が王都へ戻れると思うか」


 カイゼルが低く尋ねた。


 グランは槌を動かしながら答える。


「知らねえ」


「無責任だな」


「鍛冶屋に政治を聞くな」


 そう言いながら、グランは壊れた刃を火に入れた。


「ただ、折れた道具でも打ち直せることはある」


「俺もか」


「さあな」


 グランは赤くなった鉄を見つめた。


「ただし、何に打ち直すかは、鉄が決めるだけじゃない。火と槌と、使うやつの手もいる」


 カイゼルはしばらく黙っていた。


 その横顔には、まだ棘がある。


 簡単に変わったわけではない。


 昨日まで黒花の村を討とうとしていた男だ。


 魔王を殺した男だ。


 リュシアがすぐに許せないように、俺たちもすぐに信じられるわけではない。


 それでも、彼はここに残っている。


 王国軍へ戻らず、白面神官の側にも立たず。


 それだけで今は十分なのかもしれない。


 白面神官は、王国兵数人によって縛られ、村境界の外側に座らされていた。


 セレナの指示で、苦痛を与える拘束札は使っていない。


 普通の縄だ。


 ただし、ベルクが見張っている。


 逃げるのは難しい。


 白面神官は仮面の割れた顔で、黒曜花を睨み続けていた。


「その花は、やがて国を滅ぼす」


 彼はかすれた声で言った。


 誰に向けたものでもない。


 だが、近くにいたトマが顔を上げた。


「この花は、俺の傷を癒やしました」


「それが汚染だ」


「俺の名前も、呼ばれました」


「それも汚染だ」


「なら」


 トマは少しだけ迷ったあと、言った。


「名前を呼ばれることが汚染なら、俺はもう少し汚染されていたいです」


 白面神官は、憎しみに満ちた目で彼を見た。


「兵士が口答えを」


「俺は、トマ・レイスです」


 トマは言い返した。


 声は震えていた。


 それでも、逃げなかった。


「兵士ですが、名前があります」


 白面神官は黙った。


 いや、黙らされた。


 名前を名乗る者の前で、彼の言葉は少しずつ力を失っている。


 俺はその光景を見ながら、胸の奥で小さく息を吐いた。


 黒曜花がしたことは、王国を一瞬で倒すことではない。


 ただ、名前を返した。


 死者に。


 生者に。


 兵士に。


 捕虜に。


 勇者にすら。


 その小さなことが、王国の大きな嘘に亀裂を入れた。


 昼近くになって、村人たちは戦場の後片づけを始めた。


 壊れた武器は一か所に集める。


 聖油が染みた土は、黒曜花の根から離して掘り出す。


 魔道砲の核はミレイユが封印し、死者の名を確認できるまで触れないようにする。


 けが人は井戸のそばへ。


 水を受け取る者は、名前を言う。


 敵味方は問わない。


 黒花の村の決まりは、戦いのあとも変わらなかった。


 サナは、母のユーディアにしがみついて離れなかった。


 ユーディアは片腕でサナを抱き、もう片方の手でミミとトトの頭を撫でている。


 リクは泣くのを我慢していたが、母が「おいで」と言った瞬間、勢いよく抱きついた。


 四人まとめて、ユーディアの腕の中に入ろうとしている。


 彼女は何度も「生きてる」と呟いていた。


 自分へ言っているのか。


 子どもたちへ言っているのか。


 それとも、黒曜花へ報告しているのか。


 分からなかった。


 ただ、そのそばにも黒曜花は咲いていた。


 死者のためではない。


 生きて再会した者たちのために。


 ノアはその光景を見て、目元をこすっていた。


「どうした」


 俺が聞くと、彼は慌てて顔を背けた。


「煙が」


「煙はないぞ」


「じゃあ、泥です」


「目に泥が入ったのか」


「そういうことにしてください」


 ノアは少し笑った。


 彼はまだ杖をついている。


 だが、昨日より背筋が伸びていた。


「俺、王国兵に話しかけられました」


「何と」


「補充兵でも名前を名乗っていいのかって」


「何て答えた」


「名乗らないと、黒花の村では水をもらえないって言いました」


 俺は思わず笑った。


「それは強いな」


「はい」


 ノアも笑う。


「でも、本当です。ここでは、名前を聞かれるから」


 その言葉に、胸が温かくなる。


 黒花の村は、まだ小さい。


 家も足りない。


 食料も足りない。


 王国から見れば反逆地だ。


 明日には、宰相グラウスが次の手を打ってくるかもしれない。


 王都から討伐軍が再編されるかもしれない。


 それでも、この村には決まりがある。


 名前を聞く。


 水を分ける。


 死者を素材にしない。


 生きている者を置いていかない。


 それだけで、村は村になれる。


 午後、リュシアが俺のところへ来た。


 彼女は小さな布袋を持っていた。


「レインさん」


「どうした」


「これを、見ていただきたくて」


 彼女は布袋を開く。


 中には、黒曜花の種が入っていた。


 黒い小さな種。


 光を受けると、わずかに銀色に輝く。


 俺は思わず息を呑んだ。


「もう種が?」


「はい。昨夜の祭りのあとから、少しずつ」


