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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第4章 魔王を弔う者

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第36話 最後の鑑定

 聖剣アステリオスは、地面に突き刺さったまま沈黙していた。


 誰の手にも握られていない。


 勇者カイゼルの手から離れ、聖教会の回収も拒み、魔王の墓と王国軍のあいだに立つように、灰色の刃を朝日に晒している。


 それは剣というより、杭のようだった。


 世界に打ち込まれた問い。


 誰が勇者なのか。


 何を斬るべきなのか。


 死者は誰のものなのか。


 その答えを、誰もまだ出せていなかった。


 白面神官は、待たなかった。


「進め!」


 彼の号令で、掘削班が再び動き出した。


 耳に命令魔道具をつけた兵士たち。


 黒い掘削具を持ち、魔王の墓へ向かってくる。


 彼らの表情は虚ろだ。


 恐怖も、迷いも、疑問も、魔道具に押し潰されている。


 ただ命令だけで歩く。


 生きている死骸兵。


 俺は歯を食いしばった。


 戦えない鑑定士。


 今さら、その言葉を否定するつもりはなかった。


 俺は剣で勝てない。


 魔法で焼けない。


 盾で受け止められない。


 癒やすこともできない。


 でも、読める。


 壊れたものを。


 死んだものを。


 使い捨てられたものを。


 王国が隠したものを。


 そして今、この戦場には壊れたものが多すぎた。


 聖剣。


 掘削具。


 拘束札。


 魔道砲。


 死骸兵核。


 王国軍の隊列。


 勇者の物語。


 すべてが、どこかで壊れている。


 なら、俺の出番だ。


「レインさん」


 リュシアが魔王の墓の前で俺を見た。


 彼女の頬には、掘削具がかすめた細い傷が残っている。


 血は止まっているが、その赤い線を見るたびに胸が痛んだ。


「無理をしないでください」


「無理じゃない」


「また嘘です」


「じゃあ、最後の嘘にする」


 リュシアの目が揺れた。


「最後なんて言わないでください」


 その声に、俺は一瞬言葉を失った。


 最後。


 自分で言って、嫌な響きだと思った。


 だが、鑑定士として分かっていた。


 次に読むものは、おそらく今までで一番深い。


 魔王の心臓。


 黒曜花根部循環核。


 古代循環碑。


 聖剣アステリオス。


 王都魔道炉。


 王国西部水脈。


 そして、死者たちの名簿。


 それらはすべてつながっている。


 表面だけ読んでも、白面神官は止まらない。


 掘削具を壊しても、次を出してくる。


 聖油を防いでも、毒を持ち込む。


 兵士を解放しても、また命令魔道具をつける。


 王国の嘘を一つずつ暴くだけでは、追いつかない。


 根を読まなければならない。


 この国が、どこで壊れたのか。


 魔王の心臓とは何なのか。


 聖剣は、何を待っているのか。


 それを、まとめて読まなければならない。


 俺は魔王の墓へ向き直った。


「リュシア」


「はい」


「墓守の許可がいる」


 彼女はすぐに頷いた。


 だが、その顔は青ざめていた。


「何を鑑定するのですか」


「魔王の心臓だけじゃない」


 俺は地面に突き刺さった聖剣を見る。


「聖剣、古代循環碑、黒曜花、王都魔道炉。全部だ」


 ミレイユが近くで息を呑んだ。


「全部って……そんなの、鑑定できるの?」


「分からない」


「分からないことをやるの?」


「分からないから読む」


 ミレイユは何か言い返そうとして、やめた。


 代わりに杖を握り直す。


「倒れたら怒るから」