 リュシアは種を一粒、掌に乗せた。


「父の墓の周りだけではありません。共同畑、井戸、旧水路、村境界。いくつもの場所でできています」


「鑑定できれば、詳しく見られるんだが」


「今は見なくていいです」


 彼女は静かに言った。


「これは、父の価値ではありません」


 その言葉に、俺は目を上げた。


 リュシアは種を見つめている。


「父を世界に使わせたくない。その気持ちは、今もあります」


「ああ」


「でも、この花は父そのものではありません。父が残したものです」


 彼女はゆっくり言葉を選んでいた。


「父の心臓を奪うことと、父が残した花を分けることは、違うのだと思います」


「……そうだな」


「黒曜花の種を、リーベルへ持っていきたいです」


 リュシアは顔を上げた。


「それから、ノーラへ。ハーグへ。最後の鑑定で示された場所へ」


 彼女の声はまだ弱い。


 けれど、決意があった。


「父を一人の楔に戻さないために。黒曜花を、父だけの心臓にしないために」


 俺は頷いた。


 循環核の分散。


 魔王の心臓を奪うのではなく、毒を一か所へ戻さないための道。


 その最初の一歩は、種を運ぶことだ。


「怖くないか」


 俺が尋ねると、リュシアは少し考えた。


「怖いです」


 正直な答えだった。


「父の花が、遠くへ行ってしまうようで。でも、ここに閉じ込めたら、父はまた一人で世界を支えることになる」


 彼女は種を両手で包む。


「それは、もっと嫌です」


 セレナが近づいてきた。


 話を聞いていたのだろう。


「私も行きます」


 リュシアが彼女を見る。


「セレナさん」


「黒曜花を植える場所には、死者の名前が必要です。私は、その名前を呼びます」


 ミレイユも加わる。


「私は記録係ね。土壌、魔力脈、水脈、全部記録する」


 グランが遠くから声をかける。


「種を植えるなら道具がいる。境界鍬の小さいやつを作ってやる」


 ノアも手を上げる。


「道案内ならできます。王国軍の巡回路も、多少は分かります」


 ベルクが大盾を持ち上げる。


「護衛がいる」


 カイゼルは黙って聞いていた。


 皆の視線が自然と彼へ向かう。


 彼は少し居心地悪そうに眉をひそめた。


「俺を見るな」


 ミレイユが言う。


「来るの?」


「……王国軍の動きは俺が一番知っている」


「それは、来るって意味?」


「必要なら」


「素直じゃないわね」


 カイゼルは答えなかった。


 リュシアは彼を見た。


 ほんの少しだけ、表情が硬くなる。


 まだ当然だ。


 それでも、彼女は種を握りしめて言った。


「父の花を運ぶ旅です」


 カイゼルは、静かに頷いた。


「分かっている」


「守ると言うなら、父を功績として語らないでください」


「語らない」


「魔王の花だと、恐怖で人を従わせないでください」


「しない」


「父の心臓を守ると言って、自分の罪を軽くしないでください」


 カイゼルは少しだけ顔を歪めた。


 だが、逃げなかった。


「しない」


 リュシアはそれ以上何も言わなかった。


 許したわけではない。


 信じたわけでもない。


 ただ、条件を示した。


 カイゼルはそれを受けた。


 それだけだった。


 夕方、黒花の村では小さな集まりが開かれた。


 祭りではない。


 戦勝祝いでもない。


 これからの話し合いだ。


 王国兵の一部は武装解除し、村境界の外で待機している。


 白面神官は拘束されたまま、見張りのもとに置かれた。


 魔道砲は封印。


 聖油は隔離。


 死者由来の核は、名を確認するまで触れない。


 そして、黒曜花の種をどうするか。


 リュシアが村人たちの前に立った。


 少し前まで、彼女は魔王の娘として見られていた。


 今は違う。


 墓守リュシア。


 父を弔う娘。


 黒曜花の種を預かる者。


 彼女は布袋を掲げた。


「黒曜花の種です」


 村人たちがざわめく。


「この種を、他の枯れた村へ持っていきたいと思います」


 バルザが静かに尋ねた。


「アシュベルだけではなく、か」


「はい」


「危険じゃぞ」


「分かっています」


「王国はまた狙う」


「分かっています」


「それでも行くのか」


「はい」


 リュシアは頷いた。


「父を、この村だけの楔にしたくありません」


 バルザは長く沈黙した。


 そして、深く頷いた。


「ならば、それが黒花の村の次の仕事じゃな」


 エナが言う。


「畑は私たちで守ります」


 グランが続ける。


「道具は作る」


 ノアが言う。


「巡回路を調べます」


 サナが手を上げた。


「私も行く!」


 ユーディアがすぐに止める。


「サナ」


「でも」


「あなたは弟たちを守るって約束したでしょう」


 サナは唇を噛む。


 リュシアが優しく言った。


「サナさんには、ここでユーディアさんの杯を守ってもらいたいです」


「もう帰ってきたよ」


「では、今度は次に帰ってくる人の杯を」


 サナは少し考えた。


 そして、小さく頷いた。


「分かった」