「倒れたあとなら聞こえない」


「本気で怒るわよ」


「それは怖いな」


 ベルクが大盾を構えながら言った。


「時間はどれくらい必要だ」


「分からない」


「なら、稼ぐ」


 彼はカイゼルを見る。


「手伝え」


 カイゼルは予備剣を握っていた。


 聖剣はまだ彼の手にない。


 勇者ではなく、カイゼルとして立つ。


 そう言った男は、掘削班を見据えたまま短く答えた。


「言われなくても」


 ベルクとカイゼルが並ぶ。


 かつて勇者パーティーで、何度も見た背中。


 だが、今は違う。


 勇者と盾騎士ではない。


 魔王の墓を守るために立つ、二人の男だった。


 セレナが俺のそばに立つ。


「私は名前を呼び続けます」


「頼む」


「あなたの名前も、必要なら何度でも呼びます」


「できれば一回で済ませたい」


「それはあなた次第です」


 優しい声なのに、厳しい。


 セレナらしくなったと思った。


 グランが境界鍬を肩に担ぐ。


「鑑定士。読むなら派手に読め」


「派手な鑑定って何だ」


「王国の連中が二度と忘れねえくらいだ」


「努力する」


 ノアが水桶を持ったまま、息を切らして言った。


「俺も、できることをします」


「ああ。水路を見ていてくれ」


「はい」


 サナが家の陰から叫ぶ。


「お母さんの杯、守ってる!」


 ユーディアがその声に涙をこらえる。


 俺は頷いた。


「頼む」


 村全体が、俺のために時間を作ろうとしていた。


 戦えない鑑定士のために。


 俺は、魔王の墓の前に膝をついた。


 リュシアが隣に立つ。


 彼女は両手を胸の前で重ね、静かに言った。


「墓守リュシアが許可します」


 黒曜花が揺れる。


「父ゼルグレイスの心臓を、素材としてではなく、循環として読んでください」


 セレナが続ける。


「名呼びの聖女セレナが証人となります。死者の名を消さず、生者を素材にしないために」


 ミレイユが杖を掲げる。


「魔導士ミレイユが記録します。王国が消しても、もう一度映せるように」


 ベルクが大盾を地面に立てる。


「盾騎士ベルクが守ります。鑑定が終わるまで、誰も通さない」


 グランが境界鍬を打ち込む。


「鍛冶屋グランが境界を支える。壊れたら叩き直す」


 ノアが叫ぶ。


「ノア・テイルが水路を守ります。もう置いていかれません」


 リュシアが俺を見た。


「レインさん」


「ああ」


「帰ってきてください」


 その言葉に、胸が詰まった。


 俺は死者を見る者だ。


 いつも死の側に顔を向けてきた。


 だが、今は生者に呼び戻されている。


 なら、帰らなければならない。


「帰る」


 俺は答えた。


 そして、土に手を置いた。


「鑑定」


 視界が黒に沈んだ。


 次の瞬間、俺は土の中にいた。


 実際に潜ったわけではない。


 だが、感覚はあまりにも鮮明だった。


 黒曜花の根が、網のように広がっている。


 根の先には、井戸水。


 井戸水の先には、古い水路。


 水路の先には、リーベルの焼けた土。


 ノーラの枯れた井戸。


 ハーグの毒を含んだ畑。


 さらに遠く、王都へ向かう地下魔力脈。


 そこには、濁った毒が流れていた。


 王都魔道炉から漏れ出した毒。


 魔王ゼルグレイスが生きていたころ、彼の心臓へ向かって集められ、受け止められていた毒。


 だが、今は行き場を失い、逆流している。


 王都から枯れる。


 古代循環碑の言葉が、そこでようやく完全な意味を持った。


 魔王が世界を支えていたのではない。


 魔王一人に世界の毒を押しつけていた。


 それが、王国成立以前から続いていた仕組みだった。


 そして聖剣は、本来、その仕組みを終わらせるための鍵だった。


 毒を王一人に戻さぬ者。


 それが勇者。


 鑑定結果が、視界いっぱいに広がる。


【対象:世界魔力循環機構】


【状態:破損、部分再起動中】


【破損原因一:魔王ゼルグレイス心臓部貫通】


【破損原因二:王都魔道炉による魔力毒過剰生成】


【破損原因三:死者魔力結晶の炉内再利用】


【破損原因四:黒曜花焼却実験、聖油散布】


【現在の暫定核:魔王ゼルグレイスの心臓部が変質した黒曜花根部循環核】


【問題:循環核がアシュベル一地点に集中し、負荷過大】


【必要処置:心臓の摘出ではなく、循環核の分散】


 循環核の分散。


 俺はその言葉を追った。


 魔王の心臓を奪うのではない。


 心臓を、一つの場所に戻さない。


 毒を、王一人に戻さない。


 古代循環の勇者の定義そのものだ。


 さらに表示が続く。


【必要要素】


【一:黒曜花種子の各枯死村への移植】


【二:王都魔道炉の段階停止】


【三:聖剣アステリオスによる毒脈切断】


【四:聖女による死者名簿の安定化】


【五:墓守による魔王血脈の解放宣言】


【六:死体鑑定士による循環核位置の確定】


【七:王国による死者素材化の停止】


 最後の一つで、胸が重くなった。


 王国による死者素材化の停止。


 これができなければ、いくら黒曜花を植えても、魔力毒は増え続ける。


 王都魔道炉は死者を燃やし、毒を生み、また誰かに押しつける。


 仕組みそのものを止めなければならない。


 だが、白面神官がそれを許すはずがない。


 宰相グラウスも。


 王立魔道研究院も。


 王都の民でさえ、すぐには受け入れられないだろう。


 便利な魔道灯。


 温かい魔道炉。


 水を出す噴水。


 それらが、死者を素材にして動いていたと知ったとき、人は何を選ぶのか。


 俺はさらに深く潜る。


 魔王ゼルグレイスの心臓部。


 そこには、臓器の形はもうなかった。


 黒い根。


 銀色の灯。


 水脈の鼓動。


 死者の名前。


 その中心に、ひときわ深い黒銀の光があった。


 ゼルグレイス。


 魔王。


 父。


 毒受けの王。


 世界楔。


 いくつもの名を背負わされた死者。


 その声が、聞こえた気がした。


 ――まだ、読みに来る者がいたか。


 声ではない。


 記憶の振動。


 だが、意味は伝わった。


「あなたの心臓を読みに来ました」


 俺は心の中で答えた。


 ――心臓か。王国はまだ、そう呼ぶか。


「白面神官は奪うつもりです。王都魔道炉の核にするために」


 黒銀の光が、静かに揺れた。


 怒りではない。


 諦めに似た疲労。


 ――やはり、私一人に戻すのだな。


「戻しません」


 俺は言った。


「そのために、最後まで読みます」


 黒銀の光が、少しだけ温かくなった。


 ――ならば、読め。死体鑑定士。私の死ではなく、私が引き受けてきたものを。


 その瞬間、膨大な記憶が流れ込んだ。


 魔王ゼルグレイスが初めて毒を受けた日。


 幼い王ではなく、選ばれた毒受けとして、古代の祭壇に立たされた少年。


 人々は言った。


 あなたは強い血を持つ。


 あなたなら耐えられる。


 世界のためです。


 民のためです。


 魔族のためです。


 そう言って、毒は彼の心臓へ流された。


 少年は泣かなかった。


 泣けば、周囲が安心できないと分かっていたから。


 次の記憶。


 若いゼルグレイスが、小さな墓の前に立っている。


 毒に耐えきれず死んだ先代の墓。


 彼はその墓に頭を下げる。


 ――あなた一人に戻さない方法を探します。


 だが、見つからなかった。


 次の記憶。


 王国の前身となる人間の都市が、魔道炉を作り始める。


 便利な火。


 便利な光。


 便利な水。


 しかし、魔道炉は毒を生む。


 その毒は地下水脈を通じて、ゼルグレイスの心臓へ流れた。


 人間たちは知らない。