 ミミが言う。


「じゃあ、わたしも杯守る」


 トトも手を上げる。


「ぼくも」


 リクが胸を張る。


「俺が見張る」


 ユーディアが泣きそうに笑った。


 黒花の村には、役目が増えていく。


 戦う者だけではない。


 水を運ぶ者。


 杯を守る者。


 種を預かる者。


 道具を直す者。


 名前を呼ぶ者。


 記録する者。


 それぞれの役目が、村を支えている。


 俺はその輪の中で、少しだけ離れて座っていた。


 鑑定が使えない今、自分に何ができるのか、まだ分からない。


 死体鑑定士でなくなったら、俺は何者なのか。


 その問いは、カイゼルだけのものではないのかもしれない。


 だが、俺が黙っていると、リュシアがこちらを見た。


「レインさんも、一緒に来てくれますか」


「俺は、今は鑑定できない」


「はい」


「役に立つか分からない」


「それでも、来てほしいです」


 彼女はまっすぐ言った。


「あなたが最初に、父を素材にしないでくれたから」


 胸の奥が詰まった。


 俺は魔王を鑑定した。


 世界再生素材SSSと表示された。


 それでも、素材にしなかった。


 埋葬を選んだ。


 そこから、すべてが始まった。


「鑑定できなくても」


 リュシアは続けた。


「あなたは、死者を素材にしない人です」


 その言葉に、救われた気がした。


 能力ではなく、選択。


 聖剣が示した言葉と同じだ。


 勇者とは称号ではなく、選択の連続である。


 なら、鑑定士も同じなのかもしれない。


 死体鑑定士という力ではなく。


 死者をどう扱うか。


 壊れたものをどう見るか。


 その選択が、俺を形作る。


「行く」


 俺は答えた。


 リュシアが少しだけ笑った。


「はい」


 夕日が黒花の村に差し込む。


 黒曜花の花びらが、淡く光る。


 黒いのに、あたたかい。


 死の花なのに、生者を支える。


 魔王の墓から咲いたのに、王国兵の傷にも寄り添う。


 その矛盾が、どうしようもなくやさしかった。


 トマがぽつりと言った。


「この花、王都では怖がられるでしょうね」


 セレナが答える。


「そうでしょうね」


「黒いから」


「はい」


「魔王の墓から咲いたから」


「はい」


「でも」


 トマは、手当てされた腕を見た。


「俺は、この花を怖いとだけは言えません」


 セレナは微笑んだ。


「それを、覚えていてください」


 黒曜花が風に揺れる。


 まるで、聞いているようだった。


 俺はその花を見つめた。


 鑑定結果は出ない。


 名前も、価値も、未来候補も見えない。


 だから、自分の言葉で言うしかない。


「世界で一番やさしい花だな」


 誰に向けたわけでもなく呟いた。


 リュシアが隣で頷いた。


「はい」


 彼女は黒曜花の種を胸に抱く。


「だから、世界中に咲かせたいです」


 それは、復讐の宣言ではなかった。


 王国を滅ぼすための宣言でもない。


 世界をひっくり返すための大言でもない。


 ただ、枯れた場所に、やさしい花を届けたいという願いだった。


 だが、その願いこそが、王国にとって最も恐ろしい反逆になるのかもしれない。


 死者を素材にする国で。


 名前を消す教会で。


 毒を一人に押しつける世界で。


 黒曜花は、静かに問いかける。


 この人の名前は何ですか。


 この死者を、誰が弔いますか。


 この水を、誰と分けますか。


 その問いに答えられない国は、やがて自分の嘘に耐えられなくなる。


 夜が近づくころ、黒花の村では新しい杯が置かれた。


 次に帰ってくる者のための杯。


 まだ名前の分からない死者のための杯。


 そして、これから種を運ぶ村々のための杯。


 サナとミミとトトが、真剣な顔でそれらを並べている。


 リクは見張り役として胸を張っていた。


 ユーディアは子どもたちを見守りながら、静かに涙を拭った。


 魔王の墓の前では、薬草茶の杯がまだ残っている。


 黒銀の灯は見えない。


 けれど、リュシアはその前で小さく言った。


「お父さま。今度は、種を持っていきます」


 黒曜花が、かすかに揺れた。


 嫌がっているようには見えなかった。


 薬草茶よりは、ずっとよさそうだった。


 リュシアは泣き笑いの顔で頷いた。


「行ってきます」


 黒花の村の夜が始まる。


 戦場だった場所に、少しずつ村の音が戻っていく。


 鍛冶場の槌音。


 井戸の水音。


 子どもたちの声。


 負傷者のうめき。


 誰かが名前を呼ぶ声。


 そして、風に揺れる黒曜花の音。


 世界で一番やさしい花は、黒かった。


 死者のそばに咲き、生者の傷へ葉を伸ばし、奪われた名前を土から拾い上げる。


 その花を持って、俺たちは次の村へ行く。


 魔王の心臓を奪わせないために。


 毒を一人に戻さないために。


 そして、死者を素材にしない世界へ、ほんの少しずつ近づくために。


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