 いや、最初は知らなかった。


 やがて知った者たちが現れる。


 だが、止めなかった。


 魔王が受け止めているなら、王都は栄える。


 毒を引き受ける存在がいるなら、民は笑える。


 いつしか、人々は彼を恐れた。


 魔王と呼んだ。


 毒を送っていることは忘れ、毒を抱えた姿だけを見て、災厄と呼んだ。


 記憶が流れる。


 魔王ゼルグレイスが幼いリュシアを抱く。


 娘の前では苦しみを隠す。


 薬草茶を嫌がる。


 墓守になりたいと言う娘に三日悩む。


 それでも、彼は知っていた。


 自分の心臓が限界に近いことを。


 そして、いつか勇者が来ることを。


 聖剣を持つ者が、毒を切ってくれるかもしれないことを。


 ――勇者とは、私を殺す者ではない。


 記憶の中のゼルグレイスが呟く。


 ――私一人に戻された毒を、世界へ分け直す者だ。


 だが、現れた勇者カイゼルは、何も知らなかった。


 王国に魔王を殺せと刻まれた青年。


 母の死を、村の枯れた井戸を、すべて魔王にぶつけるしかなかった男。


 ゼルグレイスは見抜いていた。


 カイゼルもまた、毒を飲まされていると。


 憎しみという毒。


 英雄譚という毒。


 選ばれなければ価値がないという毒。


 それでも、魔王は言った。


 切るのは私ではない。


 ここに溜まった毒だ。


 だが、聖剣は貫かれた。


 心臓は破れた。


 世界楔は壊れた。


 そして今、黒曜花がその破れた心臓を、かろうじて別の形に変えて支えている。


 俺は、鑑定結果の奥に最後の表示を見た。


【最終鑑定候補】


【対象:魔王ゼルグレイスの心臓部および世界魔力循環機構】


【鑑定深度:極限】


【実行結果:循環核の全位置、毒脈、死者素材化経路、王都魔道炉接続図を開示】


【副作用:鑑定者の魔力回路焼損、能力喪失、意識崩壊の危険】


【実行しますか?】


 能力喪失。


 意識崩壊。


 その文字を見ても、不思議と恐怖はなかった。


 むしろ、静かだった。


 これが最後の鑑定になるかもしれない。


 死体しか見えない力。


 役立たずと呼ばれた力。


 その力で、ここまで来た。


 魔王の遺体を読んだ。


 壊れた鍬を読んだ。


 聖剣の破片を読んだ。


 拘束具を読んだ。


 死者の名前を拾った。


 もしこの力を失っても、読んできたものは消えない。


 けれど。


 リュシアの声がよみがえる。


 帰ってきてください。


 俺は息を吸った。


「実行する」


 黒銀の光が、世界を貫いた。


 現実の戦場で、俺の体が震えた。


 リュシアが叫ぶ。


「レインさん!」


 セレナが俺の名前を呼ぶ。


「レイン・オルディア!」


 だが、声は遠い。


 俺の視界には、世界の下に張り巡らされた水脈が見えていた。


 王都魔道炉。


 地下第三循環区。


 死者魔力結晶保管庫。


 聖教会白面回収班の記録庫。


 王立魔道研究院第三処理室。


 各地の枯死村。


 アシュベル。


 リーベル。


 ノーラ。


 ハーグ。


 すべてが線でつながる。


 毒の流れ。


 死者素材の流れ。


 聖油の流れ。


 黒曜花が伸ばせる根の流れ。


 循環核を分散できる場所。


 全部見える。


 見えすぎる。


 頭が割れる。


 目の奥が焼ける。


 それでも、俺は叫んだ。


「ミレイユ!」


 現実の声になったか分からない。


 だが、彼女は反応した。


「何!」


「記録しろ!」


「何を!」


「全部だ!」


 俺は、視界に流れる図を言葉にした。


「王都魔道炉第三循環区が毒の発生源! 地下水脈西線を通じてアシュベルへ逆流! 死者魔力結晶保管庫は王城地下北西! 黒曜花種子の移植候補地は、リーベル焼け跡中央井戸、ノーラ旧礼拝堂跡、ハーグ北畑、王都外縁墓地!」


 ミレイユが必死に記録魔法を展開する。


 青い文字が空に浮かぶ。


 王国軍も見る。


 白面神官も見る。


 消せないほど大きく。


「死者素材化経路!」


 俺は叫ぶ。


「戦死者回収班から聖教会へ、聖教会から王立魔道研究院第三処理室へ、処理後に魔道炉へ再投入! 管理名は聖遺物! 実態は魔力結晶化された遺体!」


 王国兵たちがどよめく。


 白面神官が怒号を上げる。


「黙らせろ!」


 掘削兵が俺へ向かう。


 ベルクとカイゼルが同時に動いた。


 ベルクは盾で止める。


 カイゼルは聖剣ではなく予備剣で、兵士の命令魔道具だけを斬る。


 その背後で、地面に突き刺さった聖剣が淡く光った。


 俺はさらに読む。


「循環核を分散するには、魔王の心臓を掘るな! 黒曜花種子を四地点へ移し、聖剣で毒脈を順に切れ! 王都魔道炉は一度に止めるな、三段階で止めろ! 第一段階、死者結晶投入停止! 第二段階、第三循環区遮断! 第三段階、地下水脈西線を黒曜花へ接続!」


 ミレイユが叫ぶ。


「速すぎる!」


「書け!」


「書いてるわよ!」


 セレナが死者の名前を呼び続ける。


 リュシアが魔王の墓に両手を置く。


 黒曜花が俺の体を支えている。


 だが、限界は近い。


 視界が赤く滲む。


 耳の奥で、何かが焼ける音がした。


【警告:鑑定者魔力回路過負荷】


【警告:視覚回路損傷】


【警告:能力基盤崩壊】


 それでも、最後の表示が来る。


 最も重要なもの。


【世界魔力循環機構・緊急処置】


【鍵:聖剣アステリオス】


【現所有者:未定】


【必要使用者条件:魔王殺害を功績としない者、死者を素材としない者、毒を一人に戻さない者】


【候補:不定】


【注記:勇者とは称号ではなく、選択の連続である】


 俺は声を絞り出した。


「聖剣の使用条件……」


 喉が焼ける。


 セレナが俺の名を呼ぶ。


「レイン!」


「魔王殺害を功績としない者……死者を素材としない者……毒を一人に戻さない者……」


 カイゼルが動きを止める。


 ベルクも。


 リュシアも。


 王国兵たちも。


 俺は最後の一文を読み上げた。


「勇者とは、称号ではなく、選択の連続である」


 その瞬間、地面に突き刺さった聖剣アステリオスが強く光った。


 白銀ではない。


 黒銀でもない。


 水のように澄んだ光。


 それは、カイゼルだけへ向けられた光ではなかった。


 リュシアへ。


 セレナへ。


 ベルクへ。


 ミレイユへ。


 グランへ。


 ノアへ。


 水を運ぶ村人たちへ。


 名前を呼ばれた死者たちへ。


 そして、王国兵たちへも。


 聖剣は、誰か一人の所有物ではなかった。


 世界を一人の王に背負わせないための鍵。


 ならば、その鍵を使う資格もまた、一人の英雄だけに閉じ込められるものではない。


 白面神官が叫ぶ。


「偽りだ! 聖剣は勇者のものだ! 王国のものだ!」


 だが、誰もすぐには動かなかった。


 聖剣の光が、彼の言葉を否定していた。


 俺は、土から手を離そうとした。


 だが、体が動かない。


 視界が暗くなる。


 鑑定結果が最後に浮かぶ。


【最後の鑑定:完了】


【開示情報:記録魔法に転写済み】


【鑑定者状態:危険】


【能力基盤:損傷】


【死体鑑定能力:一時停止】


 一時停止。


 完全喪失ではない。


 それを見て、少しだけ安心した。


 だが、次の瞬間、膝から力が抜けた。


 倒れる。


 そう思ったとき、誰かが支えた。


 リュシアだった。


「レインさん!」


 彼女の声が近い。


 セレナも駆け寄ってくる。


「レイン・オルディア! 戻ってきてください!」


 名前を呼ばれる。


 何度も。


 俺は死者を見る側だった。


 だが今は、生者として名前を呼ばれている。


 それが、かすかに嬉しかった。


「……読めた」


 俺はかすれた声で言った。


「全部じゃないけど」


「十分です!」


 ミレイユが叫ぶ。


 空には、彼女が記録した巨大な循環図が浮かんでいた。


 王都魔道炉。


 死者素材化経路。


 黒曜花移植候補地。


 聖剣使用条件。


 王国が隠してきたものが、戦場の空に晒されている。


 王国兵たちはそれを見上げていた。


 白面神官がどれほど「偽り」と叫んでも、もう消せない。


 記録は、黒花の村だけでなく、兵士たちの目にも焼きついた。


 カイゼルは聖剣を見ていた。


 その光は、彼を責めているようでも、待っているようでもあった。


 彼はゆっくりと膝をついた。


 聖剣に触れるためではない。


 ただ、その前で頭を垂れた。


「俺は……」


 彼の声は小さかった。


「魔王を殺したことを、功績にしてきた」


 誰も口を挟まなかった。


「それを捨てろと言うのか」


 聖剣は答えない。


 だが、光は消えない。


 カイゼルは顔を上げた。


 その目は、まだ苦しげだった。


 けれど、逃げてはいなかった。


「なら、俺は……」


 彼が何かを言いかけた、そのとき。


 白面神官が動いた。


 彼は懐から最後の黒札を取り出していた。


 今までの札とは違う。


 禍々しい赤黒い札。


 俺の鑑定はもう使えない。


 だが、黒曜花が悲鳴のように揺れた。


 セレナが叫ぶ。


「それは、命を捧げる禁式です!」


 白面神官は笑った。


「王国の記録は、ここで終わらせない」


 彼は札を自分の胸に押し当てた。


「私が、心臓を取る」


 赤黒い光が白面神官の体を包む。


 彼の背後で、死骸兵核の残滓と王都魔道炉の毒が渦を巻く。


 自分自身を媒体にして、魔王の心臓へ突っ込むつもりだ。


 俺は立ち上がろうとした。


 体が動かない。


「止め……」


 声も出ない。


 白面神官が一直線に魔王の墓へ向かってくる。


 ベルクが盾を構える。


 ミレイユが魔法を放つ。


 グランが境界鍬を叩く。


 だが、赤黒い禁式の勢いが強すぎる。


 カイゼルが聖剣へ手を伸ばす。


 聖剣は光っている。


 だが、彼の手が触れる直前、ほんの一瞬だけ止まった。


 勇者として握るのか。


 カイゼルとして握るのか。


 その選択を、剣は待っている。


 カイゼルは歯を食いしばった。


「俺は、勇者じゃない」


 彼は言った。


 白面神官が迫る。


「俺は、魔王を殺した男だ」


 聖剣の光が揺れる。


「だから、今度は心臓を奪わせない」


 彼の手が聖剣を握った。


 今度は、聖剣は拒まなかった。


 ただし、光はカイゼル一人のものではなかった。


 リュシアの黒曜花。


 セレナの名呼び。


 ベルクの盾。


 ミレイユの記録魔法。


 グランの境界鍬。


 ノアの水路。


 村人たちの水。


 それら全部が、聖剣の光へ流れ込む。


 カイゼルが叫んだ。


「毒を切る!」


 聖剣アステリオスが振り下ろされた。


 白面神官の胸ではなく。


 彼の体と魔王の心臓をつなごうとしていた赤黒い毒脈へ。


 刃が、毒だけを断った。


 赤黒い札が砕ける。


 白面神官が絶叫した。


 禁式の光が消え、彼は地面へ転がった。


 魔王の墓には、届かなかった。


 黒曜花が一斉に開く。


 死者たちの灯が空へ昇る。


 戦場に、深い静寂が落ちた。


 俺はリュシアに支えられながら、その光景を見ていた。


 鑑定はもう、何も表示しない。


 視界には文字がない。


 ただ、黒い花と、聖剣を握るカイゼルと、空に浮かぶ死者の灯が見えるだけだ。


 それでも、分かった。


 最後の鑑定は、終わった。


 そして、物語はようやく、王国が隠してきた心臓へ届いたのだ。


